木下鉄矢『朱子学』

そもそも、なぜ「朱子学」は、これほどの影響力を持ったのか? この問いに、正面から、答えようとした人は、例えば、日本において、どれだけいたのであろうか?
私が不思議でならないのは、例えば、「教育」という言葉がある。おそらく、大人は子どもに、毎日、なんらかの「教育」を行っているのであろう。しかし、それは一体、

なのか? それに答える人は、どれだけいるのであろうか。こんなことを思ったりするわけである。子育てをすると言ったとき、私たちは、その子どもに

をしているのか。

  • 具体的

に何をしているのか。何を語りかけているのか。私が聞いているのは、その「ディテール」である。抽象的な、言葉遊びなど、哲学遊びなど、どうでもいい。私は「お前」が実際には、何をやっているのか、と聞いているわけである。
例えば、近代哲学の最初として参照されるデカルトが言う、「我思う、ゆえに、我あり」とは、彼が、さまざまな地域の人たちが、その地域独自の、さまざまな慣習に従っていることを見るに、そもそもそのどれが、「正しい」のか、ということが言えないのではないか、といった、「懐疑論」であり「相対主義」の果てに、「しかし、そのように疑っている自分(の思考の過程)が<在る>ということ自体は否定できないのではないか」という認識を示したものだと言えると思うが、ようするに、ここでデカルトがやっていることは、

  • 認識過程

だということである。デカルト物心二元論も、そもそも、観察する対象と独立した存在として、観察「している」主体を、区別しなければ始まらないのではないか、という彼の懐疑論

  • 姿勢

が必然的にまず、要求しているなにかでしかない、という所が、その最も意味することなわけであろう。これを受けて、スピノザは、より仏教的な

  • 科学的な観察(認識)

の形式性に注目していく。つまり、それ以降の哲学は、基本的に「認識論」なのである。今でも、心理学という学問は、必死になって、人間を観察して、人間の行動の統計情報から、人間の「真理」を導き出そうとしている。つまり、「観察」こそ「真理」だというわけである。このことは、日本の文脈で言うなら、本居宣長を思い出させる。彼は、漢心(からごころ)とレッテルを貼ることで、儒教的な「道徳教育」を皮肉に嘲笑する。それは、人間が「どうしようもなくやってしまう」その心を、「悪」と称して、矯正させるから、である。彼は、それは、「やまとこころ(=もののあはれ)」なのだ、と言って、そういった矯正に対して、そういった「やってしまう」人間の性向を、擁護する。
たとえば、それは、源氏物語であり、平安時代の和歌であったり、どうしようもなく、涙が自然と瞳(ひとみ)から流れ、やむにやまれず、心の底からあふれだす嗚咽の「感情」には、それ相応の根拠があることを考えるならば、それを抑えなければならないと「道徳」で、「悪」であると、

  • 外面上

やめさせようとするようなことは、人の自然な「ありよう」に反しているし、むしろ、有害なのだ、となるわけである。
おもしろいのは、実際に、西洋哲学は、ほとんどこの「認識論」一辺倒に、それ以降、進むことである。もっと言ってしまえが、これが、

  • 科学

となることで、ほとんど、このことしかやらなくなるわけである。
そういった状況において、ほとんど唯一と言ってもいい形で、あえて、その反対を考えたのが、カントであると言っていいだろう。しかし、そのカントの考察は、どこか、変則的であった。というのは、カントはまず、純粋理性批判という形で、徹底して、前者の「認識」の問題を、むしろ、デカルト

  • 言いたかった

ことを、よりエレガントに整理したからである。つまり、彼はむしろ、デカルトを継承したわけである。つまり、おもしろいのは、彼はデカルトの認識論を「徹底的にやり尽した」その後で、

