一億総活躍の顔

安倍政権の「一億総活躍社会」は、まずは最初に女性ということで、SPEEDの今井を担ぎ上げたわけであるが、彼女の夫の問題でヘタを打ってしまった。
そして、本丸として登場したのが、乙武さんであった。彼はそもそも、他の野党からの出馬を検討していたところを、無理矢理、自民党にひっぱってきて、「一億総活躍社会」の目玉にすることを、おそらく、安倍首相が「一億総活躍」を言い始めた頃から、計画していたのだろう。手足のない彼が、それでも、政治家で「がんばれる」社会である、という形にして、一応の「一億総活躍」を具体化した象徴として彼を利用としたのだろうが、見事にヘタを打ってしまったw
乙武さんは、そもそも、野党からの立候補が噂されていた人であり、彼の回りでは、それによって、なんらかの影響力を行使したがっていた有識者が、暗躍していたことは、今回の騒動で、まるで、御用学者のように「彼は特別なんだ」と擁護し始める

  • 気持ち悪い

人たちが次々と湧いて出てきたことは、今後、どういった連中がどういった繋がりで、なにをたくらんでいるのかを予想させる、いい勉強の場であったと思っている。乙武さんは今回の五股不倫スキャンダルで、はやばやと、参議院選挙立候補の撤退を決めたそうであるが、それでも出たいなら、野党から出ればいいし、無所属で出ればいい。しかし、奥さんに謝罪「させた」ことによって、他の野党は、こういった自民党的手法を平気で行う彼に、猜疑心をもったのではないだろうか。
今回の問題は、乙武さん個人の五股不倫という、プライベートな行動の話であろう。それに対して、奥さんが謝罪したという直接の行動は

  • 乙武さん自身が今後の自分の保身のために奥さんに謝ら<させた>

といった「強制」の色彩が強くなっており、より、家父長制的な家庭の雰囲気が世間にダダ漏れてしまった。プライベートな問題を個人の説明責任の範囲で処理しようとしない時点で、多くの人はここに、なにか「恐しい」、深い闇のようなものを感じたのではないか。
現代の私たちの社会は、「個人主義」の社会である。ここにおいては、すべては自分の問題であり、自分の責任で行うから、あらゆることに対しての「自由」とはなにかが問われることになる。それに対して、今回の乙武さんの奥さんの行った行動は、

  • 乙武さんは、なにか困ったことが起きたら、全部、奥さんになんとかなるように<させる>

結構、家の中では「家父長」で、「いばっている」人なんだな、という印象を与えたわけであり、果して、この多くの人が受けた「印象」は、かなり本質的な問題だったんじゃないのか、と思われるわけである...。