松元崇『持たざる国への道』

私は、哲学について考えるとき、経済の問題というのは非常に重要なのではないか、と思っている。つまり、歴史も文学も哲学も、経済的な感覚なくして、なにかを語れると思うことが、不毛かつ不遜なのではないか、と思うわけである。
ここで、経済の問題とはなにか、といえば、具体的には、「貨幣」であり、手形や電子マネーを含めた「貨幣的マテリアル」であり、もっと言えば、こういった貨幣的マテリアルが生み出すことになる、社会的な構造だと言えるであろう。

両替商は、武士の俸禄である米の藩札を銭に交換した。また、品質が様々の銭を相互に交換した。銀についても品質がまちまちな領国銀(各藩が鋳造していたもの)が幕府の禁令にもかかわらず出回っていたことから、その交換も行っていた。幕府の銀貨は丁銀(ナマコ形の銀塊)と豆板銀(丁銀の補助貨幣)であったが、どちらも計量経済で、その都度、量目を計って使用されていたことから、それを計量して銭に交換するといった業務もあった。

上記の引用がなにを語っているかというと、つまり、さまざまな「貨幣的マテリアル」の間の「交換」における、

  • フェアネス

がなんなのか、ということなのである。問題は、この交換を人々が「公平」だと「思える」かどうか、というところにある。
それが、重要だと言っているわけである。
貨幣の本質とは、なんだろうか。それは「信頼」にある。つまり、「価値」が保持されうる、という期待である。ところが、もしも、ある貨幣体系の間に、

が存在したら、どうなるか。一部の人は、その交換を「高速」で繰り返すことで、「いくらでも」儲けることが可能だということになる。
話はそこで終わるか。
終わらない。何が起きるかということ、それが「錬金術」だと、人々が知った時点で、
その貨幣への「信頼」(価値体系)が一気に低下するからである。
このように考えてきたとき、大事なのは、ここで言っている「信頼」というものが、実際には、なんなのか、というところになる。
私たちが「信頼」と言ったとき、それは、例えば、「ある一人」が信頼しているかそうでないか、という「その人」性に決して閉じない関係であることが重要である。つまり、貨幣が「信頼」されている、と言う場合のその意味は、

  • 私たちが「人々がその貨幣を信頼している」と思っている

という関係であることにある。つまり、このことから、必然的に、一人や二人の信頼があるかないか、では十全でない、ということなのだ。
こういった「集団」的な信頼、「動員」的な信頼が、どのようにして、生成するのか。これが、

  • 歴史

である。ある「信頼」は突然、生まれない。なんらかの、諸関係の「結果」に対しての、「評価」の

  • 蓄積

が、「結果」として「信頼」の表象として結果するだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。例えば、

それにしても、江戸時代の四進法を基本とした両を単位とする通貨制度が、一〇進法を基本とした円を単位とする通貨制度に、さしたる混乱もなく移行出来た秘訣は何だったのであろうか。通貨制度は一国の経済の基盤を形成しているものであり、その変更は大変なことのはずなのである。その謎を解くカギは銭にあったと思われる。江戸時代、銭については銭一〇〇〇枚(一貫)が一分(一両の四分の一)という一〇進法が用いられていた。そのような銭を日常生活に使っていた庶民の感覚からすれば、一〇〇銭を一円とする通貨制度の導入は、一〇円(一〇〇〇銭)を一分(一〇〇〇銭)とする新たな藩札(明治通宝)が発行されたようなものであった。

もちろん、江戸時代において、銭が上記の形であったのは、「まったくの偶然」でしかない。しかし、そういった「慣例」的な作法が、人々の行動を規定する。
日本の明治以降における、貨幣的マテリアルの特徴は、金本位制を採用しながら、金が民間にちっとも普及しなかった、ことである。

金貨が流通しなかった我が国と異なり、明治維新期に我が国を訪れた欧米諸国の商人の金貨に対する執着には協力なものがあった。

そのような欧米商人の金貨への執着の背景には、全国的な銀行券が紙くずになってしまった十八世紀のフランスにおけるジョン・ロー事件や米国におけるコンチネンタル紙幣の事件などがあった。

なお、「在外正貨」とは、清国からの賠償金によるものだけでなかった。その後の我が国が外債発行によって得た外貨も、その多くが募集条件に「募集金を一時に本国に回送せざること」と明記されてロンドンで保管されたことから「在外正貨」と呼ばれていた。外債発行に際して、そのような条件が付けられたことは、諸外国が日本の国際信用力にだ懐疑的で、そのリスク回避の意味か日本の保有する外貨を自らの支配下においたものとされている(『脱デフレの歴史分析』)。そのような形で金がロンドンに置かれていた結果、我が国は第一次世界大戦時に英国が金本位制を離脱して金の移出を制限すると、国際貿易の決意に大きな制約を受けることにんった。

