レオ・シュトラウス問題

レオ・シュトラウスというと、ブッシュ大統領の頃の、アメリカにおける「ネオコン」問題の頃、一時期、注目されていた記憶がある。
しかし、実際のところはどうだったのだろうか? フランシス・フクヤマが、ネオコン人脈とシュトラウス学派との関係を否定していたというのを、どこかで読んだ気がするが、今となっては、そもそも、ネオコンは、なにをやっているんでしょうかね(共和党政権復活を満を持して待ってるんですかね)。
私にとって、シュトラウスは、アラン・ブルームという弟子の『アメリカン・マインドの終焉』を通して見る、秘教的エリート主義の御本尊くらいの位置付けしかなかったし、『ヘーゲル読解入門』のアレクサンドル・コジェーブとも親交の深い、そういう意味では、ポストモダンとも関係した人物といった感じであったわけである。

この米国でシュトラウスは何を考えたか、これが「レオ・シュトラウス問題」で、この主題をめぐっては、シュトラウス信者の間でも非信者の間でも対立がある。何しろ青年時代の彼は、ドイツ思想界における近代啓蒙主義を侮蔑の言葉で語る潮流の一員であり、やがてナチの旗を振ったハイデガーやシュミットと深い精神的結びつきをもっていたのであるから。
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しかしシュトラウスの「本心」はアメリカ民主主義に敵対的ではないかという疑惑は、批判者たちから繰り返し提起されている。それにはドイツにおける彼の思想的前歴や、あくまで啓示信仰を擁護する宗教的立場、寛容に対する否定的姿勢、そして彼の弟子たちのリベラル派に対する闘争的敵対性などが関わっているが、特にカナダの政治思想家シャディア・ドゥルーリーは、彼の思想的真摯さそのものに疑惑を提出している。

  1. 彼女はまず、シュトラウスの「顕教密教使い分け」論を問題とする。シュトラウスは、一〇世紀のイスラム思想家アル・ファラビについて論じた論説の中で、哲学と社会の間には相剋があり、社会は哲学する権利を承認しないから、哲学者は真理探究を内輪の議論に留め、社会に受け容れられる「顕教」という鎧で自らを保護しなければならない、と言っている(『迫害と著作術』(一九五二年))。これが彼のアメリカにおける身の振り方そのものだというのである。
  2. シュトラウス政治哲学の「密教」は、プラトンの「理想国」に描かれたようなエリート支配で、そこでは統治に当って「崇高な嘘」が容認され、その体制は、国民に「黄金族」「銀族」「鉄族」があるという階級神話で維持される。ドゥルーリーによると、「正義とは強者の利益に他ならない」という『ポリテイア』冒頭のトラシュマコスの言葉はプラトン自身の思想であり、彼の発言が生き生きとして説得的なのに、ソクラテスの反論がくどくどとして説得的でないのは、「顕教」の中で「密教」を主張する典型的手法であるが、それはマキャヴェリやシュミットに共鳴するシュトラウス自身の思想でもある。
  3. 宗教は最も有力な統治の手段で、実はシュトラウス自身もマキャヴェリと同様宗教を民衆操作のための「崇高な嘘」と看做しており、宗教など全然信じていないのだ、という(『レオ・シュトラウスの政治思想』(一九八七年)、『レオ・シュトラウスアメリカ右派』(一九九七年)、『テロルと文明』(二〇〇四年))。

雑誌 - 岩波書店

しかし、言うまでもないことだが、彼もいわゆる、「ドイツ系亡命ユダヤ人」なわけでして、アメリカに亡命した後の半生を、ナチスとの「対決」に生きた人なわけで、そういう意味では(ドイツ時代はシュミットに認められたということもあり、ずっとハイデガーを意識していたわけで)、ハンナ・アーレントにも似ている。しかし、そうだとするなら、彼はナチスとどういうふうに「対決」したのだろうか? 私は少なくとも、その点において、とても興味をもったのだが、いずれにしろ、彼はその辺りは、あまり、徹底して、公に文章にはしていない、ということなのかもしれない(そういった態度が「秘教」的エリート主義という意味なのかもしれない)。
上記の引用した部分において、確かに、シュトラウスが、どういった考えをもった人だったのか、というのは、大事なのかもしれないが、前回紹介した、『自然権と歴史』を読んで、私は、いずれにしろ、多くの人は、彼のこの本を読んだ方がいいんじゃないのか、とは思ったわけである。というのは、ようするに、秘教的エリート主義がどうとかこうとか、なんていう小さい話を超えて、非常に興味深い分析を、上記の本はやっていて、私にはおもしろかったからである。

すなわち、西ヨーロッパが今なお自然権に決定的な重要性を置いているのに対して、ドイツにおいては「自然権」や「ヒューマニティ」という言葉そのものが「今やほとんど理解不可能なものとなり......それらの言葉本来の生命と生彩をまったく失ってしまった」というのである。この学者はさらに続けて、ドイツ思想は自然権という観念を放棄しながら、またそれを放棄することを通して「歴史感覚を創出し」、かくしてついには無制限の相対主義にまで行き着いた、と言う。

自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ここで、「自然権」や「ヒューマニティ」が同列に論じられていることは、重要である。「自然権」とは何か? 自然権とは「自然的正」のことである。つまり、ある種の、「自然的なまでに、はるか太古から連綿と続いて今に至る過程で現れるまでになった、人間の社会の<正しさ>の到達点」といったような意味になる、と考えられる。
では、なぜそれが、ドイツにおいて、特に、ナチス・ドイツにおいて、この二つの概念が雲散霧消したのか。それは、例えば、以下のマックス・ウェーバーについての分析によく現れている。

