from what?

仕事が終わって、家に帰る帰り道で、あるポスターが貼ってあった。

  • 日本をとりもどす

その表紙には、安倍首相がこちらをにらみつけていた。
私がこれを見て、非常に違和感をもった。

  • 何から日本をとりもどすの?

そう思って、この言葉を、もう一度考え直してみたとき、なにか、怖くなってきた。
こんな、一国の、舵取りを委ねることを求めている人が、なんだか意味の分からないことを、国民に向かって話しているのだ。
私が思ったのは、別に、この人が国民の生活を破壊しようという悪意があるかどうか、みたいなことを疑っている、とかいう前に、

  • なんの意味も不分明なことを国民に向かって語りかけておいて、その「事実」に、なんの「ためらい」も「恥ずかしさ」も感じない

ことなのだ。おそらく、安倍さんという人は、善意の人なのだろう。自分が正しいと思ったことを語れば、なんの恥ずかしさもないのだろう。なぜなら、自分の「善意」を、誰よりも自分が信じているからだ。
しかし、おそらく、この人は、次々と変わる状況の変化に、「こんなはずではなかった」とか、「それは最初の自分の意図ではなかった」とか、言い訳を始めるのである。
そりゃあ、そうである。
最初から、意味不明な「イメージ」を口にしていただけなのだから。
安倍さんが、前の総理大臣のときに、福島第一の安全対策を怠ったA級戦犯であることは、だれもが知っている。ところが、3・11以降、だれも、このことを追求しない。彼自身が、もし、この瑕疵を認めたら、自らの権力の正統性が揺らぐだけに、反原発を語れないのだ。おそらく、この人が、総理大臣である限り、最後まで、原発廃炉核燃料サイクルを、堅持し続けるであろう。
安倍さんは、アメリカ大統領のブッシュ・ジュニアに似ている。言っていることも、めちゃくちゃだし、危なっかしい。しかも、彼が総理の間に行った政策のかなりの割合で、国民は反対でありながら、政権の支持率だけは、高い水準を維持している。
つまり、彼の「頭の悪さ」が、逆に、国民の共感を呼ぶわけである。ブッシュ・ジュニアであれば、田舎のアメリカ人の、ああいうベランメエな人っているよなって感じで、彼個人に「共感」するのだが、政策のほとんどには、賛成しない。

