古賀茂明『利権の構造』

民主党政権において、鳴り物入りで作られた、原子力規制庁は、こと、安倍ちゃん政権で、完全に、安倍ちゃんの「おもちゃ」になってしまった。
「世界一安全」をうたう原子力規制庁は、さて。アメリカにある、NRCと自分たちの「どこ」を比べて、「世界一安全」とのたまっているのか。

原子力規制委員会が公表した原発の「新しい規制基準」は二〇一三年七月に施行された。
田中委員長は会見で「新たな規制基準は世界最高だ」とくりかえし強調した。しかし「世界最高」と言うために必要不可欠な条件は、世界の基準との国際比較である。少なくとも日本とアメリカとEUの基準を示したうえで、日本はもっとも厳しい基準と言わなければならないはずだ。しかし、そうした具体的な根拠はまったく示されることはなく、ただただ「世界一」を連呼するばかりだった。

私は、たんに原発恐い、放射能恐いといった、

  • プロレスごっこ

をやりたくて、原発に反対しているのではない(私は、こういった「プロレス」がどうにも許せない。絶対、ふざけている連中を許すことができない。私一人は別に、放射能をいくら浴びようが、かまわないが、未来永劫続く日本国民「すべて」を、こういったお金儲けの亡者の毒牙にさらさせるわけにはいかない)。私は、こういった

  • お金儲け

で、原発を金儲けの「ネタ」にしている連中が、本当に「恐しい」。たのむから、こと原発についてだけは、

  • 言論プロレスごっこ

をやめてもらえないだろうか。原発だけはネタにしないでほしいのだ。これは、人命に関わるだけでなく、日本の未来を左右する重要な選択なのであって、お前の明日の喰いぶちがどうのこうので、左右されてもらっては困るのである。
私が許せないのは、こういった上記にあるような「世界一」とか、もう完全な

  • 嘘(うそ)

ではないか。恥ずかしくないのだろうか。明らかに、誰でも分かるこういった嘘をはく奴、嘘を平気な顔言える奴が許せないのだ。こんな人間の顔をかぶった「悪魔」が私たちの安全を守るとか言っているのが許せないのであって、それは、もう、内容以前の話だということなのである。

規制委が重要視する安全基準の作成にあたって最初にやらなければならないのは、調査項目やヒアリングの対象となる専門家の選定などについて、議論しながら作成の行程を見積もっていく作業だ。お手本になる米国の安全三叉関連の指針は数千ページに及ぶという。委員これと同水準のものを数ヶ月でつくるのは事実上、不可能である。
政府が主張するように、規制委がどこからも干渉れない「独立性」を保証されているとするなら、そのスケジュールを決める権限は当然、規制委自身に属すべきである。ところが、そもそも法律がそうした仕組みになっていない。
規制委は独立を標榜しながら、じつのところ、どのような日程で安全基準を作成するかという基本的なプランにさえ関与させもらっていないのだ。

規制委は、こういった意味で、そもそも、「独立性」など、どこにもない。最初から、法的にそうなのだ。がっちりと「枠組み」をはめこまれているのであって、つまりは「それでもいい」と、その操り人形にされることを分かった上で承諾した「原子力ムラ」の連中がメンバーになったわけである。
民主党政権のときから、非常に驚かれ、残念がられていたことは、少なくとも、反原発派の学者が、原子力規制委に一人は入るのではないかと思われていたが、民主党政権は、それだけは、なんとしても避けようと、徹底して抗戦した。そういう意味において、民主党は、原子力ムラであった。この一線を超えられなかった時点で、本当は負けていたのであろう。

ノーリターンルールが厳格に適用されれば優秀な人材が確保できない恐れがある、と政府は言う。いったん経産省から規制庁に行くともう戻れないことになれば、規制庁に行く職員はいなくなるというわけ。しかし、よく考えてほしい。「経産省に戻れないなら規制庁には行きたくない」と考えるような人物を、そもそも規制庁の職員にしていいのだろうか。そんな職員こそ真っ先に規制庁から排除すべきではないのか。
本来は「独立した規制庁のもとで仕事ができるなら、原子力ムラに気をつかわないで思いっきり正しい原子力安全行政ができう。経産省に戻れなくても、なんの問題もない」と断言できる職員だけを採用すべきだろう。

