新しい戦争の形態

中国の公安警察が、市民のケータイにメールを送ったって、個人情報は全て、管理されているってことなんですかね。まあ、北京がそうだった、ということのようなのだが。
今の、中国の光景を見ていると、「犯罪」というのは、警察が逮捕するから、犯罪なんだな、というのを、つくづく分からせてもらう。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのは、自分が犯罪を行った場面で、「同じく」他人も行うことで、

  • みんなが行っている

という状態を作る。そして、もしその状態が、百人、千人と増えていったとき、特定のだれか「だけ」を逮捕するということが難しくなる。そして、あまりに多くを逮捕すると、牢屋に入らなくなるし、都市機能が維持できなくなるかもしれない。
中国当局が、なんらかの賠償に含みをもたせる発言をしているが、本来なら、その「行動」を行った人間が、「罪をつぐなう」性質のものであろう。
そうでない、とするなら、やはり、今回のデモの暴徒化は、

  • 官製暴徒

の性質がある、もっと言えば、一種の

  • 新しい戦争の形態

だと言えるのかもしれない(間違いなく、国家が暴徒を「煽った」)。少なくとも、デモ暴徒の一人一人には、そういった「自覚」があるのかもしれない。
中国の現在の「王朝」の最初が、毛沢東なのだから、文化大革命は「モデルケース」なわけだ。人々があそこでの「愛国有理=愛国無罪」を、実践すれば、逮捕されない、という「確信」があるから、あそこまでの、犯罪行為を、「なんのためらいもなく」やれる。
現地の日本人が「標的」になるのは、むしろ、文化大革命における「資本家(=お金持ち)」の

  • 象徴

であるにすぎない。一般的に、日本企業のビジネスが「高額所得者」をターゲットにしているのは見え見えなわけで、そもそも、そういった「戦略」が、あまりにも分かりやすい、貧乏人への「恨み」「妬み」の

  • アイコン

になる、ということでもあるわけで、そもそも、そういった日本企業の露骨な戦略こそ、わざわざ恨みをかっているところもあるのではないか、とも言ってみたくなる。
つまり、暴徒の側にとって、「最終的」には、日本人を「含めた」、中国内の「資本家」への暴力の

  • 有理(これは、現「王朝」が毛沢東から始まっているということが、文化大革命的暴力の正当化を国民の歴史教育の中から、暗に示唆されている)

へとターゲットは広がっている、ことを意味しているのだろう。
中国内に住む、多くの日本人にとって、単純に、中国から脱出して別の国でビジネスをすればいい、というわけにはいかない。たんに、安価な労働者などだけでなく、中国国内の巨大な市場を狙って、進出してきた面が大きいからであろう。
そうであるなら、彼らのビジネスが、高額所得者向けである限り、そもそも、中国内の貧乏人や失業者に
資本家
という対象として「恨まれる」ことは、はなから、おりこみずみなのだろう。しかし、彼らが「いざとなったときに、果して、中国政府が日本人を保護するのか?」について、どこまで、深く考えていたのか、は別の問題だったのかもしれない。
おそらく、今回の騒動がたとえ、おさまったとしても、こういった「リスク」は、ずっと続くと思われる。道を歩いていたら、いつのまにか、現地の中国人に囲まれて、

の餌食にされているかもしれないし、果してそれを、中国警察はどこまで、「正統性」のないものとして、取り締りを積極的に行うのか。
もしかしたら、今回の件は、新しい未来の「国家」の姿を示すものだったのかもしれない。例えば、私たちは、警察というのは、

  • どんな人も平等に

扱うと思ってきた。ところが、その警察のある国家が、ある国と紛争でもめ始めると、途端に、その紛争相手国の人の、人権を保護しなくなるばかりでなく、

  • 積極的に犯罪に加担

し始める。
しかし、たとえそうだったとしても、今の中国の暴徒にとっての、その犯罪行為の「正当化」は、

  • 愛国

にあることは間違いない。国を愛するがゆえの「行きすぎた行為」。中国を愛するから、どうしようもなく、日本人たちをこらしめたくなる衝動。日本に関係するものを、破壊することが、

  • 愛国

の「表現」なのだ、というポピュリズムナショナリズム
こういった日本においても、昔から見られる、古典的「愛国有理=愛国無罪」を、国家は、どこまで裁くことに

  • 真剣

になれるのか。
例えば、暗闇で後から、日本人が襲われたとき、その犯人探しを、中国の警察は

  • どこまで真面目に

犯人捜査に取り組むのか。こういった、細部の国家システムが、国家レベルの対立を反映して、「差別的」に機能し始める。こういったことでさえ、近年のITの発展は、より繊細に行うツールとして機能していくのだろう...。