加藤朗『13歳からのテロ問題』

(関係ないが、今回の区議会議員選挙は共産党の人に投票した。というのは、その人だけ、ある、この地域に関する主張を広報に書いていたからだが。それは、地域の諸事情を考えてということだが、そういったことがないとしても、長期的には私は日本の政治は、低賃金労働者の政党によって運営されていかざるをえないと考えているし、むしろ、国政においてこそ、今の安倍政権の「暴走」を少しでも止める勢力のパワーが必要だと考えているだけに、そういった勉強熱心で真面目なリベラル勢力の方々の台頭であり活躍をどうしても期待してしまうわけである。まあ、そうでなければ、安倍政権はなにをやり始めるか分からない怖さがある、ということだろうか。)
今回の残業ゼロ法案にして、非正規社員に適応可能と役人は答弁したという話があるそうけど、これまた、有識者の反応は弱い。つまり、彼らは安定の正社員であり、むしろ、「経営者」側だから、むしろ、残業代ゼロで儲けた、くらいに考えているんだろうな、というのが分かるw いわゆる、有識者なんて、この程度の「人権感覚」なんだよねw
ここ最近、官邸ドローン事件が、そのドローンから放射性物質が検出されたといったところから、「放射脳の左翼による<テロ>」という文脈で、さかんにネット上でとりあげられた。ところが、実際の容疑者が出頭してきたところから、急にトーンダウンしている印象を受ける。
そもそも、そのドローンにあったのは、福島県の土だった、というわけである。さて。福島の土が「テロ」? どういう意味なんですかねw
そして、なによりも興味深いのは、彼のとされているネット上のブログであり、彼がかいたとされる漫画であろう。そのブログを見ると、工場で働いていたときから、そこを解雇され、かなりショックを受けたことが分かる記述から始まり、終わり頃には、秋葉事件の加藤についての言及の記事までみえる。
容疑者は元自衛官ということで、ブログの内容も、どっちかというと右寄りの人という印象だし、むしろ、原発問題に義憤を感じて、この国を守るためにといった、右翼団体の拡声器を使って街宣車で当事者に突撃していく、そういった右派的な色彩を感じされる印象を受ける(そもそも、そういった政治家のような人たちは、宛名不明の脅迫文めいた、かなり思い詰めて書かれてある手紙は、毎日のように来ているんじゃないだろうか。あらためて、表向きは公表していないだけで。右よりの人であれ、左よりの人であれ。そういったものの一種と今回の事件も考えればいいんじゃないだろうか)。
ネット上では、反原発といえば、放射脳であり、中核派革マル新左翼であり、公安庁の「監視対象」というわけだが、私が不思議なのは、なんでネトウヨ原発に反対しないんですかね。むしろ、右翼団体の方がよく考えているんじゃないのか。国家存亡の危機を考えるなら、本当に原発を動かしていいのか。それが憂国の士のすることなんですかね orz。
彼がかいたとされる漫画も、たしかに残酷な描写はあるが、どこかしら彼なりのフェアネスというか老人たちへの共感の視線というものが感じられる内容であって、そのことと、今回のドローンがまったく「誰かに危害を加える」ことを目的とするものではない、純粋に「メッセージ」を届けることを目的としている、右派的なものであったことと、やはり符号して読めてしまうわけである。
そもそもなぜ今回の「事件」に、有識者の反応は鈍いのだろうか。秋葉事件やオウムの地下鉄サリン事件のときは、あれほど「世紀末」的な「テロ事件」と騒いでいた人たちが。
その一つは、まったくもって、今回の行為が「だれにも実害を与えていない」というところにあるのであろう。秋葉の加藤のように、ナイフをふりまわしたとなれば、「心の闇」うんぬんと、彼らの得意の「狂者」問題ということになったのであろうが、そういう意味では、彼らの得意の「枠」にはまらなかった、という感じなのだろう。
上記のブログを見ても、秋葉の加藤への共感の記述もあるが、やはり、工場での「解雇」へのショックの大きさを感じされるものにはなっている。日本の知識人は、そもそも安定の正社員雇用であり、こういった工場的な労働者の特徴として、かなり景気に敏感に左右されて、首を切られている、ということへの労働者たちがショックを受けることへの理解が感じられない。こういった仕事は、学歴のない連中がやることだとして、自分には関係ない、といったくらいの認識なんじゃないだろうか(まあ、彼らの友だちといえば、医者か弁護士か、といったものなのだろう)。だから、彼らがなんらかの思いつめた行動をすることにすぐ

