リチャード・ウォーリン『ハイデガーの子どもたち』

岩波ホールでやっていた映画「ハンナ・アーレント」を見た印象は、この映画の監督が、結局のところ、何を描きたかったのか、という疑問であった。
映画の全体のストーリーの主題として描かれているのは、彼女の「エルサレルのアイヒマン」という著作が書かれた、その反響だと言えるであろう。
しかし、この映画を見た人たちが、どう考えても、印象に残ったのは、彼女とハイデガーとの不倫を、回想として、その合間、合間に挿入されたエピソードではないのだろうか。
しかし、だとするなら、この映画は、ハイデガー問題に、もう少し真剣に向き合うべきだったのではないか。
つまり、ハイデガー問題というのは、それくらいに、本気で考えなければならない深刻さがあったわけであろう。

かつて学生であった哲学者のマックス・ミュラーによれば、「ハイデガーは総長になったとたんに、彼のもとで博士論文の準備をはじめていたユダヤ人学生たちが学位を受けとることを許さなかった」。彼はある博士号候補者の希望をつぎのような無神経なことばで一蹴した。「ミンツさん、あなたギュダヤ人であるという理由で進級ができないことはおわかりですね」。ハイデガーエドゥアルト・バウムガルテン社会学マックス・ウェーバーの甥)の大学招聘を拒もうとして、頼まれもしない手紙を書き、そのなかで、バウムガルテンが「リベラルな民主主義的」環境の出身であり、合衆国大罪中に「アメリカナイズ」され、「ユダヤ人の[エドゥアルト・]フレンケル」とつき合っているとクレームをつけた。
ナチ政権の崩壊後、ハイデガーはみずからの越権行為に高い代償を支払うことになった。大学の非ナチ化委員会は、ハイデガーがその最初の数ヶ月にみずかの名前と名声がもつ威光をナチ政権に貸し与えることによって、ほかのドイツの学者たちの眼に、この政権を合法的なものに見せる手助けをしたことを知った。

ハイデガーが実際にどういう人であったのかの前に、実際に、彼がどういった「行為」をしていたのか、という面において、そもそも、相当に大量の

  • 前科

があるわけでしょう。そういったことと向き合うことなしに、ハイデガーの「罪」の免罪も、なかったのではないのか。
しかし、そのことは、そもそも、アーレントがどういったメンタリティをもった人だったのか、と離して考えることはできない。

一九六四年にはあるインタヴュアーにこうも語っている。「子どものこと、私は自分がユダヤ人だることを知りませんでした。......子どものころ、<ユダヤ人>ということばは家ではけっして口にされなかったのです。私がこのことばに出会ったのは、路上で子どもたちが口にする......反ユダヤ主義的な言動をとおしてでした。そうしたことがあったのちに、私はいわば<啓蒙された>のです」。

そもそも、ドイツ系ユダヤ人が、自らを、どのように、アイデンティファイして生きていたのか。
それは、おそらく、日本における、在日朝鮮人の方々が、どのようにアイデンティファイしているのか、と似ている状況を与えている部分もあるであろう。

ハンナは、裕福な同化ユダヤ人家庭の生まれだったが、まだ幼いころに深刻な経済的打撃を経験した。彼の父親は梅毒を長く患ったすえに一九一三年に悲惨な最期を遂げた。彼の病苦はアーレントが二歳から七歳になるまでつづいた。父親の死の数ヶ月後には、母方の最愛の祖父も亡くなった。その二年後、母親が再婚した。早熟の若いハンアには一夜にしてふたりの異父姉妹ができたが、彼女はこの姉妹とはほとんどあい通じるものをもたなかった。自分がのけ者という彼女の思いはあきらかに強かった。

彼女のこういった生い立ちを見るにも、年の離れた、ハイデガーとの不倫は、彼女にしてみれば、どこか、理想の父親を彼に見ていたのではないか、という印象をもつのではないか。

ハイデガーアーレントはうまくいきそうにないカップルだった。アーレントバルト海沿岸のコスモポリタン的環境にはぐくまれた魅力的な若いユダヤ人だったのにたいして、ハイデガーシュヴァルツヴァルトのひと[Schwarzwalder]でり、背教のカトリックであり、確信的な田舎者であった。エルジビェータ・エティンガーによれ、アーントのエキゾティックな東洋風の顔立ちは、「ハイデガーの身近にいたゲルマン的なブリュンヒルト(『ニーベルンゲンの歌』に登場する女傑)、つまり彼の母や妻とは好対照をなしていた」。

