石油文明の終わり

今週の videonews.com は、現在のエジプトの軍事クーデターと民間人虐殺の原因として、「ピークオイル」問題を中心にとらえている。
私たちは、ピークオイルの問題を、最近のサンドオイルシェールガスなどの注目されてきた資源との関係から、それなりに、あと何年かは問題にならないのではないか、と考えがちだ。
ところが、その問題が、なぜ今ここで、エジプトにおいて、問題になっているのか? それは、世界中の資源の量を考える「以前」に、産油国

  • それぞれ

にとっての、関係がまずあるからである。

この関係は、たんに「非対称」であれば、消費国は、どんどん借金をするしかない、ということになるが、そうはなっていない。つまり、

(つまり、消費国は「努力」して、買った石油から「商品」を作って、世界中に売っているから、ペイしている、というわけである。)
ところが、エジプトにおいては、他の産油国に比べても、いち早く、石油の埋蔵量の枯渇が始まっている。
人々は、石油なんて、地下深く掘れば、いくらでもあるんじゃないか、と思うかもしれない。確かに、その言い方には一定の真理がある。しかし、問題は、そうではないのだ。

  • 採掘される石油 = (採掘することになる石油の量 - 採掘にかかる(機械を動かすのにかかるものなど全てを含めた)石油の量) > 0 の石油

つまり、採掘される石油とは、採掘にかかる費用を超えて採算に合う場合でしかない、ということである。どんなに地球の地下に大量にあっても、それが「割に合う」のでなければ、私たちの手元には届かない。
つまり、「ほとんど」の石油は、採掘されない、「かもしれない」ということである。
この問題がやっかいなのは、むしろ「産油国」にとっての「福祉」が、どういった構造の上に存在するのかを考えるときである。
産油国は、自国内で採掘される石油を海外に売ることによって、外需を獲得できる。つまり、自国に「産業」を必要としない。自国に産業がないのに、国民に高度の福祉を提供できる構造になっている。
ところが、ひとたび、ピークオイルに到達すると、それ以降、国民への福祉を提供する外需の獲得ができなくなる。
すると、何が起きるか。
国民は、「約束が違う」と怒り始める、ということである。国家が国民に約束した福祉が、ある日、突然受けられないとなったとき、じゃあ、それまで約束していたあれはなんだったのか、となるであろう。
彼ら、エジプトの市民が、文明人並みの裕福な生活ができたのは、産油国という自国内の資源によってであった。それが枯渇を始めたとき、彼らには、それに代わる資産を獲得する手段がなくなる。もともと、資源にとって与えられる福祉に依存して生きていただけに、彼らは、そもそも、他国からエネルギーを買って、他国に売ることで外需を獲得しなければならないという「動機」をもっていなかった。だから、急に、お金がなくなったから、福祉をやれないと言われても困るわけである。
ピークオイル問題は、最初に、より早く枯渇が始まる産油国から始まる。ところが、そういった国では、そもそも、情報統制が強く続いてきたわけで、今にも石油が枯渇しそうだったなどという情報も知らされていない。いきなり、明日から、無一文で生きろと、窓が放り投げられたように感じるのかもしれない。
(このように考えたとき、むしろ、世界中は「社会秩序の維持」を考えるなら、エジプトの庶民に「福祉」を提供した方がいい、ということになるであろう(少なくとも、突然、福祉が減らされショックを受けている人たちを段階的に「慣れさせていく」形での福祉は必須のように思われる)。そういった動機を国内から獲得できる国がどれくらいあるであろうか? ただでさえ、高額の福祉をもらって、いい生活をしていた人たちに、貧しい生活を我慢していた国の国民がお金を恵もうと思えるだろうか...。)
エジプトは、中東の中心である。ここで、国状の混乱が続くと、すぐに、イラクやシリアを内乱に導いている、アルカイダなどのさまざまな民族紛争の勢力が入ってきて、どんどん国内は混乱していく。すると、何が起きるか。すぐに、この状態は、周辺諸国に「伝播」するのだ。
中東の「内乱」であり、「内戦」は、長期的に収まらないかもしれない。目の前で、親友を殺された人、家族を殺された人、彼らは、その怨念をもち、それを動機とし、さらに、内戦は終わらない。すると、そもそも、中東が石油を売る場として、機能しなくなるかもしれない。これらの「怨嗟」が、次々に、石油採掘場の破壊を始める。中東から、石油の輸出のための港が、破壊される。
すると、何が起きるか。中東の石油に依存して今の生活を維持している、世界中の国々が、石油を輸入できなくなる。21世紀の石油ショックが起きる。
しかし、そのことは何を意味するか?
今の日本の「ほとんど」は、石油を原材料としている。つまり、何も「作れない」ということが起きる。本当の意味で、「江戸時代に戻る」ということを本気で考えなければならない、ということになるわけである(石油は、常温で液体であり、熱効率もいい、圧倒的に「使いやすい」資源だということであり、「ほとんど」の製品は石油を原材料に作られており、その、代替資源は考えられないくらいに「優秀」なわけである)。
しかし、である。
そもそも、ピークオイルは、最初から予想されていたことなのではないか。このピークオイル問題は、原子力が(なにかの間違いで)「安全」だったら、なんとかなっていた、という問題ではない。そのことに、なぜ、世界中の人々は「対策」を考えてこなかったのか。
なぜ、石油問題を、人々は真剣に考えないのか。
それは、一つには、産油国が、自国のピークオイル問題の情報を「隠蔽」しているからであろう。これは、一国の存続問題にかかわることだけに、簡単に情報公開できないのだ。日本の福島第一の安全対策がおろそかになっていたのも、「安全保障」の観点から、日本政府が情報を隠蔽していたからであろう。
だから、常に、石油価格は、「安値」で推移する。もちろん、安い方が、世界経済にとっては、「ありがたい」。しかし、そのおかげで、石油消費が増えれば増えるほど、ピークオイル問題の「崖」は、近く深刻な形になって襲ってくる。
(このことは、経済における「バブル」に似ていなくもない。人々の「石油をずっと安く使いたい」という希望が、実際の市場の石油価格を安値で維持する。そもそも、安くなければ、貧乏人が石油を安く買えないのだから、無理矢理でも安く維持する。そうすると、なんだ、石油安いじゃん、と石油製品が次々と商品化される。ここで矛盾が発生する。こんなに純度の高い、品質のいい、貴重な石油が、「あまりにもどうでもいい」ものを作るために大量に使われることになる。こういう意味で、「経済に必ずバブルがつきもの」であることと同時に、経済は「あらゆる情報を市場がなんのバイアスもなく織り込む」のであれば、合理的かもしれないが、一般に人々がそういった「選好」をしないのだから、なんらかの「いびつ」な結果を必ずもたらす、ということになるのであろう。)
だとするなら、私たちは、なんとかして、石油の大量消費する現代文明と、距離を置こうとする努力を始めなければならない、ということなのではないか。
どのようにすれば、石油を大量消費しないですむ、文明を「発見」できるのか。私には、このことに対して「とんちんかん」なことを言っている人たちしか思い浮ばないことが、なさけないと思わずにいられないわけです...。