柄谷行人「カントにおける平和と革命」

ある国家の政治体制の変革、つまり、君主制から民主制への変更を、その国家の中で閉じた問題だと考えられる条件はなんだろうか? というか、そもそも、なぜ、その国家内で閉じられると考えられるのであろうか?
ある国家が、君主制から民主制に変化するということは、言うまでもなく、周辺の国家にその体制の変更は影響を与える。だとするなら、どうして、その変化を周辺の国家は、なにもせず、見過ごす、ということになるであろうか。
国家間の関係は、ある「安定系」において考えられる。それは、一つの「均衡」系である。その均衡を、ある国家自らが破壊しようとしているとき、その変化は、言うまでもなく、周辺各国の

  • 均衡

をも侵すことになる。

カントが『普遍史』で考えたのは、この問題だといってよい。ルソーの場合、先ず国民主権にもとづく国家を作る革命があり、その後に諸国家の連合がなされると想定されている。しかし、カントの考えでは、そもそも一国の革命そのものが、他国との関係を離れて考えられない。《完全な市民的体制を達成するという問題は合法則的な対外的国家関係という問題に左右されるので、この後者の問題を別にして解決されるものではない》(第七命題)。ここで、カントがいう「完全な市民的体制」とは、ルソー的な市民革命を意味している。そして、カントが見ていたのは、そのような革命が起こったときどうなるか、という問題である。
これは机上の論ではなかった。まもなく起こったフランス革命では、実際に周囲の諸国の干渉が生じたのである。たとえば、一七九一年八月に、オーストリア皇帝とプロイセン国王は共同声明(ピルニッツ宣言)で、武力干渉辞さないことを表明した。これは威嚇にすぎなかったが、それに対抗して、ジロンド派オーストリアに宣戦布告した。国外とつながる貴族の反革命運動を一挙に封じるために、戦争に訴えたのである。さらに、一七九三年一月にルイ十六世が処刑されたあとには、「第一次対仏大同盟」が結成された。これは本格的な軍事的干渉である。そこには、オーストリアプロイセン、スペインだけでなく、イギリスが入っていた。同年六月にロベスピエール派がジロンド派を倒して権力を握り「恐怖政治」を強いたが、これもむしろ、外からの「恐怖」によって生じたというべきであろう。そのことは、カントが『普遍史』で予想していたことであった。

ある政治体制が、別の政治体制に移るとき、アンシャン・レジーム側として、ある種の「利権」を手にしていた側は、割を食うことになる。しかし、この変革が芋蔓式に、周辺各国に広がっていくなら、今度はそれらの国々に存在する、

の割を食うことになる。この連鎖を嫌がる周辺各国内のアンシャン・レジームは、その変革の「出発点」における「革命」が、非常に

  • 危険

である臭いを嗅ぐことになるであろう。よって、最初の「革命」は、周辺国のアンシャン・レジームとの「連合軍」との

  • 戦争

に帰結する。多少、チャレンジングな議論をさせてもらうなら、現在のISの問題も、この延長で考えることもできるであろう。
中東の国家。例えば、イラクやシリアを見ても、かなりひどい独裁国家であったわけだが、こういった「延長」で、ISも出現してきた、と考えられるであろう。
言うまでもなく、ISの「暴力」を、世界中の国家は、認めるわけにはいかない。しかしそれは「売り言葉に買い言葉」なところがある。つまり、ISの「ひどさ」に比べて、イラクやシリアが、どこまで「まとも」だったのか、といった話はあるわけである。
つまり、ISの「過激さ」は、ISを「挑発」している側の「態度」と、密接に関係している。つまり、これは

  • 戦争

の形態を帯びている。こちらが、ISに「喧嘩を売っている」限り、相手もその矛を降ろすことはない。つまり、早い話が、「和平」が実現しているなら、ここまでの、戦闘のエスカレートはなかったんじゃないのか、と考えることもできる。
つまり、何が言いたいか。
イラクやシリアにしても、かなり「ひどい」国家であったわけであるが、そういったものを国家と「認めた」国際社会が、同様に「ひどい」ということはあったとしても、なぜISを国家と

  • 今回は

認めることができなかったのか、と問うことは、別に、難しい話ではないわけである。
ようするに、なぜ国際社会がこれを「国家」と認めることができなかっただけでなく、このように今に至るまで、爆弾を落とし

  • 殲滅

を行い続けているのかを考えたとき、やはり、ISがもっている、なんらかの「革命」の要素を、世界中の国家が、「危険視」した、というふうには考えられないだろうか。つまり、どこかしら「ブルジョア反革命」の臭いがしなくもない。
イラクやシリアに比べて、ISには、なにかしら、近代国家の「建前」を逆撫でするような、自分たちの虎の尾を踏むような、急所があった、ということなのであろうか。いずれにしろ、こういった

  • 皆殺し

の政策が、この21世紀に行われる、というのは異様な印象を受けざるをえない(なんらかの「警察」的な処置によって、一人一人を「裁判」にかけているような手続きをとることなく、爆弾で殲滅していくその「姿」というのは、ずいぶんに「剣呑」な印象はまぬがれないであろう)。さて、現代社会に何が起きているのか...。

思想 2015年 12 月号 [雑誌]

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