正義論序説:第五章「ガンジーの法律論」

井上達夫が、ロールズの不可知論を批判する上において、彼は正面から、それを否定しているという戦略をとっていない、というのが、私には興味深かった。つまり、不可知論はありうる。しかし、たとえそうだとしても、

  • あまりにも「自明」な論理的矛盾

は、さすがに「おかしい」だろ! と彼は言いたいだけなのだ。つまり、非常に「低レベル」の議論に、井上達夫は落とした上で、非常に常識的に追求しているわけである。
つまり、こういった「幾何学のパズルゲーム」にさえ還元できるくらいに、あまりにも、自明な論理的推論は、否定しようにもできないわけで、そういった本音の「密教」が、言葉の端々から、ダダ漏れていて、隠しているつもりになって、シカトしてみても、限界があるんじゃないのか、というわけである。
つまり、井上達夫が暗に示唆しようとしていることは、密教は無理だ、ということなんじゃないだろうか。いくら本音を隠そうとしても、言葉の端々から、どうしても、地声が漏れてしまう。だったらさ。最初から、ホンネで、ぶつからね、ってことなんだよね。自分が思っているんだったら、言うしかないんじゃないかね。
自分がお金持ちで、貧乏になりたくないんなら、そう言うしかないよね。だって、そう思っているんだから。しょうがないでしょ。思っちゃってるんだから。もし、そう言うことで、社会的なサンクションを受けることになったとしても、しょうがないでしょ。そこから始めるしかない。だって、言わずにいられないのだから。
実際、それでいいんじゃないんですかね。ホンネでぶつかって、いっぱい傷つけばいい。だって、そこにしか真実はないのだから。
しかし、ここで、一つのアポリアに直面する。
私たちは、ローティの「タテマエ戦略(=ホンネを隠すという意味では、東大話法そのものであるが orz)を採用できない。だとするなら、どのような態度が、倫理的にありうるのか、ということになるであろう。
私は、このヒントを、ガンジーの戦略において考えたい。
インド独立の創成者として、ガンジーはインドの「英雄」でありながら、他方において、ガンジーがインド人に

  • 無視

される存在でもある。それは、彼の主張した「武装放棄」の戦略が、今のインドの軍事化と整合性がないから、ということになる。
しかし、ガンジーは、別に、ずっと非武装平和主義だけをとなえていたわけではない。というよりむしろ、この態度は、あるガンジー自身が、生きてきた「実践」の中から、導かれてきた、ある種の「自明」さが、彼にもたらしたものの「ほんの一部」だと考えるべき、と思われるのである。

ガンジーは『ヒンド・スワラージ』の中で、どうして人口の少ないイギリスが、圧倒的に人口の多いこのインドを征服し、管理し、支配できるのか、という問題に対して、次のように答えている。

インドをイギリスが取ったのではなくて、私たちがインドを与えたのです。インドにイギリス人たちが自力で居られたのではなく、私たちがイギリス人たちに居させたのです。----(中略)----イギリス人たちには王国を設ける気持ちはありませんでした。その会社[東インド会社]の人たちを助けたのは誰でしょうか? 会社の人たちの金を見て誘惑されたのは誰でしょうか? 会社の商品を誰が買っていましたか? 歴史は証明しています。私たちこそがそれらすべてをしていました。----(中略)----私たちがイギリス人たちにインドを与えたように、私たちはイギリス人たちにインドを支配をさせているのです。イギリス人たちのある者は、インドを剣で手にいれたといっていますし、剣で支配しているともいっています。この二つのことは誤りです。インドを支配するのに剣は役に立ちません。私たちこそがイギリス人たちを(インドに)引き止めているです。(第七章)

つまり、インド人が積極的に協力したときに、初めてイギリスの支配は可能になる、ということだ。インド人がイギリスが作った政府に就職する、官僚、警官、兵隊にもなる、イギリスの傀儡政権が可決した法律を守る、その政府が設けた裁判所に訴える、イギリスの学校で勉強する、イギリスが設けたそれぞれの免許証などを求める、イギリス政府か名誉が与えられると喜ぶ、イギリスの工場で働く、イギリス産の商品(特に繊維)を買う、そして、あらゆる側面でインドの知恵、慣習、振舞いなどを劣ったものだと軽視し、イギリスのそれに憧れる。これらすべてを合わせると、イギリスの権力になるわけだ。

ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書 505A)

ガンジーの危険な平和憲法案 (集英社新書 505A)

ガンジーのこの認識は、私たち日本の戦後平和主義を、非常に深いところで説明する。つまり、決定的に、「自虐史観」批判になっているわけである。
私たち日本は、アメリカに「占領させた」のである。彼らに好きにさせたのである。アメリカに自由にさせることを、私たちが選んだのだ!
つまり、私たち日本人は「積極的」に、アメリカに協力したのだ。協力したかったのだ。
こういった場合、密教主義者は、それは「自分たちが損になるから、裏でなんとかして、他人をだまして、自分だけ、うまい汁を吸いたい」と思うかもしれない。そこから、アメリカを徹底的に排除して、自分たち「だけ」の、

