フラット主義者ヒラリー

結局、お金持ちたちは民主党共和党か、などという対立はどうでもよかった。どっちだろうが、

  • お金持ちがさらにお金持ちになる

ための手段を提供してくれるなら、どっちかなどという話は最初から無意味だった。お金持ちにとって大事なことは、自分が「さらにお金持ちになる」ことの実現を保証してくれるかどうかであって、それを率先して「約束」したのがヒラリーであった。
ヒラリーは最初から、お金持ちたちとの「バーター」で大量の政治資金をお金持ちから「恵んで」もらっていた。そういう意味では、彼女に彼らお金持ちの「要求」するものを拒否する選択肢はなかった。
そういう意味で、ヒラリーは最初から選挙に負けていた。彼女の政策は、いつもの「ブラックホール」理論であった。中間層が生活保護の受け取り資格のところまで「落ちた」ならば、

  • お恵み

をあげる、という政策であって、それは一種の「奴隷制」であることに、あまりにも昔からの政治家であるために、なんの「同情」の感情も生まれなかった。彼女はあまりにも、既存のエスタブリッシュになり下がりすぎた。もはや、一般の人と同じようになにかを感じるには、あまりにも「汚れ」すぎていた。
お金持ちたち全員に共通しているのは、もしも国家が貧乏人たちに「福祉」を行ったら、自分たちの資産が税金として奪われるのであって、それだけはなんとしても阻止しなければならない、ということであった。そういう意味では、彼らはその一点において結束していたし、そのお金持ちたちからお金を恵んでもらうことで生計を立てている

  • エア御用

たちも、そのための「ステマ」に必死であった。彼らはどうやって、貧乏人たちを口先でだまくらかそうと必死であった。
ようするに彼らエア御用たちは、マルクスが嫌いであった。どうやって貧乏人たちを今のまま貧乏なままに突き落としておくか、どうやって、その「論功行賞」によって、お金持ちたちから、褒美をもらうかにしか、エア御用たちの関心はなかった。
早い話が、エア御用たちは「お金持ち向けビジネス」に奔走するようになった。値段の高い商品を、比較的に裕福な層向けに、高額な値段設定で売りさばく商法を目指した。彼らの目の前には、お金のない人はいなかった。彼らにとって、自分の商品を買うことのできない貧乏に、一切の価値はなかった。
私はこういった、エア御用たちを「寄生虫」と呼んでいる。意味のないゴミ屑を作って、お金持ちたちに「たかり」、その代わりに、彼らは貧困層を今のまま貧困のままに突き落としておくための

  • 情報戦

で、お金持ち階級の需要を満たすための「ステマ」を行う。最も危険なのは、こういった腐れ文化人なのだ。

アメリカの二大政党は、共和党が富裕層寄り、民主党が労働者寄りの支持基盤という経済階級で分断されていると思われがちである。しかし、実際には経済的な「利益」とは別に文化的な「理念」が党内に存在し、これが党内にとき には亀裂や結束を生んできた。政治学者の砂田一郎は前者を「利益の民主政」、後者を「理念の民主政」と分類している。
たとえば、共和党の政策で経済「利益」では損をする中間層以下をどう共和党が取り込んできたのか。ひとつは政府介入への拒絶意識だ。単なる反税ではなく、銃規制反対など連邦政府介入への反発と州の自治を重視する「小さな政府」の「理念」である。そしてもうひとつは、キリスト教である。人工妊娠中絶反対などのキリスト教の信仰が、経済階級をまたいで共和党を結束させてきた。
一方の民主党側はどうだろうか。民主党ニューディール時代なでは、伝統的な熟練工を含むブルーカラー労働者層が支持基盤の軸だった。、しかし、一九六〇年代の公民権運動とヴェトナム反戦運動で党の支持基盤に変化が生じる。法廷弁護士、大学教授、フェミニストなどの活動家・専門職・知的産業従事者が増加し、文化的なリベラル化が深まったのだ。
(渡辺将人「「アメリカ政治の壁」とリベラルの敗北」)

世界 2017年 01 月号 [雑誌]

世界 2017年 01 月号 [雑誌]

この「利益」と「理念」のせめぎあいを覆い隠し、共通の敵である共和党に向き合うことが、民主党候補が選挙で勝つ秘訣だった。いわば「棚上げ」でやりくりしってきたのだ。
(渡辺将人「「アメリカ政治の壁」とリベラルの敗北」)
世界 2017年 01 月号 [雑誌]

