ハンナ・アーレント『カント政治哲学講義録』

ハンナ・アーレントが『精神の生活』の第三巻「判断」を、生きている間に出版できなかったことは知られている。しかし、もしそれが書かれていた場合に、どういった内容になっていたのかを、彼女の講義録などから伺い見ようとする目的で編纂されたのが、この本である。
それは、いわば、アーレントが『人間の条件』において書かなかった、もう一つの人間の側面、観想的生活についてであった。
この考察は、カントから始まる。彼女の疑問はなぜカントが、体系的な政治哲学を書かなかったのか、から始まる。晩年の、「啓蒙とは何か」「永遠平和のために」「理論と実践」など、短いエッセイのようなものはあるが、体系的には示されなかった。
しかし、そう問うことは何を意味しているのか。つまり、このことを考えるとき、必然的に、カントの三批判書の最後になる『判断力批判』が、非常に重要であることが分かってくるわけである。

判断力批判』第一部は判断力の対象を扱っていますが、それは正確に言うと、美それ自体(the Beauty as such)という一般的カテゴリに包摂することができないけど、私たちが「美しい」と呼ぶような対象です。これに適用しうるいかなる規則もありません(みなさんが「なんと美しいバラだろう!」と言う場合、みなさんは最初に「すべてのバラは美しい、この花はバラである、それゆえにこのバラは美しい」というような形で、この判断に至るわけではありませんね。またその逆に、「美はバラである。この花はバラである、それゆえにこれは美しい」というような形で、この判断に至るわけではありませんね)。

理性とは「計算」のことである。つまり、論理的な推論を必ず伴う、と言うことができるであろう。ところが、「美しい」とか、快や不快の感情は、そういった推論規則を伴うことなく、

  • そのまま

私たちに現れる。つまり、「規則」がないのである。
カントが、それまでの哲学者と根底から違っている部分とは、なんであろうか? それは、それまでの哲学者が政治や哲学をどのような関係において考えていたのか、を考えたとき、見えてくる。

ただ、プラトンが『国家』を書いたのが、哲学者たちが王になるべきだ、という考えを正当化するためだったことは明らかです。この考えは、哲学者が政治を楽しむであろう、という理由から出たものではありません。考えられる第一の理由は、哲学者が、自分よりも劣った民衆によって支配されることは望まないであろうからです。第二に、そのことによって、確実に哲学者の生活の最良の条件である、あの完全な平穏と絶対平和国家の内にもたらされるはずだからです。アリストテレスプラトンに従いませんでしたが、そのアリストテレスでさせも、政治的生活(bios politikos)は最終的には、観想的生活(bios theoretikos)のためにあると考えていました。そして哲学者自身については、アリストテレスは『政治学』においてさえはっきりと、哲学のみが、人が他者の援助や現前(presense)なしに自分だけで独立に楽しむこと(di' hauton chairein)を可能にすると述べています。その文脈から、そうした独立あるいは自己充足が彼にとって、最大の善の一つであることが分かります(アリストテレスにとって、活動的生活のみが幸福を保証することができるというのは確かです。しかし「活動」が、自己完結的で自分のためになされる「思考と一連の反省」として営まれるのであれば、それが「他の人々への関係を含んだ生活である必然性はない」というのです)。スピノザは、ある政治論文のタイトルそれ自体において、自分の究極目的は政治的なものでなく、哲学する自由(libertas philosophandi)であると語っています。

上記の引用を見るに、スピノザにおいてさえ、哲学が「政治」とは独立に、「意味のあるもの」と受け取られていることが分かるであろう。つまり、アーレントの問いは、逆なのである。カントは政治が重要でないから、政治の体系化を目指さなかったのではない。むしろ、政治を哲学の

  • 一部

だと考えたカント以前の哲学者たちが、哲学の一分野として「政治」を体系化したにすぎない。つまり、(アーレントがそうであるように)むしろ、カントは政治を「生きた」からこそ、彼の哲学は政治そのものとなった、というわけである(これは、カントが自らの活動を「批判」と自称したこととも関係している。つまり、カントはカント以前の哲学を

と批判したわけである)。
それに対し、カントの以下の主張は、大変に興味深い。

ただし、カントの次のような結論は、アリストテレスの見解とは異なります(これは実に驚くべき結論であり、道徳性を善き市民性から区別している点でアリストテレスをはるかに超えているとさえ言えます)。