  • なにか、それ以上のことを語らないわけにはいかない

かのように、実践理性批判であり、判断力批判を書くことを始めた、ということなのである。だからこそ、それ以降の西洋哲学は、この二冊をどのように扱ったらいいのかに、どこか、「戸惑っている」印象を受けなくはない。
なぜ、私は、認識論に、どこか、嘲笑的にならざるをえないのか。
それは、認識論が私には、なにほどの、「真理」も含んでいないとしか思えにからである! もちろん、そう言うと、なにか「トンデモ」科学のような話に聞こえるかもしれないが、例えば、産まれたばかりの赤ん坊を「観察」することを考えてみるといいだろう。
私がデカルトで、人間を懐疑し、その赤ん坊が、どうであるのかを「観察」しているとする。ところが、ここで「困難」にぶつかる。というのは、その赤ん坊は、確かに、自分の感情のまま、「なにか」をしている。そういった行動を観察できる。
ところが、である。
この観察は、すぐに「挫折」するのだ。なぜか。赤ん坊がなんらかの、「困難」にぶつかるたびに、母親などの養育者が、赤ん坊の行動に介入する、つまり、

  • お世話

を始めてしまうからだ。すると、赤ん坊の行動は、途端に、その母親の介入の

  • 影響

を受けて、行動規範が「変わってしまう」わけである。つまり、赤ん坊は「学習」してしまうのだ。母親の「意を汲んで」、なるべく母親の「期待」にそえるように行動しようとしてしまう。
ここで、一つの困難に直面する。

  • 母親の介入によって、なんらかの方向に変わった、この赤ん坊の行動は、どこまで「本来的」なのか?
  • この、母親によって変えられてしまった赤ん坊の行動は、一種の「奴隷的矯正」として唾棄すべきなのか?

私が気に入らないのは、ようするに、「認識」という

  • 純粋主義

なのだ。もしも、「認識」こそが真だと言うのなら、そもそも、赤ん坊の行動に介入すること自体が、なんらかの「不純」な「混乱」ということになり、不要なこと、ということになりかねない。もっと言えば、人間は、「動物」として扱うべきだ、みたいな話にさえなってくる。
行政的統治の手法として、大衆を、一種の「動物」として「飼育」するという発想においては、そもそも、大衆の「感情」に介入しない。これは、私たちがペットを飼うとき、そのペットの「感情」を「矯正」しようとしないことに似ている。しかし、その変わりに、

  • 飼育

するわけである。それは、私たちがペットを飼うとき、例えば、猫を家の外に出ないように、閉じこめておく、といったように、彼らの行動の制限を「環境」によって、「コントロール」するという手段によって、というのと似ていて、私たちがたとえ、この日本中を遊び回っていても、その行動は、常に「監視カメラ」によって、捕捉されるようになっていたりすることで、社会の危機から、人々が逸脱しているトリガーを、「環境的に排除する」といったような、

  • 秩序形成スキーム

によって、説明されるような「ビックブラザー社会」と言えるであろう。
人間を認識の対象と考える限り、人間は「やりたいことをやっている」なにかという以上の定義はできない。つまり、「危険」な存在ではあるが、なんとかして、その「危険」な行動に逸脱する「印」を察知して、そのたびに、とり除けば、社会の秩序は維持される、というわけである。
しかし、この発想は、逆に考えることもできる。
つまり、「それさえできれば」、ある意味、人間は「動物でいい」ということを意味してしまう、というわけである。どんなに人間が社会逸脱的な傾向をもっていようと、そういった「印」を示した存在を、危険人物として、次々と社会から、

  • 駆除

していけば、社会の「純潔」性を守ることができる。まさに、有害な「虫」を殺すように、ナチスユダヤ人を「駆除」した歴史がアウシュビッツだったわけであろう。
このことは、リベラリズムという概念が、さまざまな異文化の共存といった意味で使われるときに、「共通するルール」に人々を従わせることができない、という意味で、社会規範による社会秩序が、未来の人間の社会では、難しくなるのではないか(難しくなってきているのではないか)、という観測によって、考えられるわけであるが、しかし、そもそも、社会を

  • 認識の対象

として考えることが、どこか、うさんくさい印象を受けるわけである。
この社会が、「どのようになっている」という印象を受けることに、果して、どこまでの意味があるであろうか。というのは、そもそも、私たちは、この社会の一部なのであろう。だとするなら、その「分析」は、一体、何をしたことを意味しているのであろうか。
この社会が、「このようになっている」と言うことは、どこか、欺瞞的である。というのは、私たち自身が、この社会の一部だから、である。むしろ、