そこで今日自然権が退けられるときの理由は、すべての人間思想は歴史的であると考えられていることによるのみならず、また正や善に関する不変の原理といっても、相互に対立しあう多種多様な原理が存在していて、その中のいずれの原理も他の原理より優れていると証明されえないことにもよるのである。
実質的には、これがマックス・ウェーバーによってとられた立場である。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ウェーバーがその基本的前提を論証しようとした試みの端緒のところで、我々は二つの驚くべき事実に出会う。その一つは、何千ページもの分量を書いているウェーバーが、自分の立場全体の基礎を論ずるためには、三十ページそこそこしか割いていないということである。その基礎はなぜそれほどまでに証明を必要としないものだったのか。その基礎は彼にとってなぜ自明だったのか。これに対する暫定的な答えは、我々が彼の議論の分析をまたずに示しうる第二の事柄によって与えられる。この問題を論じ始めるに当たって彼が指摘したように、彼の命題は、旧来のきわめて一般的な見解、すなわち、倫理と政治の対立は解決不可能であり、政治的行動は時として道徳的罪を犯すことになくしては不可能であるという見解を、一般化したものにすぎない。したがって、ウェーバーの立場を生み出したものは、「力の政治」の精神であったように思われる。このことを最もよくあらわしているのは、ウェーバーがこれと関連ある文脈において闘争と平和について語るときに、「平和」の方には引用符を付けながら、闘争の方には引用符を付けてあらかじめ注意を喚起するという手だてはとっていない、という事実である。ウェーバーにとって、闘争は明白な事柄であるが、平和はそうではなかった。平和は仮象であるが、戦争は現実であった。
価値間の闘争にはいかなる解決もありえぬというウェーバーの命題は、したがって、人間生活は本質的に不可避的な闘争だとする包括的な見解の一部あるいは帰結であった。そのゆえに、「平和と万人の幸福」は、彼にとって不当なあるいは空想的な目標にみえたのである。たとえこの目標が達成されえたとしても、それは望ましいことではないであろうと彼は考えた。それこそまさに、かつてニーチェがその「破壊的な批判」を向けた「幸福などを考案した最後の人間ども」の状態であろうというのである。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ドイツは第一次世界大戦で破れ、大幅な賠償金を課せられる、その陥穽を突いて、ヒトラーが政権を奪う。しかし、ウェーバーにしろ、この第一次世界大戦の敗戦による巨額の賠償金に反対していた。しかし、反対をするということは、何を意味していたのか。戦争に負けた側が、なんらかの「補償」を要求されたとして、それに抵抗するとは、何を意味していたのか?
第二次世界大戦において、戦争に負けた側に、第一次世界大戦ほどの「補償」は要求されなかった。それは、ある意味において、第一次世界大戦の反省の結果だったとは言えるであろうが、いずれにしろ、敗者の側が、巨大な「負担」を、戦後、要求された場合に、その「不当性」を結論づける、論理を、私たちのこの社会はもっているのであろうか?
ウェーバーが、ドイツの第一次世界大戦での賠償金に反対するとき、それは、ようするに、

  • 力がなければ、なにを要求されても、無力だ

ということを含意したのではないか。つまり、ウェーバーは「勝利」をドイツは勝ち取らなければならない、と言っていたことと等しいのではないか。
こういった、あらゆる「政治」を、「力」に還元しようという姿勢は、一体、いつから、見られるようになったのであろうか。
上記の引用にもあるように、政治を「力」と同一視する「哲学主義」は、すでに、ニーチェにおいて、その萌芽が見られると考えていい。
ここで、この「力」というのが、いわゆる、「民族」の別名として使われていることに注意がいる。私たちが「力」と言うとき、その力の媒体を、力を振るわれる側と、振う側の区別が前提とされている。つまり、その「力」を担う統一体としての、民族が、ある意味において「自明」な形で、受け取られるわけである。
ドイツの、こういった「民族」を「統一体」として考える伝統は、究極的に突き詰めていくと、ドイツ民族と、

  • その他

とは、「根本的」に違う何かと考える風潮が強くなる。例えば、ドイツ国の歴史を、ドイツ民族の「歴史」と考え、それ以外の世界史と関係しているものと考えなくなる。
民族という統一体の「生存」に、無上の価値を与えたとき、それ以外の人間というのは、この統一体の「生存」に、直接的であれ、間接的であれ、さまざまに、「邪魔」をしてくる相手という認定となる。
このウェーバーにまで続く、ドイツの「民族」同一性の認識の特徴は、上記にあるように、「自然権」や「ヒューマニティ」が実際のところ、「消滅」していることである。つまり、そういった概念は、民族という、なんらかの人種なり民族なりという狭い人間関係に限定されるものではなく、人間一般に対して考えられてきた理念であったわけで、そういったものが、なぜか、「民族」という狭い概念によって、消滅していく、というところの危険さが、問われている。つまり、こういった「民族」論のようなものは、一見すると、非常に古くからある古典的認識のように思われながら、実際は、その「起源」が、

  • 近代的

な認識に「よって」、成立している、というのが、シュトラウスの言いたいことなわけであろう。つまり、人間の過去の歴史を検討していけば、「自然権」や「ヒューマニティ」といったものの方が、

  • 普通

だった側面が大きくあるはず、ということなわけで、上記で検討したような、ウェーバーにまで続く、ドイツの「民族」同一性の認識から来て、「自然権」や「ヒューマニティ」の否定にまで繋がるような認識は、非常に近代的な認識の何か、としか定義できないものなのではないのか、という主張が根底にあるわけである(それは、言うまでもなく、明治以降の、日本における特異は「日本民族」という考えに対しても、同様に言える。例えば、平安時代鎌倉時代において、彼ら支配者層に、どこまで、日本というアイデンティティがあったであろうか。むしろ、中国を中心とした、東アジア全体の「共通」の

  • 自然権」や「ヒューマニティ」

といった感覚の方が普通だったのではないか)。
つまり、民族の同一性のような考え方は、非常に「近代」的産物だ、ということなのである。
では、なぜ、こういった近代に特異な発想が生まれてきたのであろうか。
シュトラウスが特に注目するのが、ホッブズである。いや。ホッブズを直接に生み出した、ガリレオニュートン力学デカルトといった彼らの科学的「方法」に、非常に深く関係している、と。

すなわち、もしわれわれが、ホッブズはたしかに自然権と一般国法の歴史においては、そしてその歴史においてだけは一時代を画したとみなす支配的見解に従って、それではいったいかれは何によって一時代を画したのかという問いを提起するならば、ホッブズ自身の言明は否応もなく、ある新しい方法の応用、すなわち以前ガリレイが物理学を科学の地位にまで高めた際に力となったあの方法の応用による、という答えを押しつけてくることになる。「分解 - 構成的」方法と呼ばれるこの方法に従って、まず現存の政治的事実(ある特定の行為の正・不正に関する判断基準であれ、正義一般についての通念であれ、正義の実現可能性条件としてすぐれて政治的事実である国家そのものであれ)は、観念のなかでバラバラに解体され、その要素である「個別意志」へと還元される。そして、つぎに「逆の経路を辿り」、この要素たる「個別意志」から出発して「最も明証的な推論に従って」、つまり完全に透明な演繹法によって「集合意志」から出発して「最も明証的な推論に従って」、つまり完全に透明な演繹法によって「集合意志」の必然性と可能性が展開され、こうして最初は「非合理的」全体であったものが「合理化」されるのである。そうだとすれば、ホッブズ政治論の特色ある内容------国家に対する個人の明白な優位、個人を「非社交的なもの」とみなし、自然状態と国家との関係を絶対的な対立関係として捉え、究極的には国家そのものをひとつの「怪物(リヴァイアサン)」とみなす見方------は、方法によってあらかじめその輪郭が描かれているようにみえる。そしてそのホッブズの方法なるものは、ガリレイによる物理学の基礎づけを模倣することによって、かろうじて二番煎じの形で政治学のために役立てっれているのだから、ホッブズの業績がいかに偉大なものであれ、いずれにせよそれは第二級のものにすぎない。つまり、ガリレイデカルトによる近代自然科学の基礎づけに比べてみれば、第二級の業績ということになる。

