杉田聡『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』

私たちが財布の中を見てみれば、一万円札があって、そこには福沢諭吉が描かれている。ということは、福沢諭吉というのは「偉い人」なんだろうと、日本国民ならだれでも思うであろう。
ところが、掲題の著者によると、福沢というのは、当時における典型的な

の差別主義者であることが、これでもかというくらいに証拠付きで記述される。
一体、どういうことなのであろうか?
私たちは常日頃、在特会といったような在日朝鮮人や中国人の方たちに差別的な態度をとっている連中を「ヘイトクライム」と言って非難しているが、なぜか、同じように戦前において行っていた「福沢諭吉」を非難しない。それどころか、つい最近でも、安倍総理は国会の演説で、わざわざ、福沢諭吉の言葉を使っている。ありがたがって、一万円札の肖像として崇拝している。福沢諭吉を一方で崇拝しておいて、なんで、在特会を批判できるのだろう?
どうも、私にはこの「福沢諭吉」という人物に、戦前の「謎」があるように思われるわけである。
戦前とはなんだろう? 戦前とはダーウィンの進化論であり、優生学である。というか、ようするに、帝国主義イデオロギーである。人間には、優秀な人間と、劣等な人間がいる。優秀なのが「白人」であり、劣等なのが「黒人」というわけである。その延長で、福沢はなんと言ったのか。日本人は「優秀」である。他方、中国、韓国は「劣等」である。だから、日本人が彼ら中国人、韓国人を「支配」することは合理化できる。
大事なポイントはなにか? 福沢は「日本人」と言うとき、次のような人たちを「排除」しているわけである。

福沢の差別的視線は、中国人・朝鮮人に対してのみか、障がい者被差別部落民、老人、女性、平民(町人)等に対しておよんでいる(杉田7二五二 ~ 三)。
アイヌに対してもそうである。

ようするに、福沢は「エリート」以外の日本人は日本人に含めていない。なんでこんな奴を、ありがたがっているんだろうねw
しかし、他方において、福沢は次のようなことを言うわけである。

『掌中万国一覧』(六九年)では、「白人」について、「皮膚麗しく......容貌骨格すべて美なり。その精神は聡明にして、文明の極度に達すべきの性あり。これを人種の最とす」と、また「黒人」については、「性質懶惰にして開化・進歩の味を知らず」と、ヨーロッパ中心主義的な紋切り型の文言がならんでいた(2四六二 ~ 三)。この時期にすでに福沢は、この種の、欧米人(白人)が文明化の頂点に立つとする文明観を内面化していた。

つまり、福沢は「白人」は「優秀」だし、日本の「エリート」は優秀だと言うが、それ以外の日本人は「下等生物」だと言う。ゴミ屑なので、どんなに残虐な扱いをしてもいいんだ、と。
でもさ。今でも、欧米の現代思想とかの翻訳ばっかりを大学で勉強しているような人たちっているわけよ。なんで彼らって、そんなに必死になって、欧米の思想を翻訳しようとするんだろうね。なんか、彼らの「白人中心主義」を崇拝しているんじゃないのかね。まあ。福沢と同じわけよ。白人と自分たち日本人の「エリート」は優秀な遺伝子で、あとは、劣等な遺伝子だと。
おっかないね。
ようするに、福沢は何が言いたいのだろうか?

九四年六月、にわかに活発となった東学農民軍を鎮圧しようと朝鮮政府は清に援軍を要請したが、日本はそれを奇貨として朝鮮に大軍を送った。この事実を知った農民軍指導部は、朝鮮政府とのあいだに急きょ和約をむすんだために、朝鮮政府は「出兵理由がなくなれば撤退する」という天津条約の規定にもとづき、清および日本に撤退を要請した(原田六五)。だが日本はこれを黙殺したのみか、綿密な計画の下に王宮に侵入し(中塚2五三以下)、傀儡を擁立した上でそれに清軍の鎮圧を要請させたのである。こうして日本は清との戦争に強引にふみこんだ。
福沢は、王宮占領が日本軍の謀略によるものであることを、知らなかったかもしれない。『時事新報』には、号外をふくめて特派員の通信がたびたび掲載されたが、これもしょせんは参謀本部・日本公使館の統制下におかれた情報だったからである。だが福沢はこれを妄信し、そもそも朝鮮政府が「清兵駆逐」要請を日本軍に出すなどということが本当にありうるのかどうかについて、事実究明の姿勢をもたなかった。もっとも、そうした要請の有無とは無関係に「支那・朝鮮両国に向いて直ちに戦を開くべし」(11四七九)と呼号するほどであるから、福沢にとって王宮占領が謀略によろうがよるまいが、どうでもよかったのであろうが。
それにしても、福沢が当初あげていた居留民保護という名目(14三九三、四)は、どうなったのだろう。農民軍と朝鮮政府の和約のおかげで保護の必要性はなくなったというのに、軍が王宮を占領することは、過度の逸脱である。福沢はそれを問題にさえしていない。福沢にとって、居留民保護はただの名目にすぎなかった。そもそも、日本軍派兵時に漢城の居留民に実際の危機がせまっていたとは言えない。東学農民軍が落とした全州城は漢城から二〇〇キロ近く離れており、そこはむしろ朝鮮の南端にちかいのである。

おそらく、福沢が考えていたことは、日本が東アジアに「侵略」することを正当化する「イデオロギー」を用意することだったと思われる。そのためには、いかに、韓国・中国が「野蛮」であるかを強調した。その野蛮の「根源」は