  • この社会に、自分がある働きかけをしていないことによって、この社会は「このような傾向性を示しがち」

なのではないか、と問うことだってできるわけであろう。もっと言えば、社会と自らを別に考えることは、

  • この社会がこのようにあるというふうに言うことによって、この社会に対して、自分が人々に「印象づけたい」方向に考えさせようとしている

とさえ、言うことだってできる。つまり、認識は

  • 実践

においては、もっと多様な人間活動の、ほんの一部の機能にすぎないことを私たちに示しているようにしか思えないわけである。
上記の本居宣長の話に繋げるならば、ある意味、日本の明治から敗戦までの過程を、本居宣長の言う「やまとごころ」である「もののあはれ」をベースにした

  • 革命運動

だったと考えることができるのではないでしょうか。つまり、これによって、

  • 近代を超克(ちょうこく)する

というわけである。この運動は、ある意味現在も続いている、と考えることができるのかもしれません。さまざまな「感情」は、それそのものとして、「認識」の対象なのであって、それそのものとして

  • 肯定

されるわけです。なぜなら、それは、本居宣長の言う意味で、私たちの中から生まれる、やむにやまれぬ「感情(=もののあはれ)」だと言うからです。
それは、バブル以降に、宮台さんが言っていた、「成熟社会=複雑社会」が、人々を、「規範」によってコントロールすることは不可能になったのだ、という主張と、重なりあって、進みました。学校の同じクラスでも、そこにある島宇宙のそれぞれを共通に、成り立つ規範はありえなくなっている、それだけ、社会は

  • 複雑

になってきているし、その方向は「絶望」的なまでに、より深く進んでいる、と。つまり、すでに社会を「規範」によって、制御することは難しいのだ、それに代わりうる「統治術」が求められているんだ、と言うわけです。
しかし、私から言わせてもらえれば、本居宣長は、どこか「滑稽」です。それは、そもそも、同じようなことを、中国の中においても、ずっと言っていた集団があったからでしょう。それが道教です。老子であり荘子の言うことは、基本的に、儒教批判でしょう。それに、朱子学に対して、陽明学が主張していたことも、そういった部分が見られる。たとえば、本居宣長が見出した、古事記の中にあるという、太古の日本にしても、そもそも、卑弥呼の時代の日本において、多分に、中国における、民間伝承的な信仰である

  • 緯学

のようなものの大きな影響下にあったことが分かってきているわけで、そう考えるなら、彼の言う「本質主義」は、どこか、本家で行われていたような儒教批判の議論の「反復」でしかないんじゃないのか、つまり、なにが新しいのか分からない、という印象をまぬがれないわけです。
上記の、赤ん坊は、ある意味、「動物」だと言えるでしょう。つまり、赤ん坊はたんに「自分の環境」を最適にしようと、行動しているにすぎない。つまり、母親からの「干渉」に対して、「合理的」な応答を続けることで、それが「慣習」となっているにすぎない。つまり、赤ん坊の行動には、母親によるコミットメントによる深い影響を抜きに考えることができない。つまり、赤ん坊の行動は、母親との

  • 共犯的

な状況に置かれていると言わないわけにはいかない。しかし、ある意味で、これが「社会性」なのであろう。
むしろ、大事なことは、こういった「共犯的」な状態を、そもそも、避けることはできない、ということなのである。
いや。もっと言ってしまえば、この私たちが毎日使っている、「言語」そのものが、そういった性質のものだとさえ、言えないこともないであろう。
言語の「意味」とは何か。それは、その言葉を「使った」人は、その瞬間瞬間で、「生み出している」と考えることもできるわけである。あらゆる言語は、「比喩」である、とはそういう意味で、私たちには、そもそも、その言語の「意味」を一意にさせる

  • 能力

がない、ということも言えるであろう。言語は、あくまでも、この地球上に住んでいる人たちが、使っていて、なんのトラブルも起きていない限りにおいて、それが「意味」なのだ、と言えるという以上のものではなく、つまりは、最初から、

  • あらゆる言葉は無定義述語

だとさえ言えるわけである。つまり、それぞれの言葉の意味は、あくまでも、「人々の反発が起きていない」という範囲において、

  • 相対的

に、あぶり出されているにすぎず、つまりは、それ以上でも、それ以下でもない。つまり、言葉は「社会」によって、総体として、なんらかの関係性が、その一瞬一瞬で仮構され流用されマネされ続けている、そういうもの、「以上のことは言えない」ということである。

