笠井奈津子『甘い物は脳に悪い』

私はときどき、食事というのは、本当に「商品」なのか、と疑問に思うことがある。
それは、ようするに「嗜好品」というものが、必ずしも、「体によくない」という事実を考えるとき、考えさせられる。
食糧というのは、本当に、「資本主義的な対象」なのか。

甘い物を食べることにより、体内では急激に血糖値が上がります。それで一時的に疲れがとれたような気分になり、頭もすっきりしたと勘違いしてしまうのです。
問題は、そのあとです。
急に血糖値が上がると身体にとって負担になるので、血糖値を抑えるために膵臓が大量のインスリンを分泌します。膵臓としては、急に血糖値が上がったので、「早く下げなくては!」というプレッシャーのもと、通常よりも多くのインスリンを分泌します。したがって、血糖値は急激に下がることになります。
その結果、甘い物を食べる前よりも、血糖値が下がってしまい、集中力が続かなくなるばかりか、よけいに疲れを感じ、けだるくなってしまうのです。

しかし、私たちが「商品」として、いろいろな種類をもって、お店で売っている「食料品」は、多くは、「お菓子」などの、甘いものだ。つまり、甘いものは、人々を「麻薬」的に、商品購買の誘惑に誘う性質をもっていながら、他方において、掲題の著者が指摘するように、

  • 体にとっては逆効果

だという側面が強い。
では、私たちが「疲れ」を感じたとき、どういったものを摂取することを、勧めているか。

その答えはズバリ、たんぱく質を多く含んだ食品です。
たとえば会社で仕事をしていて、「疲れた......」「小腹がすいた。何か軽く食べたい」と思ってコンビニに足を運ぼうと思うのであれば、「ゆで卵」「温泉卵」「冷ややっこセット」「サラダ+たんぱく質(鶏肉、卵、シーチキンなど)」「干した魚介類のおつまみ」「枝豆(ビールが飲みたくなるかもしれませんが、そこは我慢して......)などの購入をおすすめします。

人間には、自分の体の中で作れない必須のたんぱく質がある。ということは、筋肉の疲れなどを感じているなら、まずもって、こういうものが必要だということを意味している、と。
いずれにしろ、非常に大事なことは「好物」という、自分が昔から好きだということが、少しも、「その人の体にとって」必要としている、と同値でない、ということである。好きだというのは、言わば、「縁」を意味しているにすぎない。ある、人生の転機において、たまたま、一緒に存在したということが、その嗜好を決定したにすぎず、じゃあ、それを、いつも体が欲しているかは別問題だということである。
このように考えてくると、体が必要としている食糧と、「高価」な食材は、少しも、同値の関係にないことを理解できるでしょう。

日本人の食性としてよく挙げられるのは、米であり、味噌や醤油に代表される大豆です。長い歴史の中で、たとえば他の民族に比べて長い腸を持つなど、私たちは米や大豆からよく栄養をとることのできる消化吸収システムをつくってきたということです。

ということは、何を意味しているのでしょうか。ものめずらしい、舶来の食品を食べることも、時には、あってもいいのでしょうが、とにかく、

  • 自分の体のことを考えるなら

毎日、同じような「地味飯」を食べておくことが「無難」だということです。

経営者セミナーに参加する地方の企業経営者を見ていて感心するのは、みなさん朝食に「地味飯」を食べていることで、これはとても身体にいい習慣です。地味飯というのは、たとえば、ご飯、味噌汁、魚の焼き物、野菜の煮物、生卵、焼き海苔などのメニューです。いわば小さな温泉旅館や民宿の朝ご飯に出てくる和食です。
地味飯は、日本人の食性にマッチしているだけでなく、炭水化物、たんぱく質、ビタミン、繊維質のバランスが非常によくとれています。こうした朝食をとっていれば、たとえ昼食と夕食が乱れたとしても栄養バランスを崩しにくいわけです。

上記で言っていることで、もう一つ重要なのが、「朝食」ですね。なぜ、「朝食」が重要か。それは、まあ、いろいろ書いてあるのですが、とにかくも、「朝食」は相場が「じみ」と決まっているから、毎日、

  • 当たり前

のものを食べていても「こんなもの」と思いがちだから、

  • 継続的に必要な栄養

を「ここ」で確保し続けておける、ということなのではないでしょうか。
しかし、たとえ朝食にしても、いつも、こういった手間暇をかけられるとは限らない。そういった場合に、掲題の著者が勧めるのが、「果物」である。

それは、果物には酵素が豊富に含まれているからです。
私たちが食べ物を消化するのも、栄養を吸収し身体の隅々に運ぶのも、それを代謝し排泄するのも、すべて酵素の働きなくしてはできないことです。それだけでなく、呼吸をする、あるいは筋肉を動かすなど、酵素はすべての生命活動にかかわっています。いわば生命の源なのです。
酵素には、身体の中でつくられる消化酵素代謝酵素の他に、食べ物から得られる食物酵素があり、これがとても重要です。
サプリメントをとったり、栄養ドリンクを飲んだりしても、いまひとつ効き目が現れないという経験は誰もが持っていると思いますが、それは酵素が不足していることに関係しています。なぜならば酵素は熱に弱く、加工の過程で高温過熱されると働きを失ってしまうのです。いくらビタミンやミネラルをとっても、酵素がなければ身体の中で十分に働いてくれません。いわずもがなのことですが、菓子パンとコーヒーの朝食で、酵素は補給できません。
もちろん、酵素は果物にかぎって含まれているものではなく、過熱されていない生の食べ物や、納豆、粕漬けなどの発酵食品にもたくさん含まれています。

まずは、必須の、体内で生み出せない、たんぱく質や、酵素を、「なんとしても」体内に入れる作業こそが、「地味飯」と呼ばれる、古典的な日本食

  • 役割

だった、ということなのだろう。
こうやって見てくると、つまりは、自分たちが子供の頃、親と一緒に、みんなで食べていたような食生活こそが、「日本人にとって」ベストだった、というわけでしょう(だから、自分たちは、ここまで健康に生きてこれた)。別に、お金持ちの家庭じゃないと食べれないものを食べないと「健康」になれないとか、なんの関係もない。
というか、むしろ、そういった親と子の「家庭」という、少なからず、

  • 慣習的な「弱い」強制

をもった、関係においては、とにかく、「毎日食べているから食べる」というような、「親の強制」が、比較的に、こういった

  • 資本主義的な「個人的」嗜好の「偏食」

を、バランサーのように、調整しているところがあった、とも言えるだろう。むしろ、そういった「共同体的強制」があることが、自分の意志に
反して
自分を「健康」にしているような関係が指摘できるようにも思えるわけで、つくづく、資本主義ってなんなのかな、と考えるときがある...。

甘い物は脳に悪い (幻冬舎新書)

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