黒野耐『参謀本部と陸軍大学校』

私は昔から、エリート主義に批判的なのだが、あまりこの問題を原理的に考えている人は少ない印象を受ける。
例えば、社会学者の宮台真司さんはエリート主義者で、そういったエリート教育をすべきだ(ということは、今の大学全入状態を止めて、大学は少人数だけが行けばいい)と言っているわけだが、彼に言わせれば、現在のグローバル社会では、国際競争の熾烈さによって、もはや国家は貧乏人にお金を与える「余裕がない」というわけであり、福祉に回すお金が国家はないのだから、必然的に教育などという「贅沢品」は、一部の「選ばれし」子どもしか「与えてはならない」ということになるのであろう。
では、彼はどうやってそういった「エリート」を正当化するのかというと、エリートは「ノブリス・オビリージュ」にならなければならない、と。つまり、手厚い「教育」によって、エリートが国民の「ため」に行動する人になることによって、エリートを正当化する「根拠」となる、というわけでる。つまり、どういうことかというと、例えば、今の官僚の「腐敗」は、

  • エリート教育が「なっちょらん」から

というわけである。つまり、どんなふうになろうと、彼に言わせれば「エリート教育をもっとしなければならない」となる、というわけであるw
なぜ、私がエリート教育に批判的なのかと言えば、例えば、ワンマン社長問題というのが分かりやすいのではないか、と思っている。つまり、ワンマン社長が問題なのではなくて、そのワンマン社長が亡くなった後、ということである。
エリートとは何か? よく考えてみると、この「定義」はない。というのは、よく考えてみてほしい。
「組織」とはなんだろう? 一般に、ある「組織」が作られるとき、その組織には「ルール」が付随する。つまり、このルールのことを「組織」と同値の意味で扱う。では、このルールは何を言っているのだろうか? ルールの意味はリテラルに決定しない。ルールは、そのルールを「作成した人」の

  • 意思

に従属する。つまり、ルールは「誰がそのルールを作ったのか」と、ほとんど同じ意味だ、ということになる。

統帥組織の問題は、参謀本部が政府から独立して天皇に直属する、すなわち統帥権の独立により、軍が政府の統制から離れて大東亜戦争へと暴走していったことに集約される。統帥権とは国軍を指揮運用する最高の権能であり、参謀本部が独立するまでは太政大臣に属し、陸・海軍卿の管轄下にあった、
参謀本部が独立した明治一一(一八七八)年一二月は、西南戦争という大規模な内乱を鎮圧した直後であった。政権基盤の固まっていなかった明治藩閥政治は、同年八月に勃発した竹橋事件のように国軍の反乱が自由民権運動を展開する反政府勢力と結びつくことや、議会開設により進出が予想される反政府勢力が陸軍の行動に制約を加えることを恐れていた。このような政治闘争から軍を隔離すべきでるとの要請が、天皇に直属する参謀本部の設置を容認する背景にあった。
こうした政治情勢を利用して、陸軍を自己の権力掌握の基盤とするため、参謀本部の独立を推進したのが山県有朋であった。政敵となりうる政治指導者が陸軍に影響力を行使することを阻止するうえで、軍に対する政治の関与を排除する統帥権の独立は彼にとってきわめて好都合だったのだ。

明治以降の日本国家とは、ほとんど「山県有朋」のことを言っていた。つまり、

であった。なぜ、天皇が明治において表舞台にひっぱってこられたのかと言えば、山県が、上記にある「統帥権の独立」を実現するためであった。その「ため」に、天皇が政治の表舞台にいることが必要とされた。つまり、これによって、山県は日本を支配したのだ。
山県は明治政府を作った。つまり、山県が帝国日本軍を作った。ということは、帝国日本軍は

  • 山県が支配できるように

作られている。それは「エリート教育」においても同じである。エリートは「山県が使える」ように作られる。そこにおいては、優秀かどうかなど、どうでもいい。ひとえに、山県にとって、邪魔にならない、という一点だけが問われている。
例えば、以下にある陸軍士官学校の30分ほどの映像を見てみてほしい。
陸軍士官学校(1937年) - YouTube
これを見てまず思うことは、これが「エリート」なのか、という違和感であろう。朝の点呼と共に、一斉に起き出すのは、どこか農村の風景を思わせる。農村共同体の「共同意識」が感じられる。確かに、朝から晩まで、少しの暇もなく、「勉強」をしているのだろうが、しかしこれって、たんに

