選挙の総括

私個人としては、

  • MUNB(エムユーエヌビー)wwwww

と絶叫したかったところであったが(このタイトルは言うまでもなく(?)、アニメ「WUG」の第5話で、ミュウが言った「まじ、うそ、んな、ばかな」の略です)、この得票率では、脱原発候補が二手に分かれている状況では勝ちようがなかった。時に、今日は、あまりにも天候が悪く、お年寄りが投票に行ける足元ではなかった。年配の支持率が高い細川さんの結果がでなかったのは、やむをえない面もあったのではないだろうか。
しかし、それは私が言うというより、今週の videonews.com で神保さん、宮台さん、古賀さんが総括されている通りのことなのだと思っている。

神保 鎌田さんがね、非常にまあ、悔しそうに話していたことは、あまり、個人名を出されなかったけど、あえて言えば、都知事選でやっぱり、それを一つの脱原発を継起としたい方々、鎌田さんがたはね。勝てる候補を擁立したい、と。で、まあ、落合恵子さんを擁立するということを、かなり前から考えていたんだけど、そうしていたら、彼らからすれば、突然、宇都宮さんがまったくそういう話し合いもない中で、自分が、まあ、フライングとあの場では言っているようだけど、出馬表明をしちゃったんですよね。
宮台 しかも、勝てるはずもないのにね。前回、百万票取れていないんですよ。共産党の組織票が60万票、あるいは、70万票弱あると言われながらですね。上澄みが20万票プラスアルファしかないような候補がですね。いきなり、脱原発として出てしまった。
神保 猪瀬さんが400万票とったわけですよね。それでね。史上最多得票だったらしいですけどね。日本のあらゆる選挙でのトップ票だったらしいですけどね。
http://www.videonews.com/news-commentary/0001_3/003165.php

私はこういう意味で、宇都宮さんという人を信じる気にはならない。なぜ彼は立候補したのだろう? 本当にこの人にとって、脱原発は重要だと思っていたのだろうか? だとしたら、それは、どういう意味においてだったのだろうか? 私には、非常に大きな不信感がある。
私はおそらく、宇都宮さんと彼をとりまく左翼陣営が、上記の、前回の選挙で脱原発を目指して宇都宮さんを応援した人たちの動きを

  • 封じ込める

ために、選挙戦の最初から、立候補をして、一本化の動きを封じ込めようとしたのではないか、と思っている。つまり、宇都宮さんが先に手を挙げてしまえば、こういった国民的支持を集められる、共産党色や社会党色の強くない候補を脱原発の候補の「代表」として、

  • 有無を言わせず

自分に「させられる」という戦略があったんじゃないだろうか。
しかし、そうならなかった。それは、宮台さんも言っているように、それでは、もともと自民党の支持のような都民の大半が乗れないから、であろう。しかし、そもそも共産党の支持者にとっては、そんなことは、どうでもいいわけである。だって、自分たちの政党の支持者を増やすことが、彼らの「目的」なのだから。つまり、脱原発とは、そのための「手段」なのだ(共産党が、昔から、原発推進であることは、誰でも知っている)。
つまり、そもそも、この運動は逆でなければならなかった。
ある右も左も乗れるような、脱原発の候補を擁立して、そこに、右の脱原発に共感する人や左のそうである人を糾合していくような選挙ができなければならなかった。それを最も先頭をきって、妨害したのが、宇都宮という人だということを忘れてはならない(前回、自分を支持してくれていた上記の一本化を目指していた人たちと話し合うこともなく、さっさと、共産党の支持を暗黙に受け入れて、なにをか言わんや、であろう orz)。おそらく、私は一生、この人を許すことはないのだろう。
今回の選挙で残念だったのは、比較的リベラルな立候補者が分裂したことではないだろうか。こうなっては、強力な保守政党の支持者がいる選挙は苦戦する。家入候補にしても、宇都宮候補にしても、あるいは、田母神候補にしても、結果として、舛添候補の「応援」にしかならなかった。私は、彼らの目立つことによる、今後のビジネスなどでの「発言権」を上げていこうという戦略に、なにかを言いたいとは思わないが、結果として、舛添を当選させたことの

  • 責任

を結局最後まで、彼らが反省することがないと思っているだけに(彼らが自らの戦略によって、舛添さんを当選させたことに、投票をしてくれた人たちに懺悔することはないと思っているだけに)、むしろ、彼らの「動機」を疑うと言わざるをえない、と思っている。
私は、そもそも、なぜ原発が東京の争点となったのか、について考えたとき、それを、東京都民に問うことには、限界があるのではないか、と思っている側面もある。
それは、下記の引用で古賀さんが言っているように、そもそもこれは、なぜ近代工業社会の発展に伴って、日本の田舎は極端に貧乏になってしまったのか、つまり、都市と農村の力のバランスの崩壊に関係していた、と思っているから、である。

