柄谷行人『憲法の無意識』

うーん。
掲題の本で、柄谷さんは日本が憲法第9条を捨てなかったこと、捨てずに今にまで至っていることと、そう簡単に、日本は憲法第9条を捨てないんじゃないのか、と言っている。

ただ、私は憲法九条が日本から消えてしまうことは決してないと思います。たとえ策動によって日本が戦争に突入するようなことになったとしても、そのあげくに憲法九条をとりもどすことになるだけです。高い代償を支払って、ですが。憲法九条は非現実的であるといわれます。だから、リアリスティックに対処する必要があるということがいつも強調される。しかし、最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行しようとすることです。九条を実行することは、おそらく日本人ができる唯一の普遍的かつ「強力」な行為です。

日本が憲法第九条を採用した、戦後直後のGHQの統治下において、日本の指導者が考えていたことは、おそらく、原子爆弾だったと思われる。つまり、原子爆弾が開発された時点で、それ以前の戦争は不可能になった、という認識がある。
確かに、そういった側面は事実としてあると思っている。例えば、ここのところ、オバマ大統領が広島を訪れる話題がニュースになっているが、オバマであり、アメリカであり、欧米諸国にとって、今喫緊の重大な課題となっているのは

  • 核の拡散

であることについて、日本のインテリの感受性の鈍さが、非常に気になるわけである。
おそらく、柄谷さんのこの本での、日本の「憲法第九条の実行」という、自衛隊武装解除を嘲笑する連中が、また、うごの竹の子のように湧いてくるのであろうが、実際、そういう連中と、日本の原発推進派は重なっている。つまり、彼らは、いわゆる

論者なのだ。日本は「普通の国」にならなければならない。そうなるためには、まず、憲法第九条を破棄しなければならない。しかし、そんなことをしたら、どうなるだろうか?
日本は、世界の他の国と、なんの違いもない、本当に「普通の国」になってしまうのではないだろうか? 東南アジアの、タイやインドネシアのような国になって、普通に、貧しい国になって、それを嫌がった日本はまた、

というわけであるw 私は基本的に上記の柄谷さんの自衛隊武装解除論は、国際的なインパクトを考えても、これによって、間違いなく日本は

  • 世界的な最先端の国

になる、という意味でも、国際的に「非常に重要な、注目の国になる」という意味で、魅力を感じている。
そもそも、戦争とはなんだろう? それは、核兵器が開発され、世界に拡散された後における「戦争」とは何か、という問いでなければならない。そういう意味では、もはや、戦争とは

  • 世界中を何百回と滅ぼすだけの核兵器が飛びかう

まさに「ハルマゲドン」を意味する。そういう意味から考えるなら、もはや、「武装解除」以外の選択はないはずなのである。
しかし、こういった提案を「非現実的」と考える、さかしらなインテリの理屈は、実際に、WW2以降において、さまざまな戦争が起き、さまざまな平和維持活動が行われてきた事実に関係している。つまり、日本だけ血を流さないでいいのか、という

が、大きな足枷となっている。つまり、日本は世界が暴力で困っていたら、日本の暴力装置である自衛隊で、そういった国々を「助けられる」、そういう国になりたい、ということに関係している。
こう言われると、確かに、一定の説得力があるように感じられるが、別に、当人が「助けたい」というなら、さまざまな方法があるわけである。国連軍の一員として、傭兵志願をしてもいいだろうし、アメリカに引っ越して、アメリカ軍に入ってもいいわけであろう。
いや、あくまでも日本という「国」が、そういった困っている国々を、日本の暴力装置で「助ける」ということに意味があるのだ、ということになると、少しずつ、うさんくさくなる。
なぜ、日本なのか?
というのは、実際に、アメリカもフランスも、自国の軍隊をさまざまな地域へ派遣しているし、実際、ISの殲滅作戦を行っていたりするわけであるが、そういった行為が、そもそも、自国の

と関係なく行われている、と思っている人は少ないであろう。どこの国も、自国の利益と関係して、暴力装置を使っている。だとするなら、上記の「日本も自国の暴力装置を使って、世界を助けたい」と言うことは、バランスの悪い主張だということにならないであろうか。
どんな国も、自国の暴力装置を動かすときには、自国の利益を追及して行う。だとするなら、そういった「きれいごと」を言って、自国の軍備強化を行うことは、必然的に、軍拡競争を結果する。
早い話が、そういうことを言って、自国の軍備を拡張しようと画策している国は、世界中にいっぱいある。そして、今問題になっているのは、そういった国の軍拡が、必然的に、世界規模の核戦争を結果する、という事実なわけであろう。
まあ、「普通の国」という言葉を使っているけど、基本的に、そういう人が言っていることは、福沢諭吉主義なんですよね。つまり、日本は

