久保陽一『生と認識』

ドイツ観念論といえば、一昔前では、ヘーゲルのことであった。それは、別に変わっているわけではないが、例えば、戦中の京都学派であったら、まず、カントの三批判書を苦労しながら、読破したら、その次に、

  • いきなり

ヘーゲル精神現象学に、ぶちあたって、その、あまりの「進化」ぶりに、「ヘーゲルって、何を言っているのか、分かんないけど、ここまで、カントと違うことを言うってことは、カントから<恐しい高み>にまで、哲学を進歩させたんだな。ヘーゲル、かっけー」と、感嘆と尊敬の念をもって眺めて、その後の人生は、ヘーゲルのマネっこの文章を書いて終わる、というのがお決まりのパターンといった感じだろうか。
ところが、掲題の本を読むと、ようするに、カントとヘーゲルだって、ほとんど同時代人であるどころか、この二人の間には、たくさんの

  • 同じようなことを考えていた人たち

が、有名な人から無名な人までいらっしゃるわけでして、むしろ、ヘーゲルがなにか新しいことを言ったのかしら、というくらいに、彼はその同輩たちの、理論に「賛同」し、むしろ、最近はやりの、

と同じようなことをやってただけなんじゃないのか、とすら、言いたくなるわけである。
カントが、純粋理性批判で使った、コペルニクス的転回とは、ようするに、超越論的観念論というものだったわけだが、結局のところ、「超越論的」とか、(同じことであるが)「先験的」とか、言ってしまうと、「なんとでも言えてしまう」んですよね。だって、だから、そう言っているんですから。
そうすると、つまり、「なぜその人は、そういうふうに言い始めたのか」みたいな、よく分かんない話になっていくわけですよね。つまり、その人の関心はどこにあるのか、みたいな方向に。それで結局、「その仕事全体の意義」みたいなことになる。
近代哲学、すなわち、近代科学が、デカルトから始まる、というふうに考える場合、それが具体的には、なにを言おうとしているかと考えると、デカルトの言う「延長」概念が、「分割」という最も基本的な、自然科学の「方法論」となり、それによって、それと、「デカルト空間」のような、空間や時間についての関係が明確に意識される、という筋道を通って、自然科学の、基本的なフレームが用意される。
そうすると、カントは基本的に、デカルトの近代科学のスキーム一式を踏襲するわけで、その上、「超越論的統覚」という「我思う、ゆえに、我あり」を、基本的に捨てていない。というか、もし、これを捨てるなら、近代哲学が、デカルトから始まるなんて言えなくなりますよね。
ただし、デカルトには一見すると、幾つかの「アポリア」があった。独我論的というか、懐疑論的というか、不可知論というか。有名なものとしては、夢の話がある。
私たちが夢を見ているとき、どうして、その夢が「現実」でない、と言えるのか。むしろ、私たちは生まれてから、「ずっとベットの中で寝たきりの植物人間状態で生かさている」のではないか。というか、そもそも、そうかそうでないかを区別する、には、「どうやったら区別できるのか」の、その「手法」を手に入れていない時点で、区別のことを考えること自体が無意味なんじゃないのか、というわけである。
こうやって考えると、デカルトというのは、やはり、基本的には、科学のことを考えていた人ということが分かるわけで、そういった問題意識が、カントにまで、繋がっていることが分かるのではないか。
カントは、このデカルトの懐疑に直面して、基本的にはそれを、ヒュームのアポリアと同一視して、ヒュームのフレームの方で「解決」しようとした、と言えるのだと思う(それが十分だったのかどうかは、また、別の話なのだろうが)。
それが、先ほど少し言いかけた「超越論的観念論」というものなわけで、ヒューム的な問題意識である、「通時的な同一性」(非連続な事象の時間的一貫性)という、まさに、科学的実在論反証可能性)の話を、(コペルニクス的転回というやつで)全部、観念論の「側」に倒してしまった。そうすることで、観念論的な「(過去からの)意識の全体(=連続的把握)」が、一般的に「統一的にイメージされている」(夢から醒めたときのような、その夢に対する「突拍子のない」ありえなさを、普通の人は今までの人生の場面場面「全体」に対して、思っていない)というような、
今までの人生(の観念)全部
との相対的な問題の話に、変えてしまった、というわけである。
まあ、そうすれば、確かに、夢なのか、どうなのかみたいな話は、毎日暮らしていて、それなりに、過去の出来事の想起と、そうそう矛盾なく、過ぎていってるな、と思ったら、「その限りにおいて」、ベッドの中での「夢」と考える必要もないんだろうな、(どっちみち、観念論の側の話なんですから)くらいには、割り切れる、という感じなのだろう。
(つまり、話の論点が、ずらされてしまったために、デカルト独我論実在論のステージが矮小化される形になって、背景にひっこんじゃった、という感じじゃないだろうか。)
しかし、そのかわりに、「超越論的観念論」というバケモノを呼び込んでいまったわけで、感性だとか、悟性だとか、構成力だとか、どんどんと、なんだか訳の分かんない、ゾンビみたいな「用語」が次々と、