  • 狂気

だとか「心の闇」だとか言って、「理解できない=隔離するしかない=ゲーテッド・コミュニティこと最終回答だ」とかいった議論を展開しがちになる。
もう一つの側面としては、そのことは、今回のISの首切り事件における、有識者の、あまりにも「鈍い」反応と重なるんじゃないかと思っているが、つまり、どうも有識者は「相手」が、「主張」をしてくると、黙ってしまうようなのだ。つまり、有識者は彼らを

  • 狂者

だと言いたいようなのである。狂っているから、早く(アルグレイブ刑務所のような)狂者隔離施設に入れろ、と。
ところが、彼ら「犯罪者」は、なんらかの「主張」をもっている。ISにしたって、その大半の穏健派は、なんらかの保守的なイスラム法による、共同体を目指す、彼らなりの主張があるわけで、おもしろいことは、そういった「有識者」たちが、本気でそういったイスラーム法の勉強を半年くらいかけて、みっちり勉強して、彼らISの主張を理解しようと

  • 努力

した上で「反論」するならするのかな、と思っていると、まったく勉強のやる気もない。でも、ISに「説教」だけはしたい。
日本の文系学問って、基本的にヨーロッパからの「輸入」商品だから、ようするに、「キリスト教」思想なんだよね。彼らも、大学に入って、アメリカ人やフランス人やドイツ人が書いた論文というか、つまりは、

が書いた論文を読んで、実際に、それらの人の論文を参考文献にして博士論文を書いていて、イスラーム教徒の知識人の文章を読んで、そのキリスト教ユダヤ教との差異を意識して博士論文を書いた、という人はほとんどいないんじゃないですかね。つまりは、

ではあるけど、

ではない、という人がほとんどなんじゃないですかね。
掲題の本は、佐藤優さんがある記事で推薦していたので読んでいるわけだが、正直、佐藤優さん自身がISに対しては、一切の対話は必要なく、殲滅戦あるのみという考えなので、あまり期待して読んでいなかった。そういう佐藤さんだって、まあ、キリスト教神学を学校では勉強していたというわけだから、なにをか、党派的な臭いがして、しょうがない、ということなのだが。
前回も少しふれさせてもらった、東浩紀さんの「一般意志2.0」は、基本的に、ハーバーマスの「熟議」民主主義や「対話」民主主義への

  • 対抗意識

によって書かれている側面があって、つまりは、対話が「成立しない」連中、つまりは、

  • なにを考えているか分からない連中

つまり、9・11のハイジャック犯やオウムの地下鉄サリンの実行犯や秋葉ナイフ事件の加藤のような、

  • なにを考えているか分からない

不気味な存在(=オタク)に対して、もうそんな連中とは

  • 対話

など不可能なのだから、もっと別の手段で「政治」を行っていくしかない、として考えられた一種の「ファシズム」政治のスタイルとして考察されていたわけだけど、私には今だにそれが何を言っているのかが分からない。むしろ、対話うんぬんがどうであれ、