  • きっと、周りの頭の良い奴らにだまされているんだろう

と同情してしまう、というわけである。
しかし、そんなことでいいのだろうか。消費税を増税され、間違いなく、庶民の懐は、より貧困に近くなっているのに、いつまで、新自由主義を庶民は、黙認、忍従するのだろうか。
今、日本の大企業は、ことごとくグローバル企業となり、むしろ、彼らは、日本にとっての利益でなく、世界中の国々で、儲けるために、日本の国内市場を利用しようとしている。自民党を直接、お金で、利益誘導し、国民の利益を毀損させることで、世界中で自分たちが儲けやすい関係を作ろうとしている。国民は、彼ら「非国民」に、いつまで、騙され続けるのか。
同じようなことを、3・11の福島被災者問題においても思った。
私がびっくりしたのは、漫画「美味しんぼ」で、双葉町元町長の井戸川克隆さんが、鼻血は放射能が原因だと言ったことに対して、次々と、デマだのなんだのと、攻撃がよせられたことだ。
しかし、福島県双葉町は、今回の福島での放射能被害の最も、直接に、多くの放射能を浴びた人たちであろう。彼らは、国からなんの情報も与えらず、ベントされた風の方向に逃げさせられた、直接の「被害者」ではないか。
そういう人たちに対して、デマだなんだと、罵詈雑言をあびせ、あるジャーナリストなど「リンチ」をしろ、とさえ言っている。
こいつらは、被災者をなんだと思っているのだろう?
彼らが、最も苦しい中を生きたんじゃないのか。そういった被害が、まるで「なかった」かのような、その糾弾はなんなんだ?
お前ら、一体、何様なんだ?
だいたい、放射能が「直接」の原因であろうが、なかろうが、そんなことが、被災者になんの関係があるのだ。どっちであろうが、彼らが苦しんでいるのに変わらないではないか。
なんで、そんなに放射能にこだわるんだ。
放射能があろうがなかろうが、あの被災にあって、あれを契機に、体調を崩して苦しんでいる人は、たくさんいるんじゃないのか。そういう人たちに、もう少し、同情的に話せないのか。
避難させられた人たちは、住んでいた家を離れさせられ、ペットを置きざりにさせられ、それで体調を崩さないと思う方が、あまりにも、残酷なんじゃないのか。
政府にだまされて、原発を日本中に作らされて、原発を推進しようとする国が怖くて、信用できなくて、って、もうこれだけで、原発を止めてほしいと思う十分な理由だと思わないのだろうか。一切の理由なんていらない。原発を推進した政府に、嘘をつかれて、不快だ。もう、これだけで、原発を止めてほしいと思っている国民は、たくさんいる。じゃあ、やめればいいじゃないか。なんで抵抗するんだよ。嫌だって、言っているんだから。そうまでして、動かして、国民を脅したい理由って、なんなんだよ。
大阪の震災がれき焼却にしたって、そうだ。
そもそも震災がれきは、さまざまに「汚れている」のであって、放射能とか関係なく、燃やすことが妥当なのか?
日本は、極端に、物をゴミ焼却場で燃やしすぎる。世界中では、むしろ、埋め立ての方が、一般的な処理方法であるのに、日本では、なんでもかんでも燃やす。
そりゃあ、不快な匂いをかいだ人は、たくさんいるんじゃないのか。
よく考えてみろよ。
そこに放射能が含まれていようがなんだろうが、そもそも、そういったものを燃やして、そういった汚染された空気を吸うことになる住民が、なんらかの形で体調を崩した場合、そうやって、体調を崩された人を「かわいそう」と思わないのか。
それは、直接の関係がなかろうが、同じであろう。震災がれきを燃やされて、そういった、政府機関の強圧的な態度に、気分が悪くなって、体調を崩した人がいたとして、それと、実際の放射能が直接の因果関係だった場合と、被害者の人にとって、一体なんの違いがあるんだ。
政治とは、そういうものであろう。
私は、今回の「美味しんぼ」騒動で、とにかく、放射能が「安全」であるという風評を広めることにしか興味のない(それしか言っていない)連中というのは、本気で、原子力ムラの「利益」にしか興味がないんだな、と思わずにいられない。
放射能なんて、どうでもいいではないか。
国民の健康の方が、<一人>の国民の健康の方が、ずっと大事ではないのか。
どうして、そう考えられないのか?
どうして日本では、ここまでして、ゴミを燃やしたがるのか。おそらく、今の享楽的な商業主義の延長から、ゴミを減らしたり、節約したりすることが、彼らの考える、生活の利便性という

  • 進歩

に反するから、怖いのであろう。ゴミを燃やさないようにしたら、今度は、コミで日本中が埋め尽されることを避けるために、ゴミを出す生活を止めなければならない。しかし、そういった

  • 義務

は嫌なのだ。面倒くさいから、これからも、どんどんゴミを出したい。そうするためには、ゴミが

  • 安全

であるということにしなければならない。このことは、原発とまったく同じ構造だ。
私は、いわゆる進歩主義者が全ての合理的判断を間違えていると思っている。彼らのマッチョな進歩史観は、国民をパターリスティックに、強圧してくる。

  • 震災がれきの焼却は安全だ。
  • 3・11で、放射能が襲ってくる方に逃げてしまった福島被災者は「安全」だ。

彼らが、さまざまな体調の被害を訴えても「デマ」だ、と攻撃し、リンチを続ける。
彼らは、自分の放射能安全論にしか興味がなく、実際に苦しんでいる人が目の前にいても、自分の放射能安全論が「デマ」でなければ、どんなに苦しんでいようと、関係ない。そういった苦しんでいる人が、一言「放射能ではない」と言えば、あとは、どうでもいいのだ...。