三雲岳斗『ストライク・ザ・ブラッド』

このラノベの第一巻を読むと、ある程度、この作品の構造が分かるようになっている。私たちが作品を読むとき、結局その「リアリティ」を中心に読むことになる。つまり、つまらない作品というのは、それらの登場人物が「なぜ」そう振る舞うのかに

  • 納得

を感じられないところに特徴がある。つまり、そういった登場人物の行動と自らの「快楽」がリンクするとき、なんらかの「満足感」へと読者を導く、ということになる。

そう。暁古城は生まれついての吸血鬼ではない。ほんの三ヶ月と少し前まで、古城は魔族とは無関係な普通の人間だった。だが、今年の春、ある事件に巻きこまえたことで古城の運命は変わった。古城はそこで第四真祖と名乗る人物に出会い、その能力と命を奪ったのだ。

このように主人公の高校生の暁古城は、生まれついての「スーパーマン」ではない。つい最近まで、「普通」の高校生であった。しかも彼は上記の「第四真祖」(=非常に上位の存在の吸血鬼)となったいきさつについて思い出そうとすると、ひどい頭痛に悩まされる体質をもつようになっていて、あまり深く自分の変化の事情を理解していない。
この「構造」は、西尾維新の「化物語」の主人公の阿良々木暦を思わせる。
つまり、ここでの重要なポイントは主人公の本人自身が、自らの「能力」について、概念としては知っていても、あまり「自覚」がない、というところにある。確かに、自分は「不死身」になった、ということになっている。しかし、それがどういうことを、実際には意味しているのかをよく分かっていない。そういう意味では、自分が「死なない」存在になったとされていることと、実際に自分が死ぬ、ということが、どういう違いがあるのかも分かっていない。
大事なことは、彼の「感覚」が、あい変わらず三ヶ月前の「普通」を維持していて、その「行動原理」が、基本的には継続している、ということなのである。

獅子王機関は、国家公安委員会に設置されている特務機関です」
「特務機関? 公務員ってことか?」
お役所にしては仰々しい組織名だ、と古城は思う。もしかしたら、その名前にもなにか意味があるのかもしれないが。
「はい。大規模な魔導災害や魔導テロを阻止するための、情報収集や謀略工作を行う機関です。もともとは平安時代に宮中を怨霊や妖から護っていた滝口武者が源流なので、今の日本政府よりも古い組織なんですけど」
「源流とかよくわからないけど......要するに公安警察みたいなものか」

「先輩は、存在自体が戦争やテロと同じ扱いなんですよ」
「は?」
「夜の帝国(ドミニオン)を支配する真祖は、彼ら自身が一国の軍隊と同格なんです。当然、第四真祖も同じ扱いになります。先輩が日本国内で問題を起こした場合、犯罪ではなく侵略行為と見なされるわけです。だから警察庁の攻魔庁ではなく、獅子王機関が動いたんだと思いますけど」

この作品は、主人公の暁古城(あかつきこじょう)の前に、姫柊雪菜(ひめらぎゆきな)という中学生が現れた、というところから始まる。ではなぜ彼女が彼の前にあらわれたのか。それを説明しているのが上記の個所で、ようするに、古城は「戦争やテロ」並みの

  • 存在

だから、国家機関が、この「監視対象」に対して、専門家を派遣してきた、ということになる。ではなぜ、中学生かといえば、常に身近にいるためには、年齢的に近く、回りから不自然に思われないような相手でなければ「スパイ」にならない、という判断だ、というわけである。
これで、この作品の基本的な構造ができた、と考えられるであろう。
しかし、一つだけまだ、不足している。つまり、姫柊雪菜という女の子の「動機」なのである。なぜ彼女はその「命令」を忠実に実行し続けられているのか。この関係が「続く」ためには、その「動機」が説明されなければならない。

「いいですね、兄弟って。わたしには家族がいないので、憧れます」
雪菜が何気ない口調で告げる。
「家族がいない?」
古城は驚いて雪菜の横顔を見つめる。はい、と雪菜は、さしたる感傷も見せずにうなずいて、
「高神の杜にいるのは全員、孤児なんです。全国から素質のある子どもたちを集めてきて、攻魔師を養成する組織ですから」
「そうなのか......?」
予想以上に重い身の上話に、古城は言葉を失ってしまう。
「じゃあ、姫柊は最初から攻魔師になるために......?」
「はい。あの、でも、家族がいなくて寂しいとか、そういうことじゃないんで。高神の杜のスタッフはみんな優しくしてくれますし、剣巫の修行も嫌ではなかったので」
雪菜が慌てて補足した。嘘をついている雰囲気ではなかったし、彼女の言葉を古城は素直に信じられた。実際、魔族すら圧倒する雪菜の体術は、嫌々練習して身につけられるようなレベルのものではなかったと思う。

「あの殲教師が言っていたことは本当です。わたしは使い捨ての道具です。ずっと前から気づいていたけど、認めたくなかっただけなんです。わたしは実の両親からお金で売られて、ただ魔族と戦うための道具として育てられてきたんです......だから、わたしが死んでも、誰も悲しまない。でも、先輩は違うじゃないですか......!」

