「宣長問題」と呼ばれていたもの

私たちは、この日本という文脈の中を生きている存在として、当然、明治から敗戦まで、この日本の文脈を席巻し、そして、その影響は今にまで続く、

を意識せずに生きることはできない。それは、端的な例として、安倍首相や彼をとりまく、右側の人たちの振舞にそれが現れているわけで、こういった人たちの作法と無関係に、無邪気に、なにか「日本」なるものの政治にコミットできるのだ、という態度が、どこか反時代的な態度と受けとられる、ということであろう。
つまり、「近代皇国イデオロギー」の問題を考えることなく、この「日本」なるものが

  • 好き
  • いい感じがする
  • 心地良い
  • アクセクタブルだ

といったような「肯定的」なフィーリングで受けとることが難しい、ということである。
そういった文脈において、本居宣長は、非常に特異な位置に存在してきた、と言えるであろう。というのは、結局のところ、宣長をどう考えればいいのかが、なかなか定まらない。
言うまでもなく、「近代皇国イデオロギー」の文脈において、宣長は一種の「ヒーロー」であった。
ところが、である。
こういった戦前の教科書からなにからに、まとわりついている、イデオロギー的な言説を離れて、

  • そもそも、宣長は、どういった時代に、どんな暮らしをしていた人なのだろうか?
  • そういった時代の中で、毎日、どんなことを考えながら暮らしていた人なのだろうか?
  • 一体、毎日を、特に何に関心をもって、過ごしていたのか?
  • そういった視点から見たとき、彼の全言説は、何を語っているのか?

つまり、一切の「イデオロギー」的な、通俗的な「常套句」を離れて、「宣長そのもの」に私たちの関心を移したときに、そこには、まったく「想像を絶する」ような、江戸中期から後期に到る時代の風景の中に、たたずむ、彼の漠然とした姿が、立ち現れてくるのである。
前回紹介した本において、なにがブリリアントだったかと言うと、つまり、宣長の「主張」を、彼と

  • 同時代を生きていた

市川鶴鳴という儒学者が主張する「儒教」的な言説空間の力学の中に、宣長を位置付けた、という点にあるであろう。つまり、宣長は自らが生きるその文脈において、ある思想的な「反発」をつぶやていた、と受けとらなければならない。つまり、こういった「力学」において、彼を解釈しなければならない、ということである。

まず一つ目は、人間の知識や予測には限りがあるとして、人智の限界を表明し、「まことの理」の追求を放棄した、という点である。近世の学問が目指してきた「理」の追求を断念し、この世の動きは、人間には計り知れないものであるという姿勢を示しらことは、これまでの学問のあり方を大きく変えるものであったと考えられる。

このように考えると、宣長学の意義とは、皇国主義にあるのではなく、真理は必ず存在し、絶えず問い続ければいつか「理」に到達できると考えていた近世学問の枠組みを根底から覆した点にあると考えられる。宣長は、人間には知り得ないことがあると指摘し、物事を決定したり判断する基準を、神々やその子孫である天皇に委ねた。ところが、宣長の世界観によれば、神々や天皇には、実際的な決定権や強制力があるわけではなく、また、それらに現実的な権力を与えるように主張しているわけでもない。では、人々は結局、何に従って行動すればいいのだろうか。
宣長によると、そもそも、神々の意思は、人間に前もって備わっているとされ、宣長は、このような心を、本当の心という意味で、「真心」と呼んだ。宣長によると、「真心」とは次のようなものでわると説明されている。

真心とは、産巣日(ムスビノ)神の御霊(ミタマ)によりて、備へ持て生れつるままの心をいふ、さてこの真心には、智なるもあり、愚なるもあり、巧(タクミ)なるもあり、拙(ツタナ)きもあり、善(ヨロ)きもあり、さまざまにて、天下の人ことごとく同じき物にあざれば、神代の神たちも、善事にまれ悪事にまれ、おのおのその真心によりて行ひ給へる也、(『くず花』(『全集』八巻一四七頁))

「真心」とは、「産巣日神の御霊」によって、人間に生まれつき備わっているものである。それは、賢いもの、愚かなもの、巧みなもの、拙いもの、良いもの、悪いもの様々あり、人々の心持ちも皆同じというわけではない。神代の神々も同様に、善行であれ、悪事であれ、おのおのの気持ちに従って行動するというのである。ここでは、人々も神々も同様に自分の心に従って行動するのだということが述べれらている。
不可解な思想家本居宣長―その思想構造と「真心」

