セカンド・レイプ謝罪文

70年談話について、どうしても、もう一つ検討しておかなければならない点がある。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず食糧難などにより多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりません。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150814-00010001-seijiyama-pol

私たちは20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性の心に常に寄り沿う国でありたい。21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするために、世界をリードしてまいります。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150814-00010001-seijiyama-pol

上記の二つの個所でふれられている「女性」についての記述は、一体、何を言いたいのだろうか? 「名誉と尊厳が傷つけられた」という表現は、まったく意味不明です。具体的に、何が起きて「名誉と尊厳が傷つけられた」のであろうか。その具体的な文脈なしに、それをひとまとめにするというのは、驚くべき、非論理性ではないでしょうか。
「名誉と尊厳が傷つけられた」というのは、主観の問題です。例えば、新しい教科書を作る会の言う「自虐史観」とは、彼らが「名誉と尊厳が傷つけられた」と思えば、それが

  • 自虐

なのです。そして、彼らがそう考えた歴史の事実は教科書から削除され、そうでないものが教科書に残される、というわけです。そもそも、ここで「名誉と尊厳が傷つけられた」と言っている場合の

  • 加害者

はだれなのでしょうか? どういった人による「加害行為」による「名誉と尊厳が傷つけられた」ことが問題だと言っているのでしょうか。
そもそも、ここでなぜ女性だけをとりあげて、問題にしているのでしょうか。言うまでもなく男性だって、「名誉と尊厳が傷つけられた」と思った人は大勢いるわけでしょう。
本質的な問題は、村山談話であり、これまでの歴代の談話において、問題とされていた「従軍慰安婦」について、結局なんだと言いたいのでしょうか。なぜ、そのことにふれないのか。ふれない理由はなんなのか。なぜ記述を避けているのか。
つまりさ。
考えていることを書けよ、っていうことですよね。なんか考えたから、記述していないんだろ。歴代の談話の文脈から考えれば、明らかにふれていないって、異常だろ。だれだって、この問題はどうなったんだ、と思っているはずだろ。あんだけ、過去の談話において、中心的話題になっていたんだから。
書かないって、やめろよ。仕事をやる気がないのかよ。ヘタレが。逃げてどうすんだよ。
そんなんなら、いっそのこと「謝りたくないです」とでも書いてみろよ。かっこつけやがって。なにが「女性によりそう」だ。こういう大事なところで、こういった重要な問題から逃げ回る男が、なんで女を守れるんだよ。明らかに、過去の、さんざん「従軍慰安婦」にお世話になった男たちの「名誉と尊厳」を守って、こうやって、言及を避けることで、こういった女性を「セカンド・レイプ」してるじゃねーか。
言うまでもなく、これからの未来においても、あいかわらず、地上戦が続き、軍人のかなりの割合で、戦死者が慢性的に生まれる戦場が存在し続ける限り、

と直面して生きる無教養の男たちの中から、一定の割合で、現地の女性に対するレイプや、売春を利用しようとする男たちは、これからも出続けるよ(それだけじゃない。あらゆる犯罪を、死に直面した人間は起こす可能性が、どうしても高くある)。それだけ、戦場の現場っていうのは、無法地帯であり、死に直面した人間は弱い、ということであろう。
しかし。だからこそ、「事実」に真剣に向きあおうとしないことの方が、よっぽど問題なんじゃないのか。戦場だろうがなんだろうが、犯罪は犯罪であり、それを裁くか裁かないかは、雲泥の差なわけであろう。
こうやって逃げ回っている限り、何度でも同じことを繰り返すし、そうしてまた、同じように男たちの「名誉と尊厳」を守るために、女性を「セカンド・レイプ」するわけであろう...。