  • 無前提に「登場」(=生産)する

ようになっていくわけなんですよね。
その場合に、カントが行った方法は、「形而上学」という「哲学(体系)」ではなく、(その)「批判」という形によって、行われている。つまり、そういった観念論的な「概念」を、なぜカントが招来してきたのか(せざるをえなかったのか)が、読者に「納得」されるように、いわば「帰納的」に、最も基本的な純粋理性の「経験」的なところから、始めて、その姿は、まるで、読者と一緒に「発見」しながら、議論を進めているように見えたりする(だから、こういった概念の「正当性」が著しく「文脈依存」になっていて、カントの議論を離れて、あまり意味を考えられないような、特徴があるんでしょうね)。
こういう形を採用することで、このカントの観念論というフレームの中で、使われる、さまざまなターミノロジーを「納得」的にさせようとしている、と言えるのであろう(こういった姿勢は、どこか、科学的だ)。
いずれにしろ、その極めつけが、

  • 物自体

というわけで、とうとう、カントは、こいつがなんなのかを説明するのを放棄しちゃった。
それに、かみついたのが、ドイツ観念論に、圧倒的な影響を与えた、ヤコービという人だというわけです。
というのも、そもそも、デカルトの「アポリア」に取り組んだ、少し世代が上で、別の角度からアプローチした人がいたわけで、その人こそ、「スピノザ」なわけでして、しかし、スピノザのやっていることは、カントと、ずいぶん違う印象を受ける。汎神論的であり、まるで数学のような公理風の、体系で記述され、演繹的に説明したものであったわけで、そう考えると、なんで、同じデカルトアポリアを考えた、この二人が、ここまで、やってることが違うんだろう、という疑問になっていく。

ヤコービの『フィヒテ宛公開書簡』によれば、「自然な人間」の「非知」(WJ6)の味方では、「私は存在する」という命題と「私の外に物が存在する」という命題は「等しい確実性」(同)をもっている。つまり「知」の「外または前」に「真なるもの das Wahre」(WJ15)があり、そこでは「自己と外的なもの、受動性と能動性、内なるものと外なるもの、自分と他者、必然的なものと偶然的なもの、無制約的なものと制約的なもの、時間的なものと永遠的なもの」(WJ26-27)とが「不可分な合一」(WJ26)をなしている。しかるにこの「合一」は「反省」にとっては「不可能」なもの、「奇跡や神秘」(WJ27)としか考えられない。そこで「思弁的哲学」は「私は存在する」と「私の外に物が存する」の両命題を切り離して、どちらか一方のみを認め、それに他方を従属させようとする。その結果、「観念論」(WJ6)の体系もしくは「唯物論」(同)の体系が生じることになる。そうだとすると、カントやフィヒテの「観念論」は主観によって構成された限りでの客観的なもの、「主観と客観との同一性」を「自立的な実在性」と誤解し、したがって真に客観的なものを見失っている。それはむしろ「無」(WJ11)を産み出す「ニヒリズム」(WJ19)と言われるべきである。