そして、宣長にとって、神に従うということは、とりもなおさず人間の心に従うということであった。これまで、修養を説き、人間の心を立派にしていくことを説いた儒学の教えを、百八十度転換させ、人間が愚かしく善悪様々な心理を持った状態で、社会を成立させることを宣長は志向した。
不可解な思想家本居宣長―その思想構造と「真心」

そもそも人間は他者を「知らない」。他者が今こうである、そもそもの来歴を、ほとんど知らない。そういう意味では、完全な知識を前提にした、「まことの理」を前提に何かを語ることはできない。
しかし、このように言う場合に、ある前提に注意がいる。それは、まさに、確率過程論がそうであるように、ある知識は「増えていく」ということである。つまり、以前より賢いかもしれない、ということは言える、ということである。つまり、どんな悟性(=アイデア)においても、 今から過去を振り返るなら「愚か」であったと判断されるし、そういう意味では、一見すると「真理はある」ように、私たちの「視点」からは、どうしても思われがちだ、ということになるであろう。
こういった不可知論は、どこか、ハイエク自由主義に似ているかもしれない。
そもそも、私たちの悟性(=アイデア)は常に、なんらかの一般論の形で述べられる。つまり、こういった不可知論の文脈で考えるなら、すべての一般論は常に「間違う」とさえ言えるのかもしれないのである。
私たちは「全体性」を理解することはできない。「常に」できない。だとするなら、私たちは、どういった作法において、生きることがこういった認識と整合的であろうか。
ハイエクはそれを「自生的秩序」と言った。しかし、これに対して、多くの有識者が示した疑問は、「どうして自生的秩序なら、有効だと判断されなければならないのか」が、少しも説得的だと思われない、というところにあった。
このことはきっと、宣長にも言えるのであろう。
ここのところ話題の、このブログでも何回か紹介させてもらった山川賢一さんによる、東浩紀さんの『動ポモ』についての分析を読みながら、大変によく整理されていて、啓蒙されるものであったが、私だったら、もっとシンプルに言いたくなるというのが、最初の感想だろうか。

東は『動ポモ』で、日本社会では九〇年代に近代が終わり、ポストモダンという新しい段階が到来したと主張しています。東によれば、近代とは、社会が「大きな物語」によってまとめられていた時代のことです。この「大きな物語」について、東は次のように述べています。

一八世紀末より二〇世紀半ばまで、近代国家では、成員をひとつにまとめあげるためのさまざまなシステムが整備され、その働きを前提として社会が運営されてきた。そのシステムはたとえば、思想的には人間や理性の理念として、政治的には国民国家や革命のイデオロギーとして、経済的には生産の優位として現れてきた。「大きな物語」とはそれらシステムの総称である。(『動ポモ』、p44) 

また別の箇所では、東は「大きな物語」が「政治的なイデオロギー(『動ポモ』、p55)」であるとも述べています。
しかし東によれば、第一次大戦以降、「大きな物語」はしだいに弱体化していきました。そしてポストモダン期になると、大量の情報の集積からなる「データベース」というものが、「大きな物語」のかわりに社会を支えることになります。
東は『動ポモ』で、この変化が社会のさまざまな領域に影響を及ぼすと主張しました。とくに、同書で彼が注目しているのは、人々がフィクションを消費するスタイルです。
東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編|しんかい37(山川賢一)|note

東さんは基本的に、ボードリヤールの消費社会論の延長で考えて、それを、ポストモダンと言ってるのだとして、上記の「大きな物語」の終焉の文脈も、基本的には、ドゥルーズガタリの『アンチ・オイディプス』で示されたような

  • (資本主義社会が強いてくる)人間の「分裂病」的性質の拡大

と、それに対抗しうる可能性との緊張感を、基本的な前提として話している。そういう意味では、東さんの言う、「データベース消費」も、フィクション消費についても、彼が言っていることは、つまりは、現代日本社会の

  • 分裂症

的な傾向性を、しつこいまでに言っているにすぎない(実際、『動ポモ』の最後は、解離の話にまで進んでいた)。

東によれば、ポストモダンを生きる現在のオタクたちは、作品の作家性を重視しませんし、テーマ性やメッセージ性にも興味を持ちません。彼らが注目するのは、作品に含まれるキャラクターや設定、さらには、それらのキャラクターや設定を構成するさまざまな情報の断片です。
東はこうした断片的な情報を「萌え要素」と名付けました。東は、昨今(二〇〇一年当時)のアニメなどに登場するキャラクターデザインの多くが「猫耳」「触覚のように刎ねた髪」「メイド服」などの「萌え要素」の組み合わせからなっていると述べています。
東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編|しんかい37(山川賢一)|note

