尾松亮『3・11とチェルノブイリ法』

チェルノブイリ原発事故のとき、ソ連の科学者たちがどのように振る舞ったのかはあまり知られていない。それは、ある意味において、日本の3・11の福島第一事故において、御用学者たちがどのように今も振る舞っているのかと、基本的には同じだったわけである。つまり、今でもそうだが、年100ミリシーベルトでも大丈夫だとか、こういうことを平気で言う連中が「御用学者」なのであって、それは、ソ連時代のチェルノブイリでも同じだったわけである。
もちろん、そのことに対して、あまりにもナイーブな国民は、そういった御用学者の「口車」に乗って、私たち市民側の権利を国家に奪われる方向に操られがちだ、とは言えるであろう。
しかし、である。
最低限、私たちが考える参照点がある。それが「チェルノブイリ法」である。そもそも、原発過酷事故は世界で始めてではない。以前に、この世界は経験をしており、その「経験」から、人類はある一定の「成果」を勝ち取っていた。それが「チェルノブイリ法」なのであって、この一線は、私たちにとって引き下がれない一線だったはずなのである。
チェルノブイリ法には、年1ミリシーベルトを越える地域の住民には、必ず、なんらかの「保障」がなされなければならない、とある。まあ、小出さんが言っていた年1ニリシーベルトであり、放射線防護地域の基準の年1ミリシーベルトであり、確かに、当時からソ連の御用学者はもっと基準は高くていいとか言っていたけど、チェルノブイリ法としてはそうなっている。
というのは、そもそも、御用学者たちとは考え方が違うわけである。
なぜ年1ミリシーベルトなのか。それは、原発事故によって、住んでいる地域が汚染されたということは、私たち国民の

  • 名誉や尊厳

が傷つけられた、という考えだからなのだ。それは、原発事故対応を行う作業員たちの「被曝」についても同じで、彼ら作業員たちが浴びる被曝は、国家の防衛戦争で戦った名誉ある負傷者と同様の扱いなのであって、当然、国家が彼らの「名誉や尊厳」の回復を行うわけである。
私たち国民には、それだけの価値がある。
では、どういったことが必要となるであろうか? 汚染地域はまず、次のように分けられる。

  • 居住禁止地域
  • 居住の自由あり&避難の保障ありの地域

前者は国家が、そこに住んではいけないと決めた地域であり、後者は住み続けるという選択を認める地域である。しかし、いずれにしろ、その二つは移住に対して、基本的に国家が、さまざまな金銭を含む保障を行うわけである。なぜか。それは彼らが「名誉や尊厳」を傷つけられたのだから、国家がそれに対して保障をしなければならない、と考えるからである。よって、当然、移住先での仕事の斡旋から、居住先の確保から、国家の

  • 義務

である。上記の地域の人たちには、今後、一切の生活の保障を国家は行う必要がある。まず、健康診断は当然、国家が責任をもって行うとして、その他、保養地に行く権利や、子や孫の健康を保障する権利も必要であろう。当然、彼らがいつか、もう一度、故郷に帰って生活する権利も保障する必要があるだろう。
これが、チェルノブイリ法である。どうだろう、一部の御用学者たちが言っている「科学」話とまったく違うであろう。
例えば、この中の何人かが、甲状腺癌になったとしよう。もちろん、その人たちが、直接、原発由来の放射線によって癌になっていないのかもしれない。スクリーニング効果で、よく診察するから見つかったのかもしれない。
しかし、である。
そもそも、この原発事故が起きて、被曝地域で生活をしていたから、こういう、どっちなのかを考えなければらない立場に追いやられたのであろう。つまり、そういう意味でも、彼らの「名誉や尊厳」は傷つけられたのだ。当然、実際にどっちであろうとも、国家は救済するわけである。
今、福島では20ミリシーベルトで帰還政策を行い、被災者を村に帰そうとしている。そして、帰らないと選択した元住民には、今後、今まで行っていた支援策は打ち切るんだという。
こんなことを許していいのだろうか?
こんな悪魔の政策を行うような村は滅びるべきだ。そんな残酷なことをするような村が、今後、続いていいわけがない。どうぞ滅びてください。

原発事故から5年を迎える現在、日本ではいまだに「20ミリシーベルト / 年」という非常事態同様の基準が適用されている
これは平時の、一般住民に対する基準「1ミリシーベルト / 年」から見れば20倍に当たる。20ミリシーベルトは、成人の原発作業員の年間被曝限度(5年間の平均?)である。この基準未成年や妊産婦も含む一般住民に、何年ものあいだ適用してよいのか。疑問があって当然である。
2012年6月に議員立法で成立した「子ども・被災者支援法」は、「放射線量が政府による避難に係る指示が行われるべき基準を下回っているが一定の基準以上である地域」を「支援対象地域」と定めている。住民支援、帰還者支援だけでなく、自主避難者に対する支援も約束している。これはチェルノブイリ法の「居住権」「居住リスク補償」の考え方に対する支援も約束している。これはチェルノブイリ法の「居住権」「居住リスク補償」の考え方を取り入れたもので、画期的な法律である。
素直に法律を読むなら、20ミリシーベルト以下のレベルで基準を定め、国がそこに住む住民の健康保護や、そこから避難する人々の生活支援をすることになる。しかし政府は、「支援対象地域」の確定にあたって、線量基準を定めることを避けた。また、避難先で生活を続ける人々に十分な住宅支援、生活上の支援はなされていない。
チェルノブイリ被災地では人民代議員たちが「1ミリシーベルト」基準を法律に書き込んだ。この基準を変えるには議会での審議が必要である。一方、日本では、政府が決議や省令で基準を恣意的に変えることができてしまう。
日本でも、基準を法律に定める必要がある。その地域で生まれ育つ子どもが、何十年も生活することを想定して、被曝限度を考えなくてはならない。それに際してやはり、先例、これまでの原子力被害における「再建の知恵」に向き合う必要がある。その1つが、チェルノブイリ法の定める「1ミリシーベルト / 年」の被曝量基準であろう。チェルノブイリ法では、事故から5年を経て、「住民」の平均実効線量1ミリシーベルト / 年を基準とした放射能汚染地域の基準を定めたこの先例が貴重な指針となるだろう。
「どのレベルの被曝量を超えれば危険か」という議論には、誰もが納得いく答えは出ないだろう。専門家の間でも意見が分かれ、被曝の影響に個人差があることも明らかである。だからこそ、これまでに作られた世界の法律を参考にしなければならない。一般住民の被曝量について、人類がこれまでどのようなルールを定めてきたのか、その先例こそが、「支援対象地域」の基準を定める上での出発点となる。先例にならうことを、単純によしとしているのではない。法律は、人類社会が苦悩しながら定めてきたルールの体系であり、その先例を論拠として議論を始めるべきだと、筆者は考える。もしチェルノブイリ法とは異なる基準を採用するのならば、その根拠を明確に示すべきだ。

御用学者たちは、なんとかして、税金から被災者に渡るお金を減らそうとして、この「1ミリシーベルト / 年」の基準を破壊しようとする。また、被災者の「居住権」を破壊しようとする。被災者の「保養権」を破壊しようとする。
よく考えてみてほしい。御用学者は「恐しい」のだ。
彼らが心の奥底で何を考えているのか。私は、怖くてしょうがない。私は一日でも早く、日本の「福島第一法」が作られることを願っている。神様。福島第一の被災者を、御用学者の魔の手から、助けてください...。

3・11とチェルノブイリ法―再建への知恵を受け継ぐ

3・11とチェルノブイリ法―再建への知恵を受け継ぐ