アーサー・C・ダント『哲学者としてのニーチェ』

私たちが思っている以上に、カントやニーチェは、私たちの今の「常識」い近い。むしろ、そのことが理解されていないことが、さまざまなことに対する認識の齟齬生んでいる、と言えるのかもしれない。
しかし、そういったふうに言った場合に、しかし、やっぱり、どこかしらは、今の私たちの常識とは違うのではないか。つまり、「トンデモ」なのではないか、というふうに言うことは、まったく正しい。しかし、そういった意味で言うならば、カントやニーチェが非常識的であることは、「現代的な意味で常識的」なのだ。
むしろ、重要なのは、ニーチェが言ったように「反時代的考察」である。
ニーチェが、生涯に渡って書くことになるさまざな哲学的エッセイの内容を、その全体に渡って考察していくとき、そこに、圧倒的なまでに影響を及ぼしているという意味において、カント主義者としてのニーチェの姿が見えてくる。というか、ニーチェは基本的にカントの「延長」で考えているし、そういう意味で、そのレールから離れることに、彼自身が興味をもっていない。つまり、彼は徹底して、生涯に渡って、カントが敷いたレールの上で、徹底して考え続けた、と言えるのではないか。

わたしたちの物の認識は、鏡のように外界の事物をそのままに映しとっているのではない。わたしたちの心意識の外側にあるある物(「物自体」)から、わたしたちの感覚が触発され、雑多な印象を時間と空間の感性の形式に受容し、その直感的な対象に「純粋悟性概念」----それは、言語文法上の主語 = 述語からなる判断文の結合法則の形式、つまり判断における論理的な形式から導出される法則や概念のことでわえる、カントはこれを範疇、カテゴリーとも呼んだ。例えば、単一、数多、実在、実体、因果律、相互作用、可能、必然、偶然など----適用して、物という対象を構成する、つまり作り上げる。これが科学の対象構成である。そうしてみると、科学の対象は、言語文法の論理形式の枠組みに規定されていることから、客観的、普遍的であるはずの科学認識の内容が、きわめて擬人論的うぇあること、言い換えれば、人間的な遠近法であることがわかる。
カント学徒であったニーチェは、ライプツィヒの学生時代から新カント派ランゲの『唯物論史』(1866)を通して、科学の原理や法則を造りだす。「純粋悟性概念」が、言語の論理形式から造り出されたものであることを、充分に承知していたから、初期のエッセイでこう述べている。

「わたしたちが見たように、概念の建物には初めから言語が作成にかかわっている。後の時代に学問が作成にかかわる[...]学問はひっきりなしに概念のあの大きな納骨堂や直感の霊廟造りに従事し、つねにあたらしくてより高層な建物を造り、古い屋根を支えたり、掃除したり、改装したり、とりわけあの途方もなく高く積み上げられた建築構造を満たし、全経験世界を、言い換えれば、擬人的世界を、その中へ整頓しようと努める」

科学の自然についての知識が、きわめて擬人的えあるというのは、常識から見ると奇妙に聞こえるかもしれないが、自然そのもの、自然自体ではなく、わたしたりにとっての自然、つまりわたしたちに理解できるように人間の思考によって整理され、調整された、敢えて言えば人間的に解釈され、変形され、人間的に総合された人間の自然なのである。
それゆえカントの『プロレゴーメナ』三六節を引いて、かれの規約主義・約束主義 conventionalism を示してみよう。

自然法則は、わたしたち自身の中に、つまりわたしたちの悟性の中になければならない。そしてわたしたちはこのような普遍的な合法則性を、経験によって自然からではなく、反対に自然がその普遍的な合法則性を、わたしたちの感性と悟性にある経験を可能にする条件から、求めなければならない」

さらに『純粋理性批判』では、

「わたしたちが自然と名づけている現象にある秩序と規則正しさは、わたしたちが自分で自然の中へ持ち込んだものである。もしわたしがこれを自分のうちにもっていなかったならば、あるいはわたしたちの心の自然を自然の中へ、もともと入れて置かなかったならば、わたしたちは秩序も規則正しさも自然の中に再び見出すことがないであろう」