ホッブズの政治学

ホッブズの政治学

ニュートン力学、つまり、デカルトの科学的方法において、この物理的世界は、その「全体」と関係なく、ある「独立」した対象として、物と物との「(引力の)関係」が記述される。つまり、ここで大事なことは、ある人間という個人が、この社会全体や、この人間の歴史「全体」と

  • 関係なく

独立に「抜き出し」、論じることが「可能」だということなのである。一人の人間を、この「全体性」と無関係な「変数」として、考察が「可能」なのだ、という「姿勢」は、明らかに、それ以前の「人間の思考」と違っていると言わざるをえない。
それ以前の、例えば、アリストテレスにしても、過去や宇宙を含めて、この人間に関する世界と、各人間一人一人を、

  • 分離

して、そこに、まるで、なんの「関係」もないかのように扱える、と考えるという「姿勢」自体が、まったく、自明でもなんでもないどころか、

  • そんなことを考えること自体が思いつかない

ような(というか、そもそもそうであると主張すること自体が、何を根拠に言っているのか、というような)まったく自明でない姿勢だったわけである。
このことは、上記の、「自然権」や「ヒューマニティ」とも関係している。そういったものは、過去から続く、人間の歴史が示しているものと考えられてきた。つまり、その「連続」性を疑われたことは一度もなかった。確かに、あまり自明でないような慣習が、たくさんあることは言えたとしても、それを

  • 全否定

にまで至ることは、非常に異常な態度だったわけである。
こういった姿勢は、例えば、カントの言う「真善美」の区別や、フッサール現象学における現象学的還元、デリダ脱構築まで、まったく、同様のことが言えるであろう。こういった「暴力的」なまでに、概念を世界から

  • 切断

する姿勢は、ある種の

  • 近代的作法

であり、むしろ、こういった態度が自明なまでに、なんらかの「真理の根拠」となりうると考えがちな「近代」の方が、本当は、どこか、「異常」な側面があるんじゃないのか、ということになる。
ホッブズは、国家の根拠を考えるとき、仮想的に、国家ができる「以前」の「個人」を想定する。その個人の頭の中を占拠している最大の関心事は、

  • 他人からの暴力によって死に至ることの「恐怖」

なんだ、とホッブズは「勝手」に決めつける。そして、その恐怖の克服を個々人が目指す「結果」として、リヴァイアサンとしての国家となる、と。
しかし、ホッブズがこのように「仮定」したことによって、それ以前には、まったく考えられなかったような、非常に「独特」の個人観を彼が示す形になっていく。
例えば、個人は「なによりも暴力による死を避ける」ことを最大の行動原理としている、ということになってしまう。つまり、ひとたび戦争が起きれば、なんとかして、仮病を使うなどして、兵役を逃れることこそ「真理」だと。しかし、この「異様」な主張を「なぜ」ホッブズは行うことになったのかは、そもそも、人間とは、

  • そういうもの

だと「定義」したから、にすぎない。つまり、その「延長」から、こういった結論に至らざるをえなくなっているの「だから」、つまり、トートロジーなんだ、と言っているにすぎないわけである。

ホッブズは、政治的快楽主義を可能にするために、次の二つの決定的な点で、エピクロスに対立しなければならなかった。第一に、彼は、エピクロスが厳密な意味での自然状態、すなわち、人間が自然権を享受している政治社会以前の生の状態の存在を暗黙裡に否定していたのにはんたい しなければならなかった。なぜなら、ホッブズは、市民的社会の存立は自然権の存否にかかっていると考える点で理想主義的伝統と一致していたからである。さらに彼は、エピクロスがなした必要な自然的欲求と不必要な自然的欲求の区別の意味するところを受け入れることができなかった。というのは、そのような区別は、幸福は「禁欲的」スタイルの生活を求めること、そして幸福は安らぎの状態からなることを意味したからである。エピクロスの崇高な自制への要求も、大多数の人間に関していえば、所詮はユートピア的なものとならざるをえない。したがってそのような要求は、「現実主義的な」政治理論によって放棄されなければならなかった。政治に対するこの「現実主義的」アプローチのゆえに、ホッブズは不要不急の感覚的快楽の追求に対する一切の制限、一層正確にいえば、現世の便益(commoda hujus vitae)あるいは力の追求に対する一切の制限を、ただ平和のために必要な制限は例外として、取り払わなかればならなかった。かつてエピクロスが述べたように、「自然は[ただ]必要なものだけを容易に供給されるものとなした」のだから、安楽への欲望が解放されるとなる、科学が欲望を満足させるために奉仕することが要求された。とりわけ、市民的社会の役割が改めて根本的に検討れ治すことが要求された。「善き生」は人間がそれを求めて市民的社会にはいった当の目的であるが、それはもはや人間的卓越性の生でなく、きびしい労働の報酬としての「便利な生活」のことである。そして統治者の神聖な義務も、もはや「市民たちを善良にし、高貴な事柄の実行者に育てること」ではなくて、「市民たちにありとあらゆる善いものを......安楽にとって役立つことを豊富に供給するよう、法律によって可能なかぎり務めることなのである」。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ホッブズの近代政治学は一見すると、過去の哲学と無関係のように見えながら、実際は、エピクロスなどのストア派の快楽論の

  • いいとこ取り

なわけである。しかし、そもそも、そんなふうにストア派の主張の「快楽」肯定論の部分だけを自説にとりこむなどということは意味のあることなのであろうか? 本来は、その反語的主張は、全体として切っても切れない関係にあったのではないのか?

