杉山茂樹『攻撃的サッカー』

サッカーを著しく特徴づけているのは、そのルールの「シンプル」さ、だと言えるであろう。それは、ボールを運ぶのに、手を使ってはならない、つまり、基本的に足で操作する、というそのルールが、人間の日常生活では、基本的に足で何かを行うといった行為がないから、さまざまにその行動を単純化させている、ということなのだろう。
決まった時間内に、一つのボールを相手陣地にあるゴールの中に入れることを何回成功させるか、その数の多さを競うというだけの、この単純なルールは、むしろ私たちに多くのことを考えさせる。
それは、掲題の本のタイトルである

  • 攻撃的

という言葉にもあらわれている。さて。何が「攻撃的」なのだろう? なにをすることが攻撃的だと言うのだろう? それは、フォワードとディフェンダーといった各ポジションの

  • 呼び名

にも現れているわけで、そもそもルール上、フォワードとディフェンダーに対して、なんらかのルール上の差異はない。差異があるのは、ゴールキーパーとそれ以外の違いだけで、さて。なにが、攻撃的で、なにが、守備的だったのかな。
確かに、サッカーは、自陣のペナルティーエリアに、11人の全員がいれば、相手が蹴ったボールがコールネットに入るにはあまりに「狭い」隙間をすり抜けて行かなければならないわけで、なかなか点が入らないことは確かなのだが、それは相手も同じで、そういった関係から、なんらかの

  • バランス

において、選手はポジションを守ってプレーをした方が勝ちやすいのではないか、といった判断から、攻撃的とか守備的といった話になっていく。

「できる限り相手陣内でサッカーをする。そのためには、ボールを奪われたらできる限り早く奪い返す。奪ったら、サイドを有効に使いながら攻撃する。後ろを気にせずバックラインをできるだけ高く保ち、前に多くを割く」
こう語ってくれたのは、ミホルスのトータルフットボールで主役を演じたヨハン・クライフだ。

さて。攻撃的サッカーはゾーン・ディフェンスとなる。何が「攻撃的」なのだろうか? 攻撃的サッカーは背水の陣で、ギャンブル的に前に人を割くということではない。つまり、攻撃的というのは、「攻撃的になれる」ということを意味する。そういう意味で、相手の「攻撃的」に、それなりの「守備」が伴って始めてそれを攻撃的と言うこともできる。そういう意味では、そもそも、攻撃と守備を分けることはできない。

しかし、南ア杯本番に臨んだ岡田ジャパンのサッカーは、相手ボール時の対応が完璧にできていた。本田を0トップに松井大輔(右)、大久保嘉人(右)が両サイドを固める図は、これまでの日本にはなかったものだ。相手の両サイドバックの攻め上がりを高い位置でチェックできる態勢になっていた。サイドを制圧されにくいポジショニングが取れていた。ピッチ上に穴は存在しなかった。
そういう意味では、攻撃的だった。欲を言えばきりがないが、それまでと比較すれば上々だった。

攻撃的サッカーは、攻撃に人数を多くかけるわけだが、ゴール前を多くして守りを固める相手に対して、比較的相手が守備をしづらい両サイドからの攻撃や、マイナスのボールを使って、できるだけ成功確率の高い攻撃を行う。それに対して、南ア杯での岡田ジャパンは、そういった攻撃的サッカーに対して、両サイドバックの攻め上がりをより高い位置でチェックできていたという意味で、

  • 有効な守備

ができていたという意味で、「攻撃的サッカー」だ、と掲題の著者は言っているわけである。つまり、「攻撃的」守備だ、と。
さて。
攻撃的とはなんだったかな? 攻撃的とは攻撃のことだけでも、守備だけのことでもない。用語が混乱しているわけである。つまり、「トータル」サッカーにおいて、攻撃的だと言っているのであって、つまりこれは、メタの話なわけである。
言うまでもないが、これは一つの「フォーメーション」の話である。つまり、なんらかの「理論」の話をしている。つまりこれは、高校入試の試験問題に、公式を馬鹿の一つ覚えのように当て嵌めれば、正解になる、といったような話ではない。

ビッグクラブの好チーム化。それを側面から支えたのが攻撃的サッカーだった。攻撃的サッカー対守備的サッカーの時代は、攻撃的な好チームに、番狂わせの可能性が膨らんだが、攻撃的サッカー対攻撃的サッカーの時代に入り、そのディテイルの勝利になると、ビッグクラブ優位の戦いになる。いいサッカーをする小さなクラブにチャンスの目は薄くなる。

言うまでもないが、ビッグクラブは多くのお金をかけて、選手も監督も集めているのだから、強いにきまっている。しかし、そういったビッグクラブは、実際のところ、どういったチーム作りをしているのかとみると、それが

  • 攻撃的サッカー

だというわけである。攻撃的サッカーは、ヨーロッパのチームがブラジルの無手勝流のサッカーに、どうやったら勝てるのかを考える中であみだした戦術である。それは、同じサッカーをブラジル自体も始めたとき、何が起きるのか、ということである。
私がここでこだわりたかったのは、何が「攻撃的」なのか、という、この言葉の「定義」に関係していた。例えば、アメリカのメジャーリーグの野球を考えてみると、多くの日本で、すごい勝率で勝った投手がアメリカに渡って、最初は連勝をするが、次第に打たれていく。それは、相手が

  • 研究

をするからであって、この事情は同じわけであろう。ビッグクラブが勝つのは、あらゆる全ての面で、「お金をかけている」からであって、それは戦術研究も同じなのだろう。だからこそ、ジャイアントキリングが起きるとき、私たちはなんらかの「驚き」をもつようになる。つまり、そこにはどんな「攻撃的」または「守備的」な、

があったのか、と...。

攻撃的サッカー (PHP新書)

攻撃的サッカー (PHP新書)