ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域』

なぜ安倍首相はリフレ政策を、ここまでのところ推進できているのであろうか。以前にも言ったように、リフレ政策は、「中道左派」の政策である。それを、彼が忠実に推進する「いわれ」もないのではないか。
おそらく、そこには、さまざまな「バランス」がある。なによりも、彼の目的は、「憲法改正」である。つまり、そのためには、あらゆる万難を排して実現しなければならない。そしてその、橋頭堡は、憲法改正条件の「骨抜き」である。なぜなら、「ここ」さえ、なんとかしてしまえば、あとは「なんでもやりたい放題」にできるからだ。
彼はこれを、なんとしても実現する「手段」を探るであろう。
その場合、最も彼の課題になるのが、国民投票をどうクリアするか、であろう。つまり、彼はなんとしても、ここをクリアしなければならない。つまり、「圧倒的な支持」の中で、国民投票に望まなければ、どこかの国で、原発建設が有効投票数に達しなかったように、彼の野望も

  • 国民の無関心

によって流れてしまう。そのためには、なんとしてでも、日本の「景気」をよくしなければならないのだ。
そして、彼のその野望にとっては、いろいろと都合のよい日本の状況が形成されてきているとも言えなくもない。
なぜなら、民主党時代の圧倒的なデフレ維持政策であり、日銀のデフレ政策に「なにも言えない」優等生たちの軟弱ぶりに、いい加減、日本人は「うんざり」していた。
そして、財務省はなんといっても、消費税の増税を実現したい。そのためには、「景気条項」によって、なんとしても、国内の景気を良くしなければならない。つまり、両者の「利害」が一致しているわけである。
そもそも、ナチスヒトラーは、驚くべきことに、国内の失業を、ほとんどなくしている。つまり、なぜヒトラーがあれほどの国内的な「人気」を獲得したのかは、ひとえに、「景気」であったわけで、それによって、ヒトラーの国内向けの「非人権」的な政策は強力に推進されたわけで、同じことは、今回の日本の安倍政権でも再現する可能性は警戒する必要があるだろう。
しかし、いずれにしろ、マクロ政策による、インタゲはけっこう前から、一部の経済学者を中心に、さかんに吹聴されていた政策であったわけで、

  • だからこそ

韓国や台湾のようなところは「それ」によって、圧倒的な日本との価格競争に勝利し続けてきたわけで、どこか「いまさら」感を持たなくもないわけである。むしろ、なぜ民主党がこの政策を選択できなかったのか、そのことに「深刻」な問題を感じないわけにはいかない。
一般に、「お金」と呼んだ場合に思い浮べるのが「日本銀行券」であるように、日本銀行という国家の「子会社」が、この通貨の発行を「制御」している。それは、つまりは、国家というものの「信用」と、「日本銀行券」が、

  • 等価

であることを意味しているということで、それだけ、私たちは、国家を「信用」している、ということを意味している、とも言える。その源泉が、どこから来るのかはわからないが、一般の右翼的な心性をもっている人が、国家を疑うことを「国賊」とか「非国民」と言いたがるのも、それだけ、国家への「信用」が、私たちのあらゆる思考の前提としてビルトインされていることを意味しているわけで、なかなか国家の行動を

  • 批判的

に考えることは難しい、ということを意味しているのであろう(原発安全神話など、その典型であろう)。
つまり、大事なことは、そのことがいいのか悪いのかという議論とは別に、「日本銀行券」の発行量のコントロール、つまり、金融政策は、
国家にしかできない
ということなわけで、なんにせよ、「ここ」については、国家にやってもらうしかないわけである(そう考えると、経済活動の媒体である、この通貨が、国家に独占されていることには、さまざまな弊害もあるようには、思わなくもないが)。私たち国民は、この金融政策の