換言すれば、古典的思想家たちによれば、本来の政治理論は本質的に、現場における政治家の実践的知恵によって補完される必要があったのに対して、新しいタイプの政治理論は、それ自身で、決定的な実践的問題、すなわち、いかなる秩序が今ここで正しいかという問題を解決する。そうなると、決定的な点において、政治理論とは区別される政治家の見識が必要とされることはもはやなくなる。我々はこのようなタイプの考え方を「純理主義」(doctrinairism)と呼ぶことができよう。この純理主義は政治哲学の内部では------法律家の方は自分たちだけで一つの階級をなしていたから------十七世紀において初めて現われたと言ってよいであろう。この時、古典的政治哲学のもっていた分別ある柔軟性は、狂信的な硬直性へと道を譲った。政治哲学者は次第に党派的人間と区別がつかなくなっていった。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ホッブズの近代政治学は、上記のデカルト近代的手法にあるように、個々の人間を、この人間社会から

  • 切り離し

て、なんらかの、その人間についての「仮定」を置くことによって、そこから導き出される主張の全体によって、その「ドグマ」を構成する。しかし、もしもそれが「政治」だというなら、そもそも、政治家の実践と理論を区別する必要がなくなるわけである。なぜなら、すでに、「政治」とは何かに、答えてしまっているのだから(つまり、個々人の政治的行動の「意味」を「前提」にしてしまっている時点で、その政治の「意味」は、答そのものになっているのだから)。しかし、もしも、そんなことが可能なら、パターナリズム利益相反も考慮する必要がない、ということになるであろう。
つまり、ホッブズ近代政治学は、著しく、「党派」的色彩を帯びていくわけである。これが「近代政治学」だ、と

  • 言っている人

パターナリズム利益相反が、その人の主張の政治学に色濃く反映されるようになり、ある意味で、「なんとでも言える」ような、気持ちの悪い「理論」となっていった傾向があるのではないだろうか。
さて。シュトラウスの『自然権と歴史』は、この後、ロック、ルソー、エドモント・バーグの順に考察されていくが、

  • なぜこの三人なのか

は、ホッブズ自然権の関係で考えたとき、理解されていくのではないか。つまり、彼らは、ある意味において、ホッブズの(カントの意味での)「批判」を実行した人たちだからだ。
ロックの主張は一見すると、まったく、ホッブズと違っているように見えるが、大事なことは、上記でも検討した、ホッブズデカルト的近代手法を、基本的に継承していることである。その上で、彼は、そのホッブズの政治的「仮定」を、より現実社会に近づけていった、と言えるのではないか。
なぜロックがホッブズのヴァージョンアップと言えるのか。彼の『政府二論』がこだわっているのは、キリスト教における「聖書」の位置付けである。つまり、彼は、キリスト教によって当時のヨーロッパ社会が実現していた「秩序」は、この

と区別して考えることはできない、と言っているわけである。聖書はたんに、宗教というイデオロギーの教義的な空想物ではない。それは、イエス・キリストが「どう生きたのか」を記したものであって、著しく、倫理的な示唆を含んでいるわけである。そういったものが、社会のさまざまな「慣習」や「秩序」を生み出す上で、大きな影響をおよぼしているなら、それをホッブズのように

  • デカルト的近代手法によって個人をバラバラにすることで)全否定

していればすむような話ではない、ということである。むしろ、この聖書のインプリケーションが呈示する人々に必然と思わせ、納得させるようなアイデアが、大きく、近代システムを今のような方向に向かわせた、と考えるべき側面がある。
その一つが、ロックも注目する、私的所有権の概念であろう。ロックは、これを労働との関連で説明するが、重要なことは、この場合、その所有に、なんらの「制限」がない、ということが何を意味するのか、なのである。

ロックの想定する世界は第一に、ホッブズのそれほど混み合ってはいない。ホッブズの自然状態においては、人々はそれぞれ自分の自然権を自由に追求する際に、ほとんど必ず互いに衝突し合うものとして想定されている。人々が互いに共有できない同じひとつのものを同時に欲し、それをめぐって争う、というイメージがそこでは支配的である。これに対してロックが想定する世界はより広い。後代な大地の上に人々は散らばり、自らの欲するままに、自らの力を揮って欲するものを手に入れる。ホッブズならそう考えたように、狭い土地、希少な資源をめぐって相争うという事態が常態であるとはまったく想定されてはいない。そこでは無主の自然が広大に拡がっていて、それに対しては人々は自らの労働を傾注するだけでそれを自分のものにすること、自分の権利下に置くことができるのであって、その場合他人の権利との衝突、すなわち戦争状態は問題とならない。この無主の自然、とりわけ土地の労働による所有の概念はロックの統治の理論、政治社会論の第一の礎石をなしている。
またこれは逆から見れば、人間の能力の有限性を前提とした権利論である。ホッブズの権利論は、まずすべての人はありとあらゆるものについての権利を自然権として持つ、として、そこから互いの権利が衝突しないようにそれを切り縮めていく、という具合に立論されている。ロックはちょうどこの逆に、個人の能力の及ぶ範囲が権利の範囲を決めていく、と論じる。労働集権論はそのようなものとしても理解できる。
このような権利論によって、個人間の権利の衝突の可能性はホッブズの想定する自然状態と比べて劇的に低くなる。絶対的な主権による調停を待つまでもなく、権利間の境界線は自然に引かれるのである。時にそれは境界線と言うより、権利間に広がる緩衝帯の様相さえ呈することだろう。

リベラリズムの存在証明

リベラリズムの存在証明

言うまでもなく、だれかが、あるものを所有し、それをどんどん増やしていけば、どこまでも増えていく。ものすごい、局在が生まれることもありうる。じゃあ、なぜ、それを「正当化」できるのか。これは、ある意味、キリスト教の聖書の考えを前提にしなければ、説明できないんじゃないのか、とも思われるわけである。つまり、それらの「所有」は、そもそも、

  • 神のもの

なわけである。つまり、その局在は、神の意志のもとでは、局在ではない。なぜなら、神にとっては、「すべて」は、たんに、地球上のどこかにあるものを意味しているにすぎない。実際、そのように、どんどん溜め込んだ財産も、その所有者の人間が死んでしまえば、その人のものではなくなる。
そして、もっと大事なことは、上記にあるように、そこには無限のフロンティアが考えられている、ということである(上記の引用は、ちょうど、柄谷行人の『哲学の起源』において検討された「イソノミア」的なものと、対応している)。
なぜ、経済学は「成長」を前提にするのか? それは、たとえ、どんな時代になってもなんらかのフロンティアは常に存在する、という考えに依存している。例えば、アメリカ建国の時代において、ヨーロッパの人たちは、どこまでも続く荒野を眺めて、ここを、いくらでも各自で開拓をすれば、自分のものになると考えた。同じことは、現代においては、

  • インターネット

が表象しているであろう。ネット空間は、URLによって、無限の文字列が、そのサイトを指しているわけで、いくらでも、「開拓」が可能になっている。もちろん、その開拓と私たちの利便性(つまり、成長)が、どこまで対応しているかと言われれば、あまり関係ない気もするが、つまりは、そういうことなのである。
こういった形で、ロックの認識は、ホッブズ以上に「自然権」を字義通りに延長させることで、ホッブズ政治学を更新させることを意図していたことが分かるが、では、ルソーはどうだろうか?

