柄谷行人『哲学の起源』

人類の歴史を考えたとき、遊牧民というか、狩猟採集生活をしていた期間というのは、農業を始めた期間に比べて圧倒的に長い。ほとんどの期間、人類は、狩猟採集生活をしてきた。
ということは、なにを意味しているか? 人間の慣習的な作法の多くは、こういった時代のものを本質的に求めている所があるのではないか、ということである。
他方において、人類がこれだけ「人口増加」してきているのが、近年の特徴であろう。それが、どこまで持続可能なものなのかは分からないが、特に、20世紀の人口増加には、
革新的な医療
の改善によって、子供が死ななくなったことがある、と言われている。
人が増えたということは、それだけ、

  • 人と人が「出会う」

ということを意味する。つまり、

  • トラブル

が増えることを意味しているんじゃないのか、と考えられる。一般に、こういったトラブルに対処するシステムを、

  • 政治

と呼ばれているのではないか、と思われる。それは、たんに、「衝突」の回避を意味しているだけではなく、「衝突」の予期による回避、つまり、例えば、
生活保護
的な役割まで、意味していく。
不思議なもので、と言いますか、当たり前と言いますか、人間は毎日、

  • ある一定程度の「エネルギーを生み出す」能力

がある。もちろん、そのトレードオフとして、

  • ある一定程度の「食糧を摂取する」能力

の結果として実現されているのだが(その間に、長期間の「睡眠」という「なにもしない時間」があることが特徴だが)、ここで興味深いことは、これらが、「ほぼ一定」というところにある。つまり、上記の「エネルギーを生み出す」能力は、大人になれば、老人になるまで、ほとんど変わることはない。ということは、定量的な

  • 仕事

が可能になる、ということを意味している。この能力の驚くべきところは、

  • 極端に大きくなることはない

が、

  • 極端に少なくなることもない

という「定常性」にある。つまり、「労働」を「計算」できるわけだ。
生活保障とは、もし、(仕事を解雇されたなどの)なんらかの理由で、その人が、お金を稼げていない状態になったとしても、その人を

  • 生きさせる

というような社会システムを言っている。このシステムを一見すると、「なんだ働かなくても、生きられるんだ」と思うかもしれない。ということは、だれも働かなくなるのではないのか、と思うかもしれない。
では、そういったこのシステムへの謬見に対して、どういった考えによって、このシステムは、成立しているのか。
まず、人間は、そう簡単に「働かない」ということを「できない」という認識があるのではないか。それは、上記に記したように、どっちにしろ、ちゃんと毎日を「食事をとる」という「快楽」行動をしている限り、

  • エネルギーを生み出してしまう

からだ。それは、ほぼ「一定」量だったとしても、その一定量は「けっこうある」わけだ。つまり、どうがんばっても、人間の体は、勝手に動いてしまう。エネルギーを消費「しないでいられない」ようにできている。あとは、なにをやるかの問題でしかなく、つまりはそれを「仕事」と呼んでいる、ということにすぎないのではないか。
いずれにしろ、私たちのこの「社会システム」は、上記の考察から、次の二つのバランスによって、構成されていることが分かってくるのではないか。

  • トラブル処理
  • 人間の(毎日の定量的な)内的エネルギー生成活動

この二つを、どういう形であれ「バランス」させなければ、あらゆる「社会システム」は均衡しない。大事なポイントは、全ての社会システムは、

  • 自生的秩序

だということである。つまり、どんなに人工的に秩序を生み出そうとしても、無理があれば、内部から反乱が起き、その秩序は破壊されてしまう。だとするなら、どんな秩序も「自然生成」的な側面を持たない限り持続しない、ということである。
その場合に、以下の二つの手法が、常に、問題となり続けてきた、と言えるのではないか。

  • 他人を手段として使うことによって作られる秩序
  • 他人を手段として使っていないのに「なぜか」生まれる秩序

ここで「問題」とされてきたのが前者、である。前者とは、
他人を「コントロール」する秩序
です。つまり、その他人が「意思しない」ことを強いることだと言えるでしょう。もっと言えば、その他人の「考えをコントロールしていく」