  • 言われたことをやっている

だけで、こんな連中が「エリート」というのは、なんかおかしいんじゃないか? まったく、

  • 自分の時間

がない。私たちは、本当にこんな「勉強」でいい点数をとった人を「リスペクト」するだろうか? 私たちが尊敬する人とは、自分の専門と関係なく、数学書を読み、哲学書を読み、政治学書を読み、社会学書を読み、物理学書を読み、という、そういった

  • 自由人

なんじゃないのか。なぜなら、この世界は「複雑」だからだ。政治には、あらゆる「判断」が求められる。そういった場合に、軍人の兵隊の動かし方ばかりをマニアックに研究していた「だけ」の人間が、まともな判断をできるだろうか?
よく考えてみてほしい。
私たちが一般的に言う「なまけもの」は、夜中に、そういった様々な読書をする。だから、昼間に眠いのだ。だから、怠けているように見える。しかし、怠けているくらいでなかったら、それくらいの心の「余裕」をもっていなかったら、そもそも、

  • まともな判断

を行えるだろうか? 正確な判断は、心の「余裕」がもたらす。想像性のある、ダイナミックな発想は心に余裕のある所からしか生まれない。そういう意味では、いつも忙しそうにしている奴は、最初からダメなわけであるw
上記の陸軍士官学校の風景は、むしろ、「山県有朋が欲しい指揮官」のイメージに一致する。天皇崇拝を朝の礼拝で徹底的にたたきこまれていて、余計な学をもっていないから、山県の言うことに逆らわない。従順な「犬」こそ、エリートの姿であり、そういった連中が出世をするわけである。
エリートとは「言われた勉強しか、させてもらえない」人たち、という定義の方が正しい。つまり、エリートとは試験管の中の純粋培養なのであって、本当のリアルではない。

しかし、石原は受験準備をすることなく、隊務に精励し、余暇は史学、社会学、哲学などの研究に没頭した。それでも石原は天才的能力を発揮して陸大入試の難関を苦もなく突破し、大正四年一一月に三〇期生として入校した。

石原が一部長を下番したあと、四部の戦史課による支那事変初期の責任者からの聞き取り調査がおこなわれた。その回答のなかで石原は陸大教育を次のように批判している、

今度の戦争(日中戦争)でも、日本の戦争能力と支那の抗戦能力、ソ英米が極東に加えることができる軍事的・政治的勢力と、それを牽制することができる独伊の威力などを総合的に頭に描いて総括し、日本が対支作戦に投入できる力を判定し、戦争指導方策を決定しなければならない。
しかし、このような判定能力のある者は参謀本部には一人もいない。また、持久戦争は参謀本部だけでは決定できないのであり、統帥部・政治部の各当局が協力して方針を決定し、意見が一致しない場合は聖断を仰いでおこなうべきである。
このように戦争指導もできず、統帥部と政治部の各関係省部が勝手なことをやり、これをまとめる者が一人もいないのは陸大の教育が悪いからであり、大網に則って本当の判断をする者が一人もいないからふぁと思う。我々は総合的判断をできる智識を持っていないのである。
また信念のないのに意見を述べるのが、今日の日本の幕僚の通弊ではないかと思う。極端な統帥部の不統一を招いたのは個人個人の責任ではなく、現実の戦争に対し、陸大の教育が実際に沿わないのではないかと思う。(「石原莞爾中将回想録」)

戦争は言うまでもなく、「政治」そのものである。あらゆる判断は、相手との相互作用であり、相手が何を考えているのかは、相手の「文化」を理解することなしにありえない。つまり、そういった