古賀 昔の日本ていうのは、まさにそういうスタイルというのがあって、中山間地ていうのが今、貧しくなってますよね。これ、なんでかっていうと、実は、収入の半分くらいがなくなったんですね。昔に比べると。その半分っていうのが何かというと、もともと、農林業というのはあるわけですけれども、もう半分は、その、エネルギー産業だったんですよ。ようするに、薪(まき)と炭(すみ)ですね。あらゆる、昔は刀作る鉄だって、炭を燃やしてやってたわけですから、それが、まあ、石炭、石油、ガスっていうふうに変わっていってですね、そこの部分の収入ががさって落ちたんですね。だから、その、山村が貧しくなるのは当たり前で、だから、今は、補助金漬けみたいにして、かろうじて、生きて行きなさいみたいな感じになっていて、で、そこから抜け出すために知恵を出せ、知恵を出せみたいに言われているんですね。
でも、あの、これ、今、そういう地域がだんだん増えていますけど、そういう再生可能エネルギーっていうのを使って、それはぜんその、大企業が、そこに発電所作るんじゃなくて、住民主体でね、農協だったり、林業の組織だったり、地域住民のファンドだったりのところで作って、そこに収入が落ちていくと。それで、まあ、デンマークだとかスエーデンだとか、ドイツだとかは今、過疎地が急速によみがえっているわけですよ。そういう、今までは、原発をやめると茨(いばら)の道、原発みたいに危ないもの汚ないものを動かすくらいなら、電気なしで耐えて生きようよのような人たちも多かったんですけど、そういうことじゃなくて、むしろ、原発やめてそういう明るい未来が見えてきたよ、と。そういう、技術的にね、そういう段階に入っているよ。だったら、その生き方を選択しない。
一方で、安倍さんたちは、いやいや、そうじゃないって、まだまだ原発だよ、と。で、原発を背負って輸出してですね。なんとなく、死の商人みたいな道を行くというのが日本の生き方だ、みたいに呈示しているわけですから、その二つの大きな日本人の生き方が問われてる、ということだと思うんですよね。
VIDEO NEWS » 利権の復活を目論む詐術を見抜け

つまり、早い話が、原発が象徴しているのは、この東京を中心として、日本のあらゆる資本を集めて、この国のさまざまな舵取りを、東京中心で決めて行こうという高度経済成長時代の日本の中央集権「統治」戦略を、今後も、続けて行こうという、「統治」戦略を続けるべきと考えるかどうか、だということなのではないだろうか。
つまり、原発は、こういった中央による「統治」。つまり、東京にある中央官僚による「エリート統治」を続けること、中央官僚に

  • あらゆる日本の面倒を今後も見てもらう

ことが、自分たちの「幸せ」なんだと思っている人たちにとっての「象徴」であって、そうである限り、その「象徴」をそう簡単に手放せない、と考えるのが、自然なように思うわけである。

古賀 まあ、基本的発想からして、やっぱり、分散型っていうのは、まあ、自治体とか市民が選択していく、そういう考え方ですよね。そういう生き方なんですけど、それは、中央の役人から見れば、とんでもない話で、それはね、彼らの頭の中には二つの要素があって、一つは、それは自分たちの利権というものが、まあ、地方に移ってしまうということ。それから、もう一つは、官僚は、やっぱり、市民とか自治体というものを信用してないんですよ。ようするに、俺たちの方が優秀だから、俺たちがやってた方がうまくいくっていう、そういう変な傲慢なおごりみたいなものがあって、したがって、だから俺たちがやった方が国民のためなんだと本気で思っているところがある。
VIDEO NEWS » 利権の復活を目論む詐術を見抜け

この日本の将来のあり方として、分散型エネルギー社会の実現は、地方自治に欠かせない重要命題だったはずだが、この日本の「統治」のパラダイム・シフトを、中央官僚が「嫌がる」その象徴として、

は、今後も使われ続けていく。それは、ようするに、明治以降の日本の「中央集権」的統治機構こそが、

  • 国民の統治にとって、最も合理的

と考える、エリート主導政治の「維持」、国体護持を重要視する勢力の、どこまでも続く、抵抗なのであろう。
私が今回の選挙で「恐しかった」のは、舛添さんのような人を、安倍首相が「推薦」したわけである。私は、ここにこそ、今の政治の「劣化」を感じざるをえない。もちろん、舛添さんをテレビで見て「知って」いた人はいるだろう。また、細川さんが以前、日本の総理大臣だったことを知らない人、同時代を生きていなかった若い人もいるだろう。そういった意味で、

  • たんなる知名度(つまり、自分が知っているかどうか)

で舛添さんに投票した人もいるのかもしれない。しかし、この選挙戦の間にも、あれだけ、舛添さんの「過去の発言」が問題視されていて、私に信じられないのは、

  • どうして過去にあのような発言を続けていた人を、まともな身辺調査もせず、安倍首相は<平気>で推薦してきたのか?