自然人は、彼が自尊心を持たないのと同じ理由で、知性や理性、まおれとともに自由をも持たない。理性は言語とつながりを持ち、言語は社会を前提とする。つまり、自然人は前 - 社会的段階にあるので、前 - 理性的なのである。ここでもまたルソーは、ホッブズの前提から、ホッブズ自身は導き出さなかった必然的結論を引出している。理性を持つことは、一般観念を持つことを意味する。ところで、記憶や想像力の心像とは異なって、一般観念は自然的ないし無意識的過程の産物ではない。一般観念は定義を前提しておい、その存在を定義に仰いでいる。それゆえ一般観念は言語を前提する。言語は自然的ではないのだから、理性も自然的ではないのである。このことから我々は、ルソーが、人間は理性的動物であるという伝統的定義を、新しい定義によって置き換えた理由を、最もよく理解することができる。さに、自然人は前 - 理性的であるのだから、「彼は自分が必要とする事物への権利を理性によって[に合致して]自分自身に帰属させてはいるけれども、彼には理性の法たる自然の法についてのいかなる認識も全くもって不可能なのである。自然人はあらゆる点において前 - 道徳的である。つまり彼は心を持たない。自然人は人間以下なのである。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ルソーの最初の着想は、いわば、ホッブズの言う「社会契約」を、もしも「ベタ」に受け取ったなら、どういうことになるのかを考えたことにあるであろう。ホッブズにおいて、彼は、まず、国家が成立する「以前」の人間がどういったものであるかの「仮説」を考察する。しかし、よく考えてみると、これは変である。なぜなら、言うまでもなく、私たちは、すでに国家のある世界を生きている。だとするなら、国家が「今」存在しないと考えることは、なにか、非現実的な「作業仮説」を思わせる。
ホッブズは、その国家のない世界においては、人々は「闘争」状態にあると言うが、彼がどう言おうが、私たちのこの世界には、どこもかしこも、国家がある。その事実は変わらないわけで、国家のない世界では、人々は闘争し合っていると、いくら彼が主張しようと、実際にこの国家がすでに存在してしまっている世界で、こんなことを言うことは、無力な作業に思われるわけである。
では、ルソーがそれに対して、どう考えたのか?

しかしながらルソーは、ホッズブやロックが考えたような市民的社会はもちろんのこと、市民的社会そのものが根本的な自己矛盾を特徴とすること、そして自己矛盾から免れているのは他ならぬ自然状態であるということを考えていない。自然状態における人間は根源的に独立しているがゆえに幸福であり、他方、市民的社会における人間は根源的に依存的であるがゆえに不幸である。それゆえ、国家社会は人間の最高目的の方向へではなく、その始原の方へ、人間の最も遠い過去の方向へと超えられなければならない。こうしてルソーにとっては、自然状態は積極的な基準となるに至ったのである。しかし彼は、人間が偶然的な必要に迫られて自然状態を離れなければならなくなり、そのような至福の状態に帰ることは永遠にできないような仕方で偏執させられたことを認めている。このようにして、善き生の問題に対するルソーの答えは、次のような形をとることになる。善き生とは自然状態に向かって人間性のレヴェルにおいて可能な限り接近することにある、というのである。
政治的領域においては、そのような最大限の接近は、社会契約の要件に従って建設された社会によって達成される。ホッブズやロックと同じく、ルソーも、自然状態においてはすべての人が自由かつ平等であり、また根本的欲求は自己保存欲でる、という前提から出発する。しかし彼は先行者たちから脇道へ逸れて次のことを主張する。すなわち、最初は、つまり原初的な自然状態においては、自己保存欲の衝動は同情によって緩和されていたということ、そして原初的な自然状態は、人間が市民的社会にはいるに先立って、偶然的な必要によってかなりの変化を蒙ったということを主張する。つまり、市民的社会は自然状態が続いた後の遅い段階になってはじめて必要となり可能となったのである。自然状態の内部で生じた決定的な変化は、同情心の減退であった。同情心が減退したのは、虚栄心や自尊心の発生、そして究極的には不平等の発生、したがって人間の仲間への依存関係の出現にその理由がある。このような展開の結果、自己保存は困難の度を加えていっ。危機的な分岐点に到達するや、自己保存は、自然的同情にかわる人工的代替物の導入を必要とする。原初的自由と平等への最大限可能な接近が社会の内部で達成されるべきことを要求するのは、まさに各人の自己保存なのである。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ルソーにおいては、そもそも、なぜ国家が生まれたのか、社会契約が行われたのかは、そういった

  • 手段

がパーフェクトな結果を意味しているかどうかを、含意していないわけである。つまり、独立自尊に存在していた自然人の、ある意味、必然的な「堕落」の結果に対して、

  • 人工的

に「代替物」が必要だから、生まれたと言っているのであって、そもそもそれは「ベスト」な回答でないし、そんなベストな回答などありえない(もう、私たちは、自然人に戻れない)、ということが「前提」になっている、ということなのである。
つまり、ルソーにとっては、ホッブズが答えようとした、国家の必然的存在理由に対して、ある意味において、非常に

  • 弱い

回答を与えるだけに留めていることが、ポイントである。ホッブズにとって、なぜ国家があるのかは、どこか「自明」な、つまり、国家が生まれざるをえなかったことは、非常に強力な「必然性」によって担保される、

  • 非常にリアルな実体

であることが、どこかトリビアルであったが、ルソーにとっては、その根拠は非常に弱くなっている。国家は、あくまでも、「本来性(=自然人)」から考えたら、まったく話にならない、偽物であるが、この堕落した現代社会に一時的パッチを与えるという意味では、