  • 話術

でもあるわけです。こうやって、ある人Aが、他のある人Bを、
コントロール
できるなら、上記で言っていた、トラブルはなくなります。

しかし、ここには言うまでもなく、ある「喪失」があります。つまり、

  • ある人Bの「自由」

です。ある人Bは、ある人Aにコントロールされているわけですから、そのコントロールが「下手」であれば、当然、ある人Bは内面的な「不自由」を感じ始めます。というか、下手かどうかなど関係なく、人は、他人に支配されるようにはできていない。それは、最初に言った通り、人類の長い長い狩猟採集生活の本質を考えるなら、そもそも、他人がコントロールすることに、人間は

  • 生理的な不快感情

を捨てきることはできないのではないか? 人間は「支配」されて生きることができない、「支配」されたら「自殺」するような「本質」があるのではないか?
ここに、エリート主義の「瑕疵」があるように思われる。日本における教育システムは、とにかく、

  • 耐える

ことを強いる。それは、エヴァンゲリオンにおいて、シンジ君が

  • 逃げちゃだめだ

と何度も何度も口づさみ、繰り返す「つぶやき」が象徴する。そして、シンジ君は「結果」として、エヴァに乗り続ける。つまり、子供たちは、

  • それが自分の意思「ではない」ことを知りながら

勉強を続け、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」、偏差値の高いとされている大学を目指す。しかし、もしそれが自分の意思でないとしたら、だれの意思なのか? 一つだけはっきりしていることは、それがなんであろうと、

  • 結果として、やりきった子供が「選抜」される

ということである。つまり、システムの側からすれば、各個人の「動機」はどうでもいい。勝手に「上がってきた奴」を、拾うのだ。
これが、エリート主義だ。
エリートは、「選ばれた」存在である。選ばれたということは、選んだ奴がいる、ということである。

  • エリート選抜:選ぶ大人 --> 選ばれる子供

つまり、これは一つの「ゲーム」であるわけで、大事なことは、選ばれる子供は、そこに、「自分とは何者なのか?」のアイデンティティを見出そうとするわけだが(選ばれたことには
意味
があったのだ、と)、しかし、その意味は、あくまで「選んだ大人」の
都合(=恣意的な気まぐれ)
でしかない。その選んだ大人が「なんとなく、こいつにしよう」と選んだ、

  • その選んだ大人の「好み」

であるわけで、つまり、その選んだ大人の「支配」する磁場なわけだ。そのことを、分かりすぎるほど分かっているだけに、「選ばれた子供」は、
このシステム自体
と自らの「アイデンティティ」が切っても切れない関係にあることを自覚させられる。自分が「何者であるか?」は、

  • このシステムがどういうふうにあるか?

と区別できない。つまり、エリートは、自らが非エリートを「支配」することから
逃げられない
関係にあると言えるのではないか。エリートは、自分とは何者なのかが、このシステムと非常に密接に関係しているために、非エリートへの「差別」関係を、否定できない。彼らは、

  • 差別をやめられない。

なぜなら、非エリートの
システム内における位置
は、このシステムが導出した結果であるために、非エリートへの自らの「差別」を否定するためには、自らのエリートとしてのアイデンティティ
否定
しなければならなくなるから、と言えるだろう。
掲題の書籍は、柄谷さんが前著『世界史の構造』において考察した、「交換様式D」。つまり、「世界宗教」が代表するような、ユートピア的な「理想社会」の問題を、いわば、

  • 宗教という概念を抜きにして考察できるか

を追及されている、と言える。つまり、「自由」と「平等」が、対立することなく、両立しているような社会、ということなのだが、どう思われるだろうか? そんなことが、ありうるのだろうか?

イオニアでは、人々は伝統的な支配関係から自由であった。しかし、そこでは、イソノミアはたんに抽象的な平等性を意味したのではない。人々は実際に経済的にも平等であった。そこでは貨幣経済が発達したが、それが貧富の格差をもたらすことがなかったのである。なぜそうなのかについては後述するが、ひとまず簡単にいっておくと、イオニアでは、土地をもたない者は他人の土地で働くかわりに、別の都市に移住した、そのため、大土地所有が成立しなかったのである。その意味で、「自由」が「平等」をもたらしたといえる。

古代ギリシアの初期に起きたイオニア地域で拡大した、植民都市国家群には、例えば、アメリカ開拓時代における、次々と人々が植民し、拡大していった自治州国家群との相似的な関係が見られる、と言えるだろう。
彼らはフロンティアを開拓していくが、その特徴は、