国家樹立の問題は、どんなにそれが困難に聞こえようとも、悪魔たちからなる民族=人民にとってすら(悪魔が悟性をもってさえいれば)、解決可能な問題であって、それは次のように言い表される。すなわち、「理性的な存在者の多くは、全体では自分たちを保持するために普遍的法則を要求するが、しかしそれぞれ個別にはひそかにその普遍的法則から逃れようとする傾向がある。そこで、そうした理性的な存在者の集まりに、たとえ彼らが個人的な心情においては互いに対抗し合っていても、私情を互いに抑制し、公の行動の場では、そうした悪い心情をもたなかったのと同じ結果をもたらす秩序を与え、体制=憲法を組織することが問題なのである」と。

この一節は決定的に重要です。カントが語っていることは、アリストテレスの定式を変形して言えば、悪い人間でも善い国家において善い市民でありうる、ということです。

この主張は、アリストテレスを超えている。アリストテレスの最高善を、ある意味、政治的に超えている。
つまり、こういった性質を、その「集団生活」がもっていないなら、そもそも、集団になる意味がない、とさえ言いたくなるわけである(凡庸な大衆批判を「超えている」であろう)。だが、しかし、そうだとするなら、一体、どのような「構想」において、このような見通しを、大衆社会に対して、私たちは持ちうるのであろうか?

この一般的なペシミズムが背景にありながら、哲学者たちが、生命が死へと定められていることや短いことについて不平を言わなかったことには一定の意味があります。カントでさえ、「人生がさらに長く続けば、ただひすら労苦と戦い続ける戯れが長引くだけのことだろう」とはっきり語っています。また、仮に「人間たちが八百歳あまりの寿命を見通すことができる」としても、それは人類にとっていかなる利益にもならないというのです。何故かというと、「かくも長く生きる人類によって悪徳が高く積み上げられることになり、こうして人間たちは、一面の大地をおおいつくす洪水のなかで根絶される運命にのみ値する、ということになるだろう」、と述べています。

カントが考える人間社会の「政治」の善性。つまり、どんな悪人も善国家の中の存在である限り、善性のみしか、

  • 表現しえない

そういった「社会の善性」の構想において、重要なポイントとして、人間が、寿命をもった存在であることがある。しかし、ここで大事なのは、たんに寿命があるというだけでなく、私たち一人一人が、その寿命に不満をもっていない、というところにある。
人間が寿命をもつ存在であることは、人間の悪に「限界」がある、ということを意味する。つまり、その「悪」の意味が、限定的なのである。
さて。もう一つの人間を限界づけているものが、快や不快の感情である。

しかしカントは、今世紀になってようやく公刊されるに至った数多くの「省察」の中で、快/不快(Lust und Unlust)のみが「絶対的なものを構成する。なぜならそれらは生活そのものであるから」と書き記しています。

カントは、上記の引用にあるように、実際のところ、快と不快が人間のほとんど、その存在を規定している、と考えている。というのは、これだけが「直接」私たちを規定しているからである。

それは、あらゆる快は一つの不快を排除するものであり、快しか含まない生は、実際には一切の快を欠いたものになってしまう------というのは快を感じることも楽しむこともできなくなるからです------という事実です。つまり、それに先立つ欠如の記憶に悩まれるこなく、また、その後に確実に生じる損失の恐れに悩まされることもない全く純粋な満足などありえない、ということです。

快や不快とは何か? それは、いわば、「理性でないもの」である。つまり、一切の計算、一切の推論規則を伴わないものである。これらは、

  • 直接

私たちに作用する。なぜ、こういった人間に対する作用が「重要」なのか。それは、こんなふうに考えてみたらどうであろうか。つまり、理性というものが、計算や推論規則に対応したものであるとするなら、これらは、必然的に

  • 可算無限

の範囲に、おさえられる、ということである。他方、快や不快は、そういったボーダーをもたない。いわば、

  • 完備性

をもつ。もっと言えば、快や不快は、人間の思考活動の中での、理性の、

  • 補集合(=その他全ての、非可算無限)