原子力規制委は、そもそも、彼等の手持ちの部下が「原子力ムラ」なのだ。こんな利益相反も避けられなかったのだ。たとするなら、どうして、まともな審査が行われようか。

日本の場合、いかなる地震が起きるかわからない。本来ならば、安全性にわずかでも疑いがれ、規制する側は予防原則に基づいて原発建設や原発稼働の中止を求めなければならない。そして危険性の指摘に対して、原発事業者は異論があるならば、「絶対に危険ではない」ことを証明しなければなない。事業者と審査側はそうした関係でなければならないはずである。
事実、米国ではそうなっている。地震や地すべき、褶曲地(地殻変動で地層が波状に曲がる箇所)といった地質異常がある場所に原発を建設しようとする事業者は、その安全性を米国原子力規制委員会に対して証明することが義務づけられている。事業者の安全性の説明が不十分な場合、NRCは「ここがわからない」「ここが間違っている」と指摘するだけで原発はつくれなくなる。
この仕組みを応用すれば、本来は、日本原電が提示した安全性を立証するデータに対して、規制委が納得しなければ原発は動かせないという構造になるはずだが、立証責任の所在がまったく逆転しているのである。規制委が一所懸命に調査して危ないことを証明しなければ原発は止められないという状況になっているのだ。

嗤ってしまうが、恐るべきことに、なんと、原発の安全証明は、

  • なぜか

原子力規制委が「やらなければならない」らしい。なに言ってるんだ。電力会社が「動かしたい」んだろ。だったら、自分で「これこれこうだから安全です」と、資料一式そろえて、もってくるのが、当たり前だろう。どっちが「規制」されてるんだ。まるで、スターリンソ連時代の裁判みたいではないか。

米国で、活断層も地すべりも褶曲地も同様に考え、その痕跡が近くにあれば原発は建設できない。
さらに、日本では原発など重要施設の「直下」に活断層がるかどうかが焦点となるが、米国では直下かどうかにかかわりなく、施設の近傍にあることも許されない。
真下にある断層が活断層かどうかで争ってきた敦賀原発の近くには、敷地内を横切るようにして「浦底断層」という少なくとも全長三五キロの大きな活断層がある。規制委は敦賀原発二号機の真下にある断層については、日本原電の反論に抗して活断層と断定し廃炉の判断を下した。しかし、すぐ近くにある浦底断層については、真下ではないから運転に影響はないとした。
米国の基準では絶対に原発建設はできない断層であるにもかかわらず、真下の断層に議論を集中することで、原発近くの断層は容認したのだ。これによって、以後の安全審査でも「真下でなければ断層があっても原発稼働は可能」との判断が確率したことになる。

あのさ。原発は、笑っちゃうくらい、細い配管で結ばれているだけなわけでしょ。そこが切れたら、もう、だれも止められない。だれも近づけなくなるんだよ。簡単に地盤がずれてもらっては困るんだよ。そんなの、ただの地すべりだって、一度として起こってもらっては困るに

  • 決まってるだろーが

なに言ってんだよ。真面目にやる気あるのかよ。なにが「世界一」だ、嘘つけ。嘘ついて、世界一とか言って、こんな恥知らずなことをやってんなら、今すぐ、やめちまえ!

米国の場合、近くに島があれば、その島の人間が安全に逃げられるだけの対策をとらないかぎり、原発建設は認められなくなった。ニューヨーク州ロングアイランド原発では、島民の確実な避難方法が提示できず、結局、運転開始直前に廃炉となること決まった。
玄海原発にも伊方原発愛媛県)にも、周囲には多数の島が存在する。島民に充分に配慮した避難対策を講じれば、これらの原発を稼働することはできなくなる。いや、日本の原発はほとんど動かせなくなるのではないか。
米国の原発に対する考え方は「ノー・コンプロマイズ」、つまり、いっさいの妥協許さずに徹底的にやる。考えうる事態すべてに対策をとらせるから、安全性の強化に電力会社は莫大な資金負担を強いられる。
米国では、スリーマイルの事故が起きたからではなく、コストが高すぎるから、それ以降、新しい原発はつくられていない。三十年異常にわたって新しい原発つくれなかったのである。オバマ政権は多額の補助金まで出して原発建設を推進したが、ようやく数件、NRCの承認が得られただけ。しかもすでに、建設取りやめを判断するところが出る始末だ。

私が嫌いなのはさ。そういった「嘘」なんだよね。嘘。なんで本音を言わないのかね。そういったホンネを隠す連中の、その心の中のドロドロとした闇なんですよね、原発マネーに汚染された連中の。

  • 世界一なんて、まったくの、デタラメです

って、危ないけど、動かしたいです、って、なんで言わないの? また事故が起きてもおかしくないような甘い規制ですけど、動かさせてください、って。なんで言わないの? 

  • 本音で話せよ。正直になれよ。

そうなることで、始めて、真実に向きあえるんじゃないのか。そうなって始めて、話し合いの土俵にあがったと言えるんじゃないのか orz。

利権の復活 (PHP新書)

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