ヒラリーが当たり前のように、ウォールストリートやワシントンの「ビッグ・マネー」にとびつく姿は、ようするに、ヒラリーには上記にあるような

つまり「白人貧困層」への「同情」が感じられない。それもそうである。実際に彼らを貧困に突き落としてきたのは、民主党なのだから。民主党は、そもそもの最初の「利益の民主政」という自分たちの出発点を忘れて、「理念の民主政」の政党に、いつの間にか変わってしまっていた。もはや、彼らは大学のエリートであり、労働者の政党ではなくなっていた。というか、彼らはそういった

  • 白人だから特別に扱わなければならない

といった、「人種差別」を忌避する人たちにクーデター的にのっとられていた。

「ブレグジッティアーズ」と「トランピスト」たちを敢えて一括りにすれば、彼らは「没落しつつある中間層」と特定することができるだろう。イギリスにおいては、それは「ミッドランド」と呼ばれる、戦後の高度成長を牽引してきた工業地帯の住民のことであり、低学歴でも真面目に勤め上げていればそれなりの生活を送ることができた人々であった。アメリカにおいても、トランプの得票がいわゆる「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれるミシガンやオハイオ州で伸びたことは記憶に新しい。これらの州では二〇〇〇年代以降に、中間層は一割ほど縮小したといわれれいる。そこはまた、自由貿易で潤うことが許されるアメリカ大陸の両岸から「頭上を通貨される(fly overs)」人々が集い、内需で牽引される製造業に従事する人々の地だった(ちなみにトランプが敵に回した黒人・ヒスパニック系は両岸に集中している)。
このように、グローバリズムを低所得・低学歴・地方の社会敵弱者が拒否するという構図は、すでに二〇〇五年、フランスで否決された欧州憲法条約の国民投票でも確認されていた。
(吉田徹「「グローバリズムの敗者」はなぜ生まれ続けるのか)
世界 2017年 01 月号 [雑誌]

ひとつだけはっきりていることは、ヒラリーはこういった、ミシガンやオハイオの人たち向けに

  • 特別な政策(=利益誘導)

を選挙戦で主張しなければならない、という動機をもたなかった。彼女はここが、全ての選挙の結果を分ける激戦区という意識がなかった。彼女は驚くべきまでの

  • フラット主義者

であった。彼女はミシガンやオハイオの人たちだからといって、他の地域の人に向かって言うことと別のことを言わなければならない、という感覚がなかった。彼女は、どの州に行っても、まるで金太郎飴のように、まったく同じことを言った。その地域には、その地域の特別な事情があることに、まったく共感しなかった。
おそらく、ヒラリーはアメリカ中が、まったく同じ

  • フラット

にあるべき、と思っているのであろう。そういう意味では、彼女は典型的なグローバリズム主義者であった。
今回のアメリカ大統領選挙でのトランプの勝利というか、ヒラリーの敗北は、ヒラリーが

  • 相手が弱い

と過信したことにより、よりエスタブリッシュメントの「要望」に答えるような、利益誘導型の態度にシフトしたことが最大の原因だと思っている。つまり、アメリカは「奢(おご)り」がひどかった、ということになるのではないだろうか。
その光景は、イギリスのブレグジット国民投票を思い出させる。もしもEU離脱をしたら「大変なことになる」と国民を脅した、国内の「お金持ち」たちは、

  • これ幸い

と、この「二択」を利用して、よりお金持ち優遇の政策を国民に選ばせようとした。つまりその二択によって、

  • 人権違反をするくらいなら、お金持ち優遇の方がまし

だと「言え」と、踏み絵をふませようとした。それに、イギリスもアメリカもノーをつきつけた。
ようするに、ヒラリーは「人権の人」であったが、「労働者の人」ではなかった。彼女は没落白人貧困層に、なんの「同情」ももてなかった。というか、そういった同情をしなくても、あまりにもトランプが彼女の基準における

  • 人権偏差値

において低かったので、余裕をぶっこいてたのだ。あまりにも、相手が弱すぎると見下していた。こんな野蛮人に自分が負けるはずがない、と。
しかし、普通に考えて、NAFTAで国内の工場がメキシコに行って、そりゃあ、経営者と株主とメキシコの労働者は儲かってウハウハかもしれないけど、工場がなくなって生まれた大量の失業者を

  • 見捨てた

政治家ってなんなんだろう、と思うよな。こんな政治家のいる国に住みたくないよね。おそらく、ヒラリーはメキシコの労働者が「仕事をもらえて」ハッピーになった、ということにしか関心がなかったんだろうね。自分がメシキコ人という「違う人種」を

  • 平等

に扱ったことが誇り高くて、彼女がゴミ屑のように捨てた、国内の白人ブルーカラーにはなんの同情もわかなかったんだろうね。怖いね、政治家って...。