SNSとステマ

また、今回も、ちょっとアホっぽいことを考えてみる。
そもそも、この日本社会において、ステマは、どこまで「深刻」なのか。
マスコミ、つまり、大手新聞や、テレビニュースの、最も、大きな役割は、国家の動静を国民に伝えることであろう。
しかし、国家も「人間」である。「ください」と言われて、「はい、あげます」となるであろうか。ときには、気にいらない奴には、なにも言いたくない、という「人間的な性格」をもっていても、不思議ではないだろう。
(そう考えるなら、国家が行う「記者会見」の場は、非常に重要だということが分かる。ここで、記者が質問するなら、少なくとも、なんらかの「大人」な返答をせざるをえないことは間違いないわけだから、この場だけは、官僚も逃げられないわけだ。)
では、どういう「性格」だったら、「こいつにだったら、なんだってリークしてやってもいい」となるであろうか?

つまり、

  • リークしてやる:官僚 --> 番記者

この関係が成立するには、この番記者が、官僚の「友達」になったときである。つまり、番記者の言っていることが、この官僚の利害と一致していれば、「友達」になる必要条件くらいはみたす、ということだ。
いずれにしろ、大事なことは、この場合であれば、官僚の側が、この番記者を「使える」と思ったから、リークするのである。「こいつに言ったら危険だ」と思っている限り、絶対に重要情報をくれることはない。
このことを「逆」に考えると、では、番記者が備えていなければならない、

  • 属性

とは何かと考えてみると、つまりは、以下だ。

  • 国家(=官僚)と同じ主張を常日頃からしている

これが、つまりは、

  • 立場主義

だということになるであろう。ここでのポイントは、

  • 国家、特に、いくつかの官僚集団の利害は、主に、その集団内では、比較的統一的な「損得」の「立場」をもっている
  • おうおうにして、それらが、国民と対立している

つまり、

  • 官僚内集団(たとえば、原発利権経産省など) <-- 利害で対立 --> 国民

ということである。
原発をもし新規で作るということになれば、それによって、天下り先などを確保できる経産省の一部は、「利益」となる。また、原発を作るメーカーは、儲かるであろう。そして、原発を買うことになる、大手電力会社も、電力発電所が作られなければ、電気を作れないのですから、「利益」でしょう。
こういった利害当事者から、常時リーク情報が欲しい番記者が備えなければならない必須条件は、彼らの「友達」になるための必須条件だといえるであろう。つまり、「自分は原発推進派である」という「立場」である必要がある。
つまり、そういう「立場」であることが、その番記者「にとっての利益」なのだ。
ここが、SNS上でのその人の「発言」が、「国民一般の利益と相違する」エキセントリックなものになる原因である。
福島の農産物を売りたい農水省は、低濃度放射性物質について、国民が、一切気にしなければ、

  • 今まで通り

売れる。検査も必要ない。だとすれば、それが農水省の「利益」だということがわかる。なんとかして、国民に、低濃度放射性物質汚染食品を食べさせたい。
その一番の方法は、「原発反対と言っている市民団体をキチガイの集団」だと国民に思わせることであり、「低濃度放射性物質汚染食品の問題性を訴えている市民団体をキチガイの集団」だと国民に思わせることだ、というのがわかるであろう。
市民団体であり、左翼とは、国家と国民に利害の対立があったときに、国家に「抗議」をするボランタリーな集団である。彼らの特徴を一言で言えば、

  • あえて「国家と対立する」ことすら、いとわずに、大衆の利益を主張する

ということである。つまり、彼らは間違いなく、「国家と対立する」ことを恐れない。しかし、上記で言ってきたように、こういった集団に対しては、官僚の意をくんで動きたい番記者たちとも、「立場」として、対立する。
彼らが、では、どうやって、官僚に気に入られるか。こういった、市民団体を「キチガイ」認定することで、