次に引くニーチェの規約主義のアフォリズムは、すでに引いたカントの規約主義の引用文とあまりにも似すぎているので、読者はびっくりされるであろう。ニーチェがカント学徒であることを、再認識されることと思う。

「科学とは----自然支配の目的のために、自然を概念で変更しておくことだ」

「人間が事物のうちで再発見するのは、結局人間自身が事物の内へと差し入れておいたものだけである。この再発見が科学と名づけられる」

「概念、類、形式、目的、法則の形成をしているこの強要は、[...]----それでもってわたしたちは一つの世界を、つまりわたしたちにとって算定できる、単純化された理解しやすい世界を造り上げる。[...]
論理学を信じ込ませるわたしたちの主観的強要が表現するのは、論理学自身がわたしたちの意識にのぼるはるか以前に、論理学的な要請を生起の内へと置き入れること以外、わたしたちは何もしていなかったということにすぎない。[...]同等のものを、[...]、粗雑な単純なものをでっちあげるはたらきをこのうえなく長期にわたって営んできたあとに、『事物』、『等しい事物』、主語、述語、働き、客体、実体、形式を造りあげたのは、ほかでもないわたしたちである。世界はわたしたちには論理的なものと見えるのは、わたしたちがまずもって世界を論理化して置いたからである」

「思考は自分自身によって決めたサイズだけで世界を測る、言い換えれば、思考は『無制約なもの』、『目的と手段』、『事物』、『実体』などの根本的な虚構に基づいて、また論理学的な法則や、数や、形態によって測定する」

これが英語圏分析哲学プラグマティズムの法則、規則、概念の規約主義・道具主義の先取となるカントとニーチェの規約主義である。
(眞田収一郎「訳者解説」)

したがってカントの範疇は、生の根源的な衝動である「力への意志」の有用性から造られたもので、経験に先立ち、経験を可能にする純粋な概念ではない。生のきわめて実用的な有用のために造られた経験的な概念なのである。「これらの諸範疇は、多くの暗中模索をかさねながら、相対的な有用性によってその真なることを証明されたかもしれないのである。[...]----それらの有用性がそれらの『真理』なのである----」。さらにカントが科学(カントの場合、ニュートン物理学と数学)の真理を普遍妥当的で客観的な真理と見なすのを、ニーチェは真理への信仰であると言う。確かにニーチェはカントと対象構成に関する認識主観の規則主義、約束主義では同じであるものの、認識の根底に「われわれに意識されているものはすべて、徹底的にまず整えられ、単純化され、図式化され、解釈され」(本書 第四章「哲学的心理学」一八七頁)、存在するものは思考された解釈であるとする「力への意志」の解釈主義(遠近法主義)があるだけに、はるかにカントよりラディカルである。
(眞田収一郎「訳者解説」)

このように見ると、ニーチェの言っていることは、ほとんど、カントの口パクなんじゃないのか、とすら言いたくなるまでに、ほとんど同じことを考えている、とすら言いたくなる。
カントの観念論は、実際には、フロイトなどによる心理学の起源と考えられる。なぜなら、上記の引用にあるように、カントは私たちが存在している、時間空間的な意味での、この経験世界「そのもの」と、私たちの「内面」そのものとを、完全に分離してしまったからだ。
(このことは、ユクスキュルの「環境世界」が、同じように、カントの延長で考えられていたことを考えると分かりやすい。人間以外のさまざまな動物、蚤から猫に到るまで、どのように外界を知覚し、生活しているのか。彼らの「日常」とはなんなのか。少なくとも一つ言えることは、それらは、想像を絶するくらいに、人間とは違っているが、おそらく、その基本的な構造は変わらない、とカント的な意味において考えられる、ということである。)
また、カントのこの意味において、カントをプラグマティズムの起源と考えることもできるであろう。というのは、結局のところ、内面のエッジのところで、最前線を戦うことになることを示したのであるから。
そして、ニーチェが言っていることは、基本的に、この問題だけにこだわっている。つまり。この問題の応用問題の話しかしていない、とさえ言ってもいい、と言えるだろう。
なぜこのカントのアジェンダセッティングが問題であったのか。それは、ニヒリズムと関係している。つまり、このように人間を定義したとき、さて、人間には、一体、なんの目的があるのか、なぜ生きるのか、といった問題への答えが、途端に見失われたようにしか思えなくなったからだ。
例えば、なぜ人々は道徳に従わなければならないのか。その起源を、どのようにして新カント派の延長から導き出せるのだろうか。カントはそれに対して、「心理学」を対抗してくる。つまり、人間は往々にして、