  • 総合力

の積み重ねなしの、「自分の得意なもの」だけの猪突猛進こそ、日本を滅ぼした、と言ってもいい。エリートは「言い訳」の天才である。習ってないから、僕悪くない(日本は戦争に負けたけどなw)。エリートという「言い訳」の天才が、百戦錬磨で勝ち続ければ続けるほど、日本は滅亡へと滅びていく。
エリートは一種の「モンスター」である。言い訳のモンスター。こういった「癌細胞」を、組織の中に生み出してしまった時点で、組織は内部から破壊される。エリートは「斜め上」に強いため、組織を壊しながら、日本を敗戦に向かわせながら、エリート「だけ」が国民を滅ぼしながら、生き延びる。
山県有朋が考えていたのは、彼が「独裁者」として、日本を支配し続ける「仕組み」であった。しかし、これは「完璧」すぎるほどに完成しすぎていた。例えば、大本営を考えてみてもいい。なんで、こんなものが必要なのか? おそらく、誰も答えられない。あまりにも、日本の軍隊組織の指揮命令系統は、意味不明なまでに、複雑すぎる。いろいろな「偉い人」がいすぎて、いつまでたっても、一つの命令が実行に移されない(まさに、カフカの描く官僚世界だ)。
しかし、である。
これを、山県の視点から考えてみてほしい。組織が、どこまでも複雑になっていればなっているほど、トップの山県は組織をコントロールしやすい。自分に逆らって、権力を奪おうと狙ってくる、別派閥の連中に下剋上されることを防げる。
勘違いをしている人が多いが、明治以降の天皇制も、山県のこの「軍隊組織」のために、作られたわけである。山県が軍隊を支配するためには、どうしても、天皇を江戸時代のように、京都にお隠れにさせておくことができなかった。彼の「軍隊支配」のために、東京で自分の側に置いておく必要があった。
この天皇が戦後の平和憲法でも「名残」として、残されてしまった。今回、天皇自身による、生前退位の意向が示されたということで、さまざまに議論されているが、ほとんど「山県有朋の亡霊」がざわめいている、という印象が強い。
例えば、自民党憲法草案では、天皇は「元首」とする、というわけである。
しかし、今の天皇の「象徴」という地位は、昭和天皇終戦において「選んだ」地位なわけであろう。ところが、現在の日本政治の立憲君主制度においては、天皇は政治に対して、発言をできない。天皇が自らの「処遇」について発言できないことを「利用」して、天皇家が選んだ「地位」を政治が勝手に変えるというのは、まさに「君側の奸」ではないのか? しかし、なぜ

  • 自分

に関わることに発言権がないのだ? あまりに、おかしくないだろうか? なぜ「当事者」が自らのことを決定できない?
そういう意味で、現在の生前退位の議論は、非常に奇妙な様相を示している。つまり、右の勢力が生前退位に「反対」し、左の勢力が生前退位に「賛成」している。本来なら、天皇の御心に従うことを生き甲斐としているはずの右翼が、天皇のたっての「お願い」に従おうとしない。
こう考えてくると、共産党の網領を思いださせる。共産党は確かに、自衛隊廃止、天皇制廃止を掲げているが、その場合の大事なポイントは

  • 将来

について言っている、ということであろう。自衛隊については、前回のブログで書いたが、もしも地域安全保障を担う、国連的な広域安全装置が作られるなら、一国の限定された目的をもつ「軍隊」という組織はなくなっていくのかもしれない。同じように、天皇制の「ダブルバインド」は、

  • 天皇を尊崇しているばずの国民(=右翼)が、天皇が退位することを「許さない」
  • 天皇自身は立憲君主制のため、自らが退位することを、発言することを「許されていない」

というところにあるわけであろう。なぜこんなことになっているのか? それこそ「山県有朋の呪い」だと言うしかないであろう。山県が国民を「支配」するために、どうしても、天皇は自らの「地位」を捨てられなかった。
さて。
なぜ、すでに山県有朋はこの世にいないのにも関わらず、この天皇への「仕打ち」を守り続けているのだろうか?
もしも、天皇の「人権」を考えるなら、将来的な方向としては、少しずつ、天皇家が「国家に縛られない」形態を選んでいけるような仕組みを模索していくしかないのではないか、と思っている。一方では、国家がさまざまに天皇家の「存続」が達成するような「保障」をしてもいいのかもしれない。財産的な保障もあるであろう。しかし、他方において、彼らをいつまでも「国家行事」に縛り続けることは現実的ではないのではないか。少しずつ、その「作業量」を減らしていって、彼らに多くの

