ロバート・D・パットナム『孤独なボウリング』

マキャベリスピノザが、「統治の技術」として、国王が国民に、

  • 真実を言わない
  • 嘘を言う

ことを、「手段」として肯定したとき、それは、むしろ、マキャベリスピノザなどの当時の知識人たち自身が、「本当のこと」を言うことが、自分の「危険」と関係していることを認識していたから、と考えられる。
それは、つまりは、「言論の自由」がなかった、ということと関係している。例えば、現在の中国で、どれだけの人が、政府批判を、ぐっと口をつぐんで堪えているであろうか。同じようなことは、今のロシアでもそうであろう。
というか、ほとんど、人類の歴史は、「タブー」の歴史であった。軽率にも、口からすべらした言葉によって、どこかの誰かの逆鱗に触れ、

  • こっそり

闇から闇へと、「始末」をされる。実際にそれを実行するのが、誰なのかなど、どうでもいい。
しかし、この場合、その当時の知識人たちが、国王などの一部のエリート層の「権力」にだけ恐怖していた、と考えることは正しくない。というか、むしろ、彼らは、大衆を「無知」であるがゆえに侮蔑しつつ、他方において、「無知」であるがゆえに「恐怖」していた、と考えられる。
つまり、むしろ、やっかいなのは「大衆」の方だと考えていた。
というのは、大衆は「大衆の側の視点」によって、勝手に権力者たちの「意向」を慮(おもんばか)って、そういった知識人たちの「暴言」に「私刑」を行って、その行為によって権力者たちの「ご機嫌」をとって、権力者たちに取り入ろうとする人たちだ、と考えられていたからである。
つまり、この場合、大事なのは、その知識人にとっての大衆の「定義」とは「知識人の知識=価値を理解しない人たち」のことになっている、というわけなのである。つまり、反対に、権力者たちは少なくとも、「多少」は知識人なのだ、と。つまり、その知識人の「価値」を分かってくれ、重用してくれるかもしれない、という意味で。ところが、彼らの定義する「大衆」とは、そもそも、その知識人の

  • 価値

が分からない人たち、という意味なのだから、そもそも、その定義「自体」に、どこか、その知識人にとっては

  • 自分の敵

である、という「意味」がインプリケートされている側面が否めないわけだ。
(ようするに、自分を理解しない人間は、「野蛮人」だと言いたいわけで、なんとも、テメーカッテな理屈なわけであるが、人間なんてその程度の、ナルシスティックな存在なんだから、ショーガナイというわけなんだそーである orz。)
ここまで述べてきたことで、大事なポイントは、つまり、その知識人にとっての「大衆」というのは、私たちが知っている意味における大衆では「ない」ということなのである。

  • デフィニション:大衆とは、(知識人である自分が持論として主張している)知識(=知)を理解しない(=その価値を認めない)人たちのことである。

つまり、もはや、ここにおいて、その知識人にとっては、その相手が、どんなに勉強をしていようが、博学であろうが、どんな大学の権威のある学者であろうが、関係ないわけである。ひとえに、

  • 知識人にとって、<自分>を理解してくれない人は全員「大衆(=敵)」

というパースペクティブになっている、ということなのである。
この状況は、前近代において奴隷制や身分制が存在していたことや、産業革命において非常に過酷な工場労働が強いられたこととも、並行して考えられる。つまり、上記の知識人の「過剰反応」は、いわば、

  • 具体的なリアルな「恐怖」

と隣合わせに実感されていたなにか、であることを理解する必要がある。
日本の江戸時代においては、忠臣蔵のように、武士は気に入らなければ、切り殺す。しかし、問題は、たとえそうやったとしても、なんのお咎めもなくなる場合が、平気で起こる、ということである。そうであったがゆえに、抑止力が働かない。
同じように、ガリレオは宗教裁判で、裁かれるし、たとえそれが、どんなに理不尽に思われても、ちょっとしたきっかけで「没落」しないとも限らなかったわけである。
しかし、である。
このことは、ちょっと前にこのブログで検討したように、逆に問わなければならない。つまり、なぜ現代の先進国においては、こういった非人権的な人間の扱いが少なくなってきているのか、と。
それは、つまりは、人間が人間を「不要」になってきたからだ、と考えられる。はるか、地平線のかなたまで広がる農地も、近年においては、トラクターなどの農業用機械の普及によって、まったく、自分一人だけで、耕し、収穫することが可能となった。これによって、農地に縛りつけられていた小作農民を、かたっぱしから解放し、「都市」に連れてくることが可能になった。
この状況は家庭においても同じである。あれほど重労働であった、洗濯も、ポイッって、洗濯機に着ていた服を投げれば、洗いから濯ぎから乾燥までやってくれる。一時代前ならだれもが当たり前だった、洗濯板にゴシゴシこすっている姿なんて、まあ、見ない。食事なんて、帰りにコンビニに寄れば、レンジで温めてくれて、そのまま、家に帰れば、温かいまま、食べれたりする。
つまり、なぜ人々は「奴隷」を使ってまで、人を「強制」しなければならなかったのかは、そうでなければ、農業ができなかった、農作物の収穫ができなかった、そのための人手をキープできなかった、ということに関係していたわけで、そもそも、その「制約」が外れたとき、同様に、あれほど、基本的人権を人類は認めるのかどうかに、議論し合っていた「対立」も、あっさり、「いいんじゃない」で終わっちゃったのだ。
最初の議論とつなげるなら、マキャベリスピノザがこだわってきた、「支配技術」としての「隠蔽」や「嘘」は、著しく「不要」になっていく。なぜなら、上記の人が人を「不要」になっていく過程において、そもそも、人々は、国家や知識人に、どんどん、