  • 純粋培養

した、「自分たち」性を極めたい、と思うかもしれない(それが、友敵理論の究極化ということである)。しかし、それは、実際において、逆なのだ。

たとえば、ボクシング選手が、街中でやればすぐ逮捕されるようなことをリングの中では許されるのはなぜだろうか。それは、もう一人のボクサーも同じゲームに参加していて、同じルールを認めていて、そして同じように殴ろうとしているからだ。つまり両方のボクサーは、ボクシングの危険性を(怪我をしたり、死んだりすることも含めて)認めた上で試合していることになっている。したがって、ノックアウトされたボクサーにも、殺された兵士にも、文句がないのだ。なぜなら、自分がやられことは相手にやろうとしたことと同じだからだ。この論理が通じるかどうかはともかくとして、正義論の中にも、国際法の中にも、そして兵士の良心の中にも、こういう形で存在している。
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私たち、戦後の日本人が、あの敗戦の後、アメリカの占領を受け入れたことを「自分たちは、たんに<損>になった」と考えることは、合理的ではない。むしろ、私たち「自身」が、アメリカ人を自分たちの土俵にまで、引き込んだのだ。そして、そうすることによって、彼らに

  • 日本人をアメリカ人と<同様>に扱わざるをえなくさせる

のである。日本がアメリカの占領下に入るということは、当然、日本人はアメリカ人になったということであるから、日本人は、ひとしく、アメリ憲法の適用される

の一人となったわけで、当然、アメリ憲法がうたう「人権」を日本人は、等しく、受け、その権利を当然のものとして、要求できる立場となった、ということである。
そして、これと同様のスタイルにおいて、ガンジーは自らの祖国インドと、イギリスの関係を構想したわけである。

南アフリカアパルトヘイト体制と戦っていた時代、ガンジーには、その構造的な人種差別は、イギリス憲法の精神に対する侮辱である、という発言が多かった。
たとえば、

アパルトヘイトは]世界でもっとも正しく純粋だと言われている、イギリスの面目と憲法に対する侮辱[である](全集二巻 一一六ページ)

イギリス憲法プレトリアで改正されるのか。それとも正義は最終的に勝つのか。(全集三巻 二二三ページ)

イギリス憲法は、それぞれのイギリス臣民が法のもとで平等に扱われなければならない、と私たちに教えます。私は子どものころ、そう教えられました。したがって私はトランスヴァールの法のもとでも、その平等の扱いを要求します。(全集九巻 八八ページ)

イギリス憲法の大切な原則、つまりどの人も有罪判決が出ないかぎり、無罪な人間として扱われるし、無罪の人間が苦労させられるよりも、有罪な人間が解放された方がまし、という原則(全集七巻 二四ページ)

このような若い頃のガンジーの発言を読むと、この人は仙人、聖人、カリスマ的リーダーである以前に、イギリスで資格を取得した弁護士であることを思い出す。もちろん、イギリス人を説得しようとしているので、彼らがもっとも尊重しているイギリス憲法の存在を強調することは賢い戦略である。しかし、どうもこの若い弁護士自身も、イギリス人に劣らず、イギリス憲法の理念を真剣に信じていたようだ。
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私たちが、リベラリズムユートピアを構想するとき、ローティのような、会員制クラブ内の「密教」蛸壷集団を大量に作って、それぞれが、排他的に、回りを敵視して、孤立していく戦略は、ほとんど絶望的に思われる。なぜなら、必然的に彼らの本音は、そいつの生まれてから今に至るまでの発言の

によって、その論理的整合性から、その言葉の端々に、密教の側の「ホンネ」がダダ漏れになるからだ。つまり、これは言っているほど、「安定的ではない」のだ。絶えず、回りとの確執を抱え続けながら、一向に「平和」にならない。
だったら、ガンジーのように、相手の懐に飛び込んで、ホンネで言ってみた方がずっと、ブレークスルーがあるかもしれないわけである。
お前、いつも言っていることと、やってることと、全然違うじゃねえか。本気で、イギリス憲法尊敬しているんなら、俺たちインド人をイギリス国民として、対等に扱えよ、と。
こういった戦略は、いわば、ルソーの社会契約論における、法人としての国家がそれとして成立しうる戦略の一つであったわけであるし、また、ヘーゲルが構想した市民社会論の基本となるテーゼであったわけである。
なぜ、こういった相手の懐に入って、普遍性(=相等性)を要求していく戦略が「合理的」なのかは、反語的であるが、不可知論の側から説明することもできる。
つまり、ヴィトゲンシュタインのファミリー・リセンブランスは、私たちが絶対に「一致」することはない、という「不可知」論を示している一方において、

  • けっこう重なってもいる

わけである。私たちは、絶対に他者の全てを理解できない。しかし、けっこう分かったりもする。いろいろ、他者と関わることから逃げ、お金持ちコミュニティの中に閉じ込もろうとするローティの密教的コミュニティ戦略よりも、誤解を招きながらも、他者の中に飛び込んでいこうとする方が、進化論的にも、結果的に長続きする、と私には、どうしても思えてしょうがないわけであるが、どうであろうか...。