  • 大土地所有者が生まれない。

なぜなら、だれかを「労働者」として働かそうとしても、彼らは、別の新天地を探し、そこを開拓して生き始めてしまうから、大きくなりたくても、なれなかったから。
つまり、興味深いことに、「結果」として、

  • だれもが「自由」に「しかなれない」(=わざわざ他者従属的な「労働者」であり続けなければならない「動機」がない)
  • だれもが「平等」に「しかなれない」(=大土地所有者になれない)

という「奇跡」的な秩序が成立しえた時代があった、ということである。
なぜ、このようなことが起きえたのか。言うまでもなく、人間の数に対して、「圧倒的な量の自然の側の空間」が提供されていたから、と言えるだろう。人間の数に対して、自然の側の「リソース」が膨大でありすぎるとき、こういった「ユートピア」が成立する。
私は、こういったフロンティア空間の現代における代表こそ、「インターネット」であると思っている。
実際に、インターネットなどのIT技術者(=ハッカー)の多くは、どこか、

のような、楽天的で、他者許容的な「いい奴」が多い傾向がある。それは、理科系の特徴でもあるが、どこか、「人がいい」「だまされやすい」けど、あまりそういうことを気にしない、技術者的なナイーブさが、特徴のように思われるが、それこそ、こういった「自由」と「平等」が
なぜか
両立して「しまう」ような、

  • フロンティア空間(=交換様式D)

の特徴のようにも思われるわけである。
上記における、古代ギリシアにおける、イオニア植民都市への再評価は、私たちの一般通念である、アテネの「民主主義」への評価への「相対化」を帰結する。私たちにとって、民主主義といえば、アテネ都市国家とあるように、考える。そうすると、なぜイオニアなどという所に注目しなければならないのかが分からない。
しかし、アテネにおける、民主主義は、一般に言われるほどに、無上の価値があったのか? そのことは、現代における、民主主義がさまざまなアポリアに直面していること、そうでありながら、「それに代わるシステムがないのだから、これを育てていかなければならない」という、現代の悲壮な強迫観念への懐疑をもたらす。

アテネの民主主義といえば、アルコン(執政官)となったソロンによる改革(前五九四年)に始まるとみなされている。彼は債務奴隷となった平民を救済するために、負債を帳消しにし、債務奴隷を自由にし、さらに身体を抵当とする借財を禁止した。市民が参与する評議会をつくり、また、移住してきた外国人に市民権を与えた。しかし、ソロンが一人でこれを考え出したということはありえない。彼はそれをイオニアから学んだのである。その意味は、ソロンはイソノミアを実行しようとした最初のアテネ人である。だが、同時に、彼はそのことで挫折を味わった。
ソロンはまもなく僭主ペイシストラトスにとってかわられた。彼はペイシストラトスの野心に気づき市民に警告したが、受け入れられず亡命した。しかし、アテネでイソノミアが実現されなかったのは、イオニアにあったような社会的条件がなかったからである。アテネでは、貴族(大土地所有者)と大衆との間の経済的不平等があった。経済的な平等を伴わないかぎり、政治的平等としてのイソノミアは空疎なものでしかありえない。そして、平等化は土地の没収と再分配を行うことによってしか実現しない。実際、大衆はそれを要求した。この要求を満たそうとしたのが僭主ペイシストラトスの統治(前五六〇--五二七年)であった。
その後、アテネの僭主政は前五一〇年まで続き、その後に、本格的な民主政が始まったと考えられているそれは別にまちがいではない。しかし、僭主政と民主政は見かけほど異質ではない。

また、デモクラシーの確立が奴隷制の発展につながったことにも留意すべきであろう。すで1にソロンの改革以来、アテネ市民は債務奴隷になることを免れていたが、アテネの民主政には、つぎの理由で奴隷が不可欠であった。アテネの軍は武器自弁の市民による密集戦法にもとづいており、それが貴族に対する民主派の優位の根拠となった。特に、ペルシアとの戦争で自発的に戦艦の漕ぎ手となった下層市民の貢献が、彼らの政治力を強めた。その結果、デモクラシーが確立されたのである。だが、市民は農業労働をしていては、民会にも出られないし、戦争にも行けない。だから、アテネの市民であるためには、奴隷をもつ必要があったのだ。市民の多くは奴隷を農場で働かせるだけでなく、銀山に貸し出して金を得た。したがって、アテネ直接民主主義の発展は、奴隷制生産の発展と不可分である。
さらに、アテネは政治的・軍事的な中心であるがゆえに、地中海における交易の中心ともなった。それはミレトスなどイオニアのポリスに取ってかわるものであった。しかし、アテネの市民は商業には従事しなかった。それを外国人に任せ、課税したのである。外国人はいかに経済的に貢献しようと、市民にはなれず法的な保護も受けられなかった。このように、アテネの民主政は、他のポリス、外国人、そして、奴隷からの収奪にもとづいて成立したのである。