  • 一等国

になるべき、というところにある。そして、富国強兵をすれば、日本はいつまでも、一等国の仲間入りをし続けられる、という。しかし、日本にとって比較優位な分野って、そういう人たちは、どこを考えているのだろう? 白物家電w? あっというまに、アジアの小国は、日本に追い付くよ。ようするに、なんの差もないんだよね。そうして、日本が今以上に貧乏になっていったとき、そういった軍拡主義者は、明治と同じように、また侵略をしようと、

  • 画策

することは目に見えていますよね、たとえ、経済的に国内に比較優位なものがなくなった時代になっても、日本を「平和」にしておく、そういったツールを考えていないんだよね。
私は掲題の本を読みながら、素朴に思ったのだが、そもそも、天皇制を維持したまま、自衛隊を軍隊にしたいとか、核兵器をもちたいとか、そもそも、論理的に矛盾しているのではないだろうか?

ゆえに、九条は占領軍の押しつけだといわれるのですが、必ずしもそうではありません。豊下楢彦は、それより一〇日ほどの前の一月二四日に、マッカーサーが幣原首相と会談したことについてこう述べています。

幣原が友人の枢密顧問官・大平駒槌に語った会談内容に関するメモによれば、マッカーサーは米国の一部や関係諸国から天皇制の廃止や昭和天皇を戦犯にすべきとの声が高まっていることに危機感をもち、幣原に対して「幣原の理想である戦争放棄を世界に声明し、日本国民はもう戦争はしないという決心を示して外国の信用を得、天皇をシンボルとすることを憲法に明記すれば、列強もとやかく言わず天皇制へふみ切れるだろう」と語ったという。
このメモがどこまで正確なものか否かは別として、『実録』は、幣原が翌二五日に昭和天皇に拝謁し、前日にマッカーサーと会見したこと、そこにおいて、「天皇制維持の必要、及び戦争放棄等につき談話したこと、そこにおいて「天皇制維持の必要、及び戦争放棄等につき談話した旨の奏上受けられる」と記している。つまり、新憲法の一条と九条となる根幹の問題が両者によって議論されて「意見が一致」し、しかもこの団塊で、その「旨」が昭和天皇に「奏上」されていたのである。(豊下楢彦昭和天皇の戦後日本』岩波書店

まあ、分かりやすいですよね。以前、東浩紀さんが中心となって作られた憲法草案に対する最大の違和感は、ここにあって、ようするに

  • 国内向け

のロジックなんですよね。つまり、自衛隊を廃止して、日本軍を

  • 復活

させるのなら、当然、

を言わないと、「つじつま」が合わないんじゃないのか、という「問い」を、少なくとも、一顧だに検討した気配がない。もしも、日本軍の「復活」を行いつつ、天皇制を維持するというのであれば、当然、

の問題が再燃せざるをえなくなる。いや、普通に、ロジカルに考えれば、こんなことは自明に分かりそうなものなのだが、まったく、こんな当たり前のことにさえ気づかない。というか、彼ら自身が

  • 国民なんて、適当に、屁理屈でごまかせば、なんとでも言いつくろえる

と思っているから、本気で、徹底して考えていないんですよね。ようするに、戦後70年が経って、理論に対する「緊張感」がなくなってしまった。戦中に、あの太平洋戦争の被害を拡大させた、平泉澄などの戦犯クラスの知識人たちは、次々と、自らの

  • 責任

を受け入れて、大学教授の職に辞表を提出して、みんな、田舎に帰った。それは、自分が果たした役割が、非常に戦中の日本の愚行に深く関係していたことを受け入れたからでしょう。
ところが、こうして、戦後70年もすると、まったく、当時の知識人の「緊張感」を継承していない。特に、驚くべきことは、東浩紀さんの作った憲法草案の前段として本人が書かれて、一緒の雑誌に載った文章では、福沢諭吉が肯定的に引用されている。
福沢諭吉こそ、間違いなく、日本のアジア侵略において、中心的役割を果たした人物であり、アジアの人々に対して、生涯に渡り、さまざまな差別的言動を繰り返した人物であるにもかかわらず、こういった最も重要な文脈で、引用してくる。
そう考えるなら、普通に考えて、東浩紀さんの憲法草案にもしも、改正されたら、福沢諭吉が考えたように、また、アジアに侵略を始めるのだろう、「一等国」であるように日本が維持されるように、あらゆる手練手管を使って、行ってくるだろうと、非常に自然な形で推論が展開され、

