中田考 内藤正典『イスラームの講和』

シリア内戦は、世界を変えようとしている。
今回のベルギーでのテロについては、何度も言っているが、ヨーロッパは、ここのところ、何度もテロを受けている。それは、実際に多くの被害がでた場合だけについて語っているのではなく、テロ未遂も含めれば、かなりの数になっている、とされているわけであろう。
しかし、この状況をヨーロッパの側から見てだけ議論していることは、あまりに今の事態を、まともに見ようとしていない、と言わざるをえないのではないか。

二〇〇一年の9・11同時多発テロは、突然、起きたものではない。それまでにも、ある種、イスラーム純化し、現実の世の中に適用させようとする動きがでてきていた。一九八〇年代頃から盛んになったイスラーム復興運動である。だが、中東・イスラーム世界の国々は、ことごとくそれを弾圧し、運動の担い手たちを投獄し、処刑し、追放した。これらの国は、アメリカやロシアを後ろ盾として守ってもらったために、運動家たちから激しい敵意を受けた。こうして、イスラーム主義勢力の中には、彼らの母国でのイスラームの復興から、欧米に対する暴力的ジハードへと目標を変える者たちがでてきた。
内藤正典「はじめに 「文明の衝突」を超えるために」)

大事なポイントは、こういった中東の「独裁国家」による

  • 理不尽

な弾圧が、長年続いた状況があった中で、アメリカやロシアやヨーロッパの国々は、自らの「利権」を守るために、そういった国々を黙認しただけでなく、逆に

  • サポート

さえしてきた、利用してきた、という現実があるわけであろう。その「罪」をどう考えているのか、と聞いているわけである。
世界地図を見てもらえば分かるように、中東とヨーロッパは、ほんとうに近い。この近さを忘れているんじゃないだろうか。隣国でひどい人権弾圧国家があって、それを黙認してきて、逆に、さまざまな利害に関係して、むしろ「援助」さえしてきて、あげくの果てに、シリアはひどい

  • 戦争状態

なわけである。どうして一方の側が、その「戦場」として、ヨーロッパを選ばないと思えるのだろうか。なぜなら、すぐ近くなんですよ。シリアとヨーロッパは?

内藤 もう一つは「ホームグロウン・テロリスト」が起こした事件、という見方。襲撃した人にはフランス生まれのムスリム含まれていましたから間違ってはいませんが、私はこうした用語に賛成できません。そういう見方、呼び方そのものがムスリムの子孫たちへの疎外や差別につながりますモスクやイスラーム組織が彼らにとって唯一のサンクチュアリになり、さらなる襲撃犯を生むという話がでてくるのですが、どうも私にはこのストーリーそのものに異論があるのです。最初から、ムスリムの移民たちが集う場所が犯罪の巣窟だと決めているように思えるからです。

こういった状況で、どこかのだれかが、「ホームグロウン・テロリスト」を、「ゼロ年代」とか「オタク」とか言っていたのは、あきれたを通り越して、この

  • 差別的

な態度に怒りすら感じてくるわけである(そもそも、なんなんだろうね、「ゼロ年代」ってw こういう無定義の言葉を、こういった文脈で使う、その感性こそが問われているのに、恥ずかしくないのだろうかw 「ゼロ年代」って、世界中の誰にも意味が伝わらない、日本でも伝わらない、これを使った「僕ちゃん」にしか伝わらないw なんだろうね、そういう言葉ってw)。

いずれの国も結果は同じだった。「ムスリムはでて行け」「イスラームは嫌いだ」が国民のかなりの声となったのである。こうして、母国での貧困や宗教弾圧ら逃れた人々にとってサンクチュアリ(聖域)だったヨーロッパ諸国は、次第にオープンな監獄と化していった。ここでも敬虔で暴力性のないムスリムは徐々に居場所を失っていった。
中東・イスラーム世界でも、欧米の世界でも、居場所を失ったムスリムはどこへ行けばよいのか? これが本書の重大な問いなのである。ISは彼らに向かって手招きしている。世界のムスリムは一六億人を超えるといわれる。それに吸い寄せられるムスリムの比率が、一〇万人に一人なら一万六〇〇〇人のテロリストが生まれ、一万人に一人ならば一六万人のテロリストが生まれる計算になる。世界は、この状況とどう戦えるというのか?
内藤正典「はじめに 「文明の衝突」を超えるために」)

ヨーロッパのイスラムのほんのわずかのパーセントでも、シリアに渡れば、たとえその割合が非常に少なくても、人数としては多くなるわけで、そもそもの問題は

  • そういった方向にさえ考える人が、たとえ少しでも現れるくらいの、今のヨーロッパにおけるムスリム社会の現状への不満

にあるわけであろう。上記の「ゼロ年代」だとか「オタク」だとかって、ようするに、

  • 若者差別

であるだけでなく、

ともなっているわけで、今のこのヨーロッパにおけるムスリム社会の鬱屈した現状に向きあおうとする、まともな態度とは思えないわけである。
ヨーロッパはいつも「人権」とか、えらそうなことを言っているのだから、シリアの難民がヨーロッパを目指すのは、当たり前。だって、こんなに近いのだから。
しかし、結果としてヨーロッパは彼らムスリムの期待するような場所になっていない。これはなんなのか、ということになるであろう。

内藤 そうです。最初はピム・フォルタウィンという政治家が排外主義を主張し、今は下院議員のヘルト・ウィルダースが率いる自由党という政党が主役です。彼らは「イスラームからの自由」を主張しています。イスラームは押しつけがましい宗教で、その信者がオランダにいること自体は迷惑だからでていけ、『クルアーン』は禁書にしろ、と主張しています。欧米の多くのメディアは誤解していてオランダ自由党を右翼政党と報じていますが、彼らはリバタリアン(極端なリベラル)型の排外主義者であって右翼ではありません。フランスで支持を増やしているマリーヌ・ル・ペン党首の国民戦線はフランス的なものにしがみついて生まれた極右政党ですけれど、オランダにはしがみつくものはない。じゃあオランダ自由党はどこから生まれたかというと、その名が示すように「リベラル」からなのです。
中田 そのあたり、ちょっと日本人の感覚では分かりにくいですね。
内藤 そう、日本人やアメリカ人にはよく分からない。ヨーロッパのリベラルって、どちらかというと富裕層に多い。人に干渉されず、自由に過ごしていたい、だから目障りなやつは消えてくれ、という発想。この傾向は、デンマークスウェーデンといった、これまでリベラルだと言われていた国にも強い。難民を排除したいのは、極右勢力だけじゃないのです。

リバタリアンの言う「自由」は、

  • 自分の自由

であって、自分以外の自由に関心がない。そもそも、「リベラル」は

  • 富裕層

の「思想」であって、彼らが「生きやすい」ものを、彼らが「リベラル」と

  • 呼んでいる

だけであって、そういう意味では上記の「ゼロ年代」と変わらない。自分で好きなように、自分が都合のいいように、言葉を状況にあてはめて、えらそうにムスリムの若者に「説教」を始める。「ゼロ年代」とか「オタク」とか。こんなことをやってて、一体、いつになったら、平和になるんですかね...。