藤田直哉『虚構内存在』

よく、文系文化人の話すのを聞いていると、非常に、「トートロジカル」な発言を、かなり、無自覚にしていることが気になることがよくある。

  • AはBである。

と言う場合に、確かに、AとBは、「記号」としては、違う「文字」であるのだが、BがAによって導かれるというだけでなく、AがそもそもBの「意味」を含意している、つまり、なにも新しいことを言っているわけではない、という場合が非常に多い。あなたは、

  • AはAである。

と言われて、「当たり前」じゃん、と思わないだろうか。しかし、同じようなことを、文系の人たちは、かなり、無自覚に平気で行う。
このことは、理系においては、クリティカルである。数学でも、結局、なんらかの新しいことを言えているのかが、なによりも、気をつけて、論証しなければならないことであり、まずもってトレーニングされることであるが、それは、結局、昔のだれかが発見した定理と同じ定理を「発見」したと言っても、無意味であるから、である。
そのように考えたとき、文系の人たちの「饒舌」には、ある「お決まり」の「ジャーゴン」があるように聞こえてくる。

  • 心(=自我)
  • 芸術(=普遍的価値)

さて。この二つは「存在」するだろうか? この二つが「もしもあるならば」、なにが主張できるのかを、近代の始まりから、延々と饒舌に議論してきたのが「文系」学問なのであろう。
そのように考えたとき、やはり、この「文系」学問のアイデアのネタ元には、カントがあると言っていいのではないか。しかし、カントが、こういった「文系」学問を「目指していたのだろうか?」
私には、そのことには否定的だ。
私は、ちょっと前にカントの関心が、かなり「限定」されていたのではないか、という「仮説」について、このブログで書いたが(それは、つまり、リスボン地震についてであって、彼にしてみれば、それ以外の多くのことは「どうでもいい」と思っていたのであろう、という、かなり「トンデモ」な仮説であったわけだが)、そのように考えたとき、私が最も、この「文系」学問の

  • 出発点

と呼ぶのにふさわしい存在は、(スピノザの汎神論的なアイデアを「正統」に継承した)フィヒテだと言えるのではないか、と思っている。
私はフィヒテの初期から中期にかけての議論が、それ以降の多くの文系文化人に与えた影響は大きすぎることがないほどに、大きすぎるのではないかと考えている。
たしかに、フィヒテは芸術について論じていないように思われる。しかし、彼の言う「自我」は、「心」そのものであったし、彼の哲学が、知識学という「大学」と並行して考えられたものであったことを考えても、ほとんど、それ以降のアイデアは彼の推論の、凡庸な一般化のようにさえ思えてくるわけである。
例えば、掲題の著者がこの本で論じている主題である、筒井康隆のSF小説は、著者が注目する筒井の修士論文の課題であった、フロイトとシラーの芸術論の関係から分かるように、

  • 心理学と芸術

を「実体」として考えるようなものであったことが指摘される。それは、筒井が若い頃に見た、チャップリンの「笑い」が、そういった「文系」学問から、どのように根拠付けられるのかを、探究していったという形になっていたわけで、そういった姿勢には、どこか、吉本隆明が「心」にこだわったことに似ていなくもない。

ここには、「政治の文学」を巡る激しい衝突がある。しかし、作家性の全体から検討するならば、この論争を、一般的にそう思われているように、単純に表現の自由と差別の対立として捉えることはできない。それは筒井康隆の「超虚構理論」と、その作品的展開、そして「虚構内存在」の思想を理解した上で、考察されなければならないものである。その論争の根源、あるいは基盤を理解した上でもう一度この問題を解釈し、理解することがなければ、おそらく現代に起こっている類似の問題に直面した際に、同じ間違いを反復してしまいかねない。

しかし、私のように、筒井康隆のような一部の日本人に熱狂的に読まれてきた「日本SF」をほとんど読まなくなった人たちにとって、この引用にあるような「理解」、つまり、

  • コミットメント

を「前提」とした議論に、まったく、「共感」できないわけである。掲題の著者は、ここで、どれほど「筒井康隆」を「理解」するということが、歴史的意味があるのか、を強調する。しかし、まったくその文脈を共有しない、私のような人間にとっては、むしろ、この

