関沼博『「フクシマ」論』

(まだ読んでいる途中ですが、いったん、考えてみたい。)
原発の問題は、その「近さ」によって、見える世界が変わってくる。その近いか遠いかは、決定的にクリティカルである。
言わば、原発とは、その「近さ」における、「チキンレース」なのだ。どこまで近いのか。どこまで、近づくのか。いや。どこまで「近い」ことに、ファミリアリティをもつ生活を生きるのか。
恐しいことに、人間なり生物なりが、原発に近づけば近づくほど、そこから、放射される、放射線によって「被ばく」は、避けられない。それはもう、距離の関係に完全に比例してくる。
私は何が言いたいのか。
まず、第一に重要な存在は、現場の作業員である。大事なことは、現場で作業をする限り、「被ばく」が避けられないのだ。よって、彼らは、年間被ばく量を測定する。その上限を決めて、作業を行い、上限に達したら、もう現場に近づかない。
しかし、たとえそうだとしても、それが大量の被ばくであることには、変わらない。
というか、そうして現場に近づけなくなって、じゃあ、どうするのだろう? 一時的であれ、他の仕事を探すのだろうか?
もちろん、そういうわけで、それだけの健康上の「ギリギリ」の作業を行うのだから、それなりの「報酬」は支払われる。しかし、そういう問題なのだろうか? 報酬の多寡は、現場のモチベーションには大きく影響するとしても、そもそも、そんな作業を
強いて
まで行う人間活動とは、なんなのか、という話になるだろう。
例えば、「特殊技術者」としての「資格」を持っていれば、その作業の社会的必要性の性質を考えて、その制限を多少緩和する、ということが行われている(その「特殊技術」が成立しうる、十全な時間は少なくとも確保されなければ、なにもできない、という意味で)。
しかし、例えば、事故直後の福島第一原発に、近付くことは、大量の被ばくを結果することになったことは自明であり、そしてそれは、技術者かどうかなんて言っていられる場合ではなく、もし、そこでなんらかの事故対応が必要だったのなら、一般の人からなにから、あらゆる「人手」をかき集めて、作業をしないわけないはないかない。
放射性物質の特徴を考えるなら、その作業は、「老人」が比較的には適合的と考えられる。それは、そもそも、発がんのメカニズムから、それなりに、「時間」がかかるので、発症までの時間の間に、本来の「寿命」に達している可能性があるからで、それは、小出さんが、福島県の農作物を、老人が食べるべきだと言っていたことと相似だと言える。
しかし、たとえそうだったとしても、ものには限度があるんじゃないか、とは言いたくなるだろう。アーニー・ガンダーセン博士のニコニコでの発言にしても、福島第一の事故処理は、いったん、ストップすることを考えるべきじゃないか、と言っている。
それは、あまりに、事故の現場で作業を強いられる人たちの「被ばく」量が大きすぎるためだ。そうして、石棺にするなりして、事故の被害が広がらないようにすることで、100年なら100年の時間を待つ。そうすれば、放射性廃棄物放射線は、時間がたてば、それだけ、線量は減っていくわけで、それから後であれば、廃棄作業を行う人の被ばくは低く抑えられる。
そのように考えると、いかに、この事故が、大きな事態であったかが分かるであろう。どうするのがいいのかは、専門家の判断になるのだろうが、原発というものが、そもそも「こういうもの」だということを理解する必要があるだろう。
掲題の著者は、この本で、原子力ムラを二つに分ける。

  • 原子力ムラ> ... 一般に言われている、産業界から官僚からを含めた、原子力という「利益相反」に生きる人たち
  • 原子力ムラ ... 本来の「村」の意味の通り、原発が建てられて「ある」、その村に住んでいる住人