民主主義がなぜ成立しうるのでしょうか。おそらく、それは「戦争」だと思われます。ある種の戦争の戦い方が有効であった、そのほんの一時期において、戦士たちは、その国家が成立していることのためには、なくてはならない構成要素であることを意味していると、考えられます。そのため、そういった戦士に「発言権」を与えることが、重要になります。つまり、戦士「全員」による政治、それが、民主主義だ、と。
しかし、他方において、逆説的ですが、民主主義は、必然的に「貧富の差」を生み出します。なぜなら、各構成員の主張を認めるので、お金持ちがどんどんお金持ちになることを「なにものも」止められない、からです。つまり、民主主義は、お金持ちがどこまでもお金持ちになることを「保証」する形になってしまい、それを止めることへの「合意」が成立しないからです。
そこから、民主主義は、どうしても、その内部から、僭主やデマゴーグを導出することを避けられません。つまり、民主主義は「結果」として、独裁になる。というのは、結局は、
独裁者が、民主的な政策を実行できる
からです。独裁を獲得するから、国民に「平等」に土地を配ることができる(日本におけるアメリカ占領統治がそうですね)。つまり、民主的に必要な政策を実行できる。
また、逆説的ですが、民主主義は、結果として、民主主義を否定します。なぜなら、民主主義を行うためには、自分が民主主義を担う役割を強いられます。ということは、その他のことをやっている暇はない、ということに帰結します。ということは、どういうことか。逆説的に、奴隷が必要になる、ということです。
女性や外国人が国民になれない。いや。なってもらっては、困るわけです。つまり、自分が民主主義を担っている間に、自分の生活を支えるために、こういった存在が必要だから、です。
つまり、結果として、民主主義は女性や奴隷や市民権を与えられない外国人といった存在を内側に必要とする
貴族制
と同値になるわけです。そういう意味で、民主主義は、エリート主義と変わらなくなります。
こういったアポリアは、現代における民主主義社会においても、絶えず悩まされている問題に思われます。
このように考えてきたとき、結局のところ、民主主義はダメなのだろうか? もう救いようのない欠点を抱えているということなのか? 掲題の著者はこの問題を、古代ギリシアにおける、謎の人「ソクラテス」に戻って考察します...。

しかし、ソクラテスが人々の目に、アテネの社会規範に対して最も挑戦的な存在として映ったのは、告訴にあったような理由からではない。根本的な理由は、彼がアテネにおいて、公人として生きることの価値を否定したことである。ソクラテスによれば、ダイモンは彼が「国事をなすこと」に反対した。《むしろほんとうに正義のために戦おうとする者は、そして少しの間でも、身を全うしていようとするならば、私人としてあることが必要なのでして、公人として行動すべきではないのです》。
このようなダイモンの合図は前代未聞の異様なものであった。アテネというポリスでは、市民とは公人として国事に参与する者を指す。公人として行動することが、万事の前提になっている。私人であることは非政治的である。ゆえに、公人となりえない者、たとえば、外国人、女、奴隷は非ポリス的=非政治的存在である。

ソクラテスとは、私たちにとって多くは、プラトンの対話編によって知っている存在でしかない、と言えるでしょう。しかし、当時のギリシアにおいて、ソクラテスという人は有名人であったし、変わった人であった。つまり、当時においてすら、
謎の人
であった。例えば、犬儒派は、そういったソクラテスのある側面を継承している人たちと受け取られていた。小ソクラテスと言われるように、彼らの姿勢は、やはりこれも「ソクラテス」の一つの側面と考えられた。
掲題の著者は、ソクラテスに、プラトンが意図する、