東によると、こうした傾向は、ときには物語構造にも及びます。物語の類型そのものが「萌え要素」と化してしまうのです。たとえば東によると、多くのファンをもつ美少女ノベルゲーム『Air』は、「『不治の病』『前世からの宿命』『友だちの作れない孤独な女の子』といった「萌え要素」が組み合わされて作られた、きわめて類型的で抽象的な物語(p114)」しかもっていません。東は、こうしたゲームのユーザーについて、次のように述べています。

(前略)彼らが「深い」とか「泣ける」とか言うときにも、たいていの場合、それら萌え要素の組み合わせの妙が判断されているにすぎない。九〇年代におけるドラマへの関心の高まりは、この点で猫耳やメイド服への関心の高まりと本質的に変わらない(『動ポモ』、p115)。

(前略)『Air』に泣いているオタクたちの消費行動もまた、「動物的」という形容にまさに相応しいように思われる。(中略)彼らは、感情的な満足をもっとも効率よく達成してくれる萌え要素の方程式を求めて、新たな作品を次々と消費し淘汰している。(『動ポモ』、p128)

東浩紀『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか――データベース消費編|しんかい37(山川賢一)|note

ここで、東さんはある二つのものをアクロバティックに重ねて、なにかを無意識にか、隠蔽させる形で議論をしているので、話が分かりにくくなっている。まず、オタクたちが、なんらかの「萌え要素」といった、断片的な表象に、動機付けられていっている傾向については、まず、問題はない。しかし、その意味は二つの側面において、解釈しうる。

  • 萌え要素」は、全然、新しい話ではない。むしろ、これは、丸山眞男が「日本の<古層>」という形で分析したものと、まったく、同列の現象を説明しているにすぎない。もっと言えば、これは、宣長古事記読解の過程で、見出す個々人の「内発性」の問題と同列のことを示唆していると考えるべきだ、ということであるし、もっと言えば、最も日本的な「作法」だと解釈されうる、ということである。
  • 東さんは、このように「萌え要素」を、文化表層の、「一般論」に収斂させ、あとは、こういった「パターン」の順列組み合わせの問題しか、もう人類史的な問題は残っていない、という、言わば、歴史の終焉を語っていると解釈される。事実、これ以降、東さんは、一切の文芸批評をやっていない。というか、「できなくなった」と言った方が正しい。なぜなら、彼自身が「大きな物語の終焉」を宣言してしまっているから。しかし、こういった「一般化」は、ほとんど、なんの意味も生成しない、無意味なパフォーマンスだと言わざるをえない。つまり、ここには「奇妙」なレトリックがある。つまり、なぜ、ある人は、ある何かに「萌え」ているのか、また、そもそも、私たち他者は、その人が「何に萌えているのか」を知ることは可能なのか、といった問題に、つきあたるからである。つまり、そもそも、ある田舎から都会に出てきた人がいたとして、この人がどんな「差異」の中を生きているのか、都会の何に、「萌え」て反応するのか、こういった傾向性を、結局のところ、都会人には見通せない。その部分は「不透過」であり「不可知」だということである。

こういった側面から考えたとき、東さんの言っている「矛盾」が、より鮮明に見えてくる。東さんは、一方において、物語そのものへの「萌え要素」を否定しておきながら、他方において、エロゲーのような、ストーリーのパッチワーク的な側面から、萌え要素の順列組み合わせを「萌え要素」となる、と言ってしまう。つまり、結局、物語自体も「萌え要素」となると言っちゃっているのだから、つまりは、大きな物語も終わっていない、と自ら言っているのと変わらなくなってしまっている。問題は、その「萌え要素」について、誰も、その「全て」を知らない、ということなのだ。私たちは、その田舎から都会にやって来た、つまりは、「作者」が、一体、どんな生い立ちの中を生きてきた人なのかを知らない。つまり、その人のことを「本質的」な意味において、知らない。
しかし、ここにある倒錯がある。つまり、「最後から考える」という倒錯である。もし、ある作品を、その作品が完成して、それを最後まで読み終わった段階で、その作品について考えているとすると、まったく事情は違ってくるわけである。
読者は、その作品の「全部」を知っている。読者は言わば、その作品の主人である、という意味において、一切の、その作品の解釈は、その読者の「主観」の中に閉じる。つまり、その作品は、その読者によって解釈され、整理され、モデル化され、まさに