そして、著者は、後者の「原子力ムラ」が、どのような「構造」によって、成立しているのかを分析していく。
この「原子力ムラ」の特徴は、昔の炭鉱村に似ていなくもない。国家からは、原発を受け入れた「代償」として、湯水のようなお金が、国家から、この村に注がれる。そして、村は、ほとんど意味のない、維持するだけで、その村の生活レベルでは、「まかなうお金も工面できない」ような、箱モノの建設ラッシュとなる。
当然、その原発マネーをあてにして、周辺の村より、人口は、増える。だいたい、4人に1人が、なんらかの、原発に関係した仕事に関わるように、そこに住むようになるし、人口も、周辺の村の4分の5には増える、ということになるだろう。
しかし、彼らが必ずしも、現場の「最直近」で作業をすることになるわけではない。

もちろん、当然行政の担当者や反対派の核となっている住民などは双方とも危険性について詳しく知っている。だが、それが今の仕事や生活を送ることができればいいと思っている大部分の住民にとっても重要な問題となることはない。政治家や地元の有力者などの一部には知識が集まっている一方で、そうではない住民にとってはそのような難しいことは考えない、考えたとしても表に出せない。そのような自らで自らに抑止をかける状況がある。

危険なところさ入って仕事する人がいるなんて聞いたことないよ。大阪とかあっちの方から来ている資格持っている人で他の人が入れないところに入る人がいるってのは知ってる。でもそういう人たちは浴びっられる放射線の量が決まっていて、それこえたらもう働けない。ここ来てその判子押してある手帳みたいなの見せてくれあ人もいるよ。(富岡町、五〇代、女性)

私は保険の勧誘の仕事やってて原発の敷地内入ってるけど、危ないことだけ専門にやる人なんかみたことない。ちゃんと健康診断の結果とか見てるんだから。ホントに危ないところに入るのは黒人さん。水の中入ったり。どこの国の人だかわからない。そういう人は普通にそこらへんの民宿に泊まってるよ。(浪江町、三〇代、女性)

もし、労働環境においけ危険性があるとすれば、それは「大阪とかあっちの方から来ている資格持ってる人」「国籍も分からない黒人さん」といった自分たちのムラから切り離された外部の人間に帰される。さらに言えば、ここで「大阪とかあっちの方から来ている資格持ってる人」「国籍も分からない黒人さん」に大して侮蔑的・差別的な感情は感じられず、むしろ、特殊な技能をもった人と上に見るようなまなざしが感じられた。

ここで言っていることは、非常に重要だ。先ほども言ったように、原発の中まで入って、作業をするには、あまりに被ばくが大きくなって、とても長期的には作業をできない。そこで、そういった作業を担うのは、外の出稼ぎで来ている人たちとなる。むしろ、現地の人たちは、そういう人を当てにして、観光品を売ったり、宿泊施設を営んだり、飲食店を経営したり、という人になる。
彼らは確かに、原発から最も近いところに住みながら、

  • 自分よりも下(直近)がいる

という、「まだ自分はまし」感を生きている。この関係は、被差別問題と非常に似ている。つまり、現場の村の人には、結局のところ、自分たちを「被害者」と考える地平には、なかなか行かない構造がある、と言える。
村に原発が「ある」というのは、存在論である。
それは、もう「ある」としか言いえない、そして、村人は、ここに産まれてから、老いて死ぬまで、この原発と「共存在」として、並んで生きていく。
その町と切り離せなくある自分を意識する彼らにとって、原発推進か反原発かは、本質的な対立とは理解されない。なぜなら、たとえ、どっちだろうが、その

  • 郷土愛

から選ばれる原発推進か反原発かの選択は、その「郷土愛」という一点においては「等価」だからだ。

そのような、反対派の極限にいた人間が、対極にあるはずの推進の長に転換しうる一見理解しがたい状況の背景には、反対派が原子力ムラの利害にとっては無視しうる誤差であり、一方で利用可能でもあること、そして、推進も反対もともに自分たちの住むムラの未来の利益を考えるなかでの選択肢のありように過ぎないということが言える。

