テロの定義?

そもそも、テロリズムという言葉は、何が言いたいのだろうか? ウィキペディアを見ると、あまり、ちゃんとした定義がない。フランス革命の頃、政権側の行動を非難するのに使われたのが最初で、本来の意味は、「恐怖」とか「脅し」という感じのことらしい。時代が進むにつれて、なぜか、体制を批判する市民の側が、このように呼ばれるようになった、ということらしい。
例えば、9・11のとき、アメリカ政府は、ワールド・トレード・センターに飛行機をハイジャックして、突撃した人たちを、「テロリスト」と呼んだ。しかし、そう呼ぶ限りは、「テロリスト」とは、どういう定義なのかが決まっていなければならない。
石破幹事長は、国会周辺で、デモを行っている人たちの、拡声器を使った「声」が大きく、

  • 威圧的

に聞こえたので、彼らは「テロリスト」と「同等」だと言った。彼は、この「テロリスト」という表現は、後で修正したが、デモの「声」が大きいことは、問題だと、その主張を取り下げていない。
しかし、それを彼が「威圧的」と受け取ったのは、自分が非難される側だから、であろう。言うまでもなく、日本の多くの国民は、右翼の街宣活動の拡声器での発言を、非常に「うるさい」と思っているわけで、しかし、石破幹事長は、そちらについては何も言わず、こちらだけを「うるさい」と非難しているわけだから、静かにしろと言うなら、右翼の街宣も静かにしかできないようにしなければならなくなる(つまり、今のデモの音の大きさは、右翼の街宣車の「上限」の範囲で行われている、ということである)。
特定秘密保護法の中に、テロの定義があることは、少し前に書いたが、

テロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)
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よく言われているように、この文言は、自衛隊法第81条の2第1項に、ほとんど同じ形で使われている。

内閣総理大臣は、本邦内にある次に掲げる施設又は施設及び区域において、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で多数の人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合には、当該施設又は施設及び区域の警護のため部隊等の出動を命ずることができる。

違いとしては、

  • 後者は「多数の人」となっているが、前者は「人」とだけなっている。
  • 前者は「ための活動」となっているが、後者は「行為」となっている。

ところが、後者は実際は「テロ」の定義ではない。これは、上記にあるように、「自衛隊」の出動の「条件」を書いてあるにすぎない。だから、これが「テロ」である必要もない。こういったことが予想されれば、出動は問題ない、と言っているにすぎない。
ちなみに、警察庁組織令第39条には、以下のように、明確に、定義されている。

テロリズム(広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。)

つまり、「破壊活動」のことを、テロと言っている。
さて。「多数」がなくなったのは、一人の政府の要人が殺された場合でも、その「意図」によって、テロと判断しよう、というわけで、より「意図」を重要視していることが分かる。
では、「破壊するための活動」についてですが、これは、破壊が,結果として結実することが想定される必要がなくなっていることではないだろうか。つまり、破壊しなくていいわけである。破壊する「ため」に行われる活動でありさえすればいい。
つまり、どういうことか? 破壊という現象と、「活動」そのものに、ほとんど「関係」が必要なくなっている、ということである。
つまり、特定秘密保護法のテロの定義は、テロリストの「意図」を問題にしている、ということである。そのテロリストの「行動」の意図が、「テロ的」であれば、それはもう、

  • 破壊行為として結実することが、「想定できる」合理的な説明が可能でなくても

「ため」であればいい、というわけである。具体的な行動が、破壊行為と対応していなくても、テロリストとしての「性根」を、そいつの言動から、推測できるならば、もう「テロ」と同定する。この状況を、ウィキペディアでは以下のように書いてある。

テロリズムとは、何らかの政治的目的を実現するために、暴力によって脅威(恐怖心)を相手に与えることを手段として用いる傾向・主義、およびそれによって行われた行為のことである。
そもそも、暴力的手段に訴えることで政治的敵対者を威嚇することをドイツ語で「テロル(独: Terror)」と呼ぶ。もっぱらそうした「テロル」を用いることによって政治的な目的を果たそうとする傾向・姿勢・主義などが「terrorism(テロリズム)」と呼ばれているのである。
欧米の言葉では、「テロル」という用語・概念と「テロリズム」という用語・概念はそれなりに区別されているのだが、日本では一般に、実際の行為であるテロルと、傾向・主義のテロリズムのどちらも「テロ」と略し、曖昧なままに使用することがある。
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日本語では、「テロル」も「テロリズム」も、両方、「テロ」と略してしまうので、あまり、この二つを区別する慣習がない。しかし、そうすると、何を言っているのか分からなくところがある。
テロは、結果としての暴力がふるわれた「から」テロなのではなく、暴力をふるおうとした「から」テロなのでもなく、そういった結果さえも厭わずの姿勢で、さまざまな行動をしている「から」ということになるが、これは、もっと言えば、

  • なんかこいつら、暴力的な雰囲気をかもしているし、なんかおっかないし、そんな感じで主義・主張しているから、これはもう、テロと認定して間違いないだろう

ということになる。つまり、こうなってくると、実際に暴力をふるおうとしているのかとか、そういったことさえ関係なくなってくる。受けとる側が、

  • おっかない

と思ったら、もう「テロ」なわけである。そういう意味では、石破幹事長が、国会周辺のデモを、「テロ」と呼んだのは、彼にとって、

  • 上記の定義

から必然的に導かれる、当然の主張だったのであろう。そうなってくると、最初に考察した、

  • 政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要する

という目的の行動は、限りなく非暴力的であろうと、受けとる側が「こわい」と思ったら、もう、そいつは「テロ」だと言っていることと、ほとんど、変わらない、ということなんじゃないか、と考えるわけだが、どうだろうか...。