日本において、そもそも、ただの紙っぺらの紙幣が圧倒的に「信頼」された。むしろ、金貨は地方に行くと、だれも交換してくれない。これがお金だと、理解してもらえない。それくらいに、「ただの紙」で、買い物をするのが当たり前であった。ところが、外国はそうでなかった。それは、さまざまな歴史的経験から、むしろ「金貨以外は信用できない」という、金本位制においては、むしろ、「普通」の「理性」があった、と言うことができるのかもしれない。
この場合、なにが問題かというと、つまり、「バランス」が悪すぎる。民間が金貨を持たないということは、「いざとなったら」民間から、金貨を巻き上げて、

  • 国家の信頼

を担保することができない。つまり、リスク分散が国家レベルで実現できていない。
明治以降の日本は、なんとかかんとか、日露戦争で、戦果を上げられたのも、海外から多額のお金を借りることができたからであり、実際、日本の軍隊が、中国大陸で、アメリカやイギリスの権益を奪って、暴走を始めるまでは、海外からのお金も借りることができていて

  • 景気

が良かったわけである。これを完全に壊して、日本を奈落の底に落としていったのが、経済をなにも知らなかった、日本の軍人たちなわけであろう。そう考えたとき、いかに、日本の軍隊が行った、中国大陸でアメリカやイギリスの権益を奪うという

  • クーデター

が今まで、日本がうまくいっていた

  • すべて

を「破壊」したことが分かるであろう。日本の発展は、膨大なお金をアメリカとイギリスから「借りる」ことができたからであろう。だとするなら、彼らと喧嘩するなど、ありえなかったはずなのである。ところが、陸軍は、自分たちの

  • メンツ

から、中国大陸で一定の戦果を上げるまでは「帰らない」とか、完全に本国の細心の注意を払って経済運営をやってきた日本の政治の意向を無視して、暴走を続ける。彼らは自分たちがなにをやっているのかを分かっていない。

それに対して、華北に侵攻した日本軍は、華北で無理に円ブロックの経済圏を形成しようとした。そのために、明治十三年三月に北支那方面軍特殊部主導で、華北に新たな発券銀行として中国聯合準備銀行を設立し、その発行する聯合銀行券と法幣、日本円との間の固定レートとする「円元パー」政策を採用した。ところが、円と法幣との交換レートが、実勢を無視する円高だったために、日本から大量の正貨(外貨)の流出を招くことになったのである(『脱デフレの歴史分析』)。

当初、日本は華北において日本円や聯合銀行券、軍票等を増発する一方で、そういった通貨の増発がインフレーションを招かないように貨幣発行量に見合った物資を日本から輸出していた。その結果、日本国内から円ブロック圏への貿易収支は計算上、大幅な黒字を計上していたが、いくら黒字になってもそれによって日本に還流してくるのは増発された日本円や聯合銀行券ばかりで「正貨」ではなかった。しかも、その日本円や聯合銀行券の多くは「鞘取り」で大幅に割安な相場で法幣から交換されたものであった。一〇〇円を元手に五回の鞘取りによって二〇四八円七三銭を取得できたとされており、その差額だけの「正貨(外貨)」が日本から華北に流出した。それは、結果として鞘取りをされた分だけ華北地域で外貨準備を管理していた蒋介石政権に外貨(正貨)を節約させ、正貨決済が必要な米国等からの軍事物資調達を助けることとなった。そして、その反面として、我が国の軍事物資調達能力を制約することになったのである。

日本が戦争に負けたのは、経済を知らない軍人たちが、原因と結果をすりかえて、「自分たちがやっていることの結果としての失敗」を認めずに、最後で、暴走したことであろう。

明治初期に唱えられたスローガンに「昭和維新」があったが、同じ維新といっても明治維新期の指導者は幼少の頃から剣術などの武道だけでなく論語などの古典にも親しみ、行政官として活躍することを期待された武士、つまり「文官」の面を持つ「武官」だった。それに対して、昭和維新期の指導者の多くは「武官」の面しか持たない軍人達になっていた。もちろん中には、経済や財政の原理を理解する合理的な指導者もいたが、宇垣一成陸軍大将のように軍の主流から排除されるか、永田鉄山軍務局長のように暗殺されていった。

私は、このことは現代でも変わっていないように思われる。文系といっても、経済を語れない、たんなる「文献学者」でしかないのに、自称「哲学者」が、意味不明の大学のゼミの中でしか通用しないジャーゴンをこねくりまわして、大衆をけむにまいて、なにか「やったった」感を出している時点で、こういった連中は昭和維新期の「武官」と変わらないであろう。
私はこれからも、同じことを何度も繰り返すのではないか、と思っている。脱原発派を攻撃しているエリートたちに、そもそも、原発の「経済学」が、あるのだろうか。原発がもし事故を起こせば、膨大な補償が必要とされることを分かって、原発推進(はるか未来の脱原発)を言っているのであろうか。私はこういったステマ集団が人間的に恐しい...。