  • 自由な時間

を与える必要があるし、リベラリズムの観点からは、どこかで彼らに「一般の人」並みの「自由」を与えなければならない、ということになるであろう(例えば、江戸時代の天皇が、首都の東京から離れた、京都で、政治とは「デタッチメント」で存在していた状態は、一つの中間的な在り方と考えることもできるであろう)。
このように考えるなら、日本共産党の言っていることは、それほど奇異ではない、ということになるのではないか(私は「共産主義社会」についても似たように考えているが)。

このように、陸軍が方向性を見失ない迷走しはじめた一一年二月、善きにつけ悪しきにつけ日本陸軍を創り、明治・大正の国家意思決定に参画し、政界・官界・軍部に君臨してきた山県有朋が死去した。すでに児玉源太郎は明治三九年七月に五四歳で早世し、伊藤博文は四二年一〇月に朝鮮人安重根に暗殺され、大山巌は大正五年に死亡していた。
彼らは国家意思決定組織や統帥組織の欠陥を補って、日清・日露の両戦争を指導、あるいは戦って勝利を獲得し、曲がりなりにも日本を興隆させてきた功労者であった。大正末から昭和初めにかけて、陸軍の主流は田中義一宇垣一成と受け継がれていったが、個人名をもって陸軍をイメージさせることができるのはこの両名までであった。
つまり陸軍や国家を強力なリーダーシップを発揮して引っ張ってきた指導者のかわりに、欠陥のある組織そのものが歴史の主役となっていくのである。それは、混迷の時代の始まりでもあった。

確かに、山県有朋は死んだ。しかし、それ以降、日本は山県有朋の「亡霊」に悩まされることになる。当時のエリートはみんな、

として作られていた。山県のペットであった。それが、一斉に「主人」を失ったのだ。どうなるか、想像してみてほしい。だれも、自分を「優秀になるように使ってくれる主人」がいなくなった。そんなペットが全員で集まって、

  • 主人の真似事

を始めたわけであるw それが、日米開戦の先制攻撃であったw だれも日米決戦に勝てる、という見込みがない。だれも、この戦争で「得をできる」という計算をした人がいない。なのに、戦争を始めてしまう。

  • 空気(=山県有朋という亡霊)に抗えなかった

なぜこうなるのかは、お前たちが、そもそも「主人」になるように作られていないからなのだ。お前たちは、最初から、山県有朋が「使いやすい何か」であるようにしか、作られなかった。だから、急に、「主人として振舞え」と言ったって、どだい無理なのだ。判断できない。判断できないということは、日米開戦が「間違っている」という判断もできない。
そして、これは現在の天皇の「生前退位」の問題にまで、「亡霊」として続いている。
私は基本的に、エリート教育というのは止める方が、そういう国家は強いんじゃないのか、と思っている。つまり、子どもたちはみんな

  • ぼー

っと生きればいい。塾なんて行って、余裕のない生活をしなければいい。毎日を、ぼーっと過ごして、好きな、気が向いた、さまざまの分野本を読めばいい。むしろ、そういった人の中からしか、どうせ、「優秀」な人は生まれない、と思うから。
(もしエリート教育をしたいのなら、法律的な意味で「大人」になってからやればいいんじゃないだろうか。そもそも、子どものうちの「学力順位」「ランキング」って、なんの意味があるのか分からないんですよね。だって、彼らがまだ大人じゃないということは、子どもということで、子どもとは「教育」的対象の段階なのだから、どんな成績を「教育」対象でることを意味しているに過ぎないわけでしょう。それの順位って何なのか、とは思わなくはない。例えば、中国の科挙の試験だって、別に、孔子が生きていた時代に、孔子科挙の試験をやっていたわけではないし、そういう意味では、科挙って、反論語的だと思うんですけどねw)

参謀本部と陸軍大学校 (講談社現代新書)

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