  • 他者の苦痛

を「快楽」とともに受けとる、サディスティックな存在であったのだ、と「定義」するわけである。

これは、『人間的、あまりに人間的』で述べられる----「無力な人間に対して、ためらわずに自分の力を行使できるという快感であり、『悪をする楽しみのために悪をする』喜悦であり、暴行をくわえる喜びである」。人は「自分以下の人間を蔑んだり、虐待する優越感」を持つ。あなたが他者を苦しめることがあなたの事実上の優越を確立する。むろんわれわれが享受し、悪意の目標となるのは、まったく無意味であろう。枝をへし折ったり、石を押しのけたり、自分と野生動物と競ったりすることで、われわれ自身の強さを意識する。苦痛を与えることも、行き着くところは同じである。哲学者たちはいわゆる他者の心の問題に、他者が苦痛を感じる前提となる根拠を実際に持つのかどうかというのではなく、他者の苦痛の行動が、われわての内に引き起こされるある種の喜びの感情の高揚から、他者が苦しんでいるとわれわれは推量すると、ニーチェは言うだろう。次の文章は思っていることを冷やかし半分に書いている。

「苦しみを目撃するのは楽しい、苦しみを与えるのはもっと楽しい----それは非情な命題であるが、しかし古くて強力な人間的、あまりに人間的な主要命題である[...]残酷さのない祝祭はない、その理由は最も古い、最も長い人間の歴史はそのように教えるからである----刑罰にもそのようなたくさんの祝祭的なものがあるのだ!」

つまり、人間はそうなるように慣習的に、自らの業(ごう)としているわけで、つまりは、自然に、他人の不幸は蜜の味と、喜んでしまう、というわけである。
このことは「同情」についても、似たような指摘ができる。

ニーチェは同情に反対して、(少なくとも)二つの異議を唱える。その第一は、同情を感じる者はともに苦しんでいる、それによって同情の対象である人の水準にまで引きずりおろされる----その人は「避けがたく病気と憂鬱になる」。ツァラトゥストラが、神は同情で死んだ、と言ったのは、わたしが想像するに、神は感情移入した苦しみを通して病気になったと理解される。強者から同情を要求するのは、この点で強者が弱くなることを要求する。

もしも、人間の本質として、他者への同情があるなら、自殺した人に対して、恨まれた側の自殺の連鎖が起きるのではないか、というようにも考えられる。けっこう前になるが、女性のアイドルが飛び降り自殺をしたとき、後追いで、全国で自殺が発生した。それは、夏目漱石の『こころ』での、天皇の死に対し、後追いで死んだ乃木将軍の場合も、、どこか似た関係があるのかもしれない。
ニーチェは自らの哲学を「力への意志」という言葉にまとめる。この言葉が、上記のニヒリズムを、非情に意識しているものであるいことが分かるであろう。なぜなら、つまりは、なぜ人間は生きるのか、とか、生きる目的は何か、に答える前に、なぜ人間がこのようにあるのか、の前提を説明するために、設定されているアジェンダだからだ。

「固体の『幸福』(生き物はすべて幸福を求めていると言われている)に代わって、力を定立するのは重要な啓蒙となる。つまり『生き物は力を求める。さらなる力を求める』。快は達成された力の感情の一つの印にすぎない。差異の意識性にすぎない----(----生き物は快を求めているのではなく、快はかれらが求めているものを達成したとき、生じる。つまり快は随伴現象である。快がかれらを動かしているのではない----)」

