東アジアの朝貢秩序

福沢諭吉がなぜ、日本の江戸時代的な儒教道徳より、西欧の「技術」の輸入を重要視したかは、そもそもの、日本の明治から始まる「開国」において、

  • 一等国

になることを、重要視したから、である。国家には、一等国と二等国と三等国があって、日本は、一等国じゃなく、二等国だったから、欧米列強と

を結ばなければならなかった。だから、なによりも「急ぐ」べきは、日本が一等国になることだ、西欧の科学技術を、いちはやく取り入れ、国力を増強し、一等国になることで、不平等条約を解消させるのだ、と。
この日本の世界秩序理解は、はからずも、日清戦争日露戦争を経ることで、新たな国際条約を勝ち取ることで、解決していく方向になるため、逆に、そのことによって、説得力が増してしまう結果となった。
もしかしたら、こういった「世界秩序史観」をもっていたから、日本の好戦的な猪突猛進に、あらゆる場面で、トラブルを拡大し、戦争に突入していく、性質を決定し、第二次世界大戦における、日本の無謀な長期戦を結果していたのかもしれない。
しかし、一等国と二等国と三等国という考え方は、おそらく、日本人にとっては、

  • 納得

しやすいアイデアだったのかもしれない。古くは、魏志倭人伝の頃から、この国は、中国に朝貢を行ってきた。
この東アジアの国家間秩序は、古くから「朝貢」関係によって、成立してきたと言えるだろう。つまり、「朝貢される国」と「朝貢する国」によって、完全に「階層」を作るわけである。
朝貢する国」は、「朝貢される国」に、毎年、定期的に、謁見をしにうかがう。そこで、さまざまな貢ぎ物をすると同時に、自国の王の

  • 位(くらい)

を、「朝貢される国」からもらう。これによって、

  • 同じ「朝貢される国々」

の間での「階層」関係を形成する。そして、この上下の関係が、その「朝貢される国々」の間での、「朝貢」の関係を決定する、というわけである。
なんか、猿山の、お猿さんたちみたいですが、まあ、実際にそうだったのだから、しょうがない。
この関係において、日本の歴史的な立ち位置は、少し複雑だ。飛鳥時代から室町時代くらいまでは、まあ、なんだかんだいって、日本は中国に朝貢していた。それが、経済的にうまみがあったからだろうが、ところが、もう江戸時代くらいまでいくと、「鎖国」といって、ほとんど、周辺国と関係をもたなくなる。
これは、非常に不思議に思われるかもしれないが、ようするに、日本国内の権力の正統性が、天皇を中心とした、国内向けの理屈になってしまったので、周辺国との交易をすることが、逆に、自国の権力の正統性に、説得力を失わせる印象を与えたからではないだろうか。
(こういった国家関係を、ウィットフォーゲルは、大国の周辺国に対して、「亜周辺」と呼んだわけだ。)
事実、朝鮮との通信使のやりとりでも、結局のところ、そういった「お互いの国王」の位については、ぼんやりと曖昧にすることで、細く実現していたにすぎない。
(興味深いことに、今の石原都知事の挑発行為に端を発し、野田総理が、石原都知事の敷いたレールの上を走っている今の状況は、完全に、江戸時代に逆戻しているように思える。再度、日本は、国内向けの「正統性」競争に、走り始め、中国に進出し始めた、日本企業をピンチに陥れているが、彼ら内向きの政治家たちにとっては、国内での自分の人気にしか関心がなく、「自業自得」とでも言いたげなくらいに、そういった日本企業に冷淡であり、関心をもっていない印象を受ける。
ここで言う「朝貢」の関係は、「契約」とは違う。なんというか、強い側が、「温情」で弱い側を保護してやっている、という関係に近い。それは、保護することが、強い側にとっても「利益」があるから、言ってみれば、

  • 放っておかれている

に近い。ところが、近年の、尖閣諸島の領有権のような話になると、そもそも、その領有権の主張が、埋蔵資源の「国益的略奪」に、その本音があるのだから、そう簡単に譲れないどころか、