  • 無関心

になっていったからである。つまり、関心を持つことのモチベーションがどこにもない、わけである。
これが「現代社会」である。
掲題の本は、この状況を、アメリカ社会の戦後から、近年までの、ソーシャル・キャピタル

  • 恐るべき希薄化

を浮き彫りにする。しかし、他方において、彼はその「あり方」を以下のような忸怩たる思いをもちながら、その微妙な「差異」について、注意を喚起する。

米国におけるコミュニティの結束が、過去の歴史を通じて一貫して低下してきた、あるいはこの一〇〇年間にわたってはそうであった、というのは、筆者の見方とは全く異なっている。それとは逆に、米国史を注意深く検討すると、それは市民参加の上昇下降の繰り返しであって単なる一方的低下ではなく、言い換えれば崩壊と再生の歴史であることがわかる。本書の冒頭にすでにヒントを与えていたように、米国におけるコミュニティの結束は次第に強まっていたのであって弱まっていたのではなかったことを、今生きている人々は憶えているし、そしてまた本書の最終部で示すように、この数十年の低下を逆転させるための力はわれわれの内に存在するのである。
しかしながら、筆者の議論は、少なくとも見た目には衰退主義者の流儀に沿うものであるので、昔はよかったというまさにその理由により、ここで用いられる手法には透明性が必要である。二一世紀に突入した時点でのコミュニティ内での生活は、一九五〇年代の米国コミュニティのそれと本当にそれほど異なっているのだろうか。ノスタルジーを押さえつけるのに有効な方法の一つは、実際に測り数えてみることである。クラブの会合に集まる数は、本当に昨日より今日の方が減ってしまったのだろうか、それともただそう見えるだけなのだろうか。われわれは、両親の世代と比べて隣人のことを本当に知らないのか、あるいは隣近所とバーベキューをした子ども時代の記憶が、光り輝くすてきな思い出として胸の内を占めているということなのだろうか。友人とポーカーゲームに興じるのは本当に希になったのか、それとも人々が単にポーカーから卒業してしまっただけなのか。リーグボウリングは過去のものになったかもしれない。でもソフトボールやサッカーは? 見知らぬ人は、本当に信頼できなくなったのか。ベビーブーマーやX世代は、本当にコミュニティ生活に参加しなくなったのか。結局のところ、「沈黙している」と以前に軽蔑されていたのは先行する世代である。おそらく、現在の若い世代は、上の世代に比べて参加が減っているというのではなく、むしろ新しい方法で参加するようになったのではないか。

ところで、奴隷制廃止などによる基本的人権の人類社会への普及が、結局のところ、

に依存しているとするなら、そのパワーの源泉は、物理的エネルギーにあることを意味する、となるであろう。つまり、基本的人権は、物理エネルギーとトレードオフの関係なのか、という疑問がわいてくる。
石油は、あろ30年で枯渇すると言われ続けて、もう何十年たっただろうか。たしかに、石油は今でも、採掘されている。しかし、取りやすい、質のよい石油は、かなり採掘され尽してきているんじゃないのか、という印象は受ける。つまり、確かに石油は採掘されているのだが、より、採掘し、精製するのに「コスト」がかかるようになってきている、と言えるのではないだろうか。つまり、石油はまだ採掘可能であっても、