  • この人間による人工的代替物

は、「やらないよりやった方がまし」である限り、やることになる、といったような「消極的」意味に、縮退した、ということなのである。
また、ルソーの自然人は、ちょうど、上記におけるホッブズとロックの自然権の差異に「対応」して考察していることが分かるであろう。ロックの自然権においては、目の前に、圧倒的なフロンティアが「ある」ことが前提であった。これは、ルソーが考える「自然人」にとっての「状態」である。対して、ホッブズにおいては、もうそういったフロンティアがないからこそ、少ないパイを奪い合う「闘争」へ発展しそうな、ギスギスした緊張が生まれているわけで、それが、ルソーにおける、現代社会の「堕落」状態に対応する、と。

一般意志あるいは人民の意志は、それが常に人民にとっての善を意志している限り、決して誤ることはないが、しかし人民は常に人民にとっての善を知っているわけではない。一般意志はそれゆえ啓蒙される必要がある。啓蒙された個人であれば、社会にとっての善を知っているだろうが、しかし社会にとっての善が彼らの私的な善と矛盾する場合に彼が前者を支持する保証はない。計算と利己心は社会的紐帯となりうるほど十分に強くはないのである。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ルソーの立法者の教理、それがルソー自身の役割を示唆しているという点を除いては、実際的解決策を呈示することよりは、むしろ市民的社会の基本的問題を明らかにすることを意図するものである、ということは疑いもなく正しい。彼が古典的な立法者観を放棄しなければならなかったことの正確な理由は、そのような立法者観が人民の主権を不明瞭にする傾きがるということ、すなわち、それが実際面では、ややもすれば人民の完全主権に代えて法律に至上権を置くことになりかねないことにあった。古典的な立法者観は、ルソーの自由の観念とは相容れないものである。ルソーの自由の観念は、既成の全秩序から離れて人民の主権意志へ、あるいは過去の世代の意志から離れて現存の世代の意志へ断続的に訴えかけるよう求めるものである。それゆえルソーは、いわゆる立法者の行為に代わるものを見出さなければならなかった。ルソーの最終的な提言によれば、立法者に元来委ねられていた役割は市民宗教によって果たされなければならない。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

ルソーの議論の特徴は、確かに、ジョン・ロールズに似ている。というのは、彼は結局のところ、「何も主張していない」に近い。つまり、さまざまな「条件」を思考実験として検討しているにすぎず、それぞれ、一長一短あると言っているにすぎない。彼は、そういった、それぞれの中から、比較的「まし」なものを選ぶしかない、と言っているのに近い。
結局のところ、一般意志は「うまくいかない」。それは、フランス革命がたとえ一定の成功だったとしても、その後に続く、ナチス・ドイツスターリン政治の結果を見るに、ルソーの理念は、実践においては、悲惨な結末をもたらした部分が多分にあることを認めざるをえない。そのこと自体において、彼がどこまでマジで主張していたのかが疑わしいわけである。実際、彼は『社会契約論』の最後で、上記にあるように、「市民宗教」に答えを見出して、あたかも、それが最終回答であるかのように書いているが、その姿勢自体が、どこか、投げやりなニヒリズムである。
(この延長で考えるなら、東浩紀さんの福島第一ダークツーリズムは、放射能を、ルソーの意味での「市民宗教」にすること、と考えられる。今後の戦争においては、あらゆる戦場で、劣化ウラン弾が主流になるであろう。そして、敵も味方も同様に「被曝」をする。つまり、放射能でガンになり死ぬことは、戦士として「名誉」なことになる、というわけだ。むしろ、人間は放射能を浴びて、体内に取り入れて、ガンになって死ななければならない、それくらいでないと、戦士として使えない、というわけだ。国民は、福島第一に行って、放射能を体内に取り込む。それが、国家への恭順の印であり、そういった「被曝」が日常的に起きている福島県は、むしろ、日本において、最も「名誉」な場所となった、というわけである。よって、福島県は「復興」しなければならない、と。それは、以前の、原発のなかった福島県に戻すとか、汚染の除去を行うということではなく、原発があり、このように「汚染」されていることが、逆説的に、「だからこそ」多くの人が福島に移住してきて、まるで、3・11の事故がなかったかのように、いや、それ「以上」に、福島県が、「繁栄」する、しなければならない、そうなるための運動をする、ということなのだ。むしろ、彼が言っていることは、今まで以上に、原発が日本中に作られることこそが、あの事故が含意した、「日本の繁栄」という意味なのであろう。つまり、欲望とはそういうもののことなのだ、と。どんどん事故が起きて、日本中が汚れて、しかし、そうなればなるほど、逆説的に、日本人はこの、地震列島の日本に原発を作り続ける。それは、一種の民族の「自殺」であるが、原発を作り続けたいという欲望を止められない限り、「行くところまで行く」しかない。原爆開発競争も行くところまで行くしかない。第三次世界大戦が起きて、世界中で、原爆投下を主要都市に落とす報復合戦が起きても、しょうがない。なぜなら、そういった、究極的な「欲望」の行き着くところまで行かなければ、その欲望の消滅、つまり、「やめたい」という感情もわかないのだから。つまり、人間の究極の<目的>は、人間自身の「自殺」ということになり、あとは、そこに至るまでの「美学」的な価値観の差異のようなものがあるだけだ、と。しかし、こういった歴史意味論も、一つの「市民宗教」なのであり、ルソー的ということなのであろう orz。)
ルソーをフランス革命の産みの親と考えたとき、そのフランス革命を徹底して批判し続けた、エドモント・バークが、急に、重要になってくる。つまり、もしかすると、彼こそが、ルソーの「限界」を、正確に議論したのかもしれないからである。

バークは、自然状態にある人間、つまり「契約以前の」人間が自然権を持つこと、自然状態においては、すべての人が「第一の自然法たる自己防衛の権利」、自分自身を支配する権利、すなわち「自分自身で判断し、自分自身の言い分を主張する権利」、それに「あらゆる事物に対する権利」さえも有することを、すすんで認めている。しかし「あらゆる事物に対する権利を有することによって、彼らはあらゆる事物を欲求する」。自然状態は、「我々の赤裸々なおぞましい自然本性」の状態である。すなわち、我々の徳によって我々の自然本性がいかなる仕方においてもまだ影響を受けていない状態、つまり原初的な野蛮の状態である。したがって、自然状態およびこの状態に属する「人間の完全なる権利」は、文明化された生活のための基準を与えることはできないのである。我々の自然の欠乏はすべて------たしかに、我々のより高次の自然的欲求はすべて------自然状態から転じて市民的社会の方へ志向する。つまり、「粗野な自然状態」ではなく市民的社会こそが真の自然状態なのである。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

