中原圭介『石油とマネーの新・世界覇権図』

サッカーのクラブW杯で、サンフレッチェ広島がアジアチャンピオンの広州恒大に勝って三位になった試合は、決勝の試合の影に隠れて、ほとんど注目されない、なにかの「偶然」のように忘れ去られている。
しかし、本当にそうなのかは、ガンバ大阪とのチャンピオンシップからのこれまでのいきさつ「だけ」でも追っているだけでも、まったく違って見えたのではないかと思っている。
多くの人が勘違いをしているのは、中国の広州恒大は、バルセロナに負けないくらいの金満クラブであり、大量のブラジル人を爆買いしているようなチームなのであって、そもそも、それとは規模は違うけれど、広島は他のJリーグの金満クラブに勝ってきたわけである。
つまり、そういった「延長」に広島の今回の結果があるのであって、私は結果として今回の広島が、世界のプロサッカーの有識者たちによって、もう一度、日本人のプロのサッカー選手への「評価」を変えていくような影響があるのではないか、と思っている(別に、本田さんかっけーの最近の活躍が、それだとまで言うつもりはないがw)。
サッカーは、ある意味において「結果」である。結果へのリスペクトなしに、「道」はない(それは、ガルパンが戦車道において、結果を残した、大洗学園や西住みほを「評価」することになることと変わらない)。そして、その結果がサッカーの戦術などの、さまざまな「流行」を作る。
そのような視点で、「クラブサッカー経済学」を考えてみると、いろいろと、おもしろいことが分かるのかもしれない(経済学者は、AKB48経済学だけでなく、こっちにも興味をもったらどうだろう)。バルセロナは確かに強い。しかし、メッシとネイマールという、あまりにも突出したパフォーマンスを見せられてきた選手を二人そろえている時点で、そもそも、そんなことを可能にしている「お金」はどっから来ているんだ、という方に興味が移る(どうも、中東マネーが宣伝費に入っているようだが)。
クラブW杯も、すでにトヨタがスポンサーを降りて、中国マネーになっていて、来年からは中国で開催できないか、という話もあるらしいが(同じFIFAの大会だけに、こっちをあんまりやると、W杯の方の日本の開催が遠ざかるという話もあるので、その方がいいのかもしれないがw)、ようするに何が言いたかったかというと、プロサッカーは「ビッグマネー」が

  • 支配

する「環境」にある、ということであって、その中で、サンフレッチェ広島が、ある種の「彼ららしさ」を見せたことは、大変に興味深かった、ということである。
私はここで、別に、「日本ホルホル」をやりたかったわけではないが、ここのところ一つの世界経済にあらわれている「特徴」を見たとき、それが日本にどんな影響を与えるのかは、考えさせられるものがある。
たとえば、萱野稔人さんが日本の、デフレ不況問題に対してずっと言っていたことは、バブル以降の日本のデフレ状況と、

  • 石油の価格上昇

が非常にパラレルに現れていた、ということであった。つまり、日本経済の低迷は「石油価格」から考えれば、必然の状況を示していた、と。そして、その背景に、アメリカによる米ドル基軸通貨維持の世界戦略が関わっていた、と。
ところが、今年に入って、どうも奇妙な現象が起きている。一つは言うまでもなく、

  • 石油価格の下落

である。明らかにこれが、日本のリフレ政策による実質賃金の低下による、日本国民の購買力を下支えになっている結果となっている(そういう意味では、安倍政権はラッキーだとも言えるが、調子にのって、消費税を上げれば大変な悲劇が待っていることを警戒しなければならない)。
その一つの兆候として、アメリカとイランの関係の改善が、掲題の本では驚くべき事態の変化として説明されている。というのは、以前から、イスラエルにとって、イランこそ目の敵だったわけで、そういう意味において、アメリカはイスラエルを半分無視する形で、イランとの関係改善にふみきったわけである。
この政策転換は、完全に日本の安倍政権の滑稽な振舞いに結果している。今回の安保法制も、そもそもは、ホルムズ海峡に対するイランの脅威という話だったのが、その審議の過程で、アメリカとイランの蜜月の関係が成立してしまったので、アメリカの圧力によって、