  • 条件

に合わせて、自分たちのライフスタイルを選択するしかない。輸出企業が、この金融の部分で、国家によって、韓国や台湾の企業に圧倒的に不利な条件を、強いられ続けてきた今までを考えれば、それで今までの業態を維持しろということが、どだい無理筋だったわけであろう。
(ということで、金融の「条件」をクリアした後は、本丸のミクロ経済の方ということで、以下、本題に入ります。)
掲題の本は、原著が1984年に出版されたものであり、もちろん、その頃は、日本の輸出メーカーが元気だった頃であり、ITやインターネットもなかった頃であり、サブプライム・ローン・バブルもなかったわけで、今に単純に適用はできないかもしれないが、むしろ、そういったこととは別に、「発展する都市」や、そして「衰退していく都市」の「構造」を、世界史的な視点で、考察しているところに、

  • 普遍的

な「からくり」を考察しようとしている部分には、十分に現代においても、適用しうる考察があるように思われる。
ジェイン・ジェイコブスについては、このブログでも何回かとりあげたが、ようするに、市民運動好きな、アメリカの「だたのおばちゃん」である。そんな彼女が、ここまでの考察をしているところに、興味深いものを感じるわけである。
そもそも「都市」は、どんな条件が揃ったときに「発展」するのか。

イランの国王(シャー)は、アメリカや日本や北ヨーロッパのような経済がイランにもほしいと思った。彼は、それらの経済がもっているのと同じ設備があれば、同じような経済が得られるだろうと考えた。そこで彼は、マサチューセティとよばれる人々を顧問として、それを手に入れる算段にとりかかったのである。

いや、と教師は答えた。「残念ながら、わが国の経済成長はたまたま石油という資源があるからです。わが国の現状を考え、同時に日本のような先進国の現状を考え合わせるなら、われわれがなし遂げたことがいかにわずかであるかがわかります。日本のことを考えるときは、こんな詩を思い出します。

レイラとぼくは人生の道づれ
レイラはわが家にたどりついた
だのにぼくはいまだにさすらい人

しかし、と記者は答えた。「ここにいまあるのはインフレです。食糧価格は上昇しています。わが国の石油埋蔵量は枯渇しつつあります......農業はないに等しいくらいです......わが国の工業といえば、よその国でつくられた製品の組み立てラインだけです......」
このとき、インタビューを聞いていた一人が、記者にりんごをさし出した。記者は書いている。「その男は私のために皮をむき始めたが、ナイフをあてたとたんに刃が柄からとれてしまった。彼は壊れたナイフをさし出して見せた。『万事この調子ですよ』と彼はうんざりした口調で言った。『わが国はドイツのクルップ社の株の二五パーセントを所有しているというのに、国内では果物ナイフ一本つくれないんだから』」

イランの国王は、発展している国家を外から眺めて、「ああいう都市がイランにも欲しい」と思い、大学出のエリートを集めて、そういった「都市」にあるような、工場やビルを作らせる。ところが、そうやって海外の企業を誘致するなどによって、外見上、その地域を彼が、あこがれる「都市」にしようとしても、なぜかならない。
なぜなのか?

シャーが買いつけた物にかかわるいかなる発展も、イラン国内ではなく、どこかよその土地で起こったことだった。シャーの工場は、借款、交付金補助金の援助によってまわなわれた諸設備とは異なり(最初は)すべてイランが獲得したものではあったが、イランの都市の仕事によって稼得されたものではなく、したがってその稼得は、イランが多様で生産的な都市経済を増強する能力、あるいはその結果としての都市地域を生み出す能力に結びつかなかった。それゆえ、買いつけは、石油に依存したこの国のグロテスクで不均衡な供給経済の特徴をいっそう強化するだけだった。

一言で言えば、イランの国王が国内にもちこんだ工場は、結局のところ、国民の生活と「関係」がなかった、ということである。国民が自ら生活する中で「発見」したイノベーションでも、自分たちの生活をよくしようと模索する中で見つけたアイデアでもなんでもない。だから、国民による「自発」性とならない。つまり、イランの国王が、どんなに「音頭」をとっても、イランの国民が自分の生活圏を改善しようと経済活動を始めようと動き始める