これは、ルソーの逆説の、まったくの反対を言っていると考えられるであろう。人間は、時代を進むにつれて、この

  • おぞましい

人間の「あらゆる」欲望に対置する「徳」を引き継ぎ発展させてきた。つまり、現代とは、そういった「おぞましい」人間の小さく無数にある欲望、それぞれを、

  • より高次の、かつ、もっと大きく重要な「そういった、おぞましい小さな欲望を克服する」という欲望

をかなえるために「克服」していく手段として、市民的社会を実現してきたのだから、むしろ、「今」こそ、もっとも「自然」なのだ。今あるこの状態こそ、最も、正しい「自然状態」だと言っているわけである。

バークは、あらゆる権威はその究極的起源を人民のうちにもつとか、主権者は究極的には人民であるとか、あるいは、あらゆる権威はこれまで「契約を結んだことのない」人々の契約に究極的には由来するというような見解を、斥けるのではない。しかし彼は、これらの究極的真理や半真理が政治的に本質的関わりをもつとは考えない。「もしも市民的社会が人為的な約束事の所産であるとするなら、その約束事とは市民的社会の法でなければならない」。ほとんどすべての実践的目的にとって、約束事、原始契約、確立された体制は最高の権威あるものである。市民的社会の役割は欲求を満足させることにあるのだから、確立された体制は、その権威を本源的な約束事やその起源から導出するというよりは、むしろその体制が幾世代にもわたって有効に働いてきたことや、あるいはその成果から導き出してくるのである。正統性の根拠は、同意あるいは契約にではなく、明らかになった有効性すなち古くからの慣習にあるのである。「契約を結んだことのない」未開人の原始契約とは異なった古くからの慣習のみが、法律の知恵を例証することができ、したがってまた法律を正当化することができる。原始契約の行為そのものよりも、この上なく重要である。原初的行為とは異なる古くからの慣習のみが、一定の社会的秩序を聖化することができる。人民は国制の主人であるよりもむしろその所産である。人民の主権という概念は正確には、現存する世代が主権者であることを意味する。「現在の便益性」が、国制に対する唯一の「愛着の原理」となる。国家(コモンウェルス)における「一時的な所有者と生命の貸借人たち」は、「彼らがその祖先から何を受け継いだかについては無頓着」であって、また「彼らの子孫に何が引き継がれるかについても」、必然的に無頓着となる。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

これは、一種の社会契約の相対化である。ある一瞬において、その国の人が「考えた」ことを集計すれば、それが「社会契約」であるとするなら、それは、それは、今日まで政治の場で存在した、さまざまな正統性の考えからは不足しているように思われるであろう。私たちがなにかを正しいと思うとき、多くの場合、それが、古くからある慣習だからそう思うのではないか。つまり、ルソー社会契約論は、過去のある一点の「決断」

  • だけ

を極端に意味のあることと考えようとしている。しかし、実際には、私たちにとっては、「それ以降」のさまざまな蓄積的パッチの長い歴史が意味していることの方が、実際には、重要な多くの情報を示しているわけであろう。

それに加えて、「彼らの道徳を弛緩させるのと同じ規律」が、「彼らの心をかたくなにする」。フランス革命の理論家たちの極端な人道主義は、必然的に獣性へと転じる。なぜなら、そのような人道主義は、基本的な道徳的事実は、根本的な身体的欲求に対応した権利であるという前提に立脚しているからである。
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つまり、これは一種の「快楽原理主義」のようなものなわけである。もし快楽が「ある」と言ってしまうと、それは快楽なのだから、「正しい」となってしまう。しかし、快楽したとしても、その結果を後になって、「苦痛」と感じることは普通のことであろう。まさに、「おぞましい」欲望は、後になって、理性的に考えて、「浅はか」だったと反省するわけである。
しかし、この「快楽」を「原理主義」とした瞬間に、彼らは、たんに道徳が次々と堕落し、自分の「快楽」が解放されることが、絶対的に目指されなければならないこととなる。なぜなら、それが「快楽」だから。彼らは、その快楽が結果として、普通に「嫌悪感」に変わるのがなぜなのかを考えようとしない(それが、原理主義という意味である)。

実践は待つことができないから、理論のもつ自由をも欠いている。「我々は事柄を......時間に従わせなければならない」。実践的思考は、最終期限を念頭においた思考である。それは最も適切なものよりは、むしろ最も焦眉のことに関わる。それは理論のもつ気楽さやゆとりに欠ける。それは「意見の表明を避けり」判断を留保したりすることを許さない。それゆえ、それは理論的思考に比べて、一段低い程度の明晰性と確実性で満足しなければならない。すべての理論的「決定」は、取消し可能であるが、行動は取消し不可能である。理論は幾度でも最初からやり直しができるし、またやり直さなければならない。最善の社会秩序を問題にすること自体、「現体制の崩壊を想定した上で......問題を討究している」ことを意味している。すなわち、実践的思考においては「悪しき習慣」とされるようなことを意味している。理論とは対照的に実践は、過去の決定によって、したがって確定されたことによって、限定される。
自然権と歴史 (ちくま学芸文庫)

つまり、実践は基本的に抑制的であることを意味している。実践は理論「そのもの」ではない。もっと言えば、理論であり哲学であり形而上学とは「幻想」なのだ。それに対して、実践は基本的に「うまく行っている」ことの束を意味している。うまく行っていくことをさぼったりやめたりするから、問題が起きるわけであり、つまり、基本的に実践とは、常に、マイナーチェンジであり、パッチ当てなのだ。