  • 無関心社会

において、ある人が他人に「興味がない」ということを「前提」に語らない議論に、はたして、どれだけの意味があるのだろうか、と逆に、問うてみたくなるわけである。
この筒井なる人間の言う「虚構」にしても、吉本隆明がしつこく使った「幻想」にしても、ようするに、(心理学的な)「否定」概念であろう。だとするなら、「なんとでも言える」んじゃないのであろうか? それは、フィヒテの言う「理論的自我」が、そもそも、「なんら証明されていない」まま、だれもが使い始め、そして、そのフィヒテが「なんら証明されていない」と言っていたことすら忘れられたまま、

  • もしも「心(=自我)」なるものが存在するならば
  • もしも「芸術(=普遍的価値)」なるものが存在するならば

といった「前提」があることを忘れられて、「文系」学問なるものが、自明の前提となった現代において、繰り広げられる果てしのない「饒舌」のように思えてしょうがないわけである。
(しかしこのことは、数学においてだって言えないわけではない。現代数学を十全に記述可能とする、公理的集合論そのものの無矛盾性が証明されたわけでもなんでもないで、しかし、そのことは、ゲーデル不完全性定理を考えても、相当に難しそう、であることだけは言える、というにすぎないわけで...。)
フィヒテなど、ドイツ観念論以降、フロイトユングの心理学が精神分析という医療分野を形成すると共に、フッサール現象学があらわれ、より心が「科学」的な対象の体裁を整えていった部分がありながら、近年のポストモダン。つまり、ジャック・ラカンなどの議論へとつながるわけなのであろうが、そもそも、こういった饒舌はどこまで「科学」と呼べるようなものなのか。つまり「実証的」なのかは、大きな問題のように思われる。

このように解釈するならば、筒井の作家性は「お助け」から一貫したものになっている。「危機化した良識」と化した世界は、「お助け」における「灰色の空虚な無生物ばかりの世界」と類比的である。そこでは人間や倫理、良心が既に機械でしかない。筒井はそこを引っ掻き回し、外国の理論などをぶちけ、絶えず自己更新をもたらし、運動性を賦与しようとし続ける。
だがそのような世界における絶望的な自暴自棄の中で、次第に傲慢さが、思い上がりが生じてくる。「お助け」においえはタイヤが彼を潰したが、「断筆宣言」を巡る論争においては、比喩的に言えば、言葉が「筒井康隆」を潰した。
再びその観点から「お助け」を再解釈するならば、あの作品は、周囲の人間と自己との速度が変わってしまった結果、周囲の人間とコミュニケーションの齟齬が生じ、絶望に個人を追い込んで破壊衝動を呼ぶ物語でもあった。その破壊衝動やいたずらすら、コミュニケーションを求めている側面が、反応を希求している側面が、確かにあった。

彼はやはりこの孤独感にはまいっていた。宇宙意志への道を歩いて行きながらもその彼にたいする世間的な反応が、彼はつねにほしかった。あるいは、はげまし合いながらこの道をともに歩んで行く者がほしかった。彼は現在の状況のままでは、発狂する他ないと思った。彼一人だけが先へ先へと歩いて行き、すれ違う人たちの彼にたいうる反応は、彼にとってまったくないも同然だった。

「灰色の空虚な無生物ばかりの世界」は生きる意味や価値の感じられない世界である。であるがゆえに、《攻撃衝動》という形で彼はコミュニケーションを求める----その結果、トラックに潰され、神へ助けを求める。しかしこの瞬間、ある種のコミュニケーションが回復したと看做すこともできるのではないか。彼は人間とのコミュニケーションを失ったが、物質(トラック)と、超越的な存在(神)との間に、物質的・観念的なコミュニケーションの回路を開いたのである。そこにおいては、物質と観念は別々のものではなく、同じものとして同時に訪れているとさえ言ううるのかもしれない。

(上記の引用にある、「宇宙意志」なるものと、掲題の著者も大きく依拠する東さんの言う「一般意志」なるものも、大きな並行性があるのであろう...。)
しかし、そこには、ある「反転」がある。つまり、通俗的ニーチェ主義のような、「秘教的な道徳無根拠論」のようなものになっていっていて、筒井康隆のような人が「ブラックユーモア」として、サド的な「非道徳」を描くと、むしろ、そういった若い世代が、

  • 非道徳的であることこそが哲学の最前線であり、「時代の最先端」であり、そうでないものは「遅れている」

といったような、「ラディカリズム」を若い世代が言い始める。
しかし、そもそも、その議論の前提には、「もしも心なるものが存在するなら」とか「もしも芸術なるものが存在するなら」といった「前提」のあった議論であることが「忘れられて」いって、そもそも、筒井康隆にとっての関心が、チャップリンのような「ユーモア」の前提を問うことであった、というようなことが捨象されて、より、

