マイケル・サンデル『民主政の不満』

アメリカという国は、移民によって作られた国である。つまり、イギリスに住んでいた、ある、一部の人たちが、そのイギリスでの生活が嫌で嫌でしょうがなく、どうしても、この生活から抜け出したくて、多少のリスクを犯してでも、アメリカという新規開拓に希望を託して移り住んだ人たちの子孫である。
ということは、どういうことであろうか?
具体的には、アメリカの人たちは、イギリスの何が嫌だったのだろうか?
一つは

  • 一君万民制

であろう。つまり、国王の独裁に自らと肌が合わないと思った人たち、ということになる。もう一つが、

を嫌った、ということになる。つまりは、誰かの「奴隷」となって生きること、そうまでして生き残ろうとすることに、なんらかの自らの生の作法として、肌に合わないものを感じていた人たち、ということになるであろう。
そうして、アメリカに移民してきた彼らは、その到着した港から、放射状を描くように広がり、次々と先を目指して「開拓」していくことになる。まさに、

  • フロンティア

である。目の前に広がる広大な大地は、まさに、焼畑農業のように、どこまで先を目指しても、決して終わることのない、いくらでも、自らの「土地」を開拓できる、フロンティアとして定義されていた。彼らは、いつ、その土地を手放して、その先にある土地に移住することもできる。どれだけの人が、それらの土地を自らのものにしたところで、その先には、さらに広大な大地が広がっていたので、イギリスにおいて、すでに囲い込まれた土地を借りて、まるで、奴隷のように、膨大な寺銭を天引きされて、賃貸生活を強いられることもなく、自分の好きなだけ広大な土地をその先に、自らのものにできた。
このような「開放系」として始まった、アメリカ開拓史も、次第に、この

という一つの「概念」が次第に、屹立していくことになる。つまり、アメリカは彼ら開拓者が嫌い逃げてきたイギリス国家と同じように

  • 一つの国家

としての様相を示すようになる。アメリカ大陸は一つのイギリスの「植民地」という様相から始まった。つまり、「不平等条約」によって。アメリカ開拓者たちの栽培した野菜は、自由に国外で売ることができなかった。イギリスの御意向に逆らって、独立して、貿易を行うことはできなかった。
そこで、アメリカのイギリスからの「独立」が争点として現れることになる。
しかし、ここに、ひとつのパラドックスが現れる。アメリカがもしも国家であるとするなら、彼らが逃げてきたイギリスと何が違うのだ、ということになるわけである。

反対に、フェデラリストにとって、広大な未開の地は「役に立たないよりも悪いものと考えられて」いた。新しい領土への植民あ人口を分散させ、地力を偏重する病理を増し、さらに、国家の力をまとめあげてその影響力と統御力を増大させることを主張するフェデラリストの試みを損なうことにもなる。

フェデラリストとは、言わば、

だと言えるであろう。アメリカは自らの国体を考えるなら、「一等国」になるしかない。そうしなければ、自国を守ることはできない。強力な政府を作って、外敵と対抗していかなければならない、と。しかしここで、はたと気付くわけである。それって、アメリカの

  • イギリス化

なのではないか。なんのために、彼らはイギリスを捨ててアメリカに移住したのか。なにか、そこにはないなにかを行うためじゃなかったのか。
そして、ここから、アメリカはある種の「倫理」的な問題系を内部に抱えながら、それ以降の自らの「矛盾」に向き合うことになるわけである。