  • 警戒

されることを分かった上で、こういうことを書いているわけでしょう。

もう一つ重要なのは、徳川幕府外交政策です。鎖国政策といわれていますが、実際は異なります。明・朝鮮との交易があったし、オランダとの交易もあったからです。徳川幕府が特に力を入れたのは、秀吉の外交によって破壊された朝鮮との関係の修復です。その一つとして、朝鮮通信使の制度があります。徳川の将軍の交代のたびに、彼らが日本にやってきて、朝鮮の学術・文化を日本人に伝えたのです。当然ながら、朝鮮王朝の背後には明がいました。ゆえに、徳川の政策は、東アジアの国際的秩序を回復するものでした。
徳川の平和 Pax Tokugawana ということがよくいわれますが、その場合、国内の平和しか考えられていないのはおかしい。平和はやはり国家間で考えられるべきものですから。徳川の体制はまさに秀吉の朝鮮侵略を頂点とする四〇〇年に及ぶ戦乱の時代のあと、つまり「戦後」の体制なのです。ふりかえると、徳川の体制は、さまざまな点で、第二次大戦後の日本の体制と類似する点があります。
第一に、象徴天皇制です、先に述べたように、天皇が政治的に活性化したのは、王政復古が唱えられた建武中興のころで、その時に生じた混乱が、戦国時代から秀吉にまで至ったのですが、徳川はそれに終止符を打った。その基礎にあったのが徳川時代の「尊王」です。それは象徴天皇制のようなものです。
第二に、全般的な非軍事化です、大砲その他の武器の開発が禁止された、武士は帯刀する権利をもつが、刀を抜くことはまずなかったので、刀は「象徴」にすぎなかった。その意味で、武士の非戦士化です。だから、武士は学問をせねばならなくなった。しかし、武士の実質は失われたけれども、武士という名分は堅持されました。武士道が説かれるようになったのは、むしろこのような時だったのです。ただ、そこで説かれるような「武士」は、戦争ができるようなタイプの武士ではありません、
ある意味で、現在の憲法の下での自衛隊員は、徳川時代の武士に似ています。彼らは兵士であるが、兵士ではない、あるいは、兵士ではないが、兵士である。このような人たちが海外の戦場に送られたらどうなるでしょうか。彼らは戦わねばならないし、戦ってはならない、そのようなダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれます、それは、たんに戦場で戦うのとは別の苦痛を与えます。先ほどいったように、イラク戦争に送られた自衛隊員のうち五四名が「戦力」でなかったにもかかわらず帰国後に自殺したということがそれを示しています。

柄谷さんの、徳川の外交政策を、この東アジア一帯の

  • 平和外交

という側面での考察は、意味深く思われる。朝鮮通信使は韓国との協同でユネスコ世界遺産に申請されているが、これを当時の東アジアの平和外交の文脈で考えることは、非常に重要なわけでしょう。
こういった「東アジアの暴力秩序」を考えた場合に、日本の「非戦士化」が非常に重要であった。そもそも、徳川以前。日本は、ほぼ、400年におよぶ、混乱の時代、戦乱の時代があったわけですが、これが始まったのは、後醍醐天皇による、天皇

に始まっていたことを忘れてはならないわけです。第二次大戦の終わりにおいて、なぜ日本が武装解除を受け入れたのかは、ようするに、日本が徳川の「象徴天皇制」に戻るという、シグナルを肯定的に直観したからなわけでしょう。
実際に今、日本は自衛隊を廃止して、帝国日本軍を復活すべきだと言っている人の理屈を細かく聞いていって、明治維新以降の日本が東アジアに侵略していった文脈、植民地化していった文脈を否定的に語っている人というのが、一人でもいるでしょうか? 福沢諭吉を否定的に語っている人がいるでしょうか? ようするに彼らは、

  • 無意識

において、なぜ戦前の日本の侵略戦争が悪いと言われなければならないのか、理解できない。だから、彼らは、もしも、日本の軍隊が復活したら、福沢諭吉が言っていたように、侵略戦争を繰り返す。もちろん、現在において、その意味が、さまざまに違っているかもしれませんが、本質的に、戦前がなにも悪いと思っていないのですから、必然的にそうなる。というか、彼らは自分が何を言っているのかを分かっていない。彼らが一瞬にして、マッチョな侵略主義者に変わるだろうことは、実際に、福沢諭吉がそうだったわけであるし、彼らが、まったくの無自覚に、福沢諭吉を全肯定してしまっているところに、象徴的にあらわれているわけであり、日本軍で

  • セカイ

を救いたいとか言って、しかし実際のリアルな場面として、その日本軍が韓国や中国に乗り込んで行って、戦前の満州事変のように「暴走」する場面を、彼らはリアルに頭の中に描けないわけですよね。天皇の名の下に、どのようにして、彼らは軍隊の暴走を止めさせられると思っているのでしょうか? つまり、問題はいつもそういった保守派の「ナイーウ」さにあるわけでしょう...。

憲法の無意識 (岩波新書)

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