  • 純粋主義

として、洗練されて、むしろ、「筒井康隆も時代的存在であったため、この壁を乗り越えられなかった。彼も古くさい前世代的存在なんだ」というような感じになってしまう、というようなことなのであろう。
そして、こういった「本質主義」や「根底主義」は、むしろ、ネトウヨのような現象において、より「筒井康隆をさらに超えて」過激になり、社会問題化していく...。

筒井の「タブー」を巡る発言や、マスコミを批判する態度、それから「制度の牙城」を崩す快楽には、ゼロ年代後半から路上での活動を繰り返すようになったネット右翼集団である「在特会」(在日特権を許さない市民の会)と共通した心性がある。
安田浩一は『ネットと愛国』において、元在特会地方幹部に取材したとして以下の発言を掲載している。
「攻撃しやすいターゲットを見つけたことで舞い上がっていたのかもしれません。在日朝鮮人はかわいそうな弱者であり、差別してはいけないのだという "決まりごと" に縛られてきた僕たちにとって、タブー破りの快感があったことは間違いないと思います。歪な感覚かもしれませんが、僕自身タブーを突破することで、世の中の権威や権力と闘っているのだという思いもありました」
2ちゃんねるなどのネットにおいては既存の権威を思わせるマスメディアは叩かれ、そのタブーを破る言葉が大量に書き込まれる。在特会も街宣で差別用語を多く用いる。心情的な根底は確かに、「制度の牙城」を崩す「タブー破り」の快楽という点で、筒井と共通している部分がある。
である以上、在特会は筒井の思想の流れを汲むものと看做すべきであろうか。
いや、決定的に違う箇所がある。
筒井はそのようなタブー破りの快楽という心性を理解しながらも、それが敵対性や政治性、ひいては共同性に向かってしまうことそのものに介入し、全力で「笑い」などに変えていこうとした。この実践の営為の有無は、重大な差異である。

しかし、この「否定」は成功しているのだろうか。むしろ、筒井のような「文学や芸術の聖域性」を主張していた議論の「延長」に、こういった在特会ネトウヨの「言論の自由」が、「連続」していることは、間違いないのではないか。
そもそも、彼らの「論理」の中から、こういった在特会的なものを否定する論理を導き出せているのであろうか?
私には、この問題は、「文系」学問の伝統そのものに内在しているような、かなり根深い問題のように思われてしょうがない...。

筒井康隆の短編「ベトナム観光公社」は、ベトナム戦争が終わった後に、ベトナム戦争自体をテーマパーク化し、そので「刺激的」な戦争が起こり続けていて、起源すら忘れ去られた未来を描いたブラックユーモア短編である。
ベトナム戦争」は「当地自慢の文化遺産でございます」と紹介される。マスメディアで報道されるニュースの刺激に飢えてしまった観光客が、ここに "本物" の戦争(それは観光資源として、ビジネスとして営まれている)を観に来る。「ベトコン」という言葉の起源もはっきりとは分からなくなっており、観光立国化させた功労者として「ベトナム点建設者(コンストラクター)」ではないかとガイドに説明される。
彼らは実際に人が死ぬ戦争を観る。だが、それは志願兵が商売で行っているので良い、と正当化される。その銃撃音はスピーカーによって増強され、「本物以上の現実感が出てきた」と表現される。

この「福島第一観光地化計画」は、疑似イベント系ブラックユーモアSFを、311後の日本の現実において、日本復興のために用いろうとしているものである。
このように、SFは、現実化しようとしてきている。本書の後半で問題になる、虚構による現実への侵犯が、まさに起こっているかのようである。
しかし、本論の立場からは、これは肯定できるものではない。
そのひとつの理由は、そこに「笑い」や「毒」がないということである。
ベトナム観光公社」は、観光客たちが「刺激」のあまり、実際に志願兵となって戦争に参加してしまうところまでを描いていた。この「ベトナム観光公社」の批評性を敷衍するのなら、原発事故を観光として楽しむ人間が「ヤバさ」をより求めた結果、本物の事故を望むことになる "効果" が観光によって発生するのではないだろうか。そして、そのような "効果" が起きてしまう観光や好奇心の問題を批判することこそが、ブラックユーモアとしての「ベトナム観光公社」の役割ではなかっただろうか。

