日本会議と安倍政権

ここのところ話題の、『日本会議の研究』(菅野完)を読ませてもらったが、まさにこの本は、ジャーナリズムの王道とでも言うか、よく調査報道をされている。というか、なぜ、このレベルの報道が一般の大手マスコミで今まで出てこなかったのか、あまりにも日本の報道は異常だったのではないか。
以前にも、このブログで書いた記憶があるが、今の安倍政権のほとんど全員が日本会議のメンバーであることが分かっていて、だとするなら、日本という国家は今、日本会議なる「宗教教団」にのっとられたんじゃないのか、と海外から見られるのは当たり前なわけであろう(実際、そういったフランスの記事もあったが)。
国連だったかの報道の自由ランキングで日本がかなり低くなってしまっているというのも、つい最近の、民主党政権では普通にフリーのジャーナリストにも、大臣の記者会見で質問で挙手すれば、あたっていたわけであるが、今の安倍政権では、大手マスコミの決まったメンバーしか挙手してもあたらない。
なんのことはない、安倍が国連で下手打ったように、記者の質問も全て

  • ネタを仕込んだ口パク

であって、全部、大臣はペーパーを読んでいるだけ。これというのも、今の安倍政権が、日本会議にのっとられて、下手な質問を記者にされて、彼らの陰謀が暴かれるのを嫌がっている、と世間では見られていたわけで、こういう

  • 現状

に対して、日本の報道の自由が低く評価されるのは「当たり前」なわけであろう。つまり、基本的な一つ一つのルールがおかしくなっている。それは多分、「たいしたことではないのであろう」とおもんばかろうがなんだろうが、

  • こんな当たり前のこともできないのか

という一定の基準をクリアできていない、という評価がこういった事態をもたらしているわけであって、もっと直截に言ってしまえば、なんで、大手マスコミは、日本会議についての上記の本レベルのことを書けないの? という、多くの先進国であれば、当然のマスコミの機能が停止している、

  • タブー

化している異常事態を問題にしているわけであろう。
私はあまり、この状況に詳しいわけではないが、例えば、つい最近まで長期に渡って東京都知事をやっていた、石原慎太郎は言うまでもなく、自民党にずっと所属してきた人なわけで、彼と日本会議または日本会議的なマインドとの関係はどうなっているのだろうか。
石原慎太郎も、どこかで、明治憲法に戻ればいい、みたいなことを言っていたわけで、間違いなく、日本会議的な人脈と関わっていたのではないか。
そういった文脈から、大阪維新の会であり、橋下元大阪市長と、石原慎太郎は、同じ政党を結成していたこともあるわけであり、こういった所と、日本会議的人脈との関係も気になってくるわけであろう(というか、日本会議が、各都道府県の地方議会で、さまざまな決議を通していることを考えても、その人脈の関係が重要になってくる)。
私は近年の、自民党右派界隈を中心として、マスコミなどで行われてきた、保守系人脈の「イデオロギー」の諸関係を、もう一度整理する必要があるのではないか、と思っている。
それは、たんに橋下元大阪市長や、石原慎太郎といった個人に限定されることではなく、その石原の後を追って東京都知事になった、猪瀬直樹や、彼の周辺に群がり、一連の日本の

  • 保守マインド

を喧伝してきた若手論客たちの「保守的立ち位置」も含めて、徹底的にその諸関係をはっきりさせる必要があると思っている。
例えばそれは、日本の今の最大の懸案とも考えられる、託児所落選問題を考えてもいいだろう。
なぜこの問題は解決しないのか。
そこに、どうして日本会議的な「家族イデオロギー」が関係していないと言えるだろうか。
どう考えても、今の政権には、託児所落選問題を本気で解決しようという動機が感じられない。まったくもって、及び腰。なんとなく、お茶を濁して、それで終わりにしようとしている。それは、この前の北海道の補欠選挙における、与党側の候補の態度にも現れていた、と言えるであろう(どう考えても、与党候補の圧勝が地盤から考えても予想されていたにも関わらず、結果として、ほとんど鼻差の範囲の投票差しなかったわけであり、これが次の参議院選挙で再現されたとき、大きな政党地図の変化として現れるのかもしれない)。
しかし、この問題はそんなことで済むような話なのだろうか。まったく、政権与党がやる気がない。そりゃあ、民進党のしおりんが注目をあびるわけだよ...。