  • 相手の言い分を聞く

ことから始めないものなんて、あるのだろうか。あらゆることは、議論なしに始まらない。どんなことだって熟議をやるしかないにきまっていると思うのだが。
ところが、今のアメリカ政府は、アルカイダとは「対話」をしない。もちろん、ISとは対話をしない。佐藤優さんが言うように、殲滅あるのみ。こんなことをやっていても、イスラームスンナ派の人たちの恨みをかうだけのように思うのだけど。
この点において、掲題の本は、ISの台頭「以前」の内容のようで、次のような「楽観論」が結論近くにある。

言い換えるならテロを防ぐ最大の方法は、言論の自由が保障された開かれた世界を構築することである。そのことは中東の民主化運動が証明している。アルカイダのテロは中東の民主化によって相対化され、もはや彼らは時代遅れになりつつある。

そうであろうか? 前回、プーチンのロシアの問題をとりあげたが、各地の民主化運動が一方でアメリカのお金によってNGOをたきつけ、彼らが火をつけた後、闇ルートでお金が武器と一緒に流れこんで、いつのまにか、どこの地域でも、民主化運動が「ゲリラ」による

  • 内戦

状態に遷移していることは、ようするに「アメリカに都合の悪い独裁者」をパージするためのネオコン的な

  • 民主主義の無理強い

が、「どんな手段を使ってでも」この地域を「民主化」させたい(その意図は、つまりは、アメリカの意に反する独裁者は、アメリカの意をくむ政治体制に変えられる)ということであって、ようするに、これは「テロ」の問題というより、アメリカの

  • 世界支配フレーム(=米ドル基軸通貨体制)

への挑戦に対する「対抗運動」だったんじゃないのか、という総括だったのだが、それについてはどう考えているのだろうか?

こうした承認的不正義や配分的正義の是正には、何よりも自由と平等に基づく民主主義の確立が、国内においても国際社会においても必要である。中東の民主化は、国内の民主主義を求める民衆の闘いである。そして最も民主化が必要なのは国際社会である。とりわけアメリカである。
たしかにアメリカは、国内政治では自他ともに認める民主主義国家である。しかし、国際政治において、はたして民主的な振る舞いをしているだろうか。たとえばブッシュ政権は圧倒的な軍事力を背景に、イラクひいては中東の民主化を掲げてイラク戦争を正当化しようとした。仮に中東の民主化が正しいとしても、その民主化の政策をアメリカが独断で決定し、さらには民主化のための戦争をすることは、果して正義に基づくのだろうか。
こうしたアメリカによる独断的な正義の判断の過程を民主化し、カントの諸国家連合による国際社会の民主主義体制をさらに発展させた、自由と平等に基づく地球的な民主主義体制(グローバル・デモクラシー)を築かなければならない。

掲題の著者もアメリカに問題があることを認めないわけではない。しかし、そのアメリカが「押し付ける」民主主義が、ここでは

  • 仮に

正しいものだった、という議論をしているにすぎない。アメリカは明らかに、中東の石油利権の維持にとってベストな中東情勢や、米ドル基軸通貨体制の維持がどのように可能なのかといった、まったく別の動機によって、

をパラメータ化(従属変数化)させているにすぎないのではないか(つまり、本質的に、アメリカは中東が民主化されるかどうかなど、興味がないのではないのか)。
そんなふうに考えてくると、私にはどうしても、この「問題」の本質が「テロ」にある、というふうには、あまり思えなくなる側面がある。それは、今回の官邸ドローンが、どう考えてもこんなものが「テロ」なわけないよな、というくらいになんの、武器的な意味がなかったこととも通じる。
そもそも、中東が中東戦争の時代から始まって、本当にこの地域の人たちが「戦争のない」平和な暮しをできた時期なんて、どれくらいあったのだろうか。それは、日本の工場不定期労働者が、好況不況の波のたびに、無慈悲に首切りを繰り返されれた「非人道性」と光景が重なるわけであって、自分は高学歴で安全なところから、他人を「テロリスト(=狂人)」とレッテルをはってお金儲けをしている連中は、少し想像力がいるんじゃないのか、と思うんですけどね...。

13歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話

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