人間が快を求め、苦痛を避けるという平凡な特徴づけは、まちがっている。人間だけでなく、「生命ある有機体の最小部分のすべて」が力の増大を求める。そして快や幸福はこの「原始的な形態」の結果である。力を求めるのは、障害物を克服しようとするためである。

こうやって見てみると、なにか、ニーチェ力への意志は、資本主義社会における貨幣や、最近のネットゲームのHPのようなものに似ている印象さえ受ける。つまり、なんだか分からないが、このポイントを貯めることが、なによりも「目指されている」こと、だというのだ。そしてそれは、幸福であり、快感にさえ「先行」する、という。まるで、資本家が天国に功徳を積むように、貯金を無限に貯め続けている姿を想定させる。
ところが、他方において、以下のように、これは「疲労」や「睡眠」とすら関係している、というのである。

ニーチェが言いつづけているように(それゆえかれのなじみのテーマを広げる)、二種類の苦痛がある。その一つは力への意志の減少や低下を示している。これが疲労困憊である。力を刺激する苦痛もあり、力の衰退や侵入してくる世界の反対圧力に対する抵抗能力の減少を示す苦痛もある。二つの互いに符号する快もある----勝利の快に対する睡眠の快である。

こういった意味において、どこか、ニーチェの「力への意志」は、狭い意味におけるモデル化を、最初から拒否しているような、印象がある。これがなんなのかは分からないが、こういった仮定をせずに、ニーチェは、なにかを語ることができなかった。
それは、どういう意味なのか。
おそらく、彼にとっては、この「仮定」を行うことなしには、カント哲学が内包していた、道徳哲学的な問題を、十分に問題化できる自信がなかった、ということなのであろう。

奴隷にされている人間の場合、「力への意志」は自由への渇望である。より強くより自由である人間の場合、「力への意志」は他者を支配し、征服する意志である。しかし「最も強い人、最も豊かな人、最も独立している人、最も勇気のある人の場合、『力への意志』は[...]、『人類への愛として』、『民衆への』、福音への、真理への、神への愛として現れる」。これはニーチェを噂だけで知っている人たちには、逸脱した奇妙な言い方であろう。

「あるべき世界があって、現実に存在するという信仰は、非生産的な人々の、つまり世界を創造しようとする意欲のない人々の信仰である。その人たちは、あるべき世界をすでにあるものとして設定し、そのあるべき世界に到達するための手段と道を探し求める。『真理への意志』は創造うる意志の無能力なのである」

ニーチェの意志は創造する意志であった。かれはあらゆる哲学者にこのことが妥当すべきだと思った。ニーチェの著述の多数の哲学上の批判は、哲学の一部に対してにすぎない。道具と手段に対してにすぎない。哲学的な批評家がそのままでありつづけるなら、哲学的な「力への意志」に奉仕する道具である。しかしこれまでにかれらは哲学者ではなかった。

「真の哲学者は命令者であり立法者である。かれらは『このようにすべきだ!』と言う。かれらがはじめて人間のどこへ? と、なんのために? を決定する。そのときあらゆる哲学的労働者の、あらゆる過去の制圧者の、準備作業を使用する。----かれらは創造的な手で未来を掴もうとする。現在あるもの、過去にあるものはすべて、そのときかれらの手段となり、道具となり、ハンマーとなる。かれらの認識は創造であり、かれらの創造は立法であり、かれらの真理への意志は、----『力への意志』である」

こうやって見ると、ニーチェは、いい意味でも悪い意味でも、カントを正統なまでに継承しようとした哲学者だった、と言えるのであろう。そして、カントの言う道徳性であり、実存的な意味での人間の可能性に、どこまでも賭けようとした。そのことを、彼自身がどこまでうまく語れていたのかは、別であるが...。

哲学者としてのニーチェ

哲学者としてのニーチェ