最近、ニコニコ動画で、東さんと岡田斗司夫さんが話しているのを見たが、岡田さんがなぜわざわざ、この方と話そうとされたのかが、よく分かる内容であった。つまり、岡田さんは、福島第一を観光地にするという話を聞いて、当然、筒井の上記の短編のことも想起したのであろう。あまりにも、その志にドン引きしたから、言わずにいられなかった、ということなのではないだろうか(実際、岡田さんは、そのことしか話していない)。
そもそも、福島第一を観光地にする、と言っている意味が分からない。
東さんはその番組では、広島の原爆ドームを例にしていたが、原爆ドームは加害者がアメリカである。つまり、その原爆ドームが「広島の被害者」の思いを象徴している、ということなのであろう。また、チェルノブイリが観光地化されているのは、そもそも「石棺化」という手法を採用したがために、「なくすことができなかった」ということと関係している。
他方において、福島第一は、たんなる、発電プラントである。不要になったら、撤去するのが「当たり前」であるし、海風もあり、どんどん腐食していくだろうし、そもそも、あれだけの爆発で、ごちゃごちゃになっていて、なにを残すというのか。
岡田さんはそこで、福島第一を観光地にするという案が、ようするに、福島第一を「芸術作品」にする行為である、という、まっとうな批判をしている。そこから、もし観光にするなら、観光に来る若者に、事故処理を手伝わせろ、と言っていたが、このことは、つまりは、なぜ福島第一が観光地になるのか、に関係している。
もし福島第一が観光地になるとしたなら、それは、

  • 事故処理を行った「英雄」を祀るため

ということになっていくであろう。つまり、福島第一は、原爆ドームではなく、靖国神社なのだ。しかし、おそらく、日本政府は、福島第一を靖国にすることを嫌がるであろう。それは、福島第一の「加害者」に政府が含まれるからで、その加害性を保存することになるから、である。
この岡田さんの批判は、掲題の著者の上記の引用での「批判」と、ほとんど、同じことを言っているように聞こえる。つまり、福島がなんらかの観光都市となっていき、その過程で、福島第一という「場所」になんらかの、その「役割」を見出されていくとしても、そのことが、原爆ドームのように、観光建築物として保存する必要があるかどうかは、「どうでもいい」ということなのである(そもそも、そんな努力をする暇があったら、少しでも、現場の作業員への被曝が抑えられるように努力してほしいものだ)。つまり、

  • ばかばかしい

のである。なぜ、福島第一が人々の心に刻み付けて、継承していかなければならないのかは、この福島第一のために、多くの作業員が自らの被曝という「犠牲」をかえりみることなく、事故処理を行ってくれたからであり、そして、おそらく、これからも多くの現場作業員がかり出されるからであり、そういった、

  • 未来の神風特攻隊員

たちの「姿」が、私たちに、この「努力」を残さなければならないという「負債感」を残していく「から」なのであって、その「結果」を「先験的」に、さきどりするこの議論は、空疎なのだ。
しかし、どうであろう。偽装被曝などと言われているように、政府や東電は、そもそも現場作業員の被曝を隠蔽し、彼らのプライバシーを理由に、

が現場でがんばってくれたのかを明らかにしない、裏舞台にスポットを当てない、現在の「隠蔽体質」をさんざん見てきた私たちにとって、福島第一を観光地化しようとしている人たちが、私たちが子供の頃、学校の活動を通じて、「必ず」と言っていいほど、原発に事実上「観光」に行「かされていた」という

  • 事実

を分かっているのかな、という疑問がぬぐえない。実際に、多くの「国民」が、

を、「すでに」やってきた。やらされていた。そこで、何度も、

を聞かされて「いた」のである。そのことを、どれだけ分かっているのか。
ふざけるな、と思うわけである。
原発は、今までもずっと、原発観光地だった。今も原発は観光地であって、そのことは、福島第一で事故が起きても変わっていない。つまり、彼らが、今さらのように、観光なんて言わなくても、今だって、観光地なのだ(事故で東電が近寄せないだけで)。
そんなに原発が好きなら、勝手に、日本全国の原発に観光に行けばいいじゃないか!
311が起きて、あんな惨状になって、地域住民に大きな被害を与えて、その上で、なにを聞きにその土地に訪れるんですかね。また、現場の東電の社員に、原発安全神話の話でもしてもらうんですかね orz。
(すみませんね。私がたんに、「心」だとか「芸術」だとかいう、「文系」学問が、「嫌い」ってだけで、ここまで dis らさせてもらいまして orz。)

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉

虚構内存在――筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