人間は科学によって滅びる

私たちは一見すると、この人間社会は科学の発展と共に、人間社会も「進歩」をして、素晴しい未来社会が待っていると考えがちだ。しかしそれが間違っているとしたら、どういう意味になるだろうか?
次のような例を考えてみよう。ある未開社会の部族があったとする。しかし、彼らが住んでいる地域の中には、強烈な放射能を発する放射性物質が、大量に原石のまま存在する鉱山があったとする。
もちろん、未開社会であるから、彼らは今の科学知識をもっていない。しかし、彼らはある「知見」をもつようになった。つまり、その山に近づいた人たちは、長い時間をかけて、どうも、体調不良をもたらしている、といった事実に。それは、一つの「統計」情報でしかなかった。つまり、彼らには、その「真」なる情報、因果関係は分からなかった。
しかし、彼らの部族は、酋長の言い付けとして、その地域に近づかないことを、自分たちの「掟(おきて)」とした。それに反した人たちは、それによって罰せられたわけである。
対して、現代社会では何が起きているか?
産業政策として行われる日本の近代化政策において、そもそもの最優先事項は日本の国力の増加であった。そのためなら、住民など、ごみ屑のように捨てられた。それは、日本の中国への進出における、住民政策においても同様であった。国力を増加させたものが「正義」であって、そのための住民など、なんの価値もない連中として扱われた。
水俣病の「原因」は当初、「分かっていない」ということで、地元企業のチッソは、

  • だから今まで通りでいい

と言いはり続けた。「原因」が判明していないのに、勝手に「理由」もなく、企業の自由な活動を規制する権利は、地元住民にはない。次々に、水俣病によって、住民が倒れているのにも関わらず、である。
これを主張したのは、当事者のチッソという企業だけではない。
全国、津々浦々の「御用学者」たちが、諸手を挙げて、賛成したのだ。
企業活動は、神聖かつ不可侵であって、なんの「証拠」もなしに、企業活動を制限してはならない。この活動を制限できるのは、「証拠」をもってきた奴だけであり、なんの「証拠」もない、地元住民にそんな権利があるはずがない。
これと同じことが、言うまでもなく、福島第一原発事故においても起きた。
まず、彼らは甲状腺ガンの増加は、福島第一と関係ない、と言った。つまり、それを示す因果関係は証明されていない、と言った。つまり、津田先生などによる疫学の統計結果では、自分は納得しない、と訴えた。
どこか似ていないだろうか?
そうである。水俣病の時と、まったく一緒なのだ。
彼らは同じ論法で、低線量放射性物質の人体への影響を否定した。彼らにとって重要なことは、ようするに「産業政策」なのである。もしも、農産物が、正規の価格で売れなければ、農家は大損害を被る。これを避けるには、なんとしても「今」。農業を止めるわけにいかない。たとえ、汚染がひどかったとしても、適当に他のに混ぜれば、シロートは誰も気付かない。それによって、農家が損失を被らなければ、その農家は「助かる」というわけである。
例えば、「ニセ科学批判」というものがある。あれはなぜ、糾弾できるのかというと、上記のロジックが、ちょうど「逆転」しているわけである。「ニセ科学」は、科学的な影響が「証明されていない」ことを、あたかも証明されているかのように消費者を説得して、儲けようとする詐欺商法であるが、そういう意味では、今度は水俣病の影響を否定する場合と、その行動原理は一緒なわけである。

  • ニセ科学 ... 証明されていないことを証明されているかのように言いくるめる「詐欺」
  • 水俣病 ... まだ証明されていない理屈でもって、チッソという企業活動を制限しようとする
  • 福島第一の甲状腺ガンの増発 ... まだ証明されていない理屈でもって、東電の企業活動を制限しようとする
  • 福島第一の低線量放射性物質に汚染された農産物 ... まだ証明されていない理屈でもって、農家の企業活動を制限しようとする

しかし、そもそも、統計学は、真の因果関係をうんぬんするような学問なのでしょうか? というか、そんなことが分からなければ、政策決定をできないのでしょうか? 「前近代的」とか「原始人的」とか馬鹿にされなければいけないのでしょうか?
水俣病が地元の住民に発生したなら、その因果関係が

  • 疑われる(=確率的判断)

周辺の変化を、かたっぱしから「規制」することがなぜ正当化されない、と考えるのでしょうか? むしろ、こんな「科学バカ」だから、人類は滅びるのではないでしょうか?
例えば、ニコチノイドという化学物質の蜂への影響が議論されていますが、同じような問題がもし、人間において考えられなければならない化学物質を、ある企業が発明して、それを世界中にばらまいたとします。
今はその人体への影響がまったく証明されていなかったとして、その晩発性によって、五年後から、世界中の人々が次々と死んでいったとしましょう。しかし、御用学者たちは「まだその因果関係が証明されていない」と言って、企業のその化学物質の使用を許可すべき、という論陣をはり続けたとしましょう。
こうして、人類は滅びました。御用学者は言います。「科学的に証明されていないロジックで企業活動が制限されてはならない」。つまり、「その化学物質を使う企業の<自由>」を擁護するために、御用学者は人類を滅ぼします。彼はきっと、その「功績」によって、その企業から、多くの報奨をもらうのでしょう。よかったね。でも、人類が滅ぶのと一緒に、あなたも死んでしまったようで、そのお金を使う機会はなかったようですがw