とは、違った「本質」として、イオニア的な「伝統」を、ソクラテスが、このアテネで実践しようとしていたのではないか、と考察します。
例えば、上記の引用にある、「私人」としてあることの強調は、とても、不思議な気がします。なぜ、私人でなければいけないのか。ここには、この前考察した、フーコーが晩年こだわった「パレーシア」に通じるものを感じなくもありません。
しかし、こういった「伝統」は、後世では忘れられたように思うわけです。残ったのは、ただただ、プラトンが描く、ソクラテス。つまり、プラトンの言いたいことを代弁する「だけ」のソクラテスの姿だったのではないか、と。

プラトンが目指したのは、魂が肉体を統治するような状態である。しかし、ソクラテスが目指したのは、統治そのものの廃棄であり、イソノミア(無支配)である。プラトンは、ソクラテスが民主政によって殺されたことを切り札に使った。彼はたえずソクラテスを擁護し、その名において語った。しかし、それはソクラテスを逆の方向に利用することでしかなかった。ソクラテスは”無意識”にであれ、イオニア的なものを回復した人である。そのような人物を、プラトンイオニア的なものに対抗する彼自身の闘いの最大の武器として活用したのである。
プラトンにあっては、ソクラテスの考えがすべて逆立ちさせられる。プラトンは、感覚的な仮象世界を越えて真理を握るのが哲学者であると考えた。さらに、このような哲学者が公人として活躍し政治的権力をもつことによって、政治的な世界に真理を実現るつことができる、と考えたのである。

ソクラテスの「私的」な側面は、確かに異様な感じをさせられます。「私的」であろうと振る舞うとは、どういうことでしょう?
それこそ、公的であることが、市民にとって必須の作法(=エリート=奴隷でない市民)となっていたアテネにおいて、イオニア
慣習=作法
を再現することを意味していたのではないか。そして、そういったことはアテネにおいては、なにか「古くさい」行動原理のように見られながら、「危険人物」と判断されるようになっていく。
大事なことは、ソクラテスのどこか、ああいったナショナリズムさえ思わせるような「正義」の慣習的な態度が(イオニア的な伝統を踏襲することによってであれ)、
私的
でありながら、ありえた、ということでないでしょうか。
私は掲題の本を読んでいて、現代において、こういった柄谷さんの仕事を
サブカルチャー
の文脈において考察するものとして、宇野常寛さんの最近の作品の第二章と第三章(特に第三章)は、とても重要なように思うわけです。

ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ------貨幣と情報のネットワークが世界をひとつにつなげ<外部>が消失した世界において、虚構は<外部>=もうひとつの現実として機能するのではなく、むしろ現実の<内部>を多重化し、拡張する存在として機能する。ネットワークに漂うキャラクター群に支えられた現代日本のキャラクターたちは、まさに現実の風景に介入し、この世界を多重化する存在として機能し始めている。
そこでは、より強固に虚構を構築しもうひとつの現実に消費者の没入を試みるのではなく、人間と虚構の関係を社会的に操作して現実の中に虚構を組込むことが求められることになる。
リトル・ピープルの時代における虚構とは、もはや現実と対立するものではない。
この変化をもっとも端的に表現しているのが「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」というテーゼだ。
これはデジタル技術の発展が、人々に与える「夢」のイメージの変化を表現している。
90年代において、デジタル技術が虚構に与える変化のひとつの終着点として提示されていたのが、バーチャルリアリティー(仮想現実)だった。前節の比喩に倣えば、透明度0%のキャラクターと、コンピューター・グラフィックでゼロから造られた「風景」によって、完全な「もうひとつの現実」を提示する想像力----それがバーチャルリアリティー(仮想現実)だ。
しかし、それからわずか10年余りで、状況は一変した。実際にはネットワーク技術の爆発的な進化を背景に人々の注目は拡張現実(Augmented Reality)へと移行した。

バーチャルリアリティー(仮想現実)が大流行した頃のことを覚えているだろうか。結構な人気だった。特に1990年代、そして終ったばかりのディケードでは Second Life と共に絶頂を迎えた。しかし仮想現実も年老いた。今や人々の注目は拡張現実(Augmented Reality)へと映ってきている。
(中略)
仮想現実をデジタル世界への完全な没頭だるとするならば、拡張現実(AR)は実世界へのデジタルオーバーレイと言えるだろう。実世界をデジタルデータで補強することによって、全くの作られた世界よりも遥かに興味深いものになる。ARアプリは直接関係のないデータやグラフィック同志を並べて表示するので、マジック的な要素もある。
iPhoneAndroid 機というタッチスクリーンにGPSとカメラの付いた携帯電話の普及によって、Sekai Camera や Layar、等々数多くのARアプリに登場の機会が与えられた。一般にこの種のアプリは、携帯電話のカメラを通じて周囲の世界を表示するが、画面はファインダーの役目に加えて、通常のコンピューター画面としても機能する。GPSや内蔵方位磁石を用いることで、ファインダーを通じて言えている建造物や物体の上に情報やグラフィクを重ねることができる。
(中略)
仮想現実にとって、Second Life で迷子になるのもいいだろう。私は絶対に拡張現実をとる。こっちの方が現実的だ。

