渡辺清恵『不可解な思想家 本居宣長』

本居宣長は、明治の日本の教育界において、特別な存在であった。それは、教科書での扱われ方が、そのものずばりそうであった、ということなのだが、つまりは、近代イデオロギーとして特別に受けとられていた、ということになる。
確かに、彼自身が、自らの著書で主張したことを考えると、こういった扱いは妥当に思われる。しかし、問題はそのように私たちが受けとることが、果して、当時の彼自身にとって、本意だと言えるのかが、疑わしいわけである。
つまり、そもそも、彼は何を考えていた人なのか、という問いは、これを「近代イデオロギー」などという言葉でまとめるには、あまりにも、違った時代の違った文脈を生きていた、ということなのである。
例えば、宣長と同時代人の、儒学者、市川鶴鳴は、宣長批判の文脈から、儒学がどういったものなのかを定義する。

市川は前述したように、人間というのはもそも野蛮であり、道を立てないと治まらないと考えていた。市川によると、人間と畜生の違いは人倫があるかどうかで決まり、道を知らない人間は畜生にも劣る。そこで聖人が、凡夫のために道を作って暮らしやすくしてやり、「人倫の教」を説いて、世を治めたのだとしている。日本においても、わざわざ読みにくい漢籍を読んだのは、文字を知るためではなくて、聖人の道を学ぶためであったとしている。また、人の性質はそれぞれ違うけれども、聖人は自分の「性」を知り尽し、他人の「性」も考え尽くして道を立てたので、礼儀忠孝を教えれば人々は皆すぐに出来るようになる。しかし、人間のそもそもの性質は曲げないように作ってあるので、決して人間にとって厳しすぎるものではないとも述べている。

儒学とは、「聖人」の哲学である。つまり、まあ、東大学校秀才くん、みたいなもので、まず、東大に受かった「聖人」から、話を始める。つまり、こういったエリートが

  • 民主主義なんてない方がいい

といったような「御託宣」を、国民のために、ありがたくもかしこくも、国民の為に、パターナリスティックを、さずける、というわけである。
ここで、我々、野蛮なる縄文人の子孫である私たちは、どうも、畜生から、人間になりたかったら、おとなしく、聖人さまの言うことを聞け、ということらしい。
しかし、である。
こう考えてみよう。どうして他者の言うことを従順に聞くことが、畜生から人間の高みに進むことであろうか。他人の命令に従順に従うことは、つまりは、

  • 自分を「抑圧」する

ことを意味する。つまり、自己規制である。もっと言えば、自分に嘘をつく、ことである。本当は、自分の「真心」としては、もんもんと、いろいろなことを考えているにもかかわらず、

  • 世間体があるから
  • 恥をかけないから

と、世間一般で流行している、「善悪」ものさしで、自分の見た目を、世間に出して恥ずかしくないように、取りつくろう。隠す。自分の「表現」は、ここにおいて、他人の前で「演技」をすることと同値となる。自分とは、このようにある存在そのものを意味するのではなく、どうやって頭がいいように見せるか、どうやって自分のイメージを好印象をもってもらうか、といったような、極めて「倫理的」な側面において

  • 作為

によって、自分の相手に対するイメージをコントロールしようとする。
これに対して、宣長は、そういった「作為」的な、上辺のとりつくろい、を、「漢心(からごころ)」として、徹底的に拒否する。

宣長は、この世は神の為すがままであるという、全く新しい世界観を提示し、無力な人間が頼るべきは、天皇八百万の神しかないのだと意見を表明した。しかし、宣長の「古道論」を見ていくと、「神々」や「天皇」には、実際にはそれらにほとんど強制力や決定権がないと考えられ、実質的には先例や個人個人の良心に沿うことは求められているといえよう。

宣長が「古道論」を説いた目的は、人の心はそれぞれであるという人間観を措定しお、人間に「修養」することを求めないで、そのままの状態で社会を成立させていくための仕組みを表明することにあったのではないかと考えられるのである。

