プレ近代の先進国

月刊誌での、石原都知事の発言は、つまりは、戦争を「やれ」と言っているのと、同値だろう。

石原 政府がはっきりと、「そっちがその気なら、こっちもやってやるぞ」と言えばいい。「寄らば切るぞ」の精神ですよ。
安倍晋三君が総理の時に、シナとのガス田問題で揉め、外務省は「あまり刺激すると相手は軍艦を出してきます」と脅した。しかし、安倍君が「それならこちらも出せばいい」と言ったら事態は一気に終息した。つまりはそういうことです。

石原 この前、野田と会談した時におかしなことを言っていました。「ステップバイステップでやらせてください」と。「最初のステップはなんだ」と聞いたら、「いろいろな事業をやるのに電源が必要だから、太陽光パネルを持っていく」という(笑)。パネルだけ持って行ってどうするんだ。
そもそも、野田は「灯台だけは作りたい」という意思はあったようだけれど、外務省にケツを叩かれた玄葉に説得されたようだ。

石原慎太郎尖閣防衛には血を流す覚悟を」)

WiLL (ウィル) 2012年 11月号 [雑誌]

WiLL (ウィル) 2012年 11月号 [雑誌]

もう完全に、日本が戦前にアメリカに対して、侵略戦争を始めた論理と同じでしょう。宣戦布告して、損害与えれば、いずれ、向こうから、和平してくれ、と言ってくる、って。
石原都知事は、野田総理を、追い込んで、後に引き下がれないようにして、中国に進出している日本企業に、どれだけの、損害を与えるつもりなのだろうか。石原都知事は、こうやって、日本企業が窮地に陥っているのが、楽しくて、しょうがないのだろう。
しかも、野田総理だって、自民党出身なわけで、今の日本の政治は、完全に自民党遺伝子によって、支配されている。
自民党は、結党当初から、軍隊復活や、憲法改正や、徴兵制を目指してきたわけで、こうやって、中国と緊張が高まれば高まるほど、そういった政策への敷居が低くなる、とでも思っているのだろう。事実、安倍が再度、自民党の総裁になったことは、次の選挙では、自民党の勝利が語られている中で、「結党以来の念願」を叶えるチャンスが来たとでも思っているのだろう。
私は、日本人は、本当に「人権」を理解しているのだろうか、を疑っている。私は、日本人が自ら、

  • 近代

を選んだことがあるのか、はなはだ怪しいと考えている。私は、本質的に、日本人は「差別主義者」なのではないか、と思う。つまり、本音のところでは、

  • 身分は必要

と思っているのではないか。もちろん、天皇は一つの「身分」であるが、それだけではない。
例えば、池田信夫は、以下のように、ツイッターで発言し、まったく、訂正するそぶりもない。

中国人留学生が拾ったんじゃないの RT @enagoya: 私が財布を落としたときに、次の日に現金だけ抜かれて放置してあった東大は、良くも悪くも世界基準の大学なのかな。
ikedanob 9月28日 10:47

Racist jokeは「情報弱者ホイホイ」だね。(笑)と入れないとわからないのかな。ブロックする奴をおびき出すのに便利だから、これからも使わせてもらうよ。
ikedanob 9月28日 13:34

彼の、ポリティカル・コレクトネスに欠けた、暴言の数々は、もう、枚挙にいとまがないわけだか、それにして、上記は、ひどすぎるだろう。こんな奴を、いつまで、雑誌やテレビは、学者呼ばわりして、パブリックな場に呼び出し続けるんですかね。
また、次の、佐々木俊尚さんの発言は、確かに指摘している「対象」が、どうしようもなく、ひどいので、こんなふうに言いたくなるのも分からなくはないが、しかし、問題は最後の、ポリティカル・コレクトネスに欠けたフレーズなのだ。

他人の病気や障害を理解しようとせず笑いのタネにしたり揶揄したり、「大丈夫、大丈夫」とかいって無理させる人とかいるけど、本当ああいう人たちが嫌い。「成人病になって後半生苦しめ」とか思わず心の中で口走ってしまう。
sasakitoshinao 9月27日 16:53

本人が言っているように、「論理的」には、直接、当事者に向かって発言しているわけではないが、この文脈において普通に読めば、当人を「罵倒」していると読めるだろう(「心の中」じゃねーじゃねえか、ってことですね)。
現代日本において、糖尿病が非常に深刻な、国民的な病気であることを考えても、不穏当な印象は免れないだろう。
上記の三つの発言に共通しているのは、

  • 目には目を、歯には歯を

の、復讐原理であろう。自分が、いじめられたら、「同じこと」を相手に、仕返すんだ、と。
つまりは、「近代社会」における「人権」を分かっていないわけだ。
人権とは、言ってみれば、キリスト教的倫理と言えるだろう。キリスト教において、なぜ、右の頬を殴られたら、左の頬を差し出さなければならないのか。それこそ、

  • 人権

なわけだ。つまり、「目には目を、歯には歯を」をやっていたら、お互いの「復讐の連鎖」が終わることはない。
それこそが、欧米における、第二次世界大戦における、悲惨な復讐合戦に対する「反省」だった、わけであろう。
だから、罵倒には罵倒で返す、ハムラビ法典は、「モダン社会」では、否定される。
しかし、本性において、差別主義者の日本人には、このことを理解できない。
右の頬を殴られたら、左の頬を差し出すというのは、もともと、頬は差し出すまでもなく、そこにあるのだから、つまり、

  • なにもしない

ということを意味している。つまり、復讐をしないが、相手は正規のプロセスで裁かれることになるわけで、でも、たとえそうであっても、なんの感情も抱かない。なぜなら、それを「喜べば」、それは、一種の復讐になるからだ。
しかし、いずれにしろ、上記の三人の年長世代の発言には、ある、一つの共通した地平を観察できる。つまり、

であろう。最後の佐々木さんにしても、次期総理候補にかなり近いと考えられる、安倍元総理だから、「わざわざ」ここまで、強く主張したんじゃないのか、という印象はぬぐえないだろう。
つまり、愛国が、中国を陰に陽に差別しようとし、日本の国内に「非国民」を見出すわけだが、しかしそれって、今の、中国の暴動デモと変わらないんじゃないのか、とも言ってみたくなる。
(というか、それに、刺激を受けて、日本の大人も、その挑発に、熱くなってるんでしょうね。)
日本は今だかつて、近代を経験せず、上の世代は、戦争を少しも反省せず、相変わらず、戦前と同じような
プレ近代
の、愛国ナショナリズムの扇動を利用して、炎上マーケティングで儲けようという人々が跳梁跋扈する姿は、果して、いつになったら、日本と中国と韓国の「謝罪外交」は終わり、次の建設的な東アジアの時代は来るんでしょうかね...。