朱熹の場合、この「性善」をまず事実としてずばりと提示し、次ぎに「而(しかし)」として、この事実はしかしながらなかなか気付かれることはなく、先んじて気付く人間と気付かない人間とに分かれると云います。つまりこの事実は、生々しい現実社会の中では気付かれることの希な、ある意味で通常の人間の目に見えなくなっている、見失われている「隠された事実」だというわけです。

朱子学にとって大事なことは、人々は、そう簡単に社会であれ自分自身であれ、その「あり様」について、気付かない、ということなのである。つまり、普通にしていても、気付かない。気付かないことが普通だというわけである。
つまり、たんに人が、「そうある」ことでは、不十分だ、と言っているわけである。朱子学は人々に、そうであるがゆえに、「気付く」ための、実践を求めるわけである。
そして、それについて、最も重要なキワードが「己(おのれ)」である。

「己(おのれ)」という言葉は『論語』におけるキー・ワードとしてよく知られる「仁」や「君子」にもまさるキー・ワードです。たとえば顔淵篇の冒頭の有名な「顔淵問仁」章には「為仁由己、而由人乎哉(仁を為すは<おのれ>に由る、しかして<ひと>に由るや)」と云います。また憲問篇には「子路問君子。子曰、修己以敬(子路、君子を問う。子いわく、<おのれ>をおさめてもって敬す)」と云います。衛霊公篇に「子曰、君子求諸己、小人求諸人(子いわく、君子はこれを<おのれ>に求む、小人はこれを<ひと>に求む)」と云います。
いま取り上げている「いにしえの学ぶ者は<おのれ>のためにす、いまの学ぶ者は<ひと>のためにす」もこれらの例に含まれるわけです。
孔子の発したこれらの言葉は、顔淵に、子路に、またこれらのテキストを読んできた多くの『論語』の読者に、<おのれ>という言葉を決定的に重要な言葉として突きつけていると云うことが出来るでしょう。
わたくしは大阪で育ちました。いまはどうか知りませんが、むかしは子供を親などが叱る定型の云い方がいくつかあって、そのひとつが「自分が悪いねんやろ、ひとのせいにしな」という云い方でした。またおとなの男がひとの言いなりになっている若者を叱る「おまえには<おのれ>というもんがないんか。しっかりせえ」という云い方もありました。前の方の「自分が」という云い方はよくされる云い方で「おまえ」や「きみ」といった第二人称の代名詞になっているという感もあります。「自分が安請け合いしたんやろ。自分で始末つけらええねん」「自分がそうゆうたんやないか。忘れたんかいな」などです。これらの「自分」や「おのれ」は第二人称の代名詞に転じていると云うよりも、やはり文句全体としては、相手に、自分自身がやったことだという責任の自覚を突きつける、その意味で相手をなじる、突き放す気味の云い方であると考えるべきでしょう。相手に「自分」「おのれ」という責任主体の自覚を突きつけ、誰にもツケを回さない単独者たれ、主体者たれ、と突き話す言葉です。

朱子学は、人々が最終的には、「おのれ」の身の処し方を「おのれ」に帰するわけで、そういう意味では、人々をちっとも「救わない」。人々は、逆に、「突き放される」わけである。
こういった慣習は、非常に「社会秩序」的な印象を受けます。ある社会が、成立しうる条件は、人々がルールに従うということが言えるでしょう。つまり、そのことが成立しうるためには、まず、人々が

  • 言葉の意味

を忠実に「守ろう」とすることです。ある言葉があったとして、その意味を、その人が恣意的に、コロコロ変えているとすると、そもそも、その人の「責任」を問うことができなくなります。自分が都合が悪くなると、嘘を言ったり、言い訳を言ったりしていると、社会は、風紀が乱れます。誰もリーダーの言うことに従おうとしなくなるでしょう。
自分が言ったこと、自分が約束したことを、最後まで言を覆さないことは、非常に重要な倫理的態度です。むしろ、そういった人間の行動が、人々の間に

