片山社秀「水戸学の世界地図9」

例えば、あなたは日本の憲法に「日本の文化」という言葉を書くべきだと思うだろうか? また、もしも「日本の文化」という言葉を日本の憲法に書いたとしたら、その

  • 意味

はなんだと思うだろうか?
そんなことは自明じゃないか、と言うかもしれない。そして、古事記日本書紀から続く、日本の歴史として、小学校から高校の受験に至るまで記述されているもの「すべて」を指して、それが「文化」だ、と言うかもしれない。
私は日本の憲法に「日本の文化」という文言を入れることに反対だ。それは、「文化」に反対なわけでも、「日本」に反対なわけでもなく、ここで言う「文化」なるものが

  • 曖昧

だからに過ぎない。おそらく、このように私が言うと、ある人たちは反発するのではないか。日本の憲法なのだから、日本の文化について、憲法に書くに決まっているんじゃないのか、と。
しかし、だとするなら、私は言いたいわけである。この場合の「文化」という言葉によって、一体、あなたは何を言いたいのか、と。
私の基本的な立場を、はっきりさせておくなら、私は、いわゆる

  • 内面

のようなものを憲法に書くべきじゃない、と思っている。憲法は制度なのであって、人の内面に介入すべきじゃない。あなたがもしも、私が「どんなことを考えるべきだ」と考えたとき、この社会は夜警国家になる。大事なことは、相手の「内面」を忖度しない、という態度を一貫することである。

  • 相手が何を考えているのかを知っているのは神だけである。

私たちに必要なのは、徹底して、人間の分をわきまえることである。この一線を超えたとき、社会はその構造を維持できなくなる。
ここで私が具体的には何を考えているのかといえば「水戸学」についてである。
例えば、日本の憲法に「日本の文化」と書き加えようとしている人はおそらく、平安時代から続く、短歌や俳句のようなものをイメージしているのではないか、と思われる。つまり、そういった「文化」の一連の延長に今の私たちがあるのだ、と。
しかし、もしもその「文化」の意味を「水戸学」と置換をされたら、どうなるか? おそらく、ここで「日本の文化」と書き加えようとした人にとっては、その行為に積極的には反対できないのではないか、と思うわけである。つまり、こういった人は、もしも憲法に「日本の文化」と書かずに「日本の水戸学」と書かれていても、表向き、反対できない。
つまり、わざわざ日本の憲法に「日本の文化」という文字を書く理由が、これだから、と言うこともできるわけである。

松陰はその後も幾度か湊川を訪れた。毎回、墓碑にすがって感激の涙を流した。そんな彼は、尊皇攘夷の志を果たせぬまま萩の野山獄につながれて悶々としていた一八五六(安政三)年、「七生説」という文章で湊川のことを次のように綴っている。
「余かつて東遊し、三たび湊川を経る。楠公の墓を拝する」。そうすると行く度に泣けて泣けて堪らない。その墓碑の陰を観れば、明の人、朱舜水先生の文章が刻まれている。それを読んでまた泣く。ああ、どうしてこんなに泣けるのだろうか。私は楠木正成公と骨肉父子の間柄ではない。師でも友でもない。涙の出る理由が分からない。ましてや朱舜水先生は海外の人だ。それなのにその文章を読むと際限なく泣ける。先生は明の人だというのに日本に渡って来られ、楠木正成公に心底共感し、深い悲しみを示しておられる。私はその先生の文章から、明の王朝が滅び、代わりに清朝がたって、亡国の深い悲しみに沈んでおられる先生の心持ちを我が身のように感じて泣いてしまう。
なぜこのようなことが起こるのか。松陰は続ける。「理気の説を得たり」儒学で言う理気の説で考えればよいという。理は精神的なもので気は物質的なもの。気としては楠木正成公と朱舜水先生と私はつながりようがない。時代も空間も違ったところに存在しているのだから各人の気はふれあえない。しかし理はどうか。精神はどうか。同じ精神が公と先生と私の心に存在するとしたら? 精神は個人に帰属するのではない。理とは宇宙的で世界的な精神だ。それが各人の心に流れ込んでくる。同じ理が流れ込んでいる心と心であれば、時空を超えて感応することもあるだろう。だから私は泣けるのだ。楠木正成公や朱舜水先生と同じ精神を共有しているから泣けるのだ。そんな私が尊皇攘夷の志を果たせず、獄につながれている。このまま朽ち果ててなるものか。理において公や先生とつながっている私の心を、この激動の時代にもっと活かさねばならない。私の思想をもっとひろめなければならない。南朝方の破滅的危機を前にしても尊王大義を貫く楠木正成公の心、そして明の滅亡を味わっても清に靡かずに日本に亡命して徳川光圀公に大義の重要性を叩き込まれた朱舜水先生の心が、私の心に同じ理を通じて深く注ぎ込んでくるように、外国の賊が侵入をはかって危機的状況にあるこの国の若者の心へ私の心を送り届けねばならない。楠木正成公や朱舜水先生と同等にならなければ死にきれない。七たび生まれかわってでも、そのような存在に自らを鍛えねばならない。

朱子学において、「正名論」といって、あらゆる問題はその「名」と、その「名」の正しい意味において、正当化される。そういう意味で、何が「正統」であるかが、全てを決定する。
だれによる、どんな支配が「正統」なのか。こうして、水戸学においては、天皇による統治こそが、日本の「正統」な支配なのだ、ということになる。
上記において、吉田松陰が言っていることは、