引用部はあくまでデジタル技術の可能性を論じた記事にすぎない。
だが、この「仮想現実(VR)から拡張現実(AR)へ」という問題を現代日本の文化空間で受け止めたとき、これは私たちが虚構に求める作用の変化を如実に表現しているように思える。もうひとつの世界に接続するのではなく、この世界を読み替えること----たとえば前節で紹介した「聖地巡礼」現象はその端的な例として挙げられるだろう。キャラクターが現実の風景に入り込むことで、何でもない駅前や神社や住宅地が「聖地」と化していく。

リトル・ピープルの時代

リトル・ピープルの時代

上記で私が検討した、インターネット上において、次々と拡大されていく、

  • フロンティア空間

を私は、柄谷さんの指唆する、「交換様式D」として解釈しました。この文脈で考えるなら、インターネットは、一つの

であるわけです。そして、宇野さんの考察が重要なのは、そういった「空間」が、アニメなどの、さまざまなサブカルチャー作品と
接続
されていく、という風景なのではないでしょうか。なぜ、それが重要か。まず、そこにおいては、ITテクノロジーと、ラノベを中心としたアニメなどにおけるメディア・ミックスとの、濃密な「融合」。つまり、現在の「アキバ」の外面的な光景の
実質的な内実が伴っていく
現実が見通せるから、と言えるでしょう。では、なぜ、そんなことが起きなければならないのか。まず、なによりも、こういった作品の一つ一つが、なんらかの「倫理的メッセージ」を内包しているから、と言えるでしょう(それが文化の定義でもある)。つまり、こういったものを「リアル」にしていくことは、人々を絶えず、倫理的にエンゲージしていく「政治的」意図が併設される(つまり、ITテクノロジーを「拡大」させていく人々の「動機」に寄与する)。
もう一つは、もっと現実的な話として、こういったラノベやアニメといったものが非常に日本「ローカル」な文脈にある、というところにあります。つまり、一方において、日本ローカルな文脈(ハイコンテクスト)に生きている人たちの感情のフックにかかり、彼らを動機づけていく。他方において、こういった日本ローカルな文脈を共有しない人たちにとっては、なかなか分かない、理解しづらい性格を持つことによって、
内需
を刺激する国内向けの公共事業、景気刺激策的な側面を持つようになる(つまり、ITが、日本ローカルなサブカルを、積極的にフロンティア空間上に
実現
していくことで、ITそのものが、サブカルITとなっていき、つまりは、日本ガラパゴスITとなり、日本ローカルITとなっていくが、私はむしろ、こういった方向を
徹底
させるべき、と言っているわけである)。
私は別に、こういったものが「くだらなくない」と言っているわけではありません。むしろ、ほとんどが「ジャンク(=すが秀実さん)」であることを自覚した上で言っているわけです。こういったものが、たとえ、「くだらない」ものだとしても、その社会学的意味は別です。仮面ライダーがもしなんらかの正義を体現しているなら、それを「象徴」とすることは、私たちを倫理的にエンゲージする、つまりは、「交換様式D」に接続するわけです(そしてこれは、「正義」だけに限りません。さまざまな文化的感情すべてに対して、同じことが起きるわけです)。
それでは、上記で、指唆されている
拡張現実(Augmented Reality)
はどうでしょうか? 一つ言えることは、拡張現実は別に、仮想現実と、排他的なものではないはずです。また、「聖地巡礼」に限った話でもないでしょう。
つまり、拡張現実はもっと、ラノベ的なメディア・ミックスの「一つ」として、機能していくでしょう。つまり、拡張現実(AR)も、もう一つの
フロンティア空間
として、私たちの民主主義のアポリアを乗り越えるための、現代におけるイソノミア(無支配)を実現するための補完技術として、意識されていく、ということではないでしょうか...。

哲学の起源

哲学の起源