平川克美『小商いのすすめ』

ようするに、マクロ経済学とは、金融政策や税政策、国際貿易政策など、国家が行うお金に関係する政策、の理論的根拠として、

を利用しよう、というアイデアではないか、と言えると思われる。しかし、言うまでもなく、統計学とは、たんに、数学の理論にすぎなく、そこから語れることは、

  • 限定的

である。もし、それ以上のことを語れると思い、それを統計学の「結果」として語っている人がいるなら、それは、「デマ」だと言っていいだろう。
なぜ、こういうことが言えるのか。
よく考えてみてほしい。ある人が、今日はハンバーグを食べたとする。これを、日本全国の人に敷衍するなら、日本人は次の二つのグループに分類される。

  • 今日、ハンバーグを食べた
  • 今日は、ハンバーグを食べなかった

しかし、言うまでもなく、「なぜ」その人が、今日、ハンバーグを食べたか食べなかったのかは、人それぞれだ。じゃあ、これを、その理由ごとに、10択の中から選ぶことにしよう。そして、最後の一つを「その他」にするのだ。もちろん、こうすることで、「その他」さえ、少しになれば、大まかな、全体の分布は分かるのではないか、と考えることができるだろう。
しかし、ここにも欺瞞がある。
たとえば、ある一つの項目に、多くの票が固まったとして、「なぜ」それらの人はその項目に投票したのか。つまり、一見、表現は、その一つの項目で、自分の主張(立ち位置)を表明することに

  • 同意

していても、それが「意味」するところは、結局は、人それぞれだからだ。
(例えば、ローテーションで献立を決めていて、今日が「ハンバーグデー」だったから、と答えた人が、百人いたとしても、それぞれの人にとっての、ローテーションの中身は、当然違っているわけで、問題は、そういった

  • 微細な差異

を見ようとせず、「同じ項目に投票した人たち」と、一括りにすることに、果して、どこまでの意味を主張できるのか、ということである。)
つまり、これが「マクロの不可能性」である。
言語は確かに、人々の意志の疎通を可能にするが、それは、それらの「解釈」に差異がないことを少しも意味しない。つまり、その表現は、

  • ある程度の「誤解」に耐えられる

ということしか、意味していないのであって、少しも「誤解」が起きない、ことを意味しない、ということである。
ここから、そもそもの、マクロ経済学の「不完全性」が推論できる。実際に、経済学と呼ばれているものを見ても、ミクロ経済学でないものは、どこか、

  • はったり

かましているだけのようにも思える。大味な、大ざっぱなことを、大上段に構えて、「ゆったった」感に、あふれていないか。
つまり、あらゆる言論は、最後には、
細部に降りてくる。
例えば、マクロ経済学における、最も、頻繁に使われるタームこそ、

  • 成長

であろう。しかし、そもそも成長とは何か。
成長という言葉とは、GDPの数値が上がることだ、と。そして、そういう意味でいうなら、そもそも、成長しない社会ってなんなんだ、ということになり、つまりは、成長は絶対的に「いいこと」に決まっている、ということになってしまう。
しかし、もっと遡って言うなら、成長とは、キリスト教における、

のようなもので、人間は進歩する存在であって、そして、そうやって進歩し続けた先に、イエスの復活であり、千年王国が、待っている、みたいな。
科学技術だろうがなんだろうが、人間は「進歩」しているんだ、という考えは、非常に強烈に私たちを支配しているように思える。
そういった人たちは、例えば、老人が、科学文明の利器を否定して、昔ながらの、紙の手紙を書こうとすると、怒ったりする。
科学テクノロジーの進歩は、「いいこと」なのだから、こういったことを言って、人々に、パソコンやスマホが普及することを「邪魔」する、老人は「悪」だということになる。
しかし、日本のバブル以降は、ほとんど、日本の経済は成長していないという人もいるし、世界史における、中世の時代とは、ほとんど生活水準が変わらない時代が、非常に長く続いた時代のようにも思われる。
つまり、こういった「成長」というのは、その一言で、まとめすぎなんじゃないか、という印象を受けなくもない。
世の中には、さまざまな「現象」があるわけで、その一つ一つについて、

  • どっちに向かえば成長なのか?

