雁屋哲「高まる福沢再学習の必要性」

私たちは共産主義とか、共産主義革命とか聞くと、ソ連や中国の紅衛兵などのアナーキーな暴力の暴走をイメージしがちであるが、そもそも共産主義というのを、そういった大きな何かと考えることは、おそらく、正しくない。
福沢諭吉が晩年、国権主義的になっていったのは、そこに「自由民権運動」があったからで、それへのバックラッシュとして彼の態度があったわけで、そういう意味ではそれは、今の産経新聞にまで続くものがあるわけであろう。
たとえば、戦後のGHQは、農地改革を行ったわけであるが、これも一種の「共産主義革命」だと言えるわけであろう。これを今でも恨みに思っている人はいるわけであるが、しかし、戦前の豪農があのまま戦後も続くというのは、悪夢以外の何物でもないわけで、例えば、東京都の土地全部を一人の豪農が「所有」しているために、日本人は東京に住めない、というのが、豪農が実際に行っていたことの意味なわけであろう。
1%の金持ちと99%の貧乏人というのはそういう意味で、1%の金持ちが地球を丸ごと「買う(=私有地になる)」ということなのだ。そうすることによって、私たちが近所の他人の家の敷地に入れないのと同じように、99%の貧乏人は住む場所も、存在する場所も失う。
なんかおかしいなと思うなら、その人は共産主義とはなんなのかが分かっている、ということになるわけである。
ここのところ、パナマ文書の話題でもちきりであるが、ネットに流出していた日本企業の名前を見ても、あーあ、となるわけであろう。やっぱり、と言うか。まあ、もう、これらの会社の商品は買わないよね。そして、個人の名前もどんどん出てくるでしょう。そうすれば、そういった個人の評判はどんどん下がるでしょう。そういう人は、だれからも信用されなくなり、社会的な影響力もなくなっていくでしょう。
まあ、考えてみればこれも、一種の共産主義革命なんだよね。
福沢諭吉が言っていることは、グロテスクではあるが、お金儲けをするということはそういうことで、ようするに「差別」を「売る」のが一番儲かる、というわけである。その精神は今の産経新聞に繋がっているわけでw、福沢が慶応大学をつくったことは有名だけど、もっと大事なことは、時事新報という新聞をつくっていたことなわけですね。そこで彼は匿名の社説を書いていたし、監修を行っていた(まあ、自分の言いたいことを社員に書かせていた)。当時の新聞というのは、今のようなマルチメディアの時代じゃないわけで、圧倒的な影響力があった。そういう意味では、福沢諭吉が日本の侵略戦争を実現した、と言っても過言じゃないわけである。

福沢諭吉は続けてこう書いています。

「ついては、一昨日来平壌大勝利のさいに生け捕りにした清国の老将がまだ生きているなら、何とかしてその払下げをお願いしたいものである。
役にも立たない生け捕りの老大将を買って何にするか、腐ったような汚ねえじじいのそばによるとダニがうつる、などと言うものもあるかもしれないが、その爺むさく、汚いところに銭儲けの種があるというのが、私の得意の奇計である。
さてその老将の払下げが聞き届けられたら、すぐに浅草公園見世物小屋を作り、評判、評判、これはこそ度朝鮮国の平壌で生け捕ったる唐の大将でござる。目方は何貫何百目、年は七十何歳、腰が少々曲がりまして、せいが低いように見えますけれども、これこの通り、引延ばすと五尺何寸たっぷりでござる。生まれてこの歳に至るまで湯に入ったことがないので身の回りに変な臭気を放ちます。物好きのお客様は近くによって嗅いでご覧なさい。さてまた当人も毎日の御見物に酔ってこのようにうんざりしていますが、これにアヘン煙草を一服させるとたちまち元気を吹き返しましてにこにこ笑いだします。これは、ひとしおのお慰み。
木戸銭五十銭のほかにアヘン代で五十銭、お話の種に一服のませてご覧なさい。
またと見られぬ、ほやほやの生け捕り、評判、評判、大評判
と怒鳴り立てれば、見物の群衆が公園内に黒山をなして、毎日の客を三万と見積もり、木戸銭二十銭にしても、日に六千円、一ヶ月に十八万円の収入は疑いない、これを時事新報に寄付しても軍資金になるから、今日のところは平壌で捕まった大将の存命万歳を祈るのみである」

こういうことを言いますか? 人間をここまで馬鹿にしてよいものでしょうか。生け捕りにした老将を労わるのではなく、見世物にして嘲笑しようと言うのです。

あーあ。そういえば、最近も似たようなことを言っていた人がいましたねw 3・11の震災で、大変な被害にあわれた福島県の人々を前にして、福島第一原子力発電所の壊れた原発を「観光」にしよう、みたいな。怖いね...。

さようなら! 福沢諭吉    日本の「近代」と「戦後民主主義」の問い直し

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