(哲学の文脈における、「ニヒリズム」といいターミノロジーの出発は、ここなんじゃないだろうか。といって、それにどれだけの人が自覚的かは、微妙だが。)
上記の引用の部分なんか、非常にスピノザのエッセンスを感じさせられますよね。なにか、量子力学における、光の波属性と粒子属性の二重性にも似ている感じがする(柄谷さんの「探究」でのスピノザ論も、この両方の立場に同時に立てないという認識問題がクライマックスだったんじゃないですかね)。
例えば、私たちは、古代ギリシアにおける、自然哲学を、なんだか昔の人が考えた「比喩」のようなもので、現代では、ただの「トンデモ」の無視すべき価値のものと考えがちである。しかし、よく考えてみると、なぜこういった自然哲学が考えられたのかは、興味のある問題であるわけである。
例えば、ニュートンの重力の法則においては、ある物と、別のある物の間において、引き合う力の関係を記述しているわけだが、しかし、よく考えてみれば、「物」は、この宇宙全体に存在するわけで、それ

  • 全て

と、私たちは「引き合う」関係にあるわけで、ということは、宇宙にある全ての「物」と、私たちとの、

を解かないと、「なぜ自分はここにいるのか」を説明できないことになる、みたいなわけである。スピノザにおいて重要なことは、私たち人間だろうとなんだろうとのその「内在」的な、あり方、こそが本質的なんだ、という直感的なアイデアが大きな位置を占めている。
スピノザのやっていることも、どちらかというと、この自然哲学に似ているわけで、「エチカ」は、いわゆる、「神の存在」から、あらゆる社会のあり方を説明しているという意味で、デカルトが「神についての説明」を捨てていなかったことを踏襲しているが、スピノザにおいては、もうその神は、「人格的」なものとすら考えられていない。
つまり、いわゆる汎神論というもので、この「セカイ」そのものと「神」という用語が、同一視されている。そして、人間は、このセカイの

  • 一部

だという解釈になる。つまり、神の中に「内在」しているわけで、そもそも、神と切り離して「独立」して考えられない。なぜなら、「一部」だから、となる。
こう考えてくると、ある重要な問題に直面する。デカルトにおいても、最も重要であった、人間の「自由」な行動は、そもそも、担保されうるのか、ということである。私たちは、このセカイの「一部」である、このセカイの「属性」によって、その有り様は、決定されている。つまり、因果性という意味で。だとするなら、そもそも自由な行動なんて、存在しないのではないか。それは、物理学が完全な決定論として記述されるように、物理現象でしかない人間の行動も、そういった決定論としてあるわけなら、自由はない、という結論になってしまうのではないか、と。
この辺りが、スピノザがどう書いているのかは知らないが、いずれにしろ、彼自身は、この問題をそう深刻に考えていなかったようで、そういったところが、そもそもユダヤ教をバックグラウンドにしていた人だけに、信仰の人、ということなのかもしれない。
こう考えてくると、つくづく、スピノザという人は不思議な人で、彼が行った「手法」って、なんだったのかな、という疑問がわいてくる。スピノザは、何をやっていたのか? 分からないけど、いずれにしろ、汎神論的な形で、ユダヤ教的なアプローチをしていったということで、いずれにしろ、その後の、フィヒテシェリングヘーゲルと、彼らは、明らかに、カントの問題意識を飛び出して、