として、現象学的還元を行われ、つまりは、脱構築される。ここまで来れば、東さんの言うように「データベース消費」の対象として、まるで、「最初からそうであった」かのように偽装される、というわけである。しかし、この場合もある認識が隠蔽される。つまり、

  • その中の「ある萌え要素」が、本当のところ、なにを指示しているのかが不定である可能性。
  • あらゆる「萌え要素」は、その<事件>性にこそ、その本質がある。つまり、あらゆる萌え要素は「突然」、私たちの目の前にお現れる。もっと言えば、だから、あまりに予測していないことだったからこそ「萌える」と言える。そもそも、私たちは、いわゆる「パターン」のような、キャラクターのような、最初から予測しているものに、どうして「感動」するというのだろうか。あらゆる感動であり、欲望は、基本的に、あらゆる私たちの想定を裏切る側面を内包しているからこそ、つまり、事件(=トラブル)だからこそ、「萌える」わけで、物語の否定など、ちゃんちゃらおかしかったわけである。

だとするなら、今度は、そもそも東さんにとって、どんな「動機」を、どんな視点から考えようとし続けた人なのか、といった問題設定は可能なのかもしれない。
私はそれを、いわゆる「左翼嫌い」といった補助線で描けるのかもしない、とは思ったりする。言うまでもないが、東さんがこういったジャーナリスティックな一般商業誌で文筆活動を始めた最初が、柄谷行人論であった。しかし、柄谷さんは一言で言えば、左翼言論人のカテゴリーに入る。そういう意味では、東さんの動機として、「反左翼陣営の柄谷」を目指していた、と考えられるであろう。東さんの特徴は、徹底した、あらゆる言論の細部に到るまで、徹底して

  • 反左翼

においては一貫している、ということであろう。つまり、絶対に、反体制側に、市民運動側に組みしようとしない。実際、東さんの主張は、ほとんど保守論壇と区別がつかない側面が大きいし、実際、彼自身がそのことに自覚的だと解釈できる。
大きな物語」の否定とは、マルクス主義の否定であり、全共闘のデモの否定であり、ポスト・モダンの分裂症的な国民(=オタク)とは、つまり、こういった、マルクス主義的な、貧富の格差の克服を目指したり、左翼のような社会正義を目指す闘争を行わない、ひたすら、(内面的に)「分裂」して、体制の中で、まったりと従順に「存在」するだけの、環境的存在として、言わば彼によって

  • そうなっているのである

と、定義された、というわけである(つまり、最初から、反体制的な場所に、大衆があることを目指すことを、「排除」している、かなり、イデオロギー的な主張であるということなんですね orz。)
例えば、東さんは、宇野常寛さんを非常に評価しているが、それは宇野さんの言っていることが実際にどうなのかの前に、彼の父親が自衛隊員であった、自衛隊員の子どもだという「事実」を、非常に重視しているわけであろう。つまり、そういう意味において、宇野さんが「反体制」的なポジションに自分を置くことは、蓋然的に少ないと解釈できるわけであろう。つまり、ある種の産まれながらの彼自身の「保守」性を、まあ、自分にないもの、自分以上の<才能>という視点で評価しているのであろ(そういう意味では、どこか、フロイトにとってのユングに似ているのかもしれない)。
このことは、宣長にとっての、荻生徂徠を考えてみるといいかもしれない。宣長には、二つの側面がある。それを、左翼的と右翼的と呼んでみることにしよう。
左翼的宣長とは、子安宣邦さんや柄谷行人さんが見出すような、言わば「可能性」としての宣長(前回、このブログで検討したような)と考えることができるかもしれない。
右翼的宣長とは、言わば、「近代皇国イデオロギー」の中の宣長だと言える。ここにおいては、宣長のラディカルな側面は影を潜める。そして、むしろ、宣長荻生徂徠と区別がつかなくなる。つまりは、宣長の「荻生徂徠」化ということになる。つまり、宣長を徹底して荻生徂徠の「中」で読むこと、これが、ブルジョア道徳としての宣長であり、保守主義者、国家主義者としての宣長ということになり、このカテゴリーに、東さんは近い、ということになるであろう...。