福島と長渕剛

私は、すが秀実さんが使った「ジャンク」という言葉は、非常に有効というか、自分の考えるスタイルに合っていると思っている。
彼は、ジャパン(J文学など)の先頭の文字の「J」を、ジャンクのJで「も」あるのだと考えて、そういった用語を使ったわけであるが、私はその感性は非常に重要だと思ったわけである。
なんらかの、ハイアラーキーな価値秩序に対して、徹底して、抗する。絶対に、その「周縁」においてのみ、自らを定位し、そういった権威から距離を置く。
なにか高尚な規範があるという考えを徹底して、忌避する。つまり、徹底した素人(しろうと)主義である。
彼は、その延長で、2ちゃんねるについて言及していた。2ちゃんねるは、一種の便所の落書きである。まったくの、ゴミである。しかし、一つだけはっきりしていることは、それを書き込んだ人がいる、ということである。
書き込んだ人がいるということは、どういうことか? その書き込んだ人の、なんの得にもならない、なんの価値も生み出さない、なんと意味もない、その行為に、その人は、わざわざ書き込むという

  • エネルギーを注いだ(=情熱を注いだ)

ということである。つまり、その人にとっては、書かなくてはならない<極私的な事情>があったのである!
2ちゃんねるは、ゴミであるからこそ、「ジャンク」であるからこそ、正しいわけである。つまり、2ちゃんねるは、一種の「ユートピア」なのだ。

2011年3月11日に生じた東日本大震災に伴う福島第一原発事故。その発生からすでに2年半が経過した。
この事故は終わっていない。このことはほとんどの国民が承知しているだろう。にもかかわらず、実際には何かが終わったかのように処理され、東北の地や、高線量で汚染されてしまった一部の地域を除けば、あのとき、避難指示の対象になり得た首都圏でさえ、もはや震災前の状態に戻ってしまったかのようだ。
しかしながら、福島第一原発から20キロ圏内を中心に、10万人を超える人々が今も元の地に帰れず避難生活を続けており、しかもその多くが被曝をしながらも、この程度なら安全であるという一方的な決定のもとに、現地に帰ることを要請されつつある。いや正確には、帰れと言われても帰ることができない人が大半だから、帰還できることを前提にして、賠償・補償の打ち切りがもくろまれているということのようだ。だがそこに潜む真の問題、真のリスクを、どれほどの人が理解できているのだろうか。

人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

だが、賠償はあくまで賠償である。本来あるべき償いは、金銭による賠償ではなく、元通りに戻すこと、現状回復であるはずだ。だが現状回復の話がなぜか除染とイコールにされてしまい、あとは一方的な被害基準をもとに、賠償すれば(金銭を払えば)それでよいだろうという、きわめて乱暴な損害補償論がおおっぴらに展開されてしまっている。しかもその賠償も今のところ、東京電力(以下、「東電」)では政府の示す最低限の基準を最高額と見なして進めており、それどころか加害者であるはずの経済産業省と東電が賠償基準を決めていた実態さえあって、このままでは多くの人が泣き寝入りするしかない事態になりつつあるが、それでも国民は「被害者は賠償があるからよいではないか」というかたちで理解してしまっているようだ。
人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

この「10万人を超える人々」という数は、途方もない数である。それほどの人たちが、

  • 「元の地に帰れ」ない

生き方を今もしている。そして、上記の引用にもあるように、本来それは、

  • 元通りに戻すこと、現状回復

をされなければならないことなのだ。そのことの事実の重みに、どれだけの人たちが深く考えているのか。

もちろん被災者の方も「帰れない」とは思っている。だが、それを口に出すのには相当の覚悟必要なのだ。様々な葛藤が「戻れない」「戻らない」とはっきり決断することをためらわせる。にもかかわらずそれを、専門家と呼ばれる人間にあっさり言われてしまうことに、戸惑いを感じる。被災者の立場からいえば、この人には、自分たちの暮らしや当たり前だったものを失った苦しみを、本当の意味で理解してもらえていない、という感触をもつのである。
警戒区域が解除されるまで、避難者たちは「一時帰宅」というかたちで帰っていた。その何度目かにも、専門家の方からこんなふうに言われた。「帰って何かあるの?」とか、「行って何をやってるの?」とか。「3回も4回も帰って、何持ってくるの?」と言う人もいる。そういうことのなかに、専門家自身がこの事態を本当は理解してないんじゃないかとすごく感じる」。
人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

今は警戒区域が解除され、一部区域を除いて、昼間であればとくに許可などなくとも町内に自由に入れるようになった。とはいえ、そこでもやはり帰る人みなが必ずしも何かをしに行くわけではない。では何のために帰るのか。基本的には「見に行っている」のである。いや確かめに行っているといったほうがよいかもしれない。何を。自分たちが生きていた暮らしの証しを、である。
突然、避難するよう指示があり、訳も分からず着の身着のまま逃げたところ、振り返ればもはや戻れない状況が生まれていた。「私たちは、追い出されたと思っている」のであり、覚悟もなく出てきているら、実は2年半以上経った今でさえ、「なぜここにいるのか分からない」でいるのだ。何が起きたのか、それを確かめ、自分たちの暮らした事実は決して夢ではなく、たしかにあったことなのだと、そうしたことを見届けに人々は帰るのである。
人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

ここで大事なことは、彼らは、「どうせすぐに帰れる」と思って、そこを飛び出した、ということである。だから、何も持たずに、そもまま、ふらっと、普段着のまま、飛び出たのである。
彼らは、一度も、なにかを「選んで」いない。だからこそ、彼等は何度も何度も警戒区域の中の自分の家に帰る。そして、今起きていることが、何を意味しているのかを確かるわけである...。

