ブラジル系日本人のサッカー

つい、この前、行われたコンフェデレーションズカップは、日本は一回も勝てず、予選落ちということであった。
この結果については、賛否両論あるようだ。それは、本番は来年のワールドカップなのだから、チーム作りの最中において、評価をうんぬんすることは適当でない、というものから、コンフェデレーションズカップという性質上、対戦相手が強敵であったため、格上にこの結果を悲観すべきでないなど、いろいろあるようだ。
しかし、それ以上に、日本の監督が、前回のワールドカップでの日本の戦い方を引き合いにだして、日本が次に進歩するために、

  • 攻撃的

であることにこだわっている、というようなインタビュー記事があったのが気になった。それは、今のチーム作りに批判的ということではなく、具体的にそれが、どういうことなのかが、分からなかったからである。
極端なことを言えば、日本とイタリアの試合は、前半で、日本は2点リードしていた。だとするなら、後半、日本は極端な守備的布陣で挑めば、なにかの間違いで1点はとられたかもしれないが、それでも逃げきれたのかもしれない、とは言えないだろうか。
私はサッカーは詳しくないが、攻撃的スタイルを追求することと、試合の状況に応じて、守備的戦略を選択することは、両立しないのだろうか。
私には、むしろ、このことは逆に聞こえる。今の日本のチームには、守備的なタレントがいないから、守備的に戦えない、と言っているように聞こえるわけである。
実際、日本のプロ選手で、ヨーロッパで活躍している人の多くは、攻撃側の人たちである。このことは、日本の得点力不足以上に多くのことを語っているように思われて、しょうがない。
日本が攻撃的サッカーが「やりたい」ためには、多くの攻撃参加が必要になる。そのためには、

  • 少人数

で守備が可能となるような、「守備のタレント」が必要なのではないか? 足が早く、身長も高く、足元も正確な、本当の

  • 守備のエキスパート

が存在する「から」、始めて攻撃に多くの人数をかけられるのではないか。
おそらく、日本のサッカーの弱点は、本当に強いチームと戦うとき、前の選手と後ろの選手が、相手チームの選ばれし代表選手と、走力で敗け、振り切られているので、そこのリスクが解決しないから、格下の相手と戦う時のような、「王者のサッカー」ができていない、ということなのではないか。
この前のオリンピックのときの、永井選手のような、ぶっち切りで相手と走力で上回るようなサッカーになっていない。だから、相手もそんなに怖くない。
私は、ここまで書いてきて、日本の監督が、「やりたい」サッカーを追求していることを批判しているわけではない。というか、私は、日本がワールドカップに「勝つ」とは、どういうことなのかを聞いているわけである。ワールドカップで一勝するとは、どういうことか。
言うまでもなく、相手チームは、こちらの「弱点」を徹底的に研究してくる。どんな弱点も見逃さないであろう。そうである限り、この勝負を分ける最大のポイントは、選手の体調であることは間違いない。
しかし、この点において、お互いが拮抗した状況であるなら、その帰趨は、非常に微妙なものになるであろう。ちょっとした差で、勝敗が分かれる。
言い忘れたが、私は、決勝トーナメントには、なんの興味もない。私に関心があるのは、唯一、

  • どうやって予選リーグを突破するか?

だけである。なぜ、予選リーグ突破は特別なのか。それは、大会が始まる前から、相手チームが決定していることで、その戦い方の「戦略」を、

  • それぞれのチーム

が作成するから、である。つまり、その「戦略」の「質」が問われるから、重要なのである。決勝トーナメントは、いわば、怪我をしていない選手が多いチームが勝つようなものであろう。しかし、予選リーグは、

  • 本当の国と国をかけた戦い

である。ここにおいては、

  • どんな手段を使っても、突破しなければならない

その「戦略」が問われているわけである。
ここまで考えてきて、私は、そもそも、今のサッカーに興味があるわけではないことを、正直に言わなければならないであろう。しかし、そういう私がなぜ、サッカーについて書こうと思ったのか。
それは、来年のワールドカップが、ブラジルで開催されるということなので、もう一度、サッカーについて考えてみよう、と思ったというのが大きい。
例えば、日本が最初にワールドカップ出場を決めたときから、東京の渋谷駅前の、スクランブル交差点は、サッカーフリークが、占拠することが

  • 恒例の行事

となっている。つまり、それほど、サッカーは日本の若者の

として、不動の地位を獲得している。確かに、世界中でこれほど人気のあるスポーツはサッカーくらいであることを考えれば、サッカーの日本での近年の地位は、納得できるものであるのだろう。
サッカーは、さまざまあるスポーツの中で、唯一

を、まるで「手」のように使って行われるスポーツである。その意味で、人間の感覚に「革命」的な意味を与える。世界中でサッカーが子供たちを魅了するのは、そのように考えるなら、当然なのである。
しかし、私は、日本において、例えば渋谷駅前のスクランブル交差点を埋め尽すその、若者の

  • 感情

を、たんにそういったことだけで説明したくないのである。

  • なぜサッカーなのか?