  • トリガー

にならないわけである。
似たような例が、もう一つある。

送金が四〇年間も続き、その送金を責任をもってむだ遣いせず村のために使ったあとに残る問題はといえば、もし送金がとだえたら、ナピサロは移住者と送金が始まる前の極貧状態にすぐさまもどってしまうだろうということである。あるいは、人々がすっかりこの土地を見すてざるをえない可能性も強い。というのも、ロサンゼルスからの送金や、それで買うテレビやその他の輸入品にもかかわらず、この地域の経済活動----この地域内での生計の立て方----は、かつてのバルドーの経済活動と同様、まったく変わっておらず、また変わろうともしていないからである。

ピサロというメキシコの村は、ロサンゼルスへの出稼ぎ労働者の「送金」によって、その経済状態を支えられている。しかし、結局のところ、それでは、ナピサロという村自体の「経済発展」がない。いくら、補助金のように、外からお金をもらっても、そこから、新たな「経済活動」が生まれない限り、過疎の村は、ずっと、そのまま、ということなわけである(逆に、麻薬のように出稼ぎのお金に依存しているため、そういったお金が切れたときは、もっとひどい「極貧」に落ちてしまう)。
ある都市が発展し生成していく「前」。そこはまだ、都市ではなかった。そういった地域が発展する都市に「変わっていく」過程において、何が起きているのか?
つまり、それは、「イランの国王の決まぐれ」でもなければ、「ナピサロの出稼ぎ労働者による送金」でもない。

  • 住民のクリエイティブな「活動」

であることが分かる。その場合に、彼女が最も注目するのが「輸入品」全般の「増大」である。

輸入品は「都市の輸出の仕事によって稼得されたもの」を表わしてもいる。この点が重要なのである。輸入品を稼得するには、生産の多様性とインプロビゼーションとを必要とするからである。すなわち、稼得の過程自体が、供給業者と生産者の共生的な場を促進し支え合うのであり、この点が都市の経済にとって決定的に重要なのである。都市が創出した輸出の仕事が分化し多様化するにつれて、地元の生産者も分化し多様化し、そしてまた都市が稼得する輸入品も、生産の多様化に奉仕する形でおのずから多様化する。それゆえ、活気ある都市を生み出すには、輸入品を稼得する過程が決定的に重要であり、また発展の持続のためにも、それは決定的に重要でありつづける。発展は与えられるものではない。それはつくりだすべきものである。それはできあがった資本財の集合体ではなく、一つの過程なのである。

さまざまなモノが、その地域に入ってくると、多くの地域住民をそれに「接触」を始める。すると、何が起きるか。「もっと、こうしたら、いーんじゃねーかな」とか、いろいろ、私たちを「刺激」するわけです。アイフォンにだれもが触るようになれば、「もっとこういった感じになってればいいのにな」とか思い始める。つまり、さまざまなモノが地域住民の「主体性」を喚起するわけです。
ここで言う、輸入品というのは、「完成品」とは限りません。むしろ、中間的な原材料のようなものが大半となっていきます。さまざまなものが入ってくるということは、それらを「加工(=置換)」することで、別のモノとして、今度は別の市場に、「輸出」されます。つまり、