  • スピノザの問題地平を取り込んで、カントを合理化していこう

という方向に向かったわけで、そういう意味では、フィヒテシェリングヘーゲルは、カントを考えたというより、スピノザの「延長」で、なにかを考えようとした、という方が、的をえているように思われる。
というのは、そもそも、フィヒテシェリングヘーゲルは、なにをやっているんですかね? というのは、もともとのカントの構想は、デカルトをターゲットとしつつ、ヒュームを媒介とすることで、彼らが意図せずに、もたらした、独我論的かつ懐疑論的なアポリアによって、おびやかされた、
近代科学の「正当化」
を目指していたわけで(この点は、カントールの楽園の「危機」に、数学基礎論が登場したのと、似ていなくもない)、そういう意味では、フィヒテシェリングヘーゲルは、そういう話とは、まったく「遠い方向」に行っちゃって、もう、科学がどうこう、なんて話すらしなくなるわけでしょう。なにしてるんですかね orz
なんというか、勝手に、カントの問題系を、あらぬ方向に、モデル化してしまって、まさに「藁人形」のように、そっちの方に、仮想敵を作って、勝手に戦って、勝手に勝利して、どんどん、つっぱしっちゃって、ずーっと遠い所まで来ちゃった、ということなんですかね。
それもこれも、カントが軽々しくも、「超越論」的だとか、「先験」的だとか、一度でも言っちゃったから、そういう意味では、もう、その時点で、この事態は、決まっていたのかもしれませんね。
シェリングヘーゲルも、間違いなく彼らのアイデアは、フィヒテを踏襲しているという意味で、フィヒテが何をやっていたのかを考えることは、あまり、知られていないだけに(それだけ、現代科学に、まったく影響を与えていない、ということなんでしょうが)、特に、ヘーゲルがなにをやっていうのかを理解するのには、重要すぎるくらいに、重要なように思われますね。

フィヒテも『知識学の概念について』において、カントをめぐる論争の確信を「われわれの認識と物自体との連関」(FB109)の問題に認めると共に、その問題に対してマイモンと似たような解決を探り、自我の受動的な態度のうちに外界の存在の確信の成立を認めようとした。その際、彼はとりわけ「感情 Gefuhl」の働きに注目した。彼は言う。「われわれの認識は確かに表象によっては直接的には物自体と関連しないが、おそらく、感情を通して間接的には物自体と関連するだろう。もとより物は単に現象とし表象されるにすぎないとはいえ、しかしそれは物自体として感じられる。およそいかなる表象も感情なしには可能ではないだろう。物自体が認識されるのは、しかし、ただ主観的にのみ、すなわち物がわれわれの感情に働きかける限りにおいてのみである」(同)。
ただしここで「感情」と言われたものは、喜怒哀楽あるいは快不快という自分の生命活動をめぐる感情ではなく、物をめぐる感情で、物の客観的実在性の容認を迫る「必然性の感情」を意味する。

フィヒテはこのように、なんと、カントの「物自体」が私たちと「どういう関係にあるのか」を、「発見」しちゃう、というわけです。では、なぜ彼はこういった感じで、その関係を説明しても問題ないと考えたのか、ということですが、ここにもやはり、ヤコービでありスピノザの影響を大きく感じるわけです。
カントの後、フィヒテがやったことは、カントの三批判書を読んで、彼は、ようするに、これを「最後から読めばいい」と考えたんですね。最後に結論が書いているんだろ、って。そうすると、ようするに、カントの三批判書は、「構想力」を見つけ出すために、ぐだぐたと長い間、書いてきたんだな、と。ということで、フィヒテは、あらゆるものを「構想力」で説明すりゃいいじゃん、と考えた、と。それは、スピノザが、セカイ=神の存在という「公理」から、あらゆるものを「演繹」したように、同じようにやればいい、と思ったということなんでしょうね。
ただ、その場合に、彼も基本的にはカントのフレームで考えようとするわけですから、超越論的観念論ということで、私たちが産まれてから今までの、この観念全体を考えることから始めるわけですけど、彼はそれと、例えばデカルトやカントにおいて、重要な議論の対象としていた、近代科学の「対象」に対する「経験」の、「受動」性の、この二つを、