  • もっとくれ

なわけである。これがもし、日本が「朝貢する側」の、日本と中国の「朝貢関係」が成立していたなら、

  • 問答無用

なわけであろう。だって、「欲しい」と言っているのだから。
明治の、維新政権が考えていたことが、上記における、「一等国」だったとするなら、その場合の、中国や台湾や朝鮮半島は、どういう位置付けにあったのか、となるだろう。
明治以降の、台湾や朝鮮に対する、日本の植民地政策は、どこか、この「朝貢」関係に似ている。確かに、多くの日本人が、台湾や朝鮮に移民して、そこで、高い地位の役職についていたことは言えるが、少なくとも初期の頃は、概ね、現地の人たちに、自治を認めようとしていた傾向はある。その後、日本人が多く移民をしていったことは、むしろ、日本国内の「貧困」が、それを後押ししていた面もあるのであって、最初から

  • 露骨に略奪的

であったとまでは、言えないのかもしれない。
ひるがえって、戦後から、60年以上が経過した、現在の、東アジア状勢において、韓国や中国の経済的な台頭と、日本の相対的な国力の低下が、再度、日本の

  • 右翼勢力の台頭

を許している印象を受ける。日本の強引な尖閣諸島の国家所有が、中国の好戦的な態度を強めているが、他方において、日本国内においては、そういった国家所有を拙速に進めた政府に対して、どういった論評をしたらいいのか、戸惑っている印象を受ける。
石原都知事が、強引に、国家所有を、この時期にやるよう、国家にけしかけたわけだが、もちろん、政府は、思慮不足から、この時期に購入したと考えるべきでない。石原都知事に攻め立てられて、「石原都知事との合意」によって、

  • 石原都知事と一緒に「今、この時期に中国を挑発しよう」

と、そうすることに利益があると考えて、共同で、この行為におよんだ。もちろん、この事態は、石原都知事が恐喝的に政府を追い込むことがなければ、起きなかっただろうが、政府が最終的な判断において、

に至ったことは重要だ。
私は、こういった一連の事態を受けて、日本の政治中枢は完全に「右傾化」していると判断して間違いないと考える。実際、野田総理も元は自民党であるし、自民党の安倍元首相、石原都知事と、日本の政治は、自民党遺伝子で完全に構成され始めている。
私は、ここにおいて、もう一度、明治の開国に戻って考える必要を感じる。明治の開国とはなんだったのか。なぜ、明治政府は、さまざまな

  • 身分

をなくしたのか。私は、それを「近代化」と呼ぶべきではないんじゃないか、と思っている。なぜか。それは、上記で指摘した、福沢諭吉の考える

  • 一等国

の考えに反映されている。なぜ、明治政府が、日本の伝統的な、身分の廃止を行ったのか。それは、その「身分」を、個人間から、

  • 国家間

に移すことを意図したからじゃないか。つまり、明治政府は、別に、身分が不要だと考えていたわけではない。そうではなく、不平等条約を押し付けられ、二等国であることの苦しさに、あがいていた日本を、「一等国」に

  • 身分を上げるため

に、国内の身分を(一時的であれ)不問に伏したわけだ。その方が「日本自体が強くなる」と考えて。
カントの世界共和国を、ヘーゲルが嘲笑したように、個人の「近代化」が、必然的に国家の「近代化」をもたらすわけではない。
そして、国家の「プレ近代化」が、再度、国民の「身分化」へ、反転しないとも限らない。
いずれにしろ、日本政治の右傾化が、今の韓国、中国の態度の硬化に、

  • 一歩も後退できない

といった、頑なな態度で、対立を長期化させることは、ほぼ、確定ではないだろうか。
そうなった場合、今の中国国内における、日本企業の厳しい状況が、かなりの長期に渡って、続くことが考えられる。
東アジアは、どうも、もう一度、政治の時代、「朝貢秩序」の時代に、逆戻りということになりそうだ...。