  • さまざまなモノが出たり入ったりしている状態

そのものが「市場」であり「都市」だということです。
その場合、最も重要なことはなんでしょうか? 言うまでもありません。「コピー」であり「サル真似」です。

日本が一八七〇年代に近代経済を発展させ始めたときに、日本の諸都市は、ヨーロッパや北米の都市のように行動した。それらの都市は絹の国際貿易を利用して、相互の交易の強化と分化のスプリングボードとしたのである。そして、東京がベネチアの役割を果たした。絹の輸出によって先進経済から買えるものだけで満足せずに、東京は模倣可能な輸入品は模倣し、それを日本国内の他の都市に輸出した。今度はそれらの都市がその交易に満足せずに、東京からの新しい輸入品の多くを自分たちの生産によって置換し、東京に売るための新しい輸出品をつくりだした。日本の諸都市がお互いに輸入品を置換し合った----ある後進都市が生産できるものは、他の都市でも同じように生産できる----ために、それらの都市は互いに新しい種類の輸出品の恰好の市場となり、こうして互いにもちつもたれつの関係で発展した。日本の近代の発展そのものの始まりから、日本の諸都市間の新製品(日本にとって新しいもの)の交易は、外国貿易よりもはるかに強力に推進されてきた。これは今日でも言えることである。こうして一九八〇年には、日本は国内総取引高の割合で、アメリカに次ぐ位置を占めるようになった。アメリカの多くの資源が国内で生産されるのに対し、日本の場合は原材料の大部分を輸入しなければならないことを考慮するなら、日本の実績はアメリカの実績よりも素晴しいといえる。日本が工業製品の国際輸出に成功したのは、その諸都市間の流動的交易の副産物としてなのである。すなわち、最初は日本の都市や都市地域内部で利用するために、そして国内の他の都市の生産者や消費者のために生産された財・サービスが、のちには対外輸出品になったのである。たとえば、輸出された日本のロボットは、最初は日本の生産者のために生産され、そして利用された。これは日本が最初にヨーロッパ製品の模倣から出発して以来、一貫して用いてきた発展パターンであるが、いまでもまったく同じように、高度に発展した日本は自国のイノベーションの産物に対する最初にして最高の顧客なのである。

私が、ユーチューブのMAD動画や、コミケの二次創作を、絶対に「否定」しないのは、こういった考えにある。つまり、すが秀実さんが言っていた

  • ジャンク(ここには、J文学などの、ジャパンの意味が含意されている)

こそが、一切のイノベーションだと考えるわけである。一切の「高尚」を認めない。一切のハイ・カルチャーを認めない。むしろ、私は「安っぽい」ものしか認めない(正義には、「安っぽい」正義しか存在しない)。つまり、そういった

  • 囲い込み

が、業界の風通しを悪くし、イノベーションを抑圧する。
おそらく、日本の今後の経済活動は、周辺地域の発展もあり、より複雑で難しくなっていくであろう。しかし、たとえそうなったとしても、上記で指摘されているようなモデルは変わらないように思われる。
明治において、絹の国際貿易から始まった、日本の技術革新は、つまり、より

  • 多様化

していく方向にしか、「都市の発展」はありえない。近年、はやりのIT商品(プログラミングであり、そこには、漫画、アニメ、ラノベ、フィギア、なども含まれる)から金融商品から、確かに、そういった

  • 部分部分

を見れば、必ずしも、日本の状況は「有利」とは言えないのかもしれないとしても、そもそも、そういった発想が「モノカルチャー」であり、植民地主義的発想であり、インドの国王が「失敗」した理由でもある。
(多様なサービスがあり、それらが、そのサービスの需要を「競争」していく中で、そこにさらに、多様な新規のサービスが、新たにイノベートされながら、さまざまな過去の「蓄積」が、そういったサービスの「堆積物」の中に「保存」されているような、

  • 伝統

と呼べるようなものとして、「引き継がれる」ことで、地域住民に、その地域でモノを生み出すことへの「自信」や「誇り」を残していく。その場合にイメージされるものは、確かに、流行のサービスは、その時々で変わっていくとしても、それは「それまでも多くのサービスの上に位置付けられる」といったもので、より「包含」しながら、更新されていく、というようなもので、そのサービスが、いわゆる「工業製品」であるかどうか、とか「物作り」であるかとったことに、こだわらない、ということである...。)
あらゆる「情報」が際限なくあふれ、あらゆる「輸入品」が、どんどん入ってきて、それらが地域住民をどんどん刺激していき、そして、さまざまな「加工(=置換)」となって、外に出ていくような

  • 環境

そのものが「都市」の「定義」なのだから...。

発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)

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