この「戻る/戻れない」だけでなく、その他にも見られる複層的なダブルバインドが、この事態を非常に難しくしている。理解する努力が足りないからこうなっているのではなく、あまりに理解が難しい問題なので、多くの人が理解を途中でやめて、あるところで分かったことにしているということだろうか。ここでいう複層的なダブルバインドとはこういうことである。
ダブルバインドは精神医学の専門用語であり、どちらにも行動できないような矛盾した命令によって、二重拘束のような状態が引き起こされることを指す。「主体的に決断しなさい」というのがその典型である。この命令は、命令に従ったら主体的とはいえず、命令に従うことも逆らうこともできない内容を含んでいる。論理や言葉には、こうした矛盾が付いてしまうことがあるが、その矛盾に気づかずに言葉通りに現実に対応しようとすると、対応する側に無理が生じて様々な精神生涯につながることがある。今回はそれが多種庁に生じているようだ。
人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって

私は、いわゆる、アカデミックなインテリたちの話していることを聞いていると、時々、強烈な嫌悪感が自分の内部から湧いてくる感覚に襲われることがある。それは、どちらかというと、

  • 一体、この人は「誰」に向けて話しかけているのか?

がさっぱり分からなくなるわけである。目の前に、大勢の人がいるのに、まったく、その人に向けて話していない。その人たちが、何を言っているのか、さっぱり分からないといった表情をしているのに、まるで、悦に入ったかのように、ナルシスティックに話し続けている。そうして、しばらくすると、だんだん、この事態が気持ち悪くなるわけである。
私は別に、長渕剛という一世代上の歌手について、くわしいわけではない。若い頃、ちょっと聞いたくらいであるが、彼について、このブログで一回だけ、言及したことがある。

『日本の大転換』にも書きましたが、「無意識のイノヴェーションを引き起こすには、適度な休暇が必要だ」というのはグーグルの社是みたいなもので、このことは、現代資本主義こそが、「贈与」の原理よりも誰よりも必要としているということを示していると思います。ハイデッガーは「贈与」というものは待ち受けるものであると言っています。この「待ち受け」というのは適度な休暇と自由な環境がなければできません。しかし、いまは待ち受けている間に「他のもうかる仕事をしろ」と言われてしまいますからね。
最近僕はこういう普通のことを言わなくてはいけないんだと感じています。大震災の後に芸能人やミュージシャンがチャリティ・コンサートをよく開いていますが、被災地で一番の熱狂を得たのは実は長渕剛でした。大人も子供も、みんな泣きながら彼の歌を聴いているんだけど、彼はものすごく単純なことしか言っていない(笑)。僕もこういうものから学ばないといけないなと思っています(笑)。僕はある部分では、これからものすごく平易になるのかもしれません。
中沢新一「グリーンアクティブと新たなエコロジー運動」)
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これは、中沢新一というニューアカブームの中心人物である哲学者が、自分たちが、グリーンアクティブという政治運動を行っていく上で、長渕剛の被災地でのコンサートに感心したことを、(どこまで本気なのかは分からないが、まあ、)正直に書いているところであるが、つまり、彼の「政治的」姿勢には、学ぶべきところがある、と言っているわけである(つまり、「政治」とは、こういうもののことを言うのだ、と)。

長渕:頬を突き刺す怖さがあっても(歌詞を歌って)。どうだ。頬を突き刺す怖さがあったら、どうする? 逃げるか? 行くか? 逃げるか? 行くか?
子供たち:行く!(全員で)
長渕:そう。立ち向かう勇気が欲しい(そのまま、その後を歌い続ける)
ナレーター:突然、一人が涙。すると、関を切ったように、周囲に嗚咽が。

これは、長渕が福島の子供たちを沖縄に連れて行ったとき、子供たちの前で歌を歌う場面であるが、長渕は、ある意味で、子供たちにとって、非常に「つらい」言葉を言わせているわけですね。「行く」という言葉を。そう選ぶこと、そう生きること。それを「言葉」にすることは、やっぱり、「つらい」わけです。だから、どうしても子供たちの目から、涙が流れてしまう。

嫌になっちまった
腹が立っちまった
理由もなく家を出たんだ
公衆電話から "勇次"に声をかけ
待ち合わせた 16の夜
ガソリンスタンドの自動販売機で
缶ビールを開け二人空をながめた
工場あとの空き地へ続く道で
タバコもみ消し全てにつばを吐いた
"勇次" あの時の
空を忘れちゃいないかい
"勇次" あの時の
エネルギッシュなお前が欲しい
帰りたい帰れない
青春と呼ばれた日々に
戻りたい戻れない
狭間で叫ぶ俺がここに居る
Na Na Na.........
長渕剛「勇次」)

これは、長渕の代表作であるが、例えば、自分が生まれ育った家というのは、「青春」そのものなんですね。そこで、

  • 将来の夢

を考えたのですから。つまり、その家があることが「ベース」となって、夢を見たのですから。だから、常に、「そこ」から始まる。何度でも何度でも、そこに帰って、そこに見えるものを通して、自分が子供の頃、夢見た自分の「理想」を振り返るわけでしょう。
長渕は、16歳の頃の、まだ、自我も、はっきり芽生えていない、曖昧な、その「青春」の頃。なにもかも嫌になっていた、あの頃。
"勇次" と馬鹿なことをやって、じゃれあった、その、なんの意味もない、なんの価値もない、その時間を、「帰りたい」と言う。

  • あの時のエネルギッシュなお前が欲しい

と言う。彼は、ただただ、過去を思い出す。つまり、そういった、大衆の日常の目線で、彼らと「同じ」ように、語りかけるわけです...。