それは、むしろ、

  • 私たちの「ルーツ」

に関係する。「だから」私たちを奮い立たせる。
そもそも、日本人が海外に、「集団移住」をして現地に定着したケースとして、ブラジル以上に大規模なものはなかったであろう。今でも、ブラジルにおける、日系人の影響力は大きなものがあるのではないか。
もちろん、二世や三世と世代を下るごとに、日本語を話せない、生活習慣も現地化している人がほとんどとなっているであろう。もう、これ以降の世代に対して、ルーツとしての日本を強調することは、不適切となってきているのかもしれない。
しかし、そういった彼らに、近年、少し雰囲気が変わるような出来事があった。それは、日本の移民政策において、日系人を「特別視」したことであろう。そのことによって、多くの日系ブラジル人たちが、日本に働きに来るという事態が起きた。地域によっては、彼らが一地域に固まり、「村」のように集団で暮らしている場所まで、あらわれた。
しかし、その動きも、リーマンショック以降、日本の製造業の没落によって、かなりの割合で、日本で働くことをあきらめて、母国に帰った人もいたようである(しかし、また近年の、アベノミクスなどによって、その動きの反動もあるのかもしれない)。
日本のこと、日系人を「特別視」する移民政策は、ある意味、「差別」的であるが、いずれにしろ、そのことによって、もたらされる「現象」は興味深いものがあったことは間違いないであろう。
日本が経済成長をするのなら、間違いなく、労働力が必要である。しかし、日本は基本的に、移民を極端に制限する政策を戦後、一貫してとっている。そんな中で、なんとかして、労働力を確保したいと考えたとき、このブラジル系日系人の存在が、そうとう大きいのではないか、という印象を受けるわけである。
日本のインテリは、そもそも、大学出のボンボンのセレブ家庭のお子さんばかりで、底辺の労働者に、関心がない。しかし、こういった海外労働者が、さまざまな日本の労働環境において、どれだけ重要となっているのかを考えたとき、まったく軽視した状態は、異常とさえ言えるであろう。
今回のワールドカップは、おそらく、私たち日本人の

  • ルーツ

を再発見する大会になるのではないだろうか。今のJリーグをみても、監督から選手から、非常にブラジルの選手が多い。また、日本のサッカーは、底辺からブラジルから多くを学んできた。日本がワールドカップで一勝することは、たんなる一勝ではない。そういった、ブラジルにおける、日本人の「サッカー文化」の一勝でもある。つまり、

の一勝でもある。渋谷駅前の若者のバカ騒ぎは、「日系ブラジル人とブラジル系日本人のサッカー」のバカ騒ぎでもある。日本がワールドカップで一勝することは、日本人が「ブラジル人」であることを、そこで、証明するのである。
おそらく、来年のワールドカップにおいても、また、渋谷駅前は、いつものバカ騒ぎとなり、きっと、日本人の叡智が、日本の一次リーグ突破を実現してくれると信じているが、おそらく、彼らは、

  • ブラジル

に「自分たちのルーツ」を発見するのではないか。そして、渋谷駅前と、ブラジルの日本人村は、一つの「シンクロ」現象を起こすであろう。彼らは、地球の裏側に「自分たち」を発見する。
この前、フットサルのワールドカップに、日本が出場したとき、ブラジル出身の若い日系人の選手の特集を、NHKがやっていたが、私は、彼ら選手のたぐいまれな能力もそうだが、そうやって、彼らが

  • 日本のため

に戦ってくれたことが、大きな驚きと共に、その献身的な姿勢に感動させられたものであるが、そのことは、日本に来ている多くの日系ブラジル人の方々が、真面目に、工場などで働いてくれている姿とオーバーラップするわけである(事実、上記の番組では、その若い選手の父親は、日本の工場で働いていた)。
ブラジルは、日本にとって、確かに、縁の深い、特別な国であるが、そのブラジルが、ことサッカーにおいて、日本の目標であり、日本の

  • 目指すべき

サッカースタイルの、

  • リスペクト

する国であることは、興味深い関係を感じるわけである。日本は少しでも、ブラジルのサッカーに近づけたのであろうか。私には分からないが、Jリーグの各チームは、

  • (日系)ブラジル人枠

のようなものを作って、彼らの何人かには、日本代表として戦ってもらうことも考えてもいいんじゃないのか、なんて思ったりもする。私がこだわっているのは、彼らが母国ブラジルでサッカーの能力が秀逸だから、というだけでなく、

  • ブラジルは、その歴史的経緯から「日本人と区別ができない」

という意味で、彼らが日本代表に何人かいることによって、

  • 始めて

日本代表は「本当」の日本代表になるのではないか、と思ったりもするからである...。