  • 自我と非我

と分類するところから、議論を始めた、というわけです。

まず、およそ自我に対立して立てられるもの、「非我」の「実在性」の根拠が「自我が受動的である」ことに求められる。すなわち、「非我はそれ自体において実在性をもたないが、自我が受動的である限りにおいて実在性をもつ」(FG56)。しかし、自我の受動性そのものは、自我と非我との相互作用のレベルでは説明がつけられない。そこで、自我の受動性が自我と非我の相互作用とそれから独立な「独立的活動」との関係というレベルで捉えなおされる。しかもそこで初めて「客観」という概念が「主観」との連関で登場する。つまりそこで初めて「客観」の実在性」の根拠が問われる。フィヒテによると、自我は自分の「実在性」を非我に「移譲する」(FG83)ことによって、自我と非我とが「本質的に対立している」(FG100)。つまり一方を立てると、他方が廃棄されるという関係が生じ、それが「主観」と「客観」(FG109)の関係に他ならない。この「主観」と「客観」の関係は、独立的活動としての自我の観点からすると、「自我にとって衝撃が存在する」(FG129)という事態と見られる。そこから最終的にはそれは「構想力」の自己限定と自己超越の運動の一契機として捉えられる。
そこで構想力の動揺する運動からいかにして自己限定によって「客観」の「実在的なもの」が生じるかが、「表象の演繹」の箇所で問われる。それは、動揺状態にある構想力としての「直観」が「悟性」の「把捉する働き」(FG153)によって固定されることによって可能になる。その際、「所与のものが悟性に入ってくる仕方」(同)、すなわり構想力の働きは通常は「意識されない」(同)。それ故に、「われわれの外に、われわれの一切の関与なしに存在する物の実在性にかんするわれわれの固い確信」(同)が生じることになる。自我がこの客観的な物との関係において働いている限り、その働きは「客観的活動」(FG156)と呼ばれるが、その前提として自我が純粋に自分だけを定立する「純粋な活動」(同)が認められる。これら両活動は相互に規定しあっていると捉えられる。

フィヒテのアイデアは、ヤコービによるカントへの批判を、ヤコービ自身が依存しているスピノザから、考え直す、というような形になっていて、そのことによって、カントが無前提に要請した、「物自体」のようなものを、なんらか、人間自身の能力に関係しているものとして、「説明」していこうとした。しかし、それはもし、スピノザの側から考えるのなら、自然なことなのかもしれない。
しかし、いずれにしろ、フィヒテはそういった方向に、スピノザ的にカントを体系化させようとしたために、最初に引用した個所が指摘しているように、あらゆる議論に、「二重」性が不可避になっていっている印象を受ける。
つまり、どうしても「二つの層」によって、その「相互作用」の「往還的運動」によって、説明せざるをえなくなっていってる。
例えば、上の引用でも「客観的活動」と「純粋な活動」の

  • 二重性

のように。

同時に、フィヒテはこの自我と同時に他の物が存在する事態を「生」と呼ぶ。「生」という「日常生活や行為において現れる日常的ないし実践的観点」では、「私は、私と世界とを同時に、----一挙に定立する」(FN27)。

というのは知識学は「必然的な諸行為の仕方」を分析と総合によって諸命題の連鎖という形で再構成するが、その場合、知識学の立場そのもの、すなわち理論的自我は、諸命題の連鎖の後の方で初めて示され、また実践的自我によって後から根拠づけられるからである。したがって、知識学の営みは、いまだ学的には根拠づけられていない立場を既知のものとみなして出発せざるをえない。そのような「循環」(FB142)のうちで体系構築を試みざるをえない。
フィヒテはこのような知識学の対象と立場との連関を、その後も繰り返し述べている。とりわけ、注目されるのは、序論で指摘したように、ヤコービが『フィヒテ宛公開書簡』で、自我と同時に他の物が存在することを確信する常識の立場と、自他の合一を人為的に再構成する哲学の立場との相違を述べたのとほぼ同じ頃に、草稿『回想、応答、問題』において「二つの異なった立場」の「思考」(GA2-5, 111)を問題としたことである。一方の思考は「じかに客観を考える」(同)「日常的な実在的意識」(ebd. 117)であり、これが知識学の対象をなす。他方の思考は「自分の思考そのもの」(ebd. 111)を考える「思弁」(ebd. 119)であり、知識学の立場を指し、それは「日常的な実在的意識」の「諸部分」(ebd. 119)を「演繹」(同)によって次第に合成する。

こうして、フィヒテはまず人間の非言語的な「必然的行為」ないし「生」から出発する。次にそれを「思考の自由」の働きによって抽象して、「反省」ないし「思弁」のうちで、自我にかんする根本的命題と派生的命題から成る学的体系を樹立し、最終的にそれが当初の「生」と合致する学的体系を介して「生」に戻り、「人間」の「形成」をめざす。だがこの「生」--> 言語的・学的体系 --> 「生」の過程において、最後の「生」は最初の非学的「生」と同じであなく、自己の真相を自覚している「生」である。それは、自然への問いや人間の運命が「人間自身に依存している」ことを自覚した「生」に他ならない。