古典的理論によれば、最善の国制は理性の考案物、すなわち、一個人あるいは少数の個人による意識的活動や計画の考案物でる。それは人間的自然の完成の要件を最高度に満たすものであるゆえ、あるいは、その構造は自然の範型を模倣するものであるゆえ、自然と合致している、あるいは自然的秩序なのである。しかし、その産出の仕方に関して言えば、それは自然的ではない。それは、構想、計画、意識的作成の産物であって、自然的過程ないしその模倣によって出現したものではない。最善の国制は多様な目的に向けられているが、それらの多様な目的は、それらの目的のうちの一つが最高の目的となるような仕方で、本性的に相互に結び合わされている。それゆえ、最善の国制は、本性的に最高の目的であるような単一の目的に特に向けられている。他方、バークによれば、最善の国制が自然と一致し、自然的であるのは、また、そして何よりもまず、それが計画によってではなく、自然的過程の模倣によって成立したからである。すなわち、主導的な反省によるのでなく、継続的に、無意識のうちにとは言わないまでも、ゆるやかに、「非常に長い時間をかけて、また非常にさまざまな偶然によって」出現したからである。「新しく空想され、新しく捏造された国家」は必然的に劣悪である。最善の国制はそれゆえ、「正規の計画に基づいて、あるいは統一的な立案によって形成されるもの」ではなく、「この上なく多種多様な目的」に向けられたものである。
もし誰かが、健全な政治的秩序は歴史の産物でなければならないとする見解をバークによるものとするなら、彼はバーク自身の発言内容を越えている。「歴史的」と呼ばれるようになったものは、バークにとっては依然として、「地方的で偶然的なもの」のことであった。「歴史的過程」と呼ばれるようになったものは、彼にとっては依然として、偶然的因果作用か、あるいは、生起した状況の賢明な処置によって変形された偶然的因果作用であった。したがって、健全な政治的秩序も、彼にとっては結局、偶然的因果作用の予期せざる結果なのである。彼は健全な政治的秩序を産み出すのに、近代の政治経済学が公共的繁栄の産出について教示したことを応用した。すなわち、共通善は、それ自体共通善に向かって指図されたのではない活動の産物である、というのである。バークは、古典的原理とは正反対の近代政治経済学の原理を受け入れた。「利得欲」、「この自然にして、この合理的なる......原理こそ」「あらゆる国家の繁栄の偉大なる原因である」。善き秩序や合理的秩序は、それ自体としては善き秩序や合理的秩序に向けられていない努力の産み出す結果である。この原理は最初は惑星系に適用され、その後で「欲求の体系」すなわち経済学に適用された。健全な政治的秩序の生成に対するこの原理の適用は、歴史の「発見」における二つのきわめて重要な要素のうちの一つである。もう一つの同等に重要な要素は、同じ原理を人間における人間性の理解のために適用することによって与えられた。人間における人間性も、偶然的な因果作用によって獲得されたものとして理解されたのである。このような見解は、その古典的叙述をルソーの『不平等起源論』の中に見出すことができるが、結局次のような結論に導くものである。すなわち、「歴史的過程」は絶対的瞬間という頂点に達するものと考えられる。つまり、盲目的運命の所産である人間が、何が政治的かつ道徳的に正であり不正であるかを、はじめて適切な仕方で理解することによって、自らの運命を見通す巨匠となる瞬間という頂点に到達するというのである。この見解は、「完全なる革命」、「人間精神の構造にまで」及ぶ革命に導くのである。バークは、絶対的瞬間の可能性は否定する。人間は決して自らの運命を見通す巨匠にはなりえない。最も賢明な個人が自ら考え抜いたことでも、「きわめて長い時間をかけて、きわめて多様な偶然によって」生み出されたものに比べれば、常に劣るのである。それゆえ彼は「完全なる革命」の実現可能性ではなくとも、少なくとも正統性を否定する。フランス革命の根底に存する誤りに比べれば、他のすべての道徳的あるいは政治的誤りは色褪せてほとんど無にひとしい。フランス革命の時代は、絶対的瞬間であるどころか、「最も蒙昧なる時代であり、市民的社会が最初に形成されて以来おそらく立法する資格に最も欠けた人間の時代」である。それは完全に邪悪な時代であると言いたくなる。現在を賛美するのでなく軽蔑すること、古代の秩序ひいては騎士道の時代を軽蔑するのでなく賛美すること、それが健全な態度である。------すべて善きものは相続される。必要なものは「形而上学的法論」ではなく「歴史的法論」である。こうしてバークは「歴史学派」への道を掃き清めるのである。しかしバークがフランス革命に対して非妥協的なまでに反対したにしても、我々はそのことによって、次の事実を見失わされてはならない。すなわち、彼はフランス革命に反対するのにも、その革命理論の根底にあったのと同一の根本的原理、これでの思想とは異質の原理に依拠していたという事実である。
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バークはフランス革命を全否定する。しかし、そうだからといって、私たち自身までが、それを無批判に聞かなければならない理由はない。バークがフランス革命を批判する作法は、現代のインテリが社会主義を批判しているのに似ている。しかし、他方において、バークがフランス革命を批判することは重要である。なぜなら、フランス革命という「(ルソーに端を発する)哲学革命」が、必然的に、その後のナチス・ドイツであり、スターリン全体主義に「繋がった」と考えられるからである。つまり、私たちはバークのフランス革命批判を、ナチス批判でありスターリン批判として、考えなければならない。
上記で、たとえ歴史であっても、歴史であったからといっても、多くの場合それは、「地方的で偶然的なもの」とシュトラウスが言っているのは、ナチススターリンを非常に意識していると考えられるであろう。
バークにとって、大事なことは、実践を理論によって説明するということの不可能性を、安易に乗り越えることは、形而上学として否定されるべきことであって、そこに一定の線を引かなければならない、ということなのであろう。
バークの議論は、確かにねじれている。しかし、往々にして、ナチスドイツを考えても、彼らを「理論的」に補強したのは、当時のインテリであり、いわゆる、「哲学者」たちだったわけである。同じことは、現代においても言える。「変える」ということは、一体「誰」の需要なのであろうか? 言うまでもなく哲学者も「快楽」に生きるわけで、彼らは一体、どういったブルジョア層に「寄生」して、そういった人たちの「代弁」をしているのか? 上記の引用にもあったように、ホッブズが生み出した社会理論は、結局のところ、

  • 政治哲学者は次第に党派的人間と区別がつかなくなっていった

ことを意味するのであって、そういう意味では、上記の直近の引用はおもしろい。バークの言っていることは、そのホッブズの姿勢の「徹底」でもあるのだ。
つまり、各自が勝手にやっている、さまざまな「快楽」運動が社会秩序を作ってきたことを否定するのではなく、それらの、「複数」の平行的進行そのものが、歴史過程を経て、さまざまな「正統性」になっていく、という形になっていて、つまりは、多くの諸価値の中で、生き残ってきたタフな理念が自然権なのだ、という理屈に変わっているわけで、つまりは、ほとんどの「快楽」運動は、それが悪であったかはともかく、自家撞着な弱い説得力しかもたず、堕落し、市民的社会の社会を善くしていこうとする運動によって、淘汰されていった、ということなのであろう。
そういった事態に対して、簡単にコミットメントをすることは、そういった党派性を避けられない、ということと解釈できる。
シュトラウスなどの、ナチスからの、亡命ユダヤ人が考えたこととはなんなのだろうか? 私は彼らが、なんらかの、ナチス的な暴力に「対抗」していく強度の思考を強いられたのではないのか、と思っている。上記のシュトラウスの思考がそれにどこまで成功しているのかは、わからないが...。