死んだ二人の日本人

今回の日本人二人がISに殺害された件において、どうしても「おかしい」のは、安倍晋三という総理大臣が、多くの人たちが日本人の救出のために、ISと交渉をしていた最中に、中東に行き、

  • 「対ISILのために2億円の供与」と言った

ことなのではないだろうか。もちろん、直接、安倍総理が彼ら二人の日本人を殺したわけではない。しかし、もしも安倍首相が中東に行って、こんなことを言わなければ、もしも彼がイスラエルの旗の前で、リップサービスを行わなければ、あの二人の日本人はもしかしたら、今も生きていたかもしれない。いや、かなりの蓋然性で、ISがあそこまでのエスカレーションを起こす「きっかけ」はそれまでなかったのであるから、間違いなく、そのことによって、この結果まで、非常に残虐な結果にまで登りつめることはなかったわけであろう。
私が心配なのは、このことのしっかりとした「反省」や「総括」なしに、今のまま、安倍総理で続けることの「恐しさ」なのである。
明らかに、安倍首相の「行動」によって、二人の日本人が死んだ。そういったとき、私たち日本人は、この事実をどのように受けとるのか、を考えずにはいられないわけです。このまま、安倍首相が、このことについてのなんの「反省」をすることなく、総理の座に居座るということは、第二、第三の後藤さんは、これからも発生する、ということです。
安倍さんは、日本人が死ぬかもしれないことを、これからも行います。それを安倍さんが行えば、かなりの蓋然性で、日本人が死ぬことになることが分かっていることを、安倍さんは躊躇することなく、これからも行い続けることが、今回の結果で

  • 証明

されました。安倍さんは、二人の日本人が死ぬ確率が、限りなく高まる行為を行うことに

  • 躊躇

しませんでした。よく考えてください。安倍さんという人は、こういう人です。彼は、日本人の生命が自分の行動によって失われることを、「最大の政治課題」だと考えない人だということが、今回証明されました。彼にとって、日本人の命よりも、優先すべき政治課題があることが、判明したのです。彼はそのためなら、これからも、日本人の命を「見捨てて」自分の

  • やりたい

ことをやり続けることでしょう。
よく考えてみましょう。あと半年、安倍総理が中東に行くことを我慢したとします。そうすれば、その間に、もしかしたら、二人の日本人の釈放に成功したかもしれません。少なくとも、安倍総理が中東に行く前までは、そこまで彼らISの反応も、こと、この日本人二人への対応について、過激に残虐にエスカレートしていなかったわけです。
このことが、非常に残念です。
国会の答弁を聞いていても、なんの反省もうかがえない安倍総理という人に対して、このままでいいのか、という思いが、どうしても私には心のどこかに残っている。これでは、あまりに、二人の犠牲となった日本人がうかばれないように思えて、しょうがないわけです。お二人の日本人は、生前、どんな言葉を残されていたのか。どんな社会になることを願っていられたのか、それに対して、今の日本はこのままでいいのか。
明らかに、安倍総理が「選んだ」行動の結果によって、二人の日本人が死にました。それに対して、おそらく彼は「喪に服す」というつもりもないのでしょう。この事実に対して、一定期間、自分の「持論」を控えて、謹慎する、という考えもないのでしょう(言うまでもないですが、総理大臣は任期制であり、別に、彼でなくても自民党のだれかがやればいいに決まっているわけです)。どうして、こんな事態になってまで、安倍総理に総理の座に居座らさせておかなければならないのでしょうか。私は怖いわけです。こういった、日本人を見捨てる、少なくとも、結果として見捨てたのと同じ結果になっておきながら、まだ、自分になにかしらの正当性が残っていると思っているような人が、総理の座にいることが。
私は、じわじわと多くの日本の方も、彼が総理の座にいることの、正当性が感じられなくなる、信頼できない人である、といった実感が少しずつではあっても 広がっていくのではないか、と思っています。私は戦後の日本で、ここまで「はっきり」と

  • 日本人を見捨てた

総理が現れたことに恐怖していますし、あの顔がメディアから流れてくることに、不快ななにかをぬぐいさることができない今の状態に、なにか不思議な苦しみを感じている、と...。