今度は、「生」と「思弁」の二重性であるが、つまり「生」という自我と他のものの存在のあり方とは別に、「思弁」という、いわば、純粋に言語活動で頭の中で考えていることの「全体」が、対立的に、併置しないわけにいかなくなる。そこで、最後の引用部分であるが、この記述は、どこか数学基礎論と似ている。
ここでいう「生」の「セカイ」に対して、自我は、人間の言語活動で、こしらえあげた「思弁」による、「もう一つのセカイ」が現れる。こちらの方の特徴は、とにかく、言語で「構成」したもの、であるんだけど、完全に「生」の方と「対応」していて、十全に「記述」している(この二つの関係が、「普通の数学」と、数学基礎論によってモデル化された「メタ数学」、の二つの対応になっている)。この「思弁のセカイ」は確かに、今の段階では、さまざまな問題が発見されるわけで、完全には「生のセカイ」の十全な記述でないことは自明なのだが、こういった過程を、何度も経ることで(つまり、大人になることで)、少しずつ改善し、「まし」になっていく、というわけである。
このフィヒテの「自我」理論において、ここで一つの疑問に思うことは、では、私たちが主体的に、また、実践的に、未来を切り開いていこうと行動する場合を、どのように、この理論から導きだしているのか、というところであるが、それが以下となる。

「因果性の総合」の場合、自我と非我とが自我の「移譲」(FG83)(自我の「非--定立」による非我の「定立」)という独立的行動によって本質的に結ばれているが故に、両者は本質的に対立しつつ相互に廃棄しあう。しかし逆に両者が対立していないと、自我の「移譲」は出てこない。自我は主観でありば客観でなく、客観であれ主観でないという関係のうちに立つものとして自己を定立する限りでのみ、自我であり、その限りで自我は、自己の実在性を移譲した非我ら制約を受ける。

「実体性の総合」の場合、自我は構想力の独立的活動によって何かを定立することもしないことも自由である。もしも自己をAとして定立すると、それを介してBを自己のうちで定立しない、すなわち「疎外」(FG85)することになり、Bを客観として立てることになる。だがそれによって、A+Bという「高次の領域」(FG112)を立てうることになる。他方で、いかなる特定のものをも定立せず、「高次の領域」を定立するとなると、その領域のうちでAを立て、それを介してBを疎外し、Bを客観として立てる可能性をもつことになる。それ故、主観と客観との対立物を総括する自我の活動という条件のもとに、排斥しあう主観と客観との「遭遇」が生じ、またその逆でもある。それは、「高次の領域」を求めようとする自我にとって、その自我と並んで、「障害」(FG129)が存在するという事態に他ならない。

(後者の引用は、もろそのまま、弁証法の原型ですね。ヘーゲル弁証法は、基本的に、フィヒテのアイデアのまんま、でしょう。)
上の方の引用でも、フィヒテ自身が「自我」というのは、本来、後から証明されるものであるのだが、最初からこれを前提にすることで、話さないわけにいかない、みたいなことを言っているように、そもそも、フィヒテの体系は、不完全なことが前提に作られている。つまり、ダメなのが当然なわけである。というのは、しょせん人間が完全な理論なんて作れるわけないから。
つまり、フィヒテヘーゲルも基本的にスピノザ主義者だから、ダメであることが逆に、その理論のスコープが限られた範囲であることを指唆しているわけで、つまりは、彼らの前提である、「全体」の中において考えなけばいけないことを意味するわけで、つまりは、逆に、