村に原発が「ある」ことを、「受け入れる」という行為をした「後」の村人にとって、そこに原発が「ある」ことは、そもそもの所与の

  • 前提

に変わっていく。
この構造は、つくづく、日本の敗戦を、むしろ

  • 積極的

に「受容」していった、日本人の態度に通じるものがある。

原子力ムラが原子力を持っていることを振り返る上で、それが「善意の開発」だったのか、「悪意に満ちた抑圧」だったのかという二つの見方がある。それらは相反するようでありつつ、実はコインの表裏の関係にあるものだと言える。すなわち、開発される側であるムラを一方的に受動的な存在であるという前提で見てしまっているという点で両者は根を同じくしているのだ。両者が誤りではないとしても、それは外部からの見方に過ぎず原子力ムラの経験とは一致しない。それは原子力ムラの側の能動性を捨象してしまっているからだ。
本節の表題にある「抱擁」とは、ジョン・ダワー(1999=2001)の語による。ダワーは「占領された敗北者」を一方的に受動的な存在ではなく、むしろ、敗北を抱きしめに行く、敗者の側の能動性に焦点をあてることによって新たな事実を掘り起こした。これは、一章までで指摘した「対象としての地方」研究からの脱却の方針とも一致する。

掲題の著者は、このように、原発のある村の「原子力ムラ」にとって、東京の知識人が彼らを「被害者」としてだけ、憐れみ同情する行為の「欺瞞」を指摘し、むしろ、彼らのその「偽善」が、むしろ、

を拡大している事実を指摘し、むしろ、そういった「あなたのためだから」が、逆に、現地の人たちの「ありがた迷惑」を生んでいることの自覚が足りないことを、糾弾する。
しかし、どうだろうか。そういった掲題の著者の「態度」も、どこか、「いつか来た道」に思えなくもない。
こういった知識人批判を、戦後一貫して、行ってきたのが、吉本隆明であった。そういう意味では、掲題の著者の態度には、どこか、吉本隆明的な「ジャーナリスト」精神を感じなくもない。
そして、この3・11以降の原発問題は、戦後の戦争責任問題と、非常に似ているし、似た議論が繰り返されている印象がある。
吉本隆明は、戦中責任問題に対して、獄中非転向を貫いた、日本共産党「さえ」も、批判する論旨を展開した。しかし、その吉本隆明が、オウム真理教地下鉄サリン事件において見せた態度には、そもそも、彼のその全方位批判の批評技術の、

  • 有効性

を疑問視せざるをえない印象を受ける。
例えば、掲題の著者は福島県出身として、こういった原発のある村の人への、フィールドワークとして、「彼らに寄り添って」、むしろ、彼らに「同情」するなら、彼らになにがされることが彼らにとっての「幸せ」であり、「彼ら自身が求めていること」なのか、という視点で、議論を展開する。
しかし、言うまでもなく、日本中には、原発のある「県」で産まれ生きてきた、地方出身者は、たくさんいる。
そして、そもそも、原発のある県であっても、その原発のある村「以外」は、原発マネーなんて、なんの関係もないし、たんに、地方の「さびれた」町にすぎないわけで、むしろ、そういった「原発のある県内の、原発が立地されている村以外の地域」の人たちにとって、それがなんだったのか、という視点だっているんじゃないのか、と思わざるをえない。
原発推進であれ反原発であれ、それは「郷土愛」として現地では主張される。しかし、そういう「中途半端な感情移入」こそ、一種の日本的「パナーナリズム」なんじゃないのか。
掲題の著者が、一方において、どうせ村人は原発推進を選び続けるのだから、日本が変われるわけがない、と言いながら、他方において、今の日本政府は、それが早いか遅いかはあるが、30年代の原発ゼロを発言した。私はこの道が、一筋縄にはいかないとは思いながらも、むしろ、それだけの期間をかけて、
日本の地方
をこそ、変えなければならないんじゃないのか、という印象が強い。そういう意味で、私は少しも「原発のある村」に感情移入をしたいと思わない。むしろ、ほとんどの、

  • 原発のある県内の、原発が立地されている村以外の地域

こそが、私にとってのファミリアリティであることを意識させられずにはいられない...。

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

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