  • 信頼

を成立させるわけです。母親が子供に言うこと、教えようとすることは、ほとんどこれだけと言ってもいいくらいに、決定的だと言えるでしょう。

簡単に言いますと、人は天からそのさまざまな行動のそれぞれに従うべき根本的なプログラム、このように行動すべきだと指示する準則の集合体、そのひとセットを賊与されて生まれるのですが、しかし、では、人間は完全な天の差配、天与の行動プログラムに従うだけの存在、つまり天の操るロボットに過ぎないのかと云うとそうではなく、ひとりひとりがそれぞれに独自に決断し、行動し、責任を負う、一個の意志主体、行動主体、責任主体であるのだ、というのが朱熹の考えなのです。先ほど引きました『論語』顔淵篇、「顔淵問仁篇」章の「為仁由己(仁を為すは己に由る)」に対する朱熹の注釈の言葉に従えば、「仁を為す」という行動を「発する(はじめる)」スイッチ、引き金は<われ>にある。天にあるのではない。<われ>の意志に始まるのであって、天の意志に始まるのではない。つまり<われ>の行動の手動者はあくまで<われ>であり、その行動の責任はあくまでその<われ>が負うのであって、他人のせいにも、天のせいにも出来ないのです。この天と人との関係の具合、人は身も心も天に由来して生まれるのだが、いったん生まれた以上は独自独立の主体者として天との直接のつながりは切断されている、その関係の具合を表すのが「得(える)」という言葉なのです。

この人間の社会を、人倫の社会として、「価値」を与えるのは、ほとんど、このことによると言っても過言でないでしょう。ある人が、ある諸関係の中にあるとき、たんに巻き込まれたのと、

  • 自分で選んだ

のとでは、雲泥の差があります。私たちは、「自分で選んで決めた」行動をしているから、生きることには「価値」があるわけです。もっと言えば、自分が選んでいないことなど、どうでもいいわけである。これが「自治」です。自治だから、私たちは生きることに、いろいろなことを考えるのであって、そうでないなら、そもそも、自分になんの関係もない、ということなのである。

すなわち「かの天地が物を生み出すその心」とは「化育する」心に他なりません。その心が本文に云う「人に忍びざるの心」に引き継がれていると朱熹は解釈しているわけです。そして本文はこの「人に忍びざるの心」を引き取って、なぜ人には誰にでもこの心があるとわたくしは謂うのか、と、問題提起し、人は誰でも、赤子が井戸に這い寄ってのぞき込もうとするのを見ると、ぎょっとし、全身に痛みが走る、という事実を挙げ、つまり人には生得的に他者のいのち危難にさらされているのを見ると、とっさに、自然に怵惕し惻隠する、そのような心理機構が与えられていると論証するわけです。他者のいのちが危難にさらされているのを見ると、後先もなく、怵惕し惻隠し、その心理が動機となってその他者を救い出す行動が為される、そのような自然な怵惕し惻隠する心の感応作用を現す心理機構が「仁」であり、「性」であると朱熹は注解しているのです。
他者のいのちを救うとは、まさに天地の、個々のいのちを生み出しはぐくむ「化育」の働きを現実世界に起こる個々の事件において補填し、守り立てることに他なりません。「化育」を行う天地のその心をまさに人は誰にもあれ<わが>「性」として引き継いでいる。これこそが「性は善である」という言辞の意味なのです。

朱子学はこのように、人々が「コミットメント」をすることによって成立する学問であることが特徴です。それは、人々が「社会のメンバーである」ということと区別ができません。もっと言えば、上記で言及したような、デカルトのように、自分と社会を「区別」することを許していない、と言うこともできるでしょう。
デカルトは「観察」によって、認識し、了解していきます。他方において、朱子学は、訓詁学、つまり、

  • 過去の人々が残した書籍

の中に、その主張の「根拠」を見出します。つまり、朱子学においては、

  • なぜ現代の私たちの社会には、このような秩序があるのか?

を、むしろ、私たちの社会に、過去から「引き継いでいる」なんらかの「慣習」が、そのようにさせていると考えることによって、先人の「言ったこと」を重要視するわけです。つまり、こういった認識は、観察や認識からは導き出されることは難しいような、ある意味、デカルトの「方法論」では、結局は辿り着くことの難しい性質のものかもしれないわけである。つまり、私たちの社会が、「このようにある」ことは、私たちが先人の教えに「従っている」から、と考える。こういった

  • 超越論的

な姿勢は非常にカント的であると言えるでしょう...。

朱子学 (講談社選書メチエ)

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