  • そのイランの脅威という「看板」を下げざるをえなくなった

という醜態をさらした。
しかし、いずれにしろ、この石油価格の下落基調は、かなり長期に続くのではないか、といった見立てもある。問題はそれが、日本経済にどんな影響を中長期的に与えていくのか、である。
アメリカのイランとの劇的和解の背景を、掲題の本は、中国の台頭に見出している。つまり、上記の萱野さんの見立てのもう一つの問題であった「基軸通貨」競争を、本気モードでアメリカに「戦争」をぶつけてきているのは、中国と言わざるをえない。そういった認識から、アメリカの

  • イラン和解
  • ロシア和解

は、一種の「中国包囲網」という形で進む。しかし、言うまでもなく、中国はアメリカの工場であり、アメリカ企業が実質的に中国の安い労働力を「利用」している現実があることは変わらない。
しかし、よく考えてみてほしい。
その関係が成立する「条件」はなんなのか、と。

人件費については、日本では賃金が1997年をピークに長らく低下傾向にあり、2013年以降の円安により、国際比較ではかなり安くなってきました。日本貿易振興機構ジェトロ)の調査によれば、2014年末時点の製造業の一般ワーカーの月額基本給は、東京の2373ドルに対し、シドニーた3721ドル、韓国ソウルが1793ドル、北京が564ドルとなっており、日本のおよそ4分の1という中国の安さが目立ちますが、管理職クラスになると、東京の4227ドルに大使、シドニー6535ドル、ソウル3439ドル、北京1675ドルと、中国も日本の4割近くまで上がってきています。
日本の賃金が今後、少ないながら上向くとしても、インドやインドネシアで法定最低賃金が前年比2桁引上げられているように、新興国での賃上げの動きのほうが早いため、差が縮まっていくことは間違いありません。

中国の「基軸通貨」国への野望は、つまりは、世界覇権への野望と同一視される。しかし、その場合、それは、今のアメリカ企業との、中国の蜜月関係と矛盾しない。アメリカ企業による中国の労働市場の利用は、結局は相対的なものである。この労働市場の賃金上昇は、日本がそうだったように、相対的には、彼らにとっての中国労働力市場の「魅力」を下げていくことになる。
しかし、結果として中国がアメリカに代わる「基軸通貨」国の野望を実現したら、どうだろうか? おそらく、日本はアメリカとの地理的な関係も含めて、日本が「基軸通貨」国の野望を実現することは難しいであろう。おそらく、今、アメリカが直面している問題は、この中国を「牽制」するための

  • 中国を包囲するための「世界」的な規模での、アメリカが喧嘩をしていた国との仲直り努力

ということになるのではないか、と思っている。ようするに、アメリカは中国の経済成長であり、その結果として、「基軸通貨」の野望に対抗するために、世界的な平和外交を「強いられる」状況になっている、ということなのである。
私は前回、ブログで、「BUMP OF CHICKEN」という日本のバンドについて書いたところで、私は

  • 同世代の時代的「不幸」

について考えた。それは、間違いなく時代的な「隙間」に挟まれる形で、私たちの世代が「わりをくう」という形で示された。日本の経済構造は、新卒採用を「基準」にして、さまざまなサービスが構成されている。つまり、ここの牙城が壊された世代こそ、バブル崩壊直後の我々の世代であって、ここで日本の福祉政策が破綻したのだ。
なぜ、バブル崩壊以降、日本の経済は、長期的な「デフレ」を結果しているのか。