は少しも自明ではないんじゃないか、という印象を受けるわけである。
つまり「成長」と人々が呼んでいることは、その一つ一つを見るなら、そう簡単に並列できるものではなくて、解釈モデルもいろいろ、ありうるんじゃないか、とは言いたくなるわけである。
同じような問題として、戦後の、世界の経済学を席巻した、イデオロギー新自由主義というものがある。人間は、さまざまな「(国家などによる)奴隷状態」から「自由」になっていく
進歩(=自由の「成長」)
の歴史であって、この動きを否定することはできない、というようなものだ。

グローバリズム新自由主義を主導した現代経済学の頭目的存在であるミルトン・フリードマンはその著書『選択の自由』の中で、同じく新自由主義体系を生み出したフリードリッヒ・ハイエクの著書を引きながら次のように延べています。

われわれは『隷従への道』を速度を速めながらころげ落ちていくことになるか。それともいまこそ政府に対して厳しい制限を設け、われわれがそれぞれもっている目的を達成するため、自由な個人相互間における自発的な協力にいっそう大きく依存をしていくようにするのか。このどちらの道を選ぶのかという「選択の自由」を、依然としてわれわれはもっているのだ。
(『選択の自由』M&R・フリードマン著、西山千明訳、日本経済新聞社、一九八〇年)

しかし、自由の反対が「隷従」というのは、そんなに簡単なことなのだろうか? 私には、こういった主張が、どこか、

  • 難しい細部を無視した「単純化しすぎている」、どこか幼稚な印象を受ける。

私たち生物は生きていかなければならない。そうでなければ、死ぬのだから。そうであるなら、その「手段」を問われる言われもないわけである。

  • 隷従はダメで自由はOK

と言われたところで、自由になって死んでしまうのなら、そもそも、その二者択一は成立していない、ということになるだろう。
つまり、ハイエクにしろフリードマンにしろ、本質的な議論を避けているように、私には、どうしても思える。
例えば、今の国家が、全ての税を、消費税にするなど、一切の「逆進性」の配慮を行わず、だれもが一律に(=平等に)税を徴収されるとしたとしよう。また、一切の生活保護をやめたとしよう。
その場合、当然、貧乏人は税金が払えない。しかし、払うお金を持っていないのだから、払えないのは当然だ。しかし、この国家は、一切の生活保護をやめたのだから、たとえ、どんなに貧乏な人でも、国家が要求する税金は払ってもらわなければならない。
じゃあ、どうするか。
まず、闇金で借金をして、公共料金を払う。内蔵を売る。自殺をして、それによって降りる保険金で、公共料金を払う。
しかし、人によっては、こんなことはバカバカしくて、やってられない、と思うかもしれない。論語に親しんでいる人なら、自分の体を切り刻んで、生きるなど、ありえない話だろう。こういった選択は、結局は、今の状況をさらに厳しくするだけなのであって、わざわざ、さらに厳しくなる方向を、選択することほど、愚かなことはないだろう。
じゃあ、税金を払え、という国家の命令に従わないことにしよう。
もし払わないなら、どうなるか、牢屋に入れるしかない。しかし、どんなにこの「懲罰」を厳しくしても、後から後から、払らわない人が増えるようなら、どうするか。当然、国家は、この「懲罰」を厳しくするだろう。つまり、滞納したら、「死刑」だ。
さて。
私は「これ」が、少なからず、今、日本(だけでなく、先進国)で起きていることだと思うのである。
つまり、

である。先進国において、貧乏な人たちは、結婚もしないし子供も産んでない。それは、子供を産んで育てるために必要な

  • お金

を自分は稼げない、と思っているからだと思われるし、事実、そうやって、少子化が実現しているである。そのことに、いいも悪いもない。だから、日本において、セレブが子供自慢をパブリックな場所ですることは、

