パリと「イスラム」

今回のパリのテロについては、実行犯が全員射殺されているわけで、結局「これ」がなんだったのかを、私たちが問うことを困難にしている。人それぞれが、自分の都合のいいように、この事件の「真相」を分かった気になって、今目の前にある「事実」を、やりすごしているわけで、そもそも近代国家というのは、ここまで脆弱な地盤の上にあるものでしかなかったのかを、改めて知らされる印象が強い。
テロの首謀者に関する情報がほとんどでてこない中で、なぜか、一人の中心人物についてだけは、かなり細かな情報が以下の記事にされているが、よく読むと、ようするに「フランス人(=ムスリム移民の二世、三世)」というわけで、(今、フランスはさかんにシリアに爆撃を行おうとしているが)なんというか、これは一種のフランス国家の

  • 国内問題

なんじゃないのか、と言いたくさえなってしまう。

アバウド容疑者は1987年、モロッコ移民の両親の下に生まれ、ブリュッセルの移民街モレンベークで育った。人口の8割以上がイスラム教徒の貧困地区だが、父親は衣料品店を経営し、中流の暮らしをしていた。
12歳の時、トップレベルの中学校に進学した。元同級生によると、アバウド容疑者は「いやなやつ」だった。クラスメートをいじめ、財布から金を盗む癖もあったという。教師にも反抗する問題児は、1年ほどで退学処分になり、その後は不良グループで窃盗などの犯罪に手を染めるようになっていったという。パリのテロ実行犯で逃亡中のサラ・アブデスラム容疑者(26)と知り合ったのもこの頃だ。近所に住む2人は2010年に強盗事件を起こした。
http://mainichi.jp/select/news/20151123k0000e030094000c.html

こうやって見ると、日本において、子どもの不良がそのまま、地元のヤクザコミュニティに入っていく過程に似ていなくもない、という印象を受ける。しかし、日本のヤクザは、少なくとも、あまり大っぴらに、テロ行為を行っていないわけで、なぜ彼らが、アンダーグラウンドから、こうやって表の舞台で、派手なドンパチをやらざるをえなくなったのか、といった点に疑問が湧いてくる。

フランスでテロが相次ぐ一因として、移民政策の誤りが考えられる。
同国に住むイスラム系移民は現在、2世や3世まで含めると、400万人を上回っているともいわれる。全人口の6%強を占めるに至ったきっかけは、1960年代の高度経済成長期に、マグレブ3国(モロッコアルジェリアチュニジア)を中心としたアフリカ諸国から、多くの移民を工場労働者として受け入れたことだった。
しかし、1970年代のオイルショック以降、フランス経済は長期低迷期に入った。「日本が失われたB20年ならば、フランスは失われた40年だ」。こんな説明をよく耳にする。「景気停滞の最初の犠牲になったのが、アフリカからのイスラム系移民」(メスメール氏)。雇用環境が厳しさを増すにつれ、一部の移民は職を失うようになった。
フランス国立統計経済研究所(INSEE)によると、1975年1~3月期の失業率(海外県を除く)は2.9%だったが、その後は徐々に上昇。1993年10~12月期には10.1%と2ケタ台になった。
1990年代の雇用環境悪化のあおりを受けたのが、フランスで生まれた移民2世だ。失業者が増えると、社会不安は高まりやすい。パリ郊外の居住区の一部では、治安が悪化の一途をたどった。
失業率は2008年1~3月期に6%台まで持ち直したが、同年に起きたリーマンショックを機に、再び悪化傾向に転じ、足元は10%台へ再上昇している。25歳未満の2015年4~6月期の失業率は23.4%。実に若者の4人に1人が職を失っている状態だ。
中でも移民3世の職探しは容易でない。採用では不当な扱いが常態化している。履歴書を送付しても、イスラム系の名前とわかるだけで却下される、といった事例が相次ぐ。
フランスの財政も逼迫し、それに伴って公共サービスの質が低下。このため、公立学校では十分な教育を受けられず、フランス語の読み書きに不自由する移民3世の若者も珍しくないという。
裕福な家庭に育った若者なら、私立学校へ行くことができるが、貧困家庭ではそれも難しい。劣悪な環境下、若年層を中心に、疎外感やフラストレーションが徐々に蓄積。一部はイスラム過激派の思想へ傾斜していった。実際、今回の連続襲撃事件の容疑者も、ほとんどがフランス国籍を持つイスラム系の若者だ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151124-00093588-toyo-int

このように見ると、どこか、秋葉ナイフ事件を思い出さないだろうか。つまり、上記のフランス問題は、日本の

  • 工場不況問題

と非常に近い印象を受ける。工場労働者は、確かに「景気」のいいときは、仕事も多くあり、残業を多く行え、それほど、深く考えることなく、日常を過してしまう。しかし、工場労働の欠点は、不況に弱いというところにある。不況が襲うと、とにかく

  • 人員整理(=人切り)

が始まる。すると一番切りやすい、派遣がまず首を切られるため、途端に露頭に迷うことになる。そういった意味において、工場労働者は、一人一人の「夢」を壊しやすい。それなりに、現場のスキルを身につけてきた段階で、問答無用で首を切られるから、先の人生を考えることが難しいわけである。
秋葉ナイフ事件の若者は、秋葉原で、ナイフを振い続け、何人にも傷を負わせた。その衝動的な行動はどこか、今回のパリのテロと似た印象を与える。
今回のテロの特徴は、その犯罪現場が、いわゆる「外国人観光客」が集まっている場所というより、地元のカジュアルな生活者たちが集る場所だった、という所に特徴がある。つまり、高級店ではない。大衆文化が襲われている。
このことは何を意味しているのか?
おそらくそれは、秋葉ナイフ事件の容疑者の「感性」にも、非常に近いものであったのではないだろうか。彼らが求める「普通」の生活を許さない、大衆社会(=その差別性)に対して、その「普通」の中から、過激な

  • 恐怖

をパフォーマンスとして見せようとする。それは、単に、全員を爆弾で吹きとばすといったような、「一瞬」のカタルシスではなく、「普通」の中の、「幸せ」を享受している「大衆」に対して、そこに「恐怖」を

  • 見せる

ことを、意図して行っている。その「行為」が「恐しい」ものと、そういった「普通」の「大衆」が受けとるような、「恐怖」を示すことが重要であった。彼らは私たちの「日常」に、怖いという感情をもたらしたかったわけである...。