  • 正しい

ことを示しているって、ことになっちゃうんですよね。

ヘーゲルはこう言う。「体系が有機化された非知であるというヤコービの表現に対してあ、単に、こう付け加えなければならない。非知、----つまり個別的なものの認識は、それが有機化されることによって、知になる、と」(同)。
したがって、このような体系的連関における知は、「絶対者」を、第一の始まり、すなわち、すべてのものを制約する「無制約者」とみなす----それは、制限あれたものを自己の外にもつ限り、なお制約されていると言えよう、----のではななく、すべての制限されたものを自己のうちに含む「全体」とみなす見方、したがってまた、「部分が意味と意義を有するのは、ただ全体との連関によってのみである」(GW4, 19)という全体論的な見方を基にしてのみ可能だと言える。そこから、体系的連関とは、自己自身によってのみ明証的で、いかなる他のものからも導出されない第一原理(コギト、神、感覚的所与、数学的な公理など)から出発し、またそれに確実に還元されうる限りで他のものを真なるものとして容認するというような演繹形式ではありえないことになる。つまり、ヘーゲルはいかなる意味でも基礎づけ主義に与しない。むしろ、「制限されたもの」と「全体」とは言わば解釈学的循環のうちにあり、この循環を漸進的に解決するしかない。つまり、まず「制限されたもの」から出発する。それが「制限されたもの」であるが故にただちに不十分であり、「二律背反」に陥らざるをえないことを通して、他者および全体との連関のうちにあることを示す。それによって、結果としての「全体」が実は出発点である「制限されたもの」の「根拠」であったことを明らかにする。ヘーゲルにおける知の体系的連関ないし根拠づけとは、このように結果において自己を根拠づけるという方式である。

こうやって、ヘーゲルにまで至ってしまうと、フィヒテの議論はより洗練されていっちゃって、さっきの数学基礎論でいうと、

  • メタメタ数学

みたいな感じになっていて、より「高次」の場所で考えているような所があるんですよね。つまり、ある理論から「矛盾」が発生した場合、普通、数学なんかだと、矛盾した命題からは、どんな命題も証明できちゃいますから、

みたいな話になるんですけど、ヘーゲルの場合は、メタメタ数学ですから、矛盾した体系から、「次の」矛盾しない体系に、

  • 変換

する数学理論のような、「メタ数学」の法則性が議論される。つまり、「矛盾」は当たり前、みたいな「議論」をしている、ということなんですよね。個々具体的な理論の「内容」がどうかではなくて、

  • そこから矛盾が発生したときに、どうやって、次の理論に移っていくのか?

みたいな、抽象論の方に、彼の関心が移っちゃっている。
まあ、論理学とか、弁証法とか呼ばれているやつですけど、つまり、こういった「メタ数学」的な「体系(メタメタ数学)」が、ちゃんとしていれば、人は失敗を繰り返しながらも、「正しい方向」に進むよね、みたいな、

が、著しく強い議論になっちゃってますよね。よって、その「体系(メタメタ数学)」の方をちゃんと作らなきゃ、ということになるわけですけど、そもそも、これって「全体そのもの」みたいなものですからね(デカルトがせっかく、「延長」や「分割」によって、科学の諸分野による「分割」化を行ったのに、また、全体ですか、って感じではありますよね orz)。
掲題の本を最後まで読んできて、思うのは、いわゆるドイツ観念論において、比較的、「まとも」かなあ、と思うのは、ヘルダーリンなんじゃないかな、という感じですかね。
たしかに、ヘルダーリンは新プラトン主義的な側面があるし、詩や小説の方に活動が移っていったというのはあるんだけど、でも、詩というのは、もっとも原初的な文章形態であるわけだし、つまり、カントの「判断力批判」の後において、より、快不快の対象を

  • 個々具体的

に考えるという方向は、普通に考えて「まとも」な印象を受けるわけですよね。さまざまな自然現象に対して、「崇高」の感情をもつというのは、つまりは、この自然に対して単純に、「関心」を表明している、ということですよね。実際に、この自然が暴走すれば、私たちの生活に大きな影響を与えるわけですし、こういったヘルダーリン的な「文学」による「関心」から、科学的研究への「執着」や「執念」が生まれるわけでしょうし。
どうも、フィヒテシェリングヘーゲルというのは、スピノザ主義者になりすぎていて、ほとんど、自然科学に対する関心が失われちゃっていて、なんか、本末転倒な印象はまぬがれないわけで、そう考えると、ヘルダーリンこそ、カントの関心を「正当」に受け継いだのかな、なんて思うんですけどね。どうでしょうか...。

生と認識: 超越論的観念論の展開

生と認識: 超越論的観念論の展開