である。日本の「エリート」は白人と「同列」なまでに、優秀な遺伝子だが、韓国・中国は「野蛮」である。だから、日本軍は

  • どんな野蛮なことを行っても正当化できる

と主張した。まさに、欧米の植民地主義と同じように、「自分たち白人は優秀な遺伝子だから、黒人という劣等な遺伝子をどのように奴隷にしても許される」と。

ゴールトン以上に優生学的な志向を徹底させたC・ピアソンにおいては、その人種主義も徹底していた。彼は、「イギリス人を最上位に、動物を最下部に置き、その間には、上から順にヨーロッパ人種、『中国人』、『黒人』、そして『未開人』をおいた」(トンブリィ七一)。それ ばかりか、「繁殖はよい血統からさせるべきであり、そして最悪の血統は排除されるべきは......人間の進歩にとっても不可欠である.....」(ホブスン2六六)と論じた。つまり、後者によって黒人や黄色人種産児制限のみか「断種」の必要を、前者によって白人に対する積極的・肯定的な優性措置を課すと同時に人為的に生存可能性を高めるべきことを、示唆したのである。ピアスンはこの「意識的な人種培養」(センメル四六)によって、多産だが不適格な人種を排除して、白色人種の支配をもたらそうとする。

ここ現代になっても、優生学が「当たり前」とか言っている連中は大勢いるわけだが、そういった彼らはなぜか、福沢諭吉や過去の優生学について言及しない。自分が知っている、つい最近のサイエンスのエビデンスをもって、「優生学は当たり前」と言って、それに感情的に反発する人を「ニセ科学」と言って、嘲笑する。どっちがニセ科学か。もしも、現代においても「優生学」について語りたいなら、過去にどのような、

  • 白人「優秀遺伝子」主義

によって、多くの人たちが迫害されたか。

  • 日本人エリート「優秀遺伝子」主義

という、福沢諭吉による「差別」運動で、どれだけの日本国民が迫害されたか、そういった「実証」と比較して、そのサイエンスなるものを主張しろよ。お前が頭が悪いのは、お前のニセ科学の主張が、相手が考えている「優生学の歴史的な恐しさ」を、まさに「サイコパス」的に無視している

  • 頭の狂い方

にあるわけであろう。
さて。福沢とは何者なのだろうか?

福沢はアヘン戦争の発端を作った林則徐に言及し、こう記した。この無知の短気者がイギリスからのアヘンの積荷を理不尽に焼き捨てたために、英軍にひどく痛めつけられた。そのため、今日にいたるまで世界中にイギリスを咎める者はなく、人はみな中国人を笑うだけであると(1二一)。
だがアヘン戦争は、貿易赤字縮小のためのイギリスによる一方的なアヘン輸出が発端となったのである。福沢は林則徐がアヘンを「理不尽に焼き捨て(た)」と記したが、イギリスがおこなったあくどい商売(それは人道に反するとさえ言える)を何ら問うことなく、同国の視点に立った情報のみを摂取した。ここにかいま見られるのは、欧米を文明化の頂点と見なし、それに抗う運動はすべて嘲笑・罵倒の対象としてさげすむ福沢の姿勢である。福沢はここで侵略する側の視線で問題をながめている。

うーん。ついにここまで来ると、なにがなんだか分からなくならないか? 本来、明治の文明開化が始まる発端は、尊皇攘夷であって、つまりは、欧米による、アジアへの「アヘン戦争」からアジアを守ることではなかったのか。
それなのに、福沢は欧米と一緒になって、アジアの

を行っている。欧米よ、もっとやれ、と。だんだん気持ち悪くなってこないか。しかし、よく考えてみれば、日本の満州国建設は、そこでとれる「アヘン」の収益を、官僚たちがネコババすることが目的の半分となっていたわけで、日本の東アジア侵略は、

だったわけだ。それにしても、上記の福沢のグロテスクなまでの「人種差別主義」がどこから始まっているのかというなら、日本軍の東アジア「侵略」を、どのように御用学者的に

  • 理屈

を提供するのかに始まっていたわけであろう。そういう意味では、福沢は「御用学者」としてのナショナリストとして振る舞った。しかし、そのことは、非常にグロテスクだが今に至るまで続いている、次の対立構造を一部の「エリート」たちの自尊心を満足させるものとして、主張されている。

  • 白人&日本の「エリート」(優秀な遺伝子) vs それ以外の人間&動物(劣等な遺伝子)

そもそも、尊皇攘夷において恐れられていたのは「ロシア」であった。ロシアが、東アジアに南下してくることの恐怖が、なんらかの日本と朝鮮と中国の、北のロシアからの南下を抑える防波堤の必要を主張していた。ということは、そもそも、日本が朝鮮や中国に侵略する必要はなかった。彼らとの共同での、ロシアの南下への警戒行動はありえたはずなのだ。
ところが、「福沢諭吉」主義者たちは、朝鮮人、中国人を

  • 劣等な遺伝子

と馬鹿にして、最初から彼らとの共同行動を目指さなかった。実際、彼らは東アジアに進出すると、土地の財産を私欲のままに奪って、悪逆の限りを尽した。彼ら「福沢諭吉」主義者たちは、朝鮮人や中国人は「劣等な遺伝子」だから、なにをやってもいいと、

  • 野蛮行為

を繰り返した(さて、どちらが「野蛮」なんですかねw)。彼らに自治を認めなかった、日本の「植民地主義」の思想的なロジックを提供したのは「福沢諭吉」なのだ...。

福沢諭吉と帝国主義イデオロギー

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