東京の労働者の景気への「期待」

今回の都議選において、与党の自民党は、立候補した全議員が当選するという前代未聞の事態となった。このことに対して、一部の有識者は、民主党日本維新の会の凋落を指して、革新系政治の敗北、自民党共産党といった、旧来の政治システムへの「回帰」と批判する議論が起きていた。
しかし、おそらく、多くの東京の大衆にとって、その総括は的を射るていない。というのは、今、おそらく、多くの東京の労働者が考えていることは、

  • 頼むから今の景気の「上向き」の動きを「政治の悪ふざけ」で壊さないでくれ

という切実な願いだと思われるからだ。
言うまでもなく、東京の大衆には、経済のことは分からない。しかし、間違いなく彼らは、ここ何十年か続いた「不況」の「風向き」が、少し変わろうとしている、その「雰囲気」を察しているわけである。
バブル以降、どれだけ長い間、日本の景気は回復しなかったか。それは、まるで「無限に続く」苦行のように思われたわけである。実際、そう言っていた人もいた。アジアの安価な労働力が、日本の景気の回復を

  • 二度と訪れない

これが「リアル」なのだ、と。運命なのだ、と。
そういった(なんの実証を伴わない)「印象論」が、巷の雰囲気を形作る中においても、あきらめず現状分析し、その具体的な処方箋を考察していた人たちがいたし、彼ら、リフレ派は、その思考を止めることはなかった。
しかし、本当にそれだけだったのだろうか。
というのは、ようするに、不況であっても「関係ない」職種にいる人にとっては、むしろ、巷が不況であるほど、格差社会であるほど、自分がセレブであれるので、「裕福」ということがあったのではないか。
というのは、むしろ、政治家は「あえて」不況にさせようとしていた、そういった政治家が「人気」だったわけである。

ところが構造改革主張者は、リフレをしてはならない、という。その筆頭は、当時の小泉純一郎首相だ。かれは、二〇〇一年ジェノヴァ・サミットで以下のように発言している。

「改革なくして成長なし」と決めたのであるから、改革を後回しにして景気刺激策を取ることはできない。改革せず景気が先だと言って、景気が回復したら、改革する意欲がなくなってしまう。「改革なくして成長なし」ということは、過去の一〇年の日本のやり方でわかっているはずである。だから、ある程度の低成長は覚悟して、「改革なくして成長なし」という方針通り選挙後もやっていこうと思っている。

構造改革はよいことだと思っていた人ですら、これを読んでギョッとするのではないか。普通の考えは、構造改革をすれ経済の効率が改善するというものだ。だから改革すれば成長が起きる、改革しないと成長は実現しないことになる。ところがこれを読むと、「改革なくして成長なし」というのは、そういう意味ではなかったことがわかる。改革を強制するために、あえて景気回復させない、と小泉は言っている。
山形浩生リフレーション政策の個人史と展望」)

atプラス16

atプラス16

おそらく、今でも、この「萌芽」は続いている。民主党は、一貫して、消費税増税を、財務省と共闘して、画策してきた政党であるし、この民主党と、今回の都議選で、徹底的に敗北したのは、必然だったと言わざるをえないであろう。
同じく、もしも、自民党が、今の消費税増税の方針を変えることができなければ、今の景気回復の流れを破壊し、昔の

  • 「改革なくして成長なし」路線=「あえて景気回復させない」路線

へと後退するかもしれない。有権者は、その様子をじっとうかがっている、といったところではないだろうか。
そもそも、リフレ政策とはなんだったのか。マクロ経済学のテクニカルな議論は、いったんおいといて、まず、そもそも、この政策は、一般には「中道左翼」の政策と思われていることを理解する必要がある。

またヨーロッパの社会民主主義政党や労働組合、もっと左翼的な政党も、基本的には雇用を拡大するために金融緩和すべきだという立場で、欧州中央銀行の独立した性格を改めることを提案しています。つまり左派やリベラル派の立場の人々が主張する政策だということです。日本の場合、安倍首相がこの政策を採用したことは不思議ですが、遂行するのは中央銀行なので、必ずしも安倍首相の考え方と完全に整合したものにはならないと思っています。
松尾匡「左派経済学からみたアベノミクスの可能性と矛盾」)