ハイデガーとは、何者か。この引用が、よく表している。つまり、典型的な田舎者でしょう。日本の田舎にも、よくいる、ウルトラなナショナリストでしょう。彼の田舎の友達は、みんな、こういった、反ユダヤ主義者なのでしょう。
しかし、そういった田舎者的な「ナショナリスト」が、哲学的な成果をあげないか、といえば、そういうわけじゃあない。というか、ドイツの思想史を見てみれば、一方にカントのような、コスモポリタンの系列があると思えば、他方に、こういったドイツの土着のナショナリズム的な感性を極端に肥大化させた思想の系譜がある。この状況は、日本だって変わらない。
つまり、アーレントのような、ハイデガーの周辺に集まってきたドイツ系ユダヤ人たちは、ハイデガーの哲学の前者のカントのような、コスモポリタンの側面のところばかり見て、他の側面を見ようとしないで(見ることを心の底で拒否して)、感情移入をする。しかし、どう考えても、ハイデガーの後者の側面が、そんな見て見ぬふりをできるようなレベルじゃないはずなのに、ということになるのであろう。

アーレントハイデガーは、彼女が一九五〇年にドイツに帰国したさいに和解した。この再会はアーレントを、ハイデガーのもっとも辛辣な批判者からもっとも忠実な擁護者に変えた。当時ハイデガーはドイツの大学生活から追放されたままであった。ナチ協力者としてのその地位の結果として、彼の評価は取りかえしのつかないほど傷ついており、彼には頼りになる宣伝係と親善大使がぜひとも必要であった。アーレントはこの条件にぴったりであった。国際的な名声をもつユダヤ知識人であり、全体主義の指導的な批判者である彼女の支持は、ハイデガーのナチズムをめぐる執拗な告発の矛先をかわすのに役だちえたのである。アーレントは自分たちの再会に有頂天になっていた。彼女は青春時代の夢を取りもどしたのだ。たぶん擦り切れてはいるが、それでも取りもどしたのだと信じだ。「あの夕べとあの翌朝は、無傷な生活の確認でした。じっさいそれは、けっして予期せぬ確認でした」と彼女は書いている。
アーレントは事実上ハイデガーアメリカにおける著作権代理人となり、彼の著作の出版契約と翻訳を入念に監視した。

はっきり言って、「エルサレルのアイヒマン」に対する、この本の批判は、いちいち、まっとうであろう。最初は、アーレントは、ハイデガーの最も激烈な批判者だったのに、人目会ったら、ころっといっちゃって、昔のファザコン体質に目覚めたのであろう。なんとしても、彼を擁護し、彼の不名誉をかばおうとする、切り込み隊長になってしまった。
それ以降のアーレントの主張は、そういった「バイアス」で読まなければならない。もう、この問題において、彼女の主張で、まともに相手にする価値はないんじゃないだろうか。
(人文科学は、どうしても、こういった側面があるように思われる。数学のような学問では、証明された定理に、こういったバイアスを考える必要は、まず、ないように思われるが、哲学なんかになると、まず、半分は、こういった「バイアス」を通して見ないと、まともに読めない。どんな立派な哲学者も、まず、半分はこういった意味で、利益相反を生きている、ステークホルダーとしてのバイアス的主張であると考えないわけにはいかない。むしろ、そういった違いを、あまり一般の人が認識していない、ということの方が、どこか恐い印象を受けなくもないが。)

したがって、アーレントにとってアウシュヴィッツは、ドイツ史やドイツ人の民族的性格にはほとんどかかわりをもたなかった。「人びとを大量殺戮機構の歯車として行為させた現実的な動機を理解しようとするさいには、われわれはドイツ史やいわゆるドイツ人の民族的性格についての思弁の手を借りるべきではない」と、彼女は自信をもって語っている。「<ブルジョア>の最終成果である群集は国際的な現象であり、そこでわれわれはブルジョアにたいして、ドイツの群集だけがそのような恐しい行動ができたのだという盲目的な信仰にあまり誘惑を感じないようにするのがよいだろう」。

しかし、こういった主張の「萌芽」が、「全体主義の起源」の頃から、少なからず見うけられた、というのが、この本の著者の主張である。つまり、問題は、上記でも指摘したように、ドイツ系ユダヤ人の「アイデンティティ」問題にあるわけである。
そもそも、こういったドイツ系ユダヤ人が、どこまで、エルサレムユダヤ人たちに「アイデンティティ」を感じていたのか、なのである。アーレントの半生は、そもそも、「不遇」の時代であった。そこで、ユダヤ人コミュニティが彼女の不遇に、なにか手をさしのべていたのであろうか。むしろ、彼女がさまざまにコミットしていたのは、ドイツ社会なわけであろう。
つまり、彼女は、どこまでのドイツの「中」に、自分の居場所を探し、その中のどこかに寄生して、生きている、そういった生き方を模索した、半生だったわけであろう。
そういう意味で、彼女は、なにか、どこまでも、アメリカに移住した後の、ユダヤ人コミュニティ内の、非ドイツ系ユダヤ人たちに、なじめなかったのではないだろうか(少なくとも、なんらかの違和感をもっていたのではないか)。実際、彼女の政治哲学は、どこか「貴族」的だ。つまり、エリート主義なのであって、そういう意味では、あまり、大衆思想とは、相性がよくないのかもしれない...。

ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ

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