  • 幸せ自慢

として、顰蹙を買う(少なくとも、ちょっとKYな他人の気持ちの理解できない人なのだろうと、白い目で見られる傾向にある)。
もしかしたら、人によっては、上記の仮定において、国家が消費税を徴収しているからダメなんだ、と考える人もいるかもしれない。こういった視点を「リバタリアニズム」と言う。
では、国家が国民から、税の徴収をしない、としよう。もっと言えば、国家そのものが、なくなった、と仮定してもいい。
こうした場合、どういうことになるか。
まず、お金を持っている人は、貧乏人に「福祉」を行うだろうか。そもそも、彼らに、そんなことを行う時間があるだろうか。
そうなった場合、お金のない貧乏人は、どうなるだろうか。
当然、生きていけない。
じゃあ、背に腹は変えられませんよね。
一揆でも起こすしか、ありませんよね。
じゃあ、お金持ちはどうするか。自衛しますよね。そこで、公的であれ私的であれ、「自衛暴力」に、お金を投資するようになるでしょう。つまり、

  • 内戦

です。これが、今のシリアであり、少し前から今に至るまでの、イラクの姿でしょう。つまり、
自由の拡大は暴力に帰結する。
しかし、この結果も満足できないとすると、どうなるか。極大まで、国家の側の暴力を拡大させることになるでしょう。つまり、
一切の一揆を国家暴力で鎮圧する。
この方向が、今の、ITテクノロジーの発展によって、可能であるかのように「夢」見られているのが、今の技術社会の現状だと言えるのではないでしょうか。
しかし、そういった「暴力」のない社会を、より強力な「暴力」で実現した場合、どういうことになるか。

  • 国家が貧乏人に福祉を与えない
  • 人々は自分のお金集めに忙しく、他人をかまっていられない
  • 国家、民間を含めて、秩序維持のために、「警察」組織を「巨大化」する

この条件が成立したとき、まず起きるのが、

  • 貧乏人は飢えて死ぬ

である。しかし、先ほども言ったように、貧乏人が、なぜ自分が飢えて死ぬことを、なにもせずに、忍従するだろうか。問題は

  • 合法的に生きようとする限り、自分は飢えて死ぬ

ということを意味しているにすぎない。貧乏人だって「人間」なのだ。旧石器時代における、類人猿がそうだったように、

  • どんな手段を使ってでも

生きようとするのが「人間」じゃないのか。つまり、「法を犯す」のだ。
応仁の乱において、下層階級の野武士たちは、貴族階級の屋敷に、火をつけて、屋敷にある、金品を盗み出し、そして、日本には、ことごとく、

  • 貴族階級はいなくなった

のである。
もちろん、一切の犯罪人を、なんの国家側の損害をもたらすことなく、牢屋にぶちこめる工学的テクノロジーが、今後、完成していくかもしれない。犯罪を犯したら、国家が一瞬にして、そのトリガーを感知して、犯罪者に、抵抗をさせない。
しかし、こういった国家の国民拘束テクノロジーが発展すればするほど、なにが起きるだろうか。

  • 貧乏人が生きていけない

こういう社会になるのではないだろうか。
なぜ、上記の議論は、どちらにしろ、バッド・エンドになってしまうのか。
それは、言うまでもない。

  • 国家が「福祉」をやらないにもかかわらず、富裕層が、貧困層への「福祉」を行うことに「積極的でない」

ことに、その原因があると考える。もし、「自由」を絶対的に求めていくなら、当然のこととして、

  • 平等でない

状態が実現する。つまり、各自の選択によって、「成功」と「失敗」に分かれ、格差が拡大する。そうしたときに、

  • 成功した人たちは、「当然」、貧しい人に施しをしなければ、社会の「バランス」が保たれない

という結論になるはずではないか。問題は、そういった「成功」した人たちが、どうやって「貧乏人」をサポートしていくのかを、

  • まったく考えていない

ことに、なぜ、国家を廃絶できないのか、の理由がある、ということになるだろう。
私が、なぜ、ハイエクフリードマンの上記の発言を「幼稚」と言っているか、分かっただろうか。