こういった状況は、三島由紀夫とも似ている。一見すると、三島も宣長も、近代皇国イデオロギーに近い印象を受ける。ところが、ここで言う天皇は、徹底して、受動性の相において見られている。つまり、少しも、この天皇は私たちに向けて(例えば、儒教の聖人のように)命令してこない。
ということは、どういうことか。
つまり、宣長の世界観におおいては、三島のそれと同じく、徹底した「アナーキズム」に満ちている、ということなのである。
こういった視点から考えたとき、むしろ、宣長は、よりラディカルに、現代市民社会にさえ、非常に近い印象を与えさえするわけである。
現代日本の、国民主権国家において、国民は徹底して「自由」である。つまり、だれからも強制されない。私たちは、たとえ、勉強でさえ、強制されることはない。無理して、わざわざ、東大なんて受験しない。国民の多くは、たいていの人が入れる、明治大学辺りを目指して、それで、安穏と、キャンパス・ライフをエンジョイして、大学というモラトリアムの時代を、過ぎていく。
まさに「ゆとり」世代である。
私たちは、勉強をしないのではない、もし私たちが勉強をするとするなら、それは、自らの内面から、勉強をやりたいという「衝動」が、どうしようもなく、あふれかえってきたときに、勉強にのめりこむことになる。
私たちは「そのまま」であることを強いられる。私たちは、「普通」でいいのだ。
自分は、子どもの頃から、親に育てられた、親が自分に無意識のまま継承してきた、縄文日本的な起源を思わせる、縄文から、さらに「アフリカ」につながる、太古の「本能」のままの作法を、受けつぎ、ただ、そのように親に示唆された、そのままの何かを、表現しようと、動き出す。そして、現代の「ゆとり」教育は、そういった

  • その人そのものに、もともと備わっている「本能」と変わらない動きの本質

を、「なにか別のもの」に変えようとしない。その子には、その子の「あるがまま」において、私たちは受け入れる、わけである。

見る事聞くことに心が動くことを感じるというのであり、その心動かされた物事に対して、良いことは良い、悪いことは悪い、悲しいことは悲しい、哀れであることは哀れであるときちんと認識することこそが、「もののあはれ」を知るということであり、物事の心を知っているということであると述べている。前項でも述べたように、儒教や仏教は、人間の本当の気持ちを覆い隠してしまう教義を持つと考ええていた宣長にとって、自分の感情を解放し、その感情を認識し直すことこそ「もののあはれ}を知るということの本質とされていたと考えることができる。

宣長アナーキズム教育は、私たち日本国民と、太古のアフリカ的縄文的作法に導かれるまま、本能のままに、生きることを「肯定」するスタイルであって、外部から、道徳で国民を縛る、儒教的な教育と、対立する。
しかし、ひるがえって考えてみるなら、こういったスタイルは、すこぶる、現代的教育法に近いことに愕然とさせられる。宣長の内発性の徹底した肯定論、アナーキズムは、つまりは「君は、そのままでいい、君のままでいい」ということである。ドジッ子ドジッ子のままでいい。むしろ、そうあることが「もののあはれ」を知ること、真心を知ることの第一歩だということになる。自分を抑圧して、自分の本当の心の奥底にあるホンネを隠して、世間で流行している善悪の通俗的物語で、いくら自分を着飾ってみても、そんなことをいくら繰り返しても、真の問題には、いつまでも辿り着かない。
君は君のあるがままの、そのままでいい。その内発性の源泉は、まさに、太古のアフリカ的縄文的ななにかなのかもしれない。それは、雅びやかな都会の作法からみるなら、田舎の「いもっぽい」、あかぬけない、ださい、かっこわるさなのかもしれない。
しかし、「それでいい」というのだ。なぜなら、それが、「あるがまま」の真心だと言うのだから。
むしろ、そのラディカリズムにおいて、時代が、本居宣長に近づいてきた、と言うこともできるのかもしれない...。