ジャクソン主義時代の民主党は、政府の自由放任主義の哲学を支持していた。その哲学とは、今日で言うなら、ロナルド・レーガンのような "反政府(anti-government)" の政治家やミルトン・フリードマンのようなリバタリアンの経済学者に見られるものである。「一番良い政府とは、最少の統治で済ますものである」と、ジャクソン主義の機関誌『民主的評論 Democratic Review』に述べられている。「その用語の通常の意味からすれば、強大かつ積極主義的な民主政府は悪いものである。つまり、そういった政府は、強力な専制主義と、介入の程度や形式において異なるだけであり、本質的には変わるものではない。......政府は、一般的に人々のなすことや利益にできる限り関わりを持つべきではない。......政府が国内で行う行為とは、市民の自然的で平等の権利の保護や社会秩序の保全といった正義の執行に限られるべきである」。ジャクソン主義の編集者であったウィリアム・レゲット(William Leggett)は、郵便局の運営や、貧しい人々のための精神病院を保持すること、もしくはパン屋や肉屋を検査するといった最小限の政府の機能さえも非難した。
ニューディール以後の民主党と異なり、アンドリュー・ジャクソンは、政府を庶民のために正義を執行する機関としてではなく、敵とみなした。この信念は、一つは政府についての彼の見解に、もう一つは正義についての彼の考え方に根ざしたものである。"政府が経済に干渉する場合、それは富者や有力者をひいきすることになってしまう" とジャクソンは主張した。どの場合にも、才能や能力の不平等によってある人が利益を多く得て、他の人が少なく得ていても、政府がそれを矯正することを、正義は求めない。「社会の様々な相違は、いかなる正当な政府の下にも常に存在し得るものである。才能、教育、あるいは冨の平等は、人為的な制度から生み出し得るものではない。天分の才能や優れた産業、経済、さらに美徳の果実を十分に享受することについて、すべての人が法によって保護される資格を同じように持っているのである」。
ジャクソンによると、問題は、"境遇の平等を促すためにいかに政府を利用するのか" ということではなく、"どのようにして、特権、補助金、さらに特別な利益を確保するために富者と有力者が政府を利用しないようにさせるのか" ということにあったのである。「富者や有力者が、政府の活動を自分たちの利己的な目的へと、あまりに頻繁に曲げることは遺憾である......もし、《政府が》それ自体の活動を平等な保護(equal protection)に限るのであれば、天が雨を降らすがごとく、その恵みは高いところと低いところ、つまり富者と貧者にも同じように降り注ぎ、それこそ分け隔てのない天の恵みとなる」。

ジャクソン主義者たちが経済力の集中を恐れたのに対して、ホイッグ党の論者たちは執行権力の集中を恐れた。

上記の、ジャクソン主義にしても、ホイッグ党にしても、そこでは自らの、イギリスとの差別化を意味するはずの、アイデンティティが問われている、と解釈できるのではないだろうか。
アメリカの基本的なマインドは、独立自尊の開拓農民にあると考えられるであろう。彼らはイギリス時代の「農奴」を拒否して、自由を求めてアメリカにやって来た。
ところが、その開拓民勢力の増大によって、次第にアメリカは、もう一つの「独立国」としてのアイデンティティを示すようになる。すると、国家の弁証法が始まる。海外貿易が典型であるように、いろいろと海外から安く買って、国内で高く売ることによって、儲けを得ようとする人たち、逆に、国内で安く買って、海外で高く売る人たちも現れる。そもそもの、建国の理念としての、国民の「理想」の実現のために、国家を建国したのに、そうやって国民が「手段」として使われるようになっていくわけで、まさに

弁証法が、もともともっていた理念など関係ない、どこにでもある国家に変えていく。
他方において、それを肯定しない彼らの理想が、彼等のDNAに焼き付いていて、何度もそれが復活している、と考えることもできる。上記のジャクソン主義は、確かに、リバタリアンに似ているが、よく見ると、その意図している主張は

  • 国家(=中央集権)への不信

に尽きているわけで、そういう意味ではホイッグ党と変わらないとも言えなくもない。彼らが言っていることは、自分と関係ないところで決定される意志を徹底して信用しない、ということである。つまり、徹底した地方分権以外の政治を否定しているという意味で、近年のリバタリアニストの特徴である

とは、決定的に反している、と受けとれるわけである。
ここで、よくよく考えてみる必要がある。私たちは、いわゆるリベラリストのように価値中立的に生きているだろうか。例えば、上記のアメリカ移民にしても、なんらかの「正義」を、この新天地に求めて、「もう昔のような奴隷的な生き方に戻りたくない」といった信念を、かなりのほとんどの移民たちが「共有」していた、と考えられないだろうか。つまり、だからこそ、こういったアメリカ建国の歴史は、そのほかの「普通の国」とは違った理念を確率論的な傾向として内包していた、と考えられるのではないか。
生きることは、なんらかの「価値」を実現していくことだと言えるのかもしれない。それに対して、リベラリズムはその問題を「メタ」の議論によって、回避してしまう。どんな国家も共有しなければならないメタ・ルールによって、つまりは

  • すべての国はフラットな金太郎飴

として、さまざまな差異を議論の対象の外に吐き出してしまい、凡庸な平均的優等生に堕してしまう。倫理的な衝動にかられ、さまざまな方向へとチャレンジする動機を、その理論の中に内包させることに失敗する。つまり、なぜアメリカという国ができたのか(=そこにどんな倫理的な意味があったのか)を忘れてしまうわけである...。

民主政の不満―公共哲学を求めるアメリカ〈上〉手続き的共和国の憲法

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