に対応している、と。

更に言えば、「私が快または不快を感じること」は、味覚及び嗅覚において、圧倒的な仕方で現前します。それは直接的(immediate)で、いかなる思考や反省にも媒介されない(unmediated)のです。これらの感覚は、見たり聴いたり触れたりした物のように客観性が無であり、あるいは少なくとも不在でありうる、という意味で主観的です。私たちが味わう食べ物は私たち自身の内部にあり、またバラの香りもある意味でそうであるがゆえに、これらは内部感覚です。「私が快または不快を感じることは、「私の同意することまたは同意しないこと」とほぼ同じです。この問題のポイントは、私が直接的に触発される、ということです。まさにこの理由から、ここでは正/不正についての議論は起こりえないのです。「趣味については議論しえず De gustibus non disputandum est」。私が牡蠣を好まないとすれば、いかなる議論をもってしても、牡蠣を好むように私を説得することはできません。別の言い方をすれば、趣味に関する事柄で私たちが困惑させられるの、それらが伝達不可能であるからです。
これの謎に対する解決は、構想力及び共通感覚という他の二つの能力を名指すことによって示すことができます。
構想力は不在のものを現前させる能力ですが、この構想力は対象を、私が直接対面する必要がないけれど、ある意味内面化しているものへと変容させます。そのため、私はその対象によって、まるでそれが非客観的な感覚によって私に与えられたかのように、触発されうる状態に置かれます。カントは、「美しいのは、たんなる判定のうちで快を与えるものである」と言っています。つまり、それが知覚において快を与えるかどうかは重要ではないのです。単に知覚において快を与えるだけのものは、楽しみを与えるかもしれませんが、美しくはないのです。美しいものは、表象=再現前化において快を与えます。構想力が美しいものを用意すると、私がそれについて反省できるようになるからです。それが「反省の作用」です。人がもはや直接的な現前によって触発しえない時------つまりフランス革命の実際の行為に関与しなかった注視者=観客たちのように、人が関与していない時------には、表象の中でその人の(心に)触れ、触発するものだが、是(正)か非(不正)か、重要か無関係か、美か醜か、あるいは、それらの中間であるのか、といった判断の対象になりうるのです。そうなると、問題になるのはもはや趣味ではなく、判断です。何故なら、それがなお趣味の場合のように人を触発することがあったとしても、その人は今や、表象を介することで、それとの間に適当な距離を確立しているからです。その場合の距離とは、是認や否認のための、つまり、あるものをその固有の価値において評価するための必要条件である、隔たり、非関与性、没利害性(uninterestedness)です。対象を除去することによって、公平=非党派性のための諸条件が確立されるのです。

フランス革命において、実際に、その政治的活動を行った政治家や、有名な戦士は、数えるほどしかいない。つまり、ほとんどの存在(その補集合)は、

  • 物言わぬ傍観者=観客

だった、ということである。しかし、なぜフランス革命が成功したのか、を考えるなら、つまりは、こういった「観客」が、

  • 支持した

からなのである。
こういった観客の特徴は、彼らは、たしかに、ただ見ているだけであるが、こういった観客同士は、さまざまに意見を言い合って

  • 繋がっている

ということである。そして、彼らは、「判断」する、ということである。
今、目の前で、繰り広げられている、「演劇」である、フランス革命を、快や不快で判断する。
つまり、カントは、こういった大衆の、参加してこない、傍観者たちの快や不快の判断であり、そのお互いの「繋がり」が、現代の大衆社会の「善」性において、非常に重要だと考えていた、ということが分かるであろう。

また彼自身気に入っていた、最も説得力のある洞察に、美しいもの(the Beautiful)の真の対立項は醜いもの(the Ugly)ではなく、「嫌悪感=吐き気(disgust)をもよおさせるもの」であるというものがありますが、これは全くもって的確です。

カントの言う、快や不快。観客としての、判断としての「快」感情の大事なポイントは、そういった観客が、それぞれで、社交性をもち、繋がっていることで、その観劇を社交的に評価するところにあるわけである。
アーレントが「人間の条件」で論じた「多様性」は、こういった、もの言わぬ「観客」、観客たちの快不快が「担保」しているし、こういった観客たちの「観想的生活」は、確かに、アーレントの定義における、プライベートの範疇のことに思われるが、しかし、それらは、

  • 観客同士の繋がり

を否定しない。つまり、カントの言う「社交性」と関係している。いずれにしろ、おもしろいのは、カント=アーレントの言う「政治」が、まったく、政治家とか、そういった数人の「演技者」で

  • 閉じていない

ということである。被演技者、つまり、

  • 観客

という、ほとんど全ての国民を、その「政治」の重要な役割としてビルトインしたために、まったく、それ以前の哲学者たちが

  • 哲学の一分野

として構想した「政治」とは、違うものになっていたということである...。

完訳 カント政治哲学講義録

完訳 カント政治哲学講義録