  • 石油に代表されるエネルギー価格の高騰
  • アメリカによる中国の安い労働力を利用した「ビジネスモデル」の確立

そもそも、冷戦時代。中国は自由主義陣営の、労働市場の外であった。ところが、冷戦終了とともに、中国市場の安い労働力を利用しようと、アメリカのグローバル企業が画策を始める。そして、その流れと共に、日本企業の中国への工場移転が進むことになる。
ところが、である。
上記の引用にあるように、ここ何年かの間の中国人の賃金上昇は驚くべきものがある。ものすごい勢いで、賃金が上昇している。
ということは、どういうことか?
あれほど私たちが、日本経済の「デフレ」要因として考えていた、中国の「安い」労働力といったものが、次第になくなってきている、ということなのである。
世界的に、発展途上国の賃金の上昇「率」がすさまじい。
ところが、日本はほどんど変わっていない。
ということは、いずれ、この差はなくなる、ということであろう。
ということはどういうことか?
私たちの「世代」が苦しんだ「要因」の一つがなくなる、ということである。

中原圭介 で、私は日本が厳しいのはあと十年くらいだと思っているんですよ。まあ、厳しいという言い方が正しいかは人それぞれ議論のあるところだと思うんですけれど、もうすでに中国の沿海部はかなり賃金あがってますよね。で、中国から日本企業もかなり逃げ出してきてますけど、もう、中国との賃金格差は生産性、名目ではなく生産性も考慮にいれると、もう並んでいるですよ。アメリカもそうですよね。アメリカも中国とほぼ並んでいる状態。ようするに、生産性を入れた賃金の格差というのはなくなっている。ですから、一番厳しい時代は日本は通り過ぎたのかなと。あとはエネルギー価格の問題ですよね。
VIDEO NEWS中間層が没落した国は衰退する運命にある

私たちは、私たちの「時代」的な影響を大きく受ける。それは、自らが生きてきた時代の「自明性」だからだ。
おそらく、今後、今のアベノミクスが代表する「リフレ」政策の延長において、新卒採用は売り手市場になっていくのではないか、と思っている。もちろん、だからといって、日本の労働者の賃金が急上昇することはないとは思うが、いずれにしろ、この「新卒採用」の市場の改善は、決定的な

  • 日本の<精神>の健全性

へと反転しているのではないか、と考える。しかし、だからこそ、私たちの世代が代表したような

  • 内省の世代

が、結局なんだったのか。この世代の「生まれてきた」ことの意味が問われていくことになるのではないか、と思うわけである。

しかし私は、少子高齢化については、実はあまり心配する必要はないと考えています。
それは今後、高齢者の労働市場への参加が進むからです。
そのひとつの理由が、年金支給開始年齢の引上げにあります。今後、年金の支給年齢は次第に引き上げられ、70歳程度になってくるでしょう。それに伴い、企業の定年も引上げられ、また定年後も働こうと考える高齢者が増え、社会全体としても高齢者を働き手として受け入れる動きが広がっていくはずです。

例えば、「BUMP OF CHICKEN」の歌を全体で覆っているのは、ある全体に渡る「悲観論」だと思っている。そして、それを強いている外的な要因として、

という、ドラスティックな変化の中で、

  • 社会や国家が<自分たちの世代を見捨てた>

という強烈な「被害感情」をもったことに関係していた、と思っている。失われた10年、20年の間、国家が言っていたことは「リバタリアニズム」であり、

  • 棄民

である。自分で勝手に生きろ、と言った、というか

  • 私たちの世代に「ある意味、狙い打ちにして」そう言った

わけである。つまり、私たちの世代は「捨てられた」のだ。しかし、そうであるがゆえに、私たちの世代は「考えた」わけだ。つまり、考えることを「強いられた」わけである。
おそらく、後世において、この変化は、第二次世界大戦に匹敵する変化として、振り返られるのかもしれない、と思っている。私はこういった厳しい時代に、私たちの世代を「見捨てた」奴らを許さない。彼らが何を言ったのか。

  • 自己責任
  • サバイバル

こういった野蛮主義を肯定した連中の、一種の世渡りのための「エア御用」的発言を忘れることで許してはならない(その総括は、3・11において、結果として、現れたとも言えるだろうが)...。

石油とマネーの新・世界覇権図――アメリカの中東戦略で世界は激変する

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