  • 石油の「値段」の高騰

は、なかなか止まらない。つまり、採算に見合わないから採掘しない、ということも起きてくるであろう。
日本のデフレの原因の一つとして「石油の漸進的な高騰」を言う議論もあった。長期的に、埋蔵エネルギー資源の「価格の高騰」が、大きく私たち自身の「基本的人権」に影響を与えていくことは予想できないだろうか。
埋蔵エネルギー資源の高価格化が少しずつ進むことによって、私たちのライフスタイルは、その「利便性」を維持できなくなる、ということはないのだろうか。
槌田敦さんの考える「経済学」においては、エネルギー保存の法則と、エントロピー増大の法則を、どれだけ、この地球に生活する人間たちが「意識」しながら経済を営むのか、が重要になるといった内容のようだ。
たとえば、なぜ私たちの日常生活が、ここまで「便利」になったのかは、エントロピーを「埋蔵エネルギー資源」の燃焼によって、熱を発生させ、その熱によって、私たちの日常生活内秩序のエントロピー増大をトレードオフしているから、と考えられる。
そもそも、なぜ地球は、エントロピーの増大によって、エントロピーの「極大」に至らないのか。つまりそれは、この地球が、はるか昔からエントロピーを増大させながら、春夏秋冬と、また季節は巡って同じ景色を見せることがなぜ可能なのか、ということである。だとするなら、私たちの長期的な「経済」は、この二つの法則を「意識」することで、そう簡単に、地球上そのもののエントロピー増大を抑えていけるような経済を、経済の自己運動の中にビルトインしていなかければならない(私たちの経済活動の指標の中に入れていかなければならない)ということになるのであろう。それは、産業廃棄物の拡散など、あらゆる産業のフェーズで、考えられることであろう。
つまり、いずれにしろ、基本的人権と、物理的エネルギーが、あまりにも「正の相関」があるとするなら、その社会は、埋蔵エネルギー資源の高騰化によって、危険な方向に向かう、と言えるだろう。
だとするなら、私たちは少しでも、埋蔵エネルギー資源が高価になっていっても維持できるような、「経済」のストラクチャーを考えていく必要があるように思われる。
なんにせよ、私たちは「科学的知」を多くの人が共有することによって、この地球上で、「かしこく」生きていかない限り、さまざまな「基本的人権」の衰退などの、影響を受けていくことになる。そして、おそらく、そのことと、ソーシャル・キャピタルは関係している。
近代科学テクノロジーが人間が人間を必要としない社会を実現したとき、おそらくそこには、

  • 無関心社会

が実現されている。しかし、そこにおいて、人は人と「繋がらない」ということを単純に肯定できるであろうか? たんに「経済」の論理だけで暴走することを「快楽」とする人たちを放置するなら、埋蔵エネルギー資源の高価格化の進行と、産業廃棄物などによる環境エントロピーの増大によって、必然的に「基本的人権の衰退」を結果するように思われる。それを防ぐには、どちらにしろ、人々の主体的な「科学的知」へのコミットメントが求めらている。つまり、人と人が「繋がり」、そういった情報を共有しようとする動機付けが保存されていることが必要とされているように思われる。
しかし、そんなことを簡単には言ってくれるが、この「無関心社会」において、どうやって継続しうるというのだ?

一九九七年一〇月二九日以前、ジョン・ランバートとアンディ・ボシュマは、ミシガン州イプシランティのイプシ・アーバー・ボウリングレーンのローカルリーグを通じての知り合いにすぎなかった。当時ランバートミシガン大学付属病院を退職した六四歳、それまで三年間腎臓移植待機リストに掲載されており、一方のボシュマは三三歳の会計士であったが、たまたまランバートの状態を知り、自分でも予期しなかったことだが、自分の腎臓の片方の提供を申し出たのだった。
「アンディ私の中に、ほかの人は見ない何かを見たんだ」とランバートは語る。「病院にいたとき、アンディが私にこう言った。『ジョン、私はあなたのことが本当に好きだし、あなたを尊敬している。もう一度、ということになったってためらうことはないよ』と。思わずこみ上げてきてしまってね」。ボシュマは当時を振り返る。「私は[ランバードと]確かに絆を感じていた。前は彼のことを気になけていたけれど、今では彼と根の部分でつながっているように感じる」。この感動的なストーリーはそれ自体が雄弁なものであるが、『アナーバー・ニュース』での報道につけられた写真は、彼らが職業や世代において異なっているのみならず、ボシュマが白人でランバートがアフリカ系米国人であることも明らかにしている。彼らが共にボウリングをしていたということが、違いを生み出したのだ。

掲題の本の、この、あまりにも有名なエピソードは、結局のところ、ソーシャル・キャピタルというものが、「個人的」な体験であり、「個人的」な慣習と関係していることを雄弁に語っているように思えてならない。
(このことは、古代ギリシアアテネ民主制に対して、ソクラテスが「なぜか」個人的であることの意味を、強調したことと通底している。)
上記の引用でランバートが「好き」だし「尊敬」している、という言葉を、パブリックな意味で考えてはならない。これは、そういった「ありきたり」の意味というより、つまりは、「個人的な体験」なのであり、そもそも「他人に伝わらない感情」を「指示」していることを意味しているにすぎず、「好き」とか「尊敬」という言葉が、パブリックになにを示唆している言葉なのかなど、どうでもよく、ランバートは、とりあえず、自分のこの「個人的な感情」を示唆するものとして使った、というだけの意味だということである。
それまでの人生でまったく、なんの接点のなかった二人が、たまたまボウリング場でよく知り合うようになり(お互い、一人でこういったところに来ているということで、話すようになったのであろう)、という「それだけ」の関係でありながら、こういった「贈与」が実現していくことの意味を、社会的関係資本というものが、そもそも、どういったものであるのかを示唆しようとしている、ということなのであろう。
競馬場で、たまたま話しこんだ人の「印象」だったり、たまたまの縁で、マージャンをよくやった相手が、よく話していたことであったり、そういった、その人の、他人から見れば、どうでもいい「社会的関係資本」が、一見すると、この「無関心社会」において、同じように、まったく

  • 無意味

であるように他人からは見えるわけだが、その人「個人」にとっては、そうでもないかもしれない(「個人的」な価値は、往々にして、他人事の人には無意味な行為にしか思われない場合が多い)、ということなのである...。

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生

孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生