の問題なのである。楠木正成公と朱舜水先生と吉田松陰に共通するのは、主君への「命を捧げ」て事にあたる態度であるわけだが、ここで「命を捧げる」ということは、たんに死ぬというだけでなく、

が完全に、主君に心頭しているという、どこか葉隠にあるのような、自らの全てを主君のため「だけ」に存在させよう、とする徹底した恭順の姿勢だということが分かるであろう。
松陰が涙を流すのも、その「心」の思いの深さを示しているとされるわけで、「心」や「感情」は、こういった「態度」によって、おし図られる。
大事なポイントは、これが「儒教」の延長として主張されている、というところにある。「儒教」における「正しさ」を貫徹する延長で、主君と臣下の「精神的な態度」が決まっている。吉田松陰は自らの楠木正成公の墓にすがりついて泣き崩れる姿が、自らの主君である、天皇への自らの「姿勢」をあらわす「心」の態度として

  • 正しい

ということを十分に分かっている。そしてこの「純粋」な「思い」は、どこまでも拡大する。つまり、上限がない。主君への臣下の「ピュア・ハート」は、そもそも、だれにも「最大値」を設定できない。そんなものを決めたら、不敬なのだ。よって、臣下は、

  • あらゆる

手段を使って、その「ピュア・ハート」を表現することが求められる。自分はどこまで、主君を想い慕っているか。もうそれは

の領域だと言ってもいいわけである。たとえホモセクシャルだったとしても、自分のこの抑えることのできない想いが「伝わる」なら、どんな手段でも厭いはしない。
吉田松陰はこの「心」の極限さを、楠木正成公の言葉に合わせて

  • 七たび生まれかわる

比喩によって表現した。もちろん、輪廻は仏教の考えであり、儒教的ではない。しかし、吉田松陰の言わんとしていることは分かるわけであろう。自分の主君への「愛」は、たとえ七度死んでも、また戻ってきて、同じことを繰り返す、と言っているわけである。つまり、それだけ

  • 正統

なのだから、自分は揺らがない、というわけである。
しかし、である。
これによって、日本はWW2に負けたんじゃないのだろうか。つまり、自分で自分の「枠」を決めてしまったのだ。勝手に自分で、引き下がれない最後の線を引いてしまう。しかし、もっと「柔軟」な態度はありえたわけであろう。
さまざまに「譲歩」しても、それが、国民の生活に大きな「負担」にならないなら、ある程度の妥協は許容できるのではないか。そういった「マキャベリ」的な実利的な計算が、国家の態度から抜け落ちてしまった。
ようするに、国家が国民の「心の内面」に干渉を始めた途端に、国家的な意思決定に柔軟性が失われてしまった。

  • お前は主君への恭順の姿勢が足りない
  • お前は主君への礼に心がこもっていない
  • お前の態度は気に入らない

だから、お前は「非国民」だ、ときやがった。お前は「心」が天皇様への「ピュア・ハート」じゃないから、死刑だ、としてしまった。そうなったら、次々と死刑にしないわけにいかなくなった。吉田松陰から見れば、日本人は彼を除いて全員、主君である天皇に対して

  • 不敬

だということにならざるをえなくなった。だって、楠木正成公の湊川の墓にすがりついて、わんわんと、子どものように泣き崩れるのは、吉田松陰しかいない。他の日本人のだれもそんなことをやっていない。だったら、

  • 不敬罪で日本人を全員殺すしかない

というわけである。「心」がダメな日本人。こんな不敬な日本人は生き続ける資格があるのだろうか。まあ、この世で生きていい資格のあるのは、吉田松陰だけ、ということになるのだろう。主君への恭順の意を、どこまで表現できるか。それは、究極的には、

  • 主君をかばって自らが死ぬ

ことによってしか、その「ピュア・ハート」を証明することはできない。それが、靖国神社である。我々日本人は、主君である天皇のために自らの命をなげうってでも、主君をお守りいたす、このことでしか、その真の真心を示すことはできない。死の代償をもってしか、我が真の心持ちを公にすることができない。
注意してほしいのだが、これまでの議論は全て、「何が正しい」のかに関係している、ということなのだ。「正しい」ということを突きつめていったら、自然と、臣下は主君への

を示すことを強いられざるをえなくなる。これは「間違った日本人」との戦いなわけである。正しいから、自分は真の主君に自らの全てを捧げ、間違った日本人はそうしない。だとするなら、こういった間違った日本人は滅ぼさなければならないのではないか? もしも自分だけが正しいのであれば、自分以外の日本人は生きていてはいけないのではないか?
なにが正しいのかは分かっている。だったら、「義を見てせざるは勇なきなり」にならないのか?
しかし、上記の議論で一つだけはっきりして「間違っている」ことがある。それは、そう簡単に他人の心なんて分からない、ということである。というか、分かってはいけないのだ。
そういった認識の延長に、唯物論や合理主義というものがでてくる。まあ、アメリカが強かったのは、こういった、なんというか「科学的精神」が徹底していたからであろう。不合理なことはやらない。できるだけ、個人の選択に任せる。個々人の試行錯誤を尊重する。リラックスして、最大の力が発揮できるように、プレッシャーをかけない。
日本が負けたのは、こういった「合理性」においてであった。それは何が正しいのかを、「科学」的に追及する態度だと言うこともできる。とにかく、「科学的事実」の前に、

  • 文化的真理(=水戸学的正名)

があるという考えを否定するところに、合理的経験論の強さがあったわけである...。

新潮45 2016年 04 月号 [雑誌]

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