POSSE vol.19: ブラック企業の共犯者たち

POSSE vol.19: ブラック企業の共犯者たち

こういった、左翼の政策をなぜ、安倍首相が採用したのかは、大変興味深い話題だが、逆に、なぜ民主党が採用しなかったのかは、

  • 非常に深刻

な問題だと考えなければならないであろう。日本の政治の磁場において、そもそも中道左派や中道リベラルが、そもそも、政権を獲得できるのか、という疑問を突きつけるものだからである。つまり、民主党は、本当に、中道リベラルだったと言ってよかったのか。明らかに、野田元首相など、そもそも、なんで自民党にいないのかが、さっぱり分からないような、元自民党議員なわけで、思想的にも、日本維新の会のほうがふさわしい議員も大量に内部に抱えていたような、

  • ごった煮政党

だった、というのが民主党の正直な正体だったのではないだろうか。

先ほど説明したように、流動性の罠がありますから、金融緩和をしても、直接それによって目の前で物価を動かすことはできません。そうではなく、クルーグマンたちが目的とするのは、人々の予想を動かそうということなんです。つまり、この調子でずっと大規模な金融緩和が将来まで続きますということを約束することによって、人々のインフレ予想を上げて、それで実質利子率を下げて総需要を拡大しようというのが、基本的な発想です。
松尾匡「左派経済学からみたアベノミクスの可能性と矛盾」)
POSSE vol.19: ブラック企業の共犯者たち

リフレ政策は、上記の引用にあるように、「本質的」なところで、

  • 人々の予想

に依存した政策である、という部分が「非常」に重要です。つまり、私たちが「世の中の景気がよくなってるんじゃないかな」と思うというような、非常に

  • デリケートな印象

に、その「大きな」部分を依存している、というわけです。
ですから、むしろ、リフレ政策こそ、

  • 人々の「無意識」

に大きく依存した、一般意志の政策だと言えるのではないでしょうか。

リーマン・ショックの危機では大恐慌時代と違って、社会主義待望の声がなかった。チャーチルの有名な言葉をもじれば『資本主義は最悪のシステムだ。他のすべての制度を除けば』。政策的につぎはぎをして、だましだましやっていくしかありません。
資本主義とは、お金があるがアイデアはない人が、アイデアはあるがお金がない人にお金を貸すことによって、アイデアを現実化していくシステムです。デフレの時は、お金を持っているだけで得する。人々はお金それ自体に投機し、貸し渋りが起こった。インフレの期待は、人々をお金それ自体への投機から、アイデアに対する投機、さらにはモノに対する投資に向かわせるのです。
そういう意味で『期待』によって、お金がお金になるだけではなく、経済そのものに大きな影響を与える。経済政策を巡って『期待だけで実体が伴っていない』と言われますが、貨幣を伴う経済にとって、期待とは本質そのものとすら言えます。
岩井克人「期待が根拠、それがお金」)
screenshot

リフレ政策は「だましだまし」やっていくしかない。確かに、アジアの成長が労働力を喰いつくしているとしても、大事なことは、その「相対的」景気の上向き感であって、もう、高度経済成長の頃のような、異常な成長トレンドはありえないとしても、

  • 中期的な上向きトレンド

が、どれだけ、若者の雇用や税収など、社会インフラの「安定」に必要であるのかを考えたとき、間違いなく、今は、

  • 政治の時代

ではない。橋下市長や石原元都知事のような人が、政治の「破壊」を

  • やってる場合

じゃない。そんな政治リソースに、国際政治の不毛なリソースを使っている場合じゃない。

  • なんとしても

日本の経済の上向きトレントを「現実」のものにしなければならない。都議会選挙の自民、共産への「回帰」は、

  • たのむから、政治は余計な景気を後退させることだけは、やらないでくれ

という、東京の労働者の「切なる願い」だった、ということではないだろうか orz...。