「ああ、そうだな。変態で結構だ。だからさ、こんな変態の代わりに、自分が死んだほうがよかったなんて言わないでくれ」

「たしかに姫柊を育てたのは本当の両親じゃなかったのかもしれないけど、高神の杜の人たちがおまえのことを大切にしていたのは見てればわかるよ。剣巫の修行は楽しかったて、姫柊も自分で言ってたじゃねーかよ」

この作品の「構造」は言わば、姫柊の古城に対する「監視」が続くことによって成立している。つまり、姫柊がその監視を止めたときに、この作品の「構想」が失われる。つまり姫柊が「なぜ」監視し続けているのか、が作品の屋台骨になっている。
なぜ彼女はこの監視役の仕事を続けるのか。まず、彼女には親がいない。国家機関によって秘密裏に、訓練された「女スパイ」である。もちろん、それを止めれば殺されたであろう。そういう意味で、彼女には最初から、生きたいというモチベーションがない。
しかし、この関係は上記における、その監視対象が「戦争やテロ」と同等というところに、一つの比喩がある。
なぜ、「女スパイ」が必要とされるのか。それは、この国を守るため、ということになる。つまり、「国体」なのだ。この国のために、軍人は命を投げうつ。そういう意味では、軍人である姫柊が自分を「使い捨て」であり、いつでも、だれから殺されても、不思議ではない、どこかのだれかが「利用価値」を感じている間だけ「生かされる」存在に過ぎないと認識していることは、それほど、常識外れではない、とも考えられるだろう。
それは「この国が滅びることが大事」か、それとも、「自分が生き延びることが大事」か、といった問いに集約することもできるであろう。
大事なポイントは、この作品がなぜ成立しているのか、つまり、なぜ姫柊は監視を続けるのか、というところにある。つまなぜ、その「動機」が常に供給され続けるのかが問われている。そう考えると、上記にあるように、それはむしろ、監視対象の古城によって与えられている、ということが分かる。
古城は、そもそも不死身の存在である。今となっては、そうである。つまり、死なないのだ。人間ではないのだ。ところが彼にはまだ、そのことを深く考えた形跡がない。それもそうである。なぜなら、彼は、そのような存在に「なって」から、まだ、3ヶ月しか経過しておらず、そう「なった」ことがなにを意味しているのかを、深く考えたわけでもないのだから。つまり、彼の「感覚」は今も、3ヶ月前からの「興味・関心」の

  • 延長

で生きているし、事実、普通に高校に通っている。つまり、なにも変わっていないのだ。
古城が大事にしていることは、今までの彼が生きてきた何かの延長だと言えるだろう。つまり、この「今」の維持である。つまり、回りのみんなのハッピーであって、つまりは、回りのみんなが素朴に今や将来に対して、期待しているような、その環境の「維持」であって、その「中」に自分も、控え目に含まれている、という構造になっている。なぜ、日常が「心地いい」のかは、その日常を構成している回りが、それなりの「ハッピー」を生きているからで、ようするにそれが「壊れる」ことが起きていないから、そこに含まれている自分も「不快でない」わけである。
この状態の「維持」が彼にとって「快適」であるなら、その諸関係の中に入ってきた姫柊に対しても、その「条件」が成立することになる。つまり、一人の例外もない、ということになるわけである。
自らが生きる「価値」というのは、自らが生きている「環境」の価値と区別がつかない。自分が今、快適なのは、この環境が快適でなければ成立しないのと同じように。隣に悩み苦しんでいる人がいるのに、その隣で、一人で「ハッピー」になれるような人間は頭がおかしいわけである。私が幸せだと言えるためには、この日本に住んでいる人が幸せだと言えばければならないし、この地球上に住んでいる人が幸せだと言えなければならない。つまりそこには、なんらかの「相等」性の条件が働いていると思えなければならない。
この作品に一貫しているのは、主人公の古城の行動の条件が、ほとんど、チンピラの「ケンカ」の動機と変わらないことである。つまり、自分の大事なものを守ろうという、そういった、草の根(グラスルーツ)保守の倫理の延長でしか考えていない、ということである。言うまでもなく、彼はすでに、不死身の吸血鬼であり、人間ではないのに、今だに彼は、それ以前の人間だった頃の価値観の延長で行動している。
姫柊はなぜ生きているのか。それは物質的には、古城に命を救われたから、と言うことになるのだろうが、反対に言えば、姫柊が古城の命を守っているとも言える。もっと言えば、それが「日常」の姿だということになる。私たちは常に、自分の「帝国」に生きている。私たちの日常に登場する、さまざまな人たち、それぞれの「ハッピー」の成立が、自らの「ハッピー」の成立と切り離せない関係として存在して、こういった一連の全体が一つの「帝国」と考えられるわけで、その二つを簡単に区別できない、というわけである...。

ストライク・ザ・ブラッド (1) 聖者の右腕 (電撃文庫)

ストライク・ザ・ブラッド (1) 聖者の右腕 (電撃文庫)