という、その「感性」なのである。こんなことは、今までの政治でありえただろうか? もちろん、前の安倍政権で、厚生労働大臣として、自分が選んでいたのかもしれないが、それと、「東京の顔」として<推薦>することは、まったく別次元の話ではないか。
そして、安倍首相の「お友達」をNHKの委員に押し込んだ結果による、彼らの口から次々と吐き出される「トンデモ発言」は、大阪の橋下市長の従軍慰安婦発言と同じく、私たちに、この日本が、

  • 壊れ始めた

ことを、その一歩が始まったことを、どうしても実感させられざるをえない。もちろん、昔から、ああいったことを言っている「困ったオッサン」は、どこにでもいた。しかし、大事なことは、こういった人が、国家の重要なポストには、<絶対>に付けなかったのである。国家エリートの良識が、それを防いできたのである。
ところが、安倍さんは、そもそも、その「差異」が分からない。というのは、むしろ、そういった連中こそが、彼の

  • 教育係

だからだ。つまり、彼には何が正常で何が異常なのかの、その差を、本質的に理解できないのだ。
私は、なにか、非常に「危機」的な事態が、この日本で起きようとしているのではないのか、という予感を感じなくもない。
どうも、安倍さんは、なんらかの「病気」なんじゃないのか、という感じもしてきた。
確かに、安倍さんの行動は、どこか「躁鬱病」に非常に似てきている印象も受ける。なにか、日本の司令塔の根本の所が壊れかけているんじゃないのか、こういった「恐怖」を今、多くの人が感じ始めているんじゃないのか。
(もちろん、こういった比較は、不謹慎だということを分かった上で、言わせてもらうが、明らかに、ヒトラーは心の病(やまい)にかかっていた。あのアウシュビッツにしても指示したのはヒトラーである。国家の党首が、なんらかの<狂気>に動かされるとき、そして、その<徴候>に国民が気付けないとき、非常に深刻な事態が、この日本の未来に待ちかまえていないとも限らないわけである。)
安倍さんは、いわば、金融緩和の最初で成功した。ところが、その成功は、ある種の勘違いを生み出した。というのは、アベノミクスの第三の矢であるはずの、産業改革や行政改革がまったく進んでいないからである。なぜ進まないのか? それは、そもそも、安倍さん自体に、そのモチベーションがないからである。
ところが、この「成功」は、多くの若者から、労働者から、お年寄りまでに、ある種の「勘違い」を生み出した。つまり、安倍さんは「信頼できる」となってしまったのである。なにもかもを、

  • 任せたい

大衆は、安倍総理の一つの「成功」が、

  • あらゆる

ことの「信任」に足る事態だと思ってしまった。というか、思いたかったのである。あらゆる面倒なことを嫌う、すべてを「うまく」やってほしいと、不満だけ言う大衆の思考停止が、ここから始まった。
私はこれから、何年間かの間、日本は非常な<危機>に直面するのではないか、という予感を感じる。それは、安倍首相の<狂気>を、誰も気付けない間に、彼が非常な高みにかけあがる(まさに、蓑田胸喜だ orz)。
ただ、最後に一筋の光明があるとするなら、以下であろう。

「最も重視した政策は何か」尋ねたところ、「景気・雇用対策」と答えた人が最も多く、31%でした。
次いで「原発などエネルギー政策」が22%、「医療・福祉の充実」が21%、「首都直下地震など防災対策」が8%、「教育・子育て支援」が7%、「東京オリンピックの準備」が4%でした。
このうち最も多かった「景気・雇用対策」と答えた人のうち、60%余りが、舛添さんに投票したとしています。
一方、宇都宮さんや田母神さん、細川さんに投票したという人は、それぞれ10%前後にとどまりました。
次に多かった「原発などエネルギー政策」と答えた人の投票先は、原発のない社会の実現を訴えた細川さんが60%余り、宇都宮さんがおよそ20%と、分かれました。一方、舛添さんはおよそ10%にとどまりました。
http://www.nhk.or.jp/shutoken-news/20140209/4919531.html

こうやって見ると、今の安倍政権の金融政策への「信頼」が、同様に選挙結果にもあらわれていると考えざるをえない。しかし、上記で見る限り、必ずしも、原発への注目は低くなかったし、その6割が細川さん支持だったという結果は、間違いなく、細川さんの訴えを都民の多くが賛同した、ということが見てとれる。ここだけは、強調することを忘れてはならないであろう。