  • 自由の極限化 + 国家福祉の廃止 + 富裕層の自己中化 + 警察テクノロジーの極大化 = 貧困層を先頭に始まる人口減少

つまり、もし、あなたが国家の廃止を目指そうとか、福祉のない世界を実現したいと思うなら、それと同等の、

  • 福祉に「匹敵」する、貧困層の生活改善の努力

  • ボランタリー(自発的)に

行い「たい」と思い、実際にそれを「実現」できなければいけないのだ。そういった「手当て」なしに、

  • 自由

を幼稚に主張することは、まったく、説得的ではない。
私は、この日本という国は、70年代から80年代の間に、まったく違う国に、変わったのではないか、と考えている。

戦後の日本の歴史を振り返ると、わたしにはそれが、「家族」的なものが「個」へと解体してゆく歴史でなかったかと思えるのです。
歴史的に見れば、長子相続で、権威主義的な直系家族であった日本の家族は、戦後民主主義の進展のなかで、次第に核家族化していきました。
昭和三十年代が、家族の絆が生きていたノスタルジーとして語られますが、逆に言えばそれはオリンピックを挟んで近代化が始まり、以後急速に家族が解体してゆく前の、最後の家族の光景であったということです。
茶の間の団欒があり、家族で一緒に見るテレビ番組があり、父親の威厳が保たれているような家という単位が、社会全般の秩序の基底になっていたわけです。
わたしの家で起きたことは、町内会の他の家でも起きていたことであり、町内会で起きていたことは、日本全国で起きていたことでした。
だから、家の中の価値観や、倫理は、明文化しなくとも日本全体に浸透し、それが社会を安定的に運営する秩序を形成していました。
五〇年代の中ごろからはじまる高度経済成長は、家庭に電化製品を急速に普及させることになります。一億総中流といわれるぶあつい中間層が形成される七〇年代、八〇年代には可処分所得の増加分が、レジャーや教育に回り、塾通いのこどもは、以前の川の字で家族で寝ていた部屋を出て、ベッドのあるこども部屋に移ります。そして、そこには、かつて家族の団欒の象徴であったテレビが、いまは個人用のツールとして設置されるようになっていったのです。
こうした核家族化に続いて、週休二日制や、派遣労働法が制定れ、余暇をどのように過ごすかということがひとびとにとっての関心事になり、同時に自由な働き方ということが喧伝されるようになっていきました。
一方、会社の側もかつての家制度の名残のような終身雇用の大家族経営から、契約主体の近代経営へとかたちを変えていくことになっていきました。

高度経済成長は、まさに、自由主義者が主張する「トリクルダウン」が、奇跡的に成立する時期になります。そして、その間にかけて、労働者は、

の安穏とした生活の「成立」のトレードオフとして、一方的に、労働者の権利を剥奪されます。それは、たまたま、その時代が、「裕福」だから、可能であった「余裕分」にすぎないのに、

の安穏に心を許し、簡単に、相手につけいる隙を与えます。
なぜ、70年代以前の、家族主義的な家のあり方から、核家族化、個人化の形態に変化してきたのか、という問いは、

  • なぜ、70年代以前は「ずっと」、家族主義的な家のあり方だったのか?

という問いに変わります。
言うまでもありません。
貧しかったから
です。貧困が人々を「集団」にするのです。貧しくて、自分の稼ぎだけでは生きれないから、集団になるのであって、それは、

  • 自由

とは、なんの関係もありません。
私たちの世代が、ある意味、最後の、家制度的な「父親」を、「感覚」して生きてきた、とも言えるのかもしれません。
父親とは、子供にとって「恐い」存在でした。しかしそれは、私の世代以前にとっては、わざわざ、そんなことを断るまでもなく、当たり前のことでした。
日本の明治以降の文学は、みんな、父親との確執や和解がテーマであった。
しかし、80年代を経て、バブル以降、「父親」という存在は、ほとんど、空気のように、いるのかいないのか分からない存在に変わっていく。
日本のアニメ(クールジャパン)における、決定的な特徴は、そこに、父親がいないことである。
多くのアニメにおいて、なぜ、主人公の少年や少女は、その
個性
を保てているのか、その性格は「クール」な、他者依存的な性格をもっていないのか、といえば、それは、
父親
が描かれないから、である。よく考えてみれば、それは自明であった。主人公の少年や少女の父親は、そもそも、なにによって稼いでいるのか。安定した収入はあるのか。この日本において、そんな、定年まで、間違いなく、リストラされることのなく、子供に貢ぎ続けられるような職業などあるのだろうか。
父親を具体的に描こうとするなら、少なからず、主人公の少年や少女の「学校生活」は、その父親の「収入」に依存して、変化せざるをえない。父親の稼ぎが景気のいいときは、安穏と私立でも目指していれば、どこの大学だろうが、入れるのかもしれないが、ひとたび、父親の経営が傾きだすと、そもそも、高校に通い続けることさえ、難しくなる。行けたとしても、国立で、それも、奨学金やバイトをして、なんとか、通えるくらい。少しも、バラ色のキャンパスライフではない。
しかし、よく考えてみれば、それが、70年代以前の日本だということであろう。貧しいから、父親は絶対的に威厳があったし、子供は完全に父親の景気に左右されて、生きるしかなかった。それもこれも、