という印象を大衆に与えることを目指す、というわけである。こういった市民団体の構成メンバーはこんな「気が狂った」発言をしている。こんな連中が、まともなわけがない、と。
市民団体なんかやっているアナーキーな人間に、ろくな人格者がいるわけがない。こんな、ろくに働きもせず、デモばっかりやって、国家に迷惑をかけるばっかりの連中は、社会のお荷物だ、とか。
上記では、国家中枢を動かしている国家官僚などの集団と、そこから、情報をリークしてもらいたい番記者の関係を整理したが、この関係は、もっと、直接的な

  • 資本主義的関係

において考えることもできる。つまり、国家中枢を動かしている国家官僚などの集団と、国民との利害の対立が明確になったとき、国家官僚は、一部の情報発信者に

  • 直接国民にお金をあげて

国民を「洗脳」してもらうのだ。この場合、別に、そのお金の提供者が官僚である必要はない。その官僚と利害を共にする、企業、例えば、上記の例で言えば、原発製造メーカーや東電でもいい。
これが「ステマ」である。
大事なことは、国家と国民には利害の対立が「ある」ということである。そうした場合、国家の側には、たとえ、

  • お金を払ってでも

国民を「マインドコントロール」してくれる、口の達者な人を求めている、ということである。そして、その「需要」が大きければ大きいほど、「そのためのお金」が大量に動く可能性がある、ということになる。
もしも、低濃度の放射性物質なんて、まったく、国民が心配する必要がないんだ、という「印象」を国民に与えられたら、福島県産の農産物や福島県近海でとれる海産物を、

  • 311以前

のように「普通」に店頭に並べても売れる、ということになるであろう。そうすれば、早い話が、生産者の利益であり、生産者側の利益と共に動く経産省農水省の利益につながる、というわけである。
しかし、私は他方において思わなくはないのである。
これが、「売文業」ということではないのか。
CMがやっていることは、これであろう。
ある雑誌が、企業の広告欄をもっているのは、その企業から払われる「お金」が目当てだからであろう。同じように、その雑誌が、

ならば、上記の、国家官僚や原発製造メーカーや東電は、その雑誌なり、その雑誌に記事を書いてくれた人に、

  • お金を払いたい

と思わないだろうか。というか、お金を払ってでも、そういうことを書いてほしい、ということなのだろう。実際にその雑誌を作っている企業の収益において、そういった「広告料」の方が、雑誌の売り上げより、大きなウェイトを占めているなら、当然、企業寄りの雑誌構成になっていくであろう。
大事なことは、今、巷で、

をネタにして記事を書いているものは、それらを「デマ」「キチガイ」と言っている場合においては、ことごとく、上記の「企業寄りの広告的性格」を疑わざるをえないんじゃないのか、という疑問なのである。
もちろん、だからといって、「原発の危険性」や「低濃度放射性物質に汚染された農産物」について議論することが無意味だと言っているわけではない。むしろ、こういった広告的な「ステマ」的発言は、こういったものについて、

  • 正面

から議論をすることを避けている場合が多い。原発が危険でないというなら、それはどういう意味なのかを正面から議論をすればいいし、低濃度放射性物質に汚染された農産物を食べられるというなら、それはどういう意味なのかを正面から議論をすればいい。
しかし、その議論は、おうおうにして「立場」の主張の応酬に終わる。つまり、どこの「利害」を自分が「代表」しているかの「立場主義者」は、こういった形で「資本主義的利害当事者」という「仮面」をかぶれる人、ということになるのか(ゼロ年代の人たちが言う「キャラクター」というのは、どこか、「立場主義者」に似ている...)。
ある文章を書いて、それを「商品」としている人たちは、必ずこの問題に直面する。これが、エンターテイメント(=市場)の定義だとも言えるのかもしれない。つまり、資本主義である限り、ステマがなくなることはないが、ステマ的人間とはつまりは、「立場主義者」と同値と考えるなら、多くの場合は、その「発言」の傾向から、

  • 国民を自分の金儲けの「手段」とするために

国民の利益と対立する主張をしているかどうかの、その蓋然性を推測することは、そこまで難しいということでもない、ということくらいは言えるのかもしれない(まさに、ビッグデータの時代ということで...)。