中野晃一『右傾化する日本政治』

日本政治の特徴とはなんだろうか。私は、党派性にあるのではないか、と思っている。

半藤 海軍は単純ですからね賊軍への差別もはっきりしていたんです。その点、陸軍は官軍と賊軍の関係が複雑で、差別も見えにくい。
ただ、陸軍は人数が多くて複雑だった代わり、派閥は作りやすかったんですよね。派閥を見れば、賊軍と官軍の違いも見えてくる。例えば、一夕会を見ると、全然薩長の出身者がいないんです。
保阪 陸大の優等生ばかりの会ですね。そこに、長州出身が一人もいないということが、一つ、会の性格を判断する材料になりますね。桜会などもそうです。長州に対する恨みが深いから、長州の人間を呼ばないということをやっていたんでしょうね。だって、単に優等生を集めるだけならば、長州にだって優秀な人間はたくさんいたんですから。
半藤 長州の奴らには声をかけないと決めていたんでしょう。長州以外の優等生だけを集めるなんて、それほど長州閥が強かったことの裏返しでしょうね。

賊軍の昭和史

賊軍の昭和史

日本の明治以降の政権運営は明らかに、薩長出身者の「優遇」を基本としていた。つまり、明示的に差別が前提となっていた。こういった状況において、徒党を組むな、という方が無理というものであろう。なぜなら、最初から「差別」があるのだから。この差別に対して、なんとかして、自らのポジションを確保していきたいと思うなら、差別される側で徒党を組むしかない。差別される者たち同士で

  • 助け合う

しかない。つまり、日本の政治は、みんなで「外」に対して戦うだけではなく、「中」での戦いにも勝ち抜かなければ「生きていけない」わけである。この「二つの戦い」を両方面同時に戦い抜くことを強いられるという意味で、最初から多くの負担を強いられるものであった、と言えるであろう。
同じことは、現在の日本の政治の右傾化においても繰り返されていると言えるであろう。

中曽根政権による国鉄電電公社(現NTT)の民営化が、労働組合の弱体化を中心的な目的としていたとまではいえないが、これを一つの契機に革新勢力の実働部隊を成していた官公労の力は大きくそがれ、社会党の足腰が一気に脆弱化し、革新勢力の土台からの崩壊を準備したことは間違いない。
また「上からの」労使協調が貫徹したということは、とりもなおさず使用者側に労働者側との協調を強いてきた対決型の労働組合がなくなったということであり、これは実は使用者側が労働者側に配慮し譲歩しつづける理由がなくなった、つまり使用者側が明白な優位に立ったということでもあったのである。これによって、将来のさらなる新右派転換の進展が約束されたとさえいえた。

政治とは、上記の「党派性」における

  • 陣地戦

だと言えるであろう。上記の引用で、中曽根政権が労働組合の弱体化を主眼として、民営化したわけではないのだろうが、と言っているが、そうだろうか。むしろ、これこそ、本丸だったのではないか。世界中の新自由主義にとって、これこそ、最も重要なポイントだったのではないだろうか。
例えば、国会前のデモで、いくら何十万の人が集まったって、なんの政治的な圧力にならない、と言う人も、国鉄ストライキで、一日、日本の全鉄道を動かさなかったら、相当の

  • ダメージ

だと思うのではないだろうか。産業界に相当の影響だと思うのではないか。というか、よく考えてみてほしい。なぜ、それが起きないのであろうか。安倍政権は、明白な憲法違反によって、違憲の法律を数の力で、国会を通そうとしている。こんなことを、どうして国民は許せるだろうか。こういう時こそ、全労働者の手によって、国家機能を

  • ボイコット

し、政権を退陣に追い込むべきなのではないか。これこそ「正当」な、非暴力による圧力運動であるわけであろう。

こうした安倍の新右派アジェンダにキャノン出身の御手洗冨士夫が会長を務めていた日本経団連が呼応し、その政策提言に「新しい教育基本法の理念に基づき、日本の伝統や文化、歴史に関する教育を充実し、国を愛する心や国旗・国家を大切に思う気持ちを育む。教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国歌を斉唱し、これを尊重する心を確立する」(『希望の国、日本 ヴィジョン二〇〇七』)という一節を書き込んだ。皮肉なことに、当時キャノンは外資比率が五〇%前後で推移するグローバル企業で、日本国内では偽装請負問題で労働者派遣法違反などに問われていた。
このことは、「湾岸戦争トラウマ」をきっかけとする国際協調主義の軍事転化以降、安全保障政策の目的が日本という国民国家の防衛から市場経済秩序の維持へとシフトしてきたことを反映していた(斉藤『ルポ 改憲潮流』八七頁)。はっきりいってしまえば、安全保障が守るとする対象が国民国家からグローバル企業に変わっているわけだが、これを覆い隠すためにことさらにナショナリズムの扇動が行われるようになったことを見逃すことはできない。

さて。経団連は、今回の安保法制という、憲法学者のほとんどが「憲法違反」と言っている法律に反対しているだろうかw 私たちは、今、この日本で何が起きているのかを、よくよく考えてみる必要があるであろう。経団連はすでに、グローバル企業化している。彼らにとって、日本は

  • ワンノブゼム

にすぎない。彼らは、儲かれば、日本人だろうが誰だろうが関係ない。そういう意味では、日本の法律が憲法違反だろうがなんだろうが

  • 自分たちが儲かるなら「関係ない」

わけであるw もはや彼らは日本人ではない。日本が貧乏になろうが、関係ないのだ。

メディアは選挙戦において「民主」「自公」以外という意味で、維新の会やみんなの党などをまとめて「第三極」ともてはやしたが、みんなの党のワンマン党首であった渡辺喜美は第一次安倍政権の閣僚で自民党離党後も安倍と個人的に親しく、橋下徹大阪市長あの維新の会も自民党総裁復帰前の安倍に維新の会党首就任を呼びかけたほどの親和性があり、また結局維新の会に合流して代表に就いたのが長年自民党に属した石原慎太郎だったように、両党とも自民党の「別働隊」といったほうが実態に近いといえた。しかし報道ではそうした点は掘り下げられず、彼らの「歯切れのいい」発言がテレビなどで繰り返されるばかりであった。

政治は「陣地戦」である。民主党内の「自民党野田派」にしても、維新の会の橋下にしても、早い話が、自民党

なわけであろう。彼らが使う「ワン・フレーズ・ポリティクス」に注意が必要である。一見、それは自民党との差異化を意味しているように見えても、大きな意味においては、

  • 政府(=国家官僚)寄り

の政策パッケージの中での差異に過ぎず、本質的に自民党内に所属していることと変わらない。彼らは「本質的」な所において、安倍政権と差異がない。よく聞いてほしい。彼らには本質的に「主張」をもっていない。基本的に、

  • 安倍ちゃんの仲間

以外のアイデンティティがない。だから、融通無碍に安倍政権の主張に合わせて、自分の身の丈を合わせてくる。彼らは本当に野党なのだろうか?

右傾化する日本政治 (岩波新書)

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