  • みんなが貧しい

からだ。だから、家族は、より集団的に助け合って、各自の貧しさを、みんなで、よせ集めて、「一つ」にして、みんなをしのいでいた。
ひるがえって、この2010年代。もう一度、あの頃に戻れるだろうか? 明らかに、日本は、「成長」ではなく、

を生きる時代に移行し始めている。工場は、次々と中国に移り、10分の1の給料で、海外で、仕事は回り、日本で生まれ日本で育った日本企業は、もう日本人を雇わなくなった。日本人の働く場所は、どんどん少なくなり、若者は、大学を出ても仕事がない。
圧倒的に、若者を始めとした、日本国内の「貧困」が始まっているのに、この何十年の日本の
堕落
は、子供も、その親たちも、贅沢を覚えて、個人で生きる安易さに慣れて、ハングリーさをなくした、生きる活力を奪われた、彼ら、

たちは、もう一度、70年代以前の、日本人のハングリーさを取り戻せるのだろうか?

昭和三十年代の「ひとり親方」たちは、地方から次男坊や三男坊を従業員として受け入れてきました。
親御さんに対して「わたしが責任を持ってお預りいたします」と言って。
そして、住み込みで働くかれらに対して、自分のこどものように接してきました。
昭和の時代の社長がしばしば「おやじ」と形容されたのは、こういった事情によるものです。
ひとり親方たちは、自分が責任のない他人のこどもの親になることで、社長になっていったのです。
こどもである従業員たちは、労働者として成長することで「おやじ」が注いだ愛情に報いていきました。こうして、日本中に熟練工が生まれていきました。

貧困層は、もう一度、自分たちの中に、「ハングリー」な活力があることに、目覚める必要があるのではないだろうか。
例えば、自分が貧しいなら、国家と、かえあうのです。国家に自分が貧しいのは、国家が十分な福祉を提供しないからだ、と主張しましょう。
よく考えてください。
あなたが生きていくためには、「主張」しなければならないのです。「主張」することによって、彼らは、始めて考え始めます。
「主張」するということは、目の前の壁に、立ち向かう、ということです。だれかに押し付けられた、抑圧を、ただ従順に従うことしかできない、

は、ハゲタカに骨の髄まで、しゃぶられて、捨てられます。
戦う
のです。自らの中に、その戦闘のパワーを見つけられなくなったときが、死ぬときです。
どんなに嫌がられようとも、煙たがれようとも、最後の最後まで、くらいつくのです。時には、富裕層の家庭の家の前で、土下座して、寄付を請うことも、必要でしょう。彼らが、ボランタリーに助けてくれないなら、こっちから、助けてくれ、と押し掛けるのです。それくらいの、バイタリティがなかったら、現代の厳しい時代を生き残っていくことは、できない。
「小商い」とは、そういった、貧しさの中においても、「小規模経営」を続けるパワーのことを意味します。小規模であることは、貧しさから来る、必然的な形態です。しかし、たとえ、儲けが少なくても、決して、商売を捨てないわけです。少しの儲けでも、最後まで、喰らいついていく。
つまりは、日本から、そういった「タフ」さが、なくなっていっている今、日本のプチ・ブルジョアたちは、日本人を見捨て始めています。労働者は、海外のハングリーな若者を使えばいい、と考え始めています。
しかし、それでいいのでしょうか?
日本の特権を享受しながら、日本人の幸せに貢献することなく、儲けられれば、自国民の貧困が続こうがどうでもいい、といった連中を私は「非国民」と呼